第9話(中編)――「母娘をもらう」
褒中の城壁から矢が飛び始めると、田家軍の盾兵は大盾を並べ、その陰に槍兵と弓兵を入れて前進した。矢が盾や地面へ次々と突き刺さる中、段烈の号令で田家軍の弓兵も城壁へ射返した。
「城壁の兵を下がらせろ! 門を破る兵を近づける!」
田家軍の矢が城壁へ集中すると、上から射ていた褒中兵が身を伏せた。その隙に太い丸太を抱えた兵たちが城門まで走り、勢いをつけて門板へ叩きつけた。
最初の一撃で門全体が揺れ、続く2度目、3度目には太い門板から軋む音が聞こえた。
田朔も護衛とともに盾兵の後ろまで進んでいた。頭上を越えた矢が地面へ突き刺さり、別の矢がすぐ前の盾へ当たる。
「田様、これ以上は前へ出ないでください! 門が開けば敵兵が一気に出てくることもあります」
段烈に怒鳴られ、田朔は盾の陰から城門を見た。
「ここから先へは行かん。だが、門が破れたら俺も入るぞ」
「それなら護衛を離さないでください。田様1人を守るために兵を何十人も割きたくありません」
「分かってる。早く門を破れ」
怖さがないわけではなかった。それでも、自分が金を出して集めた1,200人の兵が目の前で城を攻めているのに、安全な天幕から結果だけを待つ気にはなれない。
再び丸太が城門へ叩きつけられた。
門板の一部が割れ、さらに数歩下がった兵たちが勢いをつけて走る。次の一撃で門が内側へ大きく傾くと、段烈は剣を抜いた。
「門を開けろ! 盾兵から入れ!」
壊れた門へ田家軍が押し寄せた。
門の内側では褒中兵が槍を並べて待ち構えていたが、盾兵が正面から押し込み、その隙間から後続の槍が伸びる。狭い城門で怒号と武器のぶつかる音が重なり、前列の褒中兵が崩れると、田家軍はそこから一気に城内へ流れ込んだ。
田朔も護衛とともに門をくぐった。
通りへ出たところで、右手から敵兵が剣を振り上げて向かってきた。護衛が前へ出るより先に田朔が槍を突き出すと、穂先が男の脇腹へ入り、その身体が勢いを失って地面へ崩れた。
すぐ後ろから別の敵兵が現れたため、今度は護衛が前へ入り、振り下ろされた剣を受けて相手を斬った。
「田様、前ばかり見ないでください。左右からも来ます!」
「分かってる。お前たちも俺ばかり見るな!」
田家軍は城門から次々と入り、通りを押し進んでいた。500人ほどしかいない褒中兵は、城門を破られた時点でまとまった抵抗ができなくなり、武器を捨てる者が増えていく。
田朔は槍を持ったまま周囲の兵へ声を張った。
「武器を捨てた奴は殺すな。端へ集めて座らせろ。まだ抵抗する奴だけ倒せ!」
降伏した兵を殺さないと分かると、さらに槍や剣を捨てる者が増えた。田家軍は役所、武器庫、倉へ兵を送り、昼前には褒中の主だった場所をすべて押さえた。
城門の上には田家の旗が立った。
田朔が役所へ入った時には、朱昭の部下が帳面を集め、兵が倉の入口を封じていた。県令の姿が見えないため確認すると、東門から馬で逃げたという。
「賀蘭真には知らせたのか」
「すでに騎兵を出しています。街道を追わせています」
「なら任せる。捕まれば連れてこい」
田朔が役所の奥へ進もうとしたところで、護衛の1人から県令の家族が屋敷に残っていると聞いた。妻と娘がいるというので、田朔はそのまま役所の裏手にある屋敷へ向かった。
庭では使用人たちが集められていたが、兵が家財を持ち出すようなことはさせていない。奥の部屋へ入ると、そこには身なりを整えた2人の女が待っていた。
母親は30代後半ほどで、色白の整った顔立ちに濃紺の襦裙をまとっている。娘は18ほどで母親によく似ていたが、まだあどけなさの残る顔と淡い緑の襦裙が若さを際立たせていた。
田朔は2人を見比べてから尋ねた。
「親子か。名前を聞かせてくれ」
母親が娘と並んで頭を下げた。
「私は杜蘭英、こちらは娘の杜月華と申します」
「県令は東門から逃げたらしいが、何か聞いているか」
「いいえ。私どもには何も告げず、昨夜のうちに屋敷を出ました。朝になってから、使用人に聞いて知りました」
蘭英は夫をかばおうとはしなかった。月華も父親の話になると呆れたような顔をしたが、田朔を見る目には恐れより興味の方が強かった。
「田様は、おいくつでいらっしゃるのですか」
「20だ」
月華は母親を見た。
「私が聞いていたより、ずっとお若いのですね。南鄭を取った方ですから、もっと年上の方だと思っていました」
「若いと駄目なのか」
「いいえ。その反対です」
月華が笑ったため、田朔も笑った。
母娘とも美しかった。しかも、父親が逃げたことで田家を恨んでいる様子もない。
田朔は2人を妾にすると決めた。
「2人とも俺のところへ来い。南鄭には崔玉容という正妻がいる。家のことは玉容が見ているから、向こうへ着いたら話を聞けばいい」
月華は母親と顔を見合わせた後、嬉しそうに頭を下げた。
「田様のところへ行けるのでしたら、私は喜んでお仕えします」
蘭英も娘に続いた。
「夫は私たちを残して逃げました。これから娘と2人でどうするか考えておりましたので、田様にお迎えいただけるのでしたらありがたいことです」
「なら決まりだ。衣や身の回りの物は持っていっていい。支度ができたら南鄭へ送らせる」
「ありがとうございます」
月華が笑顔で礼を言うと、蘭英も頭を下げた。
田朔は屋敷を出て、再び役所へ向かった。
褒中を取ったことで、倉にある兵糧、武器、馬、役人、降伏した兵まで田家の手に入った。そのうえ美しい母娘まで自分の家へ迎えることになったのだから、田朔にとっては悪い戦ではなかった。
役所の前で待っていた段烈に母娘のことを話すと、すぐに笑われた。
「城を1つ取って、今度は妾が2人ですか。田様は戦へ来る楽しみまで増えましたね」
「商売より儲かるかもしれん。銭だけじゃなく、いろいろ付いてくる」
「毎回、美人の母娘がいるとは限りませんよ」
「だったら次の城も取って確かめればいい」
「そういう理由で攻める城を増やさないでください」
段烈が笑い、田朔も笑った。
◇ ◇ ◇
褒中が落ちた知らせは、田朔の使者より早く漢中郡各地へ広がった。
南鄭を落とした田家軍が今度は1,200人で現れ、正面から城門を破って褒中まで取った。田朔がまだ2,000人の常備兵を抱え、続けて戦えるだけの力を持っていることも知られた。
その結果、10日という期限を待たずに各地から使者が南鄭へ向かい始めた。
田朔が褒中から戻った時には、郡府の前に各地から来た使者の馬や荷車が並んでいた。彼らが持ってきたのは武器ではなく、戸籍や税の帳面、それに田家へ従うという書状だった。




