第3話(中編)――「殴られる場所」
384年3月中旬。
田朔は、避けられる時には南門の近くを通らなくなった。
杜三が怖いからではない。
殴られた上に10銭取られるために働くのが馬鹿らしかった。
宿屋や飯屋へ直接品を届ける今の商売なら、道端に敷物を広げる必要もない。
先に注文を取る。
城外で品物を集める。
客の店まで運ぶ。
以前は売れそうな物を探していた。
今は、先に買う相手を探した。
3月12日。
田朔は朝から酒肆を5軒回った。
炭を欲しがる店が2軒。
飯屋では卵と豆。
宿屋からは薪15束を頼まれた。
全部、札へ書いた。
昼から城外の農家を回って品を集める。
翌朝には注文した店へ運ぶ。
大きくは儲からない。
それでも、以前のような売れ残りは減った。
午後。
どうしても南門近くを通らなければ遠回りになる届け先があり、田朔は久しぶりにその道へ入った。
そこで杜三に見つかった。
「田朔」
田朔は足を止めなかった。
杜三が前へ回る。
「聞こえなかったか」
「聞こえた」
「なら止まれ」
「急いでいる」
杜三が胸を押した。
田朔は止まった。
「最近、うちの場所で商売しないな」
「お前の場所ではない」
杜三が笑った。
「また殴られたいのか」
「今日はここで何も売っていない」
「長安で銭を稼いでいるだろう」
「だから何だ」
「10銭」
「嫌だ」
杜三が拳を上げた。
田朔は逃げなかった。
「ここで殴るのか」
「何?」
「俺は通っているだけだ。荷も売っていない」
「それがどうした」
田朔は周囲を見た。
城門の兵がいる。
露店も多い。
行き交う者も多かった。
「通るだけで銭を取るなら、明日から荷運び全員から取ればいい」
杜三の顔が変わった。
「口を閉じろ」
「俺1人なら殴れる。全員から取ればどうなる」
拳が飛んだ。
頬に入った。
田朔はよろめいたが倒れなかった。
次は腹だった。
膝が地面につく。
「10銭だ」
杜三が言った。
田朔は腹を押さえながら顔を上げた。
「今日は払わない」
杜三が髪をつかんだ。
その時、城門近くから男が駆けてきた。
「杜三!」
以前、杜三から銭を受け取っていた男だった。
「ここで騒ぐな」
「こいつが」
「今日は上の者が見回っている」
杜三の手が止まった。
男が声を落とした。
「やるなら別の場所でやれ」
田朔は聞いていた。
杜三は髪から手を離し、田朔を突き放した。
「次は払え」
3人は離れていった。
田朔は地面へ手をついた。
口の中が切れている。
腹も痛い。
それでも10銭は払わずに済んだ。
それより、今聞いた言葉の方が気になった。
あの男が止めると、杜三は従った。
上の者が見回る日だけ、門前では騒がせない。
杜三が勝手に暴れているだけではない。
田朔は立ち上がった。
今までより少し奥が見えた。
◇ ◇ ◇
翌日。
田朔は昼までの仕事を終えると、南門近くへ戻った。
父には何も言わなかった。
杜三の姿を探した。
昼頃に現れる。
露店を3軒回り、銭を集めた。
午後になると、昨日の男が城門から出てきた。
杜三が近づく。
銭を渡した。
男は受け取った。
田朔は離れた場所から見ていた。
男は夕方まで城門近くで働き、その後、城内へ入った。
田朔は後を追った。
小さな酒屋へ入る。
しばらくすると、別の男が来た。
服装が違う。
腰には役所の札を下げている。
2人は一緒に酒を飲んだ。
翌日も田朔は見た。
同じ男と会った。
3日目。
田朔は酒屋へ入り、主人へ5銭渡した。
「あの男は誰だ」
主人が田朔を見る。
「どっちだ」
「役所の札を下げている方」
「陳貴だ。南門の出入りを見る役人の下で働いている」
「偉いのか」
「偉くはない」
「誰の下だ」
「そこまでは知らん」
「よく来るのか」
「3日に1度くらいは飲みに来る」
田朔は覚えた。
「もう1人は」
「曹五。門兵の手伝いをしている」
「杜三と仲がいいな」
主人の顔が少し変わった。
「知らん」
「知らない顔じゃない」
「余計なことへ首を突っ込むな」
田朔は笑った。
「忠告か」
「お前、そのうち本当にひどい目に遭うぞ」
「もう何度も殴られている」
「殴られるだけで済むうちにやめろと言っている」
田朔は何も答えなかった。
◇ ◇ ◇
3月17日。
田朔は郭安の店へ行った。
「役人へ訴える時はどうする」
郭安が筆を止めた。
「何をした」
「まだ何もしていない」
「その言い方をする奴は、大抵これから何かする」
「勝手に人から銭を取っている男がいる」
「役人か」
「違う」
「なら役人へ訴えればいい」
「そいつは城門の男へ銭を渡している」
郭安の顔が変わった。
「忘れろ」
「なぜだ」
「渡しているところを見たのか」
「何度も」
「なら、なおさら忘れろ」
「どういう意味だ」
郭安は筆を置いた。
「お前が訴える。杜三が捕まる。そうなれば杜三から銭を受け取っていた曹五も困る」
「曹五を知っているのか」
「南門で働いていれば、名前くらい耳に入る」
「その上に陳貴もいる」
郭安は田朔を見る。
「そこまで調べたのか」
「曹五と酒を飲んでいる」
「だから何だ」
「曹五から銭が流れているかもしれない」
「かもしれない、だろう」
田朔は黙った。
「お前が訴えたところで、証拠は何だ」
「俺が見た」
「お前の目か」
「杜三が銭を取るところなら大勢見ている」
「その大勢が、お前のために役所へ出て証言するのか」
田朔は答えられなかった。
郭安が紙へ字を書く。
「知っていることと、使えることは違う」
田朔はその字を見る。
「梁景成みたいなことを言うな」
「梁旦那にも似たようなことを言われたのか」
「何度かな」
「なら覚えておけ。2人に同じことを言われたんだ」
田朔は気に入らなかった。
「何もできないのか」
「今はな」
「またそれか」
「何がだ」
「今はできない。今は待て。今は黙れ。そればかりだ」
郭安が笑った。
「持っていない者には、できないことが多い」
田朔は黙った。
金がない。
役人とのつながりもない。
喧嘩慣れした手下を何人も従えているわけでもない。
人を何人も動かす力もない。
知っただけで相手を潰せるほど世の中は簡単ではなかった。
だから今は、見て覚えておくしかなかった。
◇ ◇ ◇
3月19日。
田朔は梁家へ豆を運んだ。
裏門近くで何小玉に会った。
小玉は田朔の顔を見ると笑った。
「また殴られたの?」
「笑うな」
「今度は何を売ったの」
「何も売っていない」
「それなのに?」
「道を歩いていただけだ」
小玉は声を上げて笑った。
「あなた、長安を歩くだけで殴られるようになったの?」
「有名になった」
「悪い意味でね」
田朔も少し笑った。
「梁景成も若い頃は殴られたのか」
「知らないわ」
「軍へ品を運んでいたんだろう」
「そう聞いたけれど」
「喧嘩は強いのか」
「旦那様?」
「そうだ」
「強いと思う。剣も使うし、馬にも乗るわ」
田朔の顔が曇る。
「何でもできるな」
「どうしたの」
「気に入らない」
「旦那様が?」
「別に」
小玉が笑った。
「何を張り合っているのよ」
「張り合っていない」
「そういうことにしておくわ」
小玉が屋敷へ戻ろうとする。
「小玉」
「何?」
「梁景成は誰を一番信用している」
小玉が振り返った。
「何よ、急に」
「聞いてみただけだ」
「奥様でしょう」
「崔玉容か」
「そう。商売のことなら奥様。お客様のことなら青蘭姉さん。馬なら彩児姉さん」
「ほかの妾は」
小玉が笑った。
「やっぱり女の話へ戻るのね」
「梁家のことを聞いている」
「はいはい」
「ほかの4人は何をしている」
「それは今度」
「今言え」
「嫌」
「前に棗をやった」
「もう食べた」
「薄情だな」
「また持ってきて」
小玉は楽しそうに笑いながら屋敷へ戻った。
田朔はその姿を見送った。
杜三には勝てない。
今の田朔が杜三と殴り合っても得るものはない。杜三には手下がおり、南門の曹五ともつながっている。
役人へ訴えて潰すだけの証拠も後ろ盾もない。
だが、小玉とは以前より気軽に話せるようになった。




