第10話(中編)――「勝った者は遊ぶ」
6月中旬。
田朔は南鄭で大きな宴を開くことにした。戦勝祝いというだけではない。田家の兵はこの数か月、南鄭、褒中、そのほかの豪族との戦いを続けており、死んだ者もいれば傷を負った者もいる。生き残った者にまで毎日訓練だけをさせていたのでは、何のために命を張っているのか分からなくなる。
田朔から話を聞いた段烈は、3日という期間に驚いた。
「3日もですか」
「全員一度に休ませるわけじゃない。守備は交代だ。ただし酒と飯は俺が出す」
「また随分使いますね」
「使うために稼いだ銭だ。それに勝った兵に何もやらなかったら、次に命を張らなくなるだろ」
祭りが始まると、南鄭の市場には酒、肉、魚、菓子、果物を売る店が並び、田家からも大量の酒と食料が出された。楽師を呼んで歌と舞を披露させ、広場では投壺、弓の腕比べ、馬の競走まで行わせる。田朔が賞金を出したこともあり、兵だけでなく城内の者まで集まり、南鄭は朝から騒がしくなった。
最も盛り上がったのは馬の競走だった。段烈と賀蘭真まで参加したため、兵たちはどちらが勝つかで騒ぎ、勝手に酒や銭を賭けている。田朔も玉容、蘇瑶、蘭英、月華を連れて見物したが、臨月の玉容には侍女を2人つけ、疲れればすぐ屋敷へ戻れるよう馬車も待たせてあった。
「田様は出ないのですか」
月華に尋ねられた田朔は、競走へ向かう馬を眺めながら答えた。
「俺が出て負けたら格好悪いだろ」
「勝てばよろしいではありませんか」
「簡単に言うな」
蘭英が笑った。
「月華は田様なら何でも勝てると思っているのですよ」
「思ってますよ」
月華が平然と答えると、玉容が横から口を挟んだ。
「それなら投壺をやらせてみなさい」
「お前、前に俺が下手なのを見てるだろ」
「だからです」
嫌な予感は当たり、田朔は女たちと投壺をすることになった。玉容は見物だけにして、蘇瑶が最初に入れる。蘭英は1本目を外したものの2本目を入れ、月華まで壺へ入れたのに、最後に田朔が投げた矢だけが縁に当たって転がった。女たちが一斉に笑った。
「もう1回だ」
「負けるたびにそう言うのですか」
玉容が呆れる横から、月華が楽しそうに割り込んだ。
「では賭けましょう。私が勝ったら、今夜は私のところへ来てください」
「月華」
蘭英が娘を見ると、月華は悪びれもしなかった。
「お母様も賭ければいいでしょう」
田朔は面白くなり、蘭英へ顔を向けた。
「いいぞ。蘭英は何を賭ける」
「私までですか」
「月華だけじゃ不公平だろ」
蘭英はしばらく考えた後、娘へ目を向けた。
「では私が勝ったら、明日の夜をいただきます」
「お母様、結局やるのではありませんか」
「あなたが始めたのでしょう」
玉容は額へ手を当てた。
「あなたたち、投壺で夫を取り合わないでください」
蘇瑶は横で笑っていたが、田朔には止める理由がない。むしろ自分を賭けて母娘が本気になっていることが面白かった。2度目は蘭英が勝り、月華は本気で悔しがって、すぐにもう1度やると言い出した。
「お前、俺と同じこと言ってるぞ」
「田様の女ですから」
これには田朔も笑うしかなかった。
投壺が終わっても、今度は弓を見に行き、馬の競走では段烈と賀蘭真のどちらが勝つかを皆で予想した。田朔自身も銭を賭け、月華は田朔と反対へ賭け、蘭英は娘とは別の方へ賭ける。勝てば笑い、負ければ次の勝負へ回し、酒や菓子も運ばせた。戦場ではないところで1日を丸ごと遊ぶのは久しぶりだった。
日が暮れると大きな宴席が設けられ、田朔の前には焼いた羊肉、鶏、川魚、野菜、果物が並び、酒壺が次々と空になっていった。段烈たち古参も同じ席に入り、少し離れたところでは楽師が演奏を続けている。
玉容だけは夕方になる前に屋敷へ戻した。本人はまだ平気だと言ったが、田朔が許さなかった。
「何かあったらどうする」
「産婆も侍女もいますよ」
「だから屋敷へ戻れと言ってるんだ」
「あなたの方が産婆より心配性ですね」
「子を産むのは初めてなんだから仕方ないだろ」
「私も初めてですよ」
そう言われると返す言葉がなく、結局は玉容の方が笑って馬車へ乗った。
宴では月華が昼の投壺で負けたことをまだ気にしており、蘭英に昔から投壺が上手だったのかと尋ねている。
「あなたが下手なだけです」
「田様よりは上手です」
「俺を巻き込むな」
また笑いが起きた。
その時、田朔は宴席の端に見慣れない男が座っていることに気づいた。30歳を少し越えたくらいで、豪華な衣を着ているわけでもないのに周囲へ遠慮する様子がなく、田家が用意した酒を飲み、羊肉を食べ、舞を眺めている。
「段烈、あいつ誰だ」
段烈も男を見たが、首を振った。
「知りません」
「知らない奴がどうして俺の宴で一番うまそうに酒を飲んでるんだ」
田朔が呼ばせると、男は酒杯を持ったままやって来た。
「名は」
「陸文昭と申します」
「誰に呼ばれた」
「誰にも」
「じゃあ、どうしてここにいる」
「田様が南鄭の者へ酒と肉を振る舞うと聞きましたので」
田朔は思わず男を見直した。
「勝手に入ってきたのか」
「はい」
「俺の酒まで飲んで?」
「大変よい酒でした」
段烈の顔が険しくなったが、田朔は怒るどころか笑った。
「面白い奴だ。座れ」
陸文昭は本当に座り、田朔の前でも遠慮せず酒を飲んだ。月華が田朔へ小声で「怒らないのですか」と尋ねたが、田朔は面白いからいいと答えただけだった。
陸文昭は南鄭近郊の豪族の家に生まれ、若い頃から書物を読み、各地を歩いてきたという。官職を求めたこともあったが、仕えるに値する相手がいなかったので何もしていないと平然と言った。
「随分偉そうだな」
「田様ほどではありません」
段烈が吹き出し、田朔も笑った。
「気に入った。もう1杯飲め」
「いただきます」
陸文昭は何事もなかったように杯を差し出した。田朔はまだ、この男がどれほど役に立つのか知らない。ただ、勝手に宴へ入り込み、田家の酒をただで飲みながら少しも臆さない男に興味を持ったことだけは確かだった。




