第2話(後編)――「人の荷で兵を雇う」
385年10月下旬。
田朔の帳場に、宋淮が大きな帳面を持って入ってきた。
「南へ下りたい商人が増えている」
「何人だ」
「昨日までに34人だ」
「そんなにいるのか」
「北の様子が悪いからな。漢中で荷を売って帰る者もいるが、値を叩かれるのを嫌って、もっと南へ持って行きたい者が多い」
「行けばいいだろう」
「護衛が足りない」
宋淮は帳面を開いた。
「1人で荷車5台、10台を持っている商人が、それぞれ別に護衛を雇おうとしている。ところが戦える男は取り合いだ。馬方も同じだ」
田朔は帳面を自分の方へ引き寄せた。
「荷車は全部で何台だ」
「今聞いているだけで118台」
「積んでいる品はいくらになる」
「安く見ても6,000貫を超える」
田朔が自由に動かせる現金は、婚姻などの支出を差し引けば600貫余りだった。その10倍近い商品が、護衛を揃えられないという理由だけで漢中に止まっている。
「34人とも別々に行くつもりなのか」
「普通は自分の荷を自分で守るからな」
「だから高くつく。全員呼べ」
宋淮が田朔を見た。
「何をする気だ」
「1つにまとめる」
翌日、田家の大きな倉の前へ商人たちが集まった。年配の商人もいれば若い者もおり、扱っている品も布、乾物、薬材、毛皮、鉄器、油とさまざまだった。
田朔は34人を前にして話を始めた。
「皆さんは、それぞれ護衛を雇おうとしていると聞きました」
1人の商人が答えた。
「そうだ。だが人が集まらん」
「集めても高いでしょう」
「今は足元を見られる」
「では、別々に行くのをやめませんか。118台を1つの商隊にまとめます。護衛も別々に雇わず、まとめて雇う。道案内や馬の手当てができる者、炊事をする者も一緒にする。1人ずつ10人の護衛を雇うより、34人で80人雇う方が安い」
別の商人が尋ねた。
「誰がまとめる」
「俺です」
「お前の荷ではないだろう」
「だからいいんです。俺は皆さんの商品を買わない。運ぶことと守ることに銭を取ります」
商人たちが互いの顔を見た。
田朔は続けた。
「荷の値段に応じて運送と護衛の費用を出してもらいます。それでも、自分だけで護衛を雇うより安くする。今いる荷車、人足、馬方はそのまま使って構いません」
「盗賊に襲われたら?」
「80人で守る」
「本当に80人集められるのか」
「集めます」
「何日で?」
「5日ください」
田朔はそこで段烈を見た。
段烈は顔をしかめた。
「旦那、俺も今初めて聞きましたよ」
「今言ったからな」
「80人ですよ」
「集められると言っただろう」
「前に聞いたのは50人の話です」
「30人増えただけだ」
「簡単に言わないでください」
商人たちから笑いが起きた。
田朔はそのまま話を進めた。
「護衛代と運送をまとめる費用は先払いです。嫌なら参加しなくても構いません。自分で護衛を雇って行ってください」
交渉は夕方まで続き、最後には28人が参加を決めた。荷車は96台、積み荷の評価額は約5,400貫になった。
田朔は運送、護衛、道案内、宿営の手配をまとめて引き受け、荷の価値のおよそ12分の1を受け取ることにした。総額は450貫で、すべて出発前に払わせた。
玉蓮は帳場に積まれた銭を見ながら言った。
「まだ荷車が1台も動いていないのに450貫入ったわ」
「まだ俺の銭じゃない。先に仕事へ使う」
田朔は段烈に120貫を渡した。
「80人集めろ。普段より高く払っていい。ただし、この商隊を守る間だけの給金だ」
「飯は?」
「別に用意する。武器を持っていない男は今回は雇うな。自分の武器を持っていて、実際に使える男だけにしろ」
「分かりました」
護衛の給金に120貫を使い、食糧、飼葉、案内人、斥候、炊事人、薬、予備の車輪や縄などに90貫を充てた。予定通りに運べば、450貫のうち240貫が田朔の利益になる。
しかも田朔は、この商隊から運送料だけを取って終わるつもりはなかった。
参加を断った6人の商人のうち3人が、翌日になって田朔の店へ来た。
「荷を買ってくれないか」
「なぜです」
「南へ行くのはやめた。ここで売って帰りたい」
「市場で売ればいいでしょう」
「急いでいるんだ」
田朔は3人の荷を調べた。薬材、上等な毛皮、鉄器、乾物があり、漢中で時間をかけて売れば約1,300貫になる。
「全部なら650貫で買います」
商人の1人が声を上げた。
「半値ではないか!」
「急いでいるのでしょう」
「800貫だ」
「650貫です」
「750貫」
「それなら、ほかへお売りください」
田朔が本当に帳面を閉じると、3人は相談を始めた。
漢中で小分けに売れば高く売れる可能性はある。しかし何日かかるか分からず、その間も宿代、人足代、馬の飼葉代がかかる。帰るのが遅れれば、次の商売にも間に合わない。
交渉の末、690貫で話が決まった。
3人が帰った後、玉蓮が言った。
「690貫も出したら、今の手持ちでは苦しくなるわよ」
「全部俺が払うとは言っていない」
「誰に払わせるの?」
「向こうの買い手だ」
玉蓮が眉を寄せると、田朔は宋淮へ顔を向けた。
「この3人の品を、南で買いそうな相手を知っているか」
「知っている。梁家の頃から取引していた商人がいる」
「いくらなら買う」
「現物を見なければ決めないだろうが、1,000貫を切れば欲しがると思う」
「なら950貫で売る」
「まだお前も買っていないぞ」
「だから先に売るんだ」
宋淮は一瞬黙った後、笑った。
「本当に順番がおかしいな」
「銭がないんだから仕方ない」
田朔はすぐに使者を出した。宋淮の紹介状とともに、品目、数量、品質を書いた札を持たせた。
3日後、買い手から返事が届いた。現物が話の通りなら980貫で全部買い、確実に届けることを条件として400貫を先に払うという内容だった。
田朔は返事を読み終えると玉蓮へ渡した。
「これで買える」
玉蓮はすぐに計算した。
「向こうから400貫を受け取って、うちから290貫足せば690貫になる。品が届けば残り580貫が入るのね」
「ああ。ほかの荷と一緒に運ぶから、新しい護衛を付ける必要もない」
「売買だけで290貫の差が出る」
「運ぶ費用を余分に見ても260貫近く残る」
玉蓮は感心したように田朔を見た。
「自分の銭を290貫しか出さずに、1,300貫ほどの品を動かすのね」
「今すぐ安く売りたい奴がいて、その品を高く買いたい奴がいる。俺は間へ入るだけだ」
「そう言われると簡単そうに聞こえるわ」
「簡単だからやるんだ。難しい仕組みにして銭が増えるわけじゃない」
10月24日、96台の荷車が漢中を出た。
今回、田朔が請け負ったのは、商人たちがばらばらでは通りにくい街道区間を大人数で抜けさせ、南側の集積地まで送り届ける仕事だった。そこからさらに南へ向かう者は別の商隊と合流できる。
先頭と最後尾には段烈が集めた護衛を置き、斥候を前へ出した。田朔自身も途中まで同行した。
長い荷車の列を見た田順が尋ねた。
「全部お前の荷か」
「違う」
「お前の荷車か」
「違う」
「では、お前は何を持っているんだ」
「この荷をまとめる権利と、先に払わせた銭だ」
田順はしばらく荷車の列を見ていた。
「よく分からんな」
「父さんが自分でやる商売じゃないから、それでいい」
「それだけは分かった」
商隊は予定より1日遅れたものの、盗賊の襲撃を受けずに集積地へ着いた。途中で武装した一団が遠くから様子をうかがったが、80人の護衛を見て近づいてこなかった。
田朔が買った品も約束通り買い手へ引き渡され、残りの580貫が支払われた。
帰りには荷車を空のまま戻さなかった。漢中へ品を送りたい商人を現地で集め、空いた荷車へ積ませて運送料を取った。往路とは別の商売である。
10月30日、玉蓮、玉容、宋淮、馬福成、段烈が帳場へ集まり、今月の収支を確かめた。
玉蓮が帳面を見ながら言った。
「最初の商隊で450貫受け取って、護衛や食糧、そのほかの費用が210貫。利益は240貫になったわ。帰りの運送でも費用を引いて110貫残った」
「買った品は?」
「690貫で買って980貫で売った。追加の費用を引けば260貫の利益ね」
宋淮が通常の商売について報告した。
「店、塩、貸付の返済などを合わせると、そちらで212貫増えた」
玉蓮は婚礼や屋敷の支出も入れて最後の数字を確かめた。
「今すぐ動かせる銭は1,458貫になったわ」
第1話の終わりには682貫だった。婚姻で46貫を使ったにもかかわらず、1か月で現金は倍を超えた。
田朔は帳面を見た。
「まだ足りないな」
馬福成が苦笑した。
「1か月でこれだけ増やして、まだ足りませんか」
「2,000貫まで増やすと言った」
宋淮が尋ねた。
「また同じ商隊をやる気か」
「やる。ただし次はもっと大きくする」
段烈も口を挟んだ。
「また護衛を集めるんですか」
「ああ。今回の80人のうち、また使える男は何人いた」
「53人です」
「名前を残せ。次も呼ぶ」
「その次も?」
「使えるなら呼ぶ」
段烈は少し考えてから言った。
「それを続けたら、いずれ53人は田家の兵になりますよ」
「それでいい」
段烈だけでなく、宋淮や馬福成も田朔を見た。
「今は商人の荷を守らせて、その商人から給金を出させる。俺が自分の銭だけで兵を養うのは、その後だ」
玉容が尋ねた。
「人の荷を運び、人の銭で兵を集め、そのうえ利益まで取るのね」
「そうだ」
「本当に悪い商人ね」
「商人は安く済む。護衛は給金をもらう。俺も儲かる。誰も損をしていない」
「そこまできれいに理屈が通っていると、文句も言えないわ」
玉蓮が笑った。
田朔は帳面を閉じた。
兵を雇うだけなら、人数が増えるほど毎月の銭は減っていく。しかし他人の荷を守らせれば、護衛を集めながら銭を増やせる。その仕事を何度もさせれば、誰が命令を守り、誰が逃げず、誰が実際に戦えるのかも分かる。
田朔は、兵を持つための金を稼ぎながら、その兵になる男まで選べる仕組みを手に入れた。
現金は1,458貫まで増えた。2,000貫までは、あと542貫だった。
次の商隊では、もっと大きな荷ともっと多くの男を動かす。
385年10月が終わった。




