第6話(前編)――「500人で郷を取る」
386年2月上旬。
朱昭が巴嶺郷から戻った日の夜、田朔は段烈、趙嶽、宋淮を帳場へ集めた。
朱昭は調べてきた内容を書いた木札を卓へ並べた。
「巴嶺郷には7つの村があり、今は420戸ほどが残っています。以前は700戸を超えていたそうです。荒れた田畑はありますが、水は十分あります。南へ抜ける道も通っています」
「今、誰が押さえている」
「董衡という豪族です。中央の村に塢を築き、兵を置いています。塢に常駐しているのは270人ほどで、周囲の村から男を集めれば350人ほどになります」
段烈が木札を引き寄せた。
「塢の造りは?」
「土塁と木柵で囲み、東西に門があります。北は斜面、南は田畑です。倉は3つあり、粟や麦をかなり蓄えています」
「馬は?」
「20頭余りです」
趙嶽が笑った。
「500人いれば落とせる」
田朔は朱昭が書いた巴嶺郷の図を見た。村があり、田があり、水があり、街道がある。兵を置く場所も兵糧を蓄える場所もある。
「明日の夜明け前に出る。500人全員だ」
宋淮が顔を上げた。
「巴嶺郷を取るのか」
「ああ」
田朔は段烈へ図を渡した。
「董衡を倒して塢を取れ。村と田畑には火を出すな。倉も残せ。董衡は逃がすな」
段烈は図を見ながら趙嶽と兵の動かし方を相談した。
「東門は俺が取ります。趙嶽には西へ回ってもらいます。賀蘭真には北側を押さえさせます」
趙嶽も異論はなかった。
「西門が古いなら、俺の部隊で破る。中へ入った後は東側と挟めばいい」
田朔が尋ねた。
「南はどうする」
「50人残して塞ぎます。董衡がどこから逃げても捕まえます」
「それでいい」
田朔は立ち上がった。
「500人を食わせているんだ。今度は土地を取ってこい」
◇ ◇ ◇
翌日の夜明け前、田家の兵500人が漢中を出た。
段烈が全体を率い、趙嶽は前秦以来の部下を中心とする部隊を動かした。賀蘭真は騎馬のできる兵を率いる。
田朔も同行した。
昼前には巴嶺郷へ入り、街道から外れた林で兵に食事を取らせた。斥候はすでに董衡の塢を見張っている。
夕方、段烈が戻ってきた斥候から報告を受けた。
「東門は人の出入りが多い。西門は狭いですが、朱昭の話どおり傷んでいます。塢の中ではまだ普段通り動いています」
田朔が尋ねた。
「こちらに気づいているか」
「まだです」
「なら今夜取る」
段烈はその場で兵を分けた。
趙嶽が200人を率いて西へ回る。段烈は150人で東門を攻める。賀蘭真は騎馬と歩兵100人で北側を塞ぎ、田朔は残る50人と南側に置いた。
夜になり、月が山の向こうへ落ちた。
田朔は段烈へ言った。
「始めろ」
◇ ◇ ◇
最初に動いたのは趙嶽だった。
西側の林から田家の兵が飛び出し、門へ向かって走った。
見張りが異変に気づいて鐘を鳴らしたが、すでに弓兵が射程へ入っている。土塁の上に現れた董衡の兵へ矢が飛び、何人かが倒れた。
ほぼ同時に東側でも段烈が攻撃を始めた。
塢の中では怒号が上がり、寝ていた兵まで武器を取って門へ走る。
董衡側はまず広い東門へ兵を集めた。
そこへ趙嶽の200人が西門へ殺到した。
「丸太を出せ!」
兵が太い木を抱え、傷んだ門へぶつけた。
1度目で板が割れた。
2度目で門全体が歪んだ。
3度目には片方の軸が外れ、隙間が開いた。
「押せ!」
趙嶽の部隊が一気に門へ入った。
西側が破られたと分かると、東門を守っていた董衡の兵が西へ走り始めた。
段烈はその動きを見逃さなかった。
「東門へ出ろ!」
盾を持った兵を先に出し、槍兵が後ろから続いた。
董衡側は門を閉じようとしたが、田家兵が押し込んだ。門の内側で兵が重なり、東門も開いた。
田家の兵が東西2方向から塢へ入った。
董衡は村からも男を集めていた。
しかし、急に呼び出された農民まで田家の兵と同じようには戦わなかった。西門が破られた頃から槍を捨てる者が出始め、東門まで開くと数十人が一斉に武器を投げた。
段烈が叫んだ。
「武器を捨てた者はそこへ座れ! 立つな!」
田家の兵は降伏した者には構わず、まだ戦っている董衡の私兵を追った。
塢の中央で激しくぶつかった。
槍が折れ、剣を抜く者もいる。董衡側も自分たちの住みかを守るため必死に戦った。
それでも、東西から入った田家の兵を止めることはできなかった。
北には賀蘭真がいる。
南には田朔の50人がいる。
逃げ道もなかった。
田朔は南側から戦況を見ていた。
やがて塢の中央から火が上がった。
「どこだ」
斥候が走ってきた。
「倉の近くです。董衡の兵が火を付けました」
田朔はすぐ命じた。
「消せ。倉へ兵を回せ」
伝令が走った。
田朔は炎が上がった場所を見ながら言った。
「俺の粟を燃やすな」
そばにいた兵が一瞬田朔を見た。
まだ塢は完全には落ちていない。
しかし田朔の中では、すでに巴嶺郷は自分の物になっていた。




