第7話(前編)――「1,000人を谷へ入れる」
386年3月上旬。
巴嶺郷の北へ出していた斥候が、昼過ぎに塢へ駆け込んできた。
「郭泰が兵を集めています。こちらへ向かっており、数は1,000人を超えています」
田朔はその日のうちに段烈、趙嶽、賀蘭真、朱昭を呼び、斥候から詳しい話を聞いた。郭泰の兵は約1,080人で、騎馬も100騎ほどいる。兵糧や飼葉を積んだ荷車まで連ねていることから、田家の兵を追い払うだけでなく、そのまま巴嶺郷へ居座るつもりらしい。
朱昭は郭泰について知っていた。
「巴嶺郷の北東にある柳泉郷と石門郷を押さえている豪族です。董衡より兵も多く、2郷の粟や街道から入る銭を自分のもとへ集めています。董衡がいた頃から、巴嶺郷にも口を出していました」
田家の常雇い兵は543人である。数だけを比べれば郭泰軍はほぼ2倍だった。
段烈は巴嶺郷の塢を使った防戦を提案した。
「ここなら木柵も土塁もあります。兵糧も十分に残っているので、1,000人が来ても簡単には落とされません」
田朔は地図から顔を上げた。
「塢には籠もらない。郭泰の兵を巴嶺郷まで入れれば、勝ったところで畑も村も荒らされる。俺は自分の土地を戦場にする気はない」
趙嶽は田朔の考えを確かめるように地図へ目を向けた。
「では、こちらから出て迎え撃つのですか。向こうは1,000人を超えています」
「1,000人全部と一度に戦わなければいい」
田朔はそう答えると、賀蘭真に北へ通じる道の様子を尋ねた。賀蘭真はしばらく地図を見た後、巴嶺郷から北へ1日ほどの場所を指した。
「ここなら使えます。山の間を街道が抜けていますが、道幅は広くありません。荷車は通せても、大軍が横へ広がるのは無理です。1,000人が兵糧車まで連れて入れば、先頭と最後尾はかなり離れます」
田朔は街道の形を確かめ、段烈たちへ自分の考えを話した。
「段烈は200人を率いて谷の南で郭泰を待て。最初はまともに受けるが、押され始めたところで少しずつ下がる。郭泰に、こちらが崩れたと思わせるんだ。趙嶽は150人を西側の山に伏せておき、郭泰の主力が谷を抜けたところで中央へ下りろ。先頭と後続を切り離せ」
続いて賀蘭真には騎馬を中心とする部隊を任せた。
「郭泰軍の最後尾が谷へ入ったら、北から兵糧車を襲え。馬も武器も焼かずに取れ。敵が北へ逃げられないようにすればいい」
段烈は地図の上で兵の動きを追い、田朔が何を狙っているのか理解した。
「郭泰の1,000人を長く伸ばして、前、中央、後ろに分けるわけですね。俺が相手にするのは、谷を抜けてきた先頭の300人ほどになる」
「そうだ。543人で1,080人を相手にする必要はない。俺たちが戦う相手の人数はこちらで決める」
趙嶽は感心したように田朔を見た。
「旦那は、いつの間にそんなことを考えるようになったんです」
「兵をどう動かすかはお前たちの方が知っている。俺は勝てる場所を決める。そのためにお前たちを集めている」
田朔はさらに、郭泰本人を逃がさないよう念を押した。
「追い返すだけでは駄目だ。郭泰はこの戦で殺す。その後は休まず柳泉郷と石門郷へ進む。あいつが2郷と1,000人の兵を持って俺の土地へ来るなら、負けた時には全部置いていってもらう」
段烈はもう籠城を勧めなかった。
「分かりました。郭泰の首と2郷、両方取ります」
◇ ◇ ◇
3月7日、郭泰軍は1,080人を連ねて南へ進んできた。
先頭に騎馬と槍兵、その後ろに弓兵と歩兵が続き、最後には兵糧、飼葉、予備の武器を積んだ荷車が長い列を作っていた。
谷の南へ出た郭泰の目に入った田家の兵は、段烈が率いる200人ほどだった。
「聞いていたより少ない。田朔は残りを塢へ置いたらしい。このまま潰して巴嶺郷まで進むぞ」
郭泰は先頭の兵を押し出した。
段烈も正面から受けたが、長く戦うつもりはなかった。槍兵をぶつけ、弓兵で牽制しながら徐々に後退していく。郭泰側は田家の兵が押されていると受け取り、逃がすまいと次々に谷を抜けた。
郭泰自身も前へ出た。
谷の中には後続の兵が詰まり、その後ろから兵糧車まで入ってくる。田朔は南側の高所に置いた陣から、その様子を伝令と斥候を使って確かめていた。
趙嶽から動いてよいかとの知らせが来ても、田朔はまだ待たせた。
「郭泰の旗がもっと南へ来るまで動くな。後ろの兵も荷車も、谷へ入れてしまえ」
やがて郭泰の旗が谷を抜け、兵糧車の大半も街道へ入った。
田朔はそこで賀蘭真へ出撃を命じた。北側から騎馬が現れ、郭泰軍の最後尾へ突っ込む。兵糧車を守っていた兵たちは突然背後から攻められ、隊列を作る間もなく散らされた。
続いて趙嶽への伝令が走った。
「谷へ下りて道を塞げ。郭泰と後続を切り離せ」
西側の山に隠れていた150人が街道へ下り、郭泰軍の中央へ矢を浴びせた。狭い谷で後続の兵が詰まり、南へ進もうとする者と北へ戻ろうとする者がぶつかった。
そこで段烈が後退を止めた。
「ここから戻すぞ!」
田家の200人は隊列を組み直し、今度は谷を抜けてきた郭泰軍へ向かって前進した。
自分たちが追っていたはずの兵が反転し、後ろでは別の田家兵が街道を塞いでいる。郭泰はようやく、自分が田朔の選んだ場所へ誘い込まれたことを知った。




