第2話(中編)――「正妻の子」
385年10月中旬。
田朔は朝食の後、玉容と一緒に屋敷の倉を見て回った。
婚姻が続いたため、布、食器、油、薪、祝いの酒がかなり減っていた。玉容は使用人に在庫を調べさせ、足りなくなった物だけを補充するよう指示していた。
田朔は倉を出たところで尋ねた。
「家のことは全部分かるのか」
「全部ではないわ。でも、誰に聞けば分かるかは知っている」
「それなら十分だ。これから屋敷のことはお前が決めろ」
玉容が田朔を見た。
「今までも見ているでしょう」
「見るだけじゃない。使用人を増やすか減らすか、家をどこまで直すか、誰をどの部屋へ置くか、家族の祝いにいくら使うか。そんなことまで毎回俺に聞く必要はない」
「あなたの銭を使うのよ」
「俺たちの家の銭だ」
玉容は少し考えてから尋ねた。
「随分信用するのね」
「梁家の帳簿と金を見ていた女に、俺の屋敷の飯代までいちいち聞かせる方がおかしい」
「またそういう言い方をする」
「何が悪い」
「もう少し嬉しくなる言い方があるでしょう」
田朔は何を求められているのか考えた。
「お前は俺の正妻だ。俺が外にいても、この家はお前が動かせ。それでいいだろう」
玉容はようやく笑った。
「まあ、合格にしておくわ」
その日の昼、玉容は食事を半分ほど残した。珍しいことだったが、田朔はすぐには何も言わなかった。しかし夕食でも、玉容は羊肉の匂いを嫌がり、ほとんど箸をつけなかった。
「具合が悪いのか」
「少し匂いが気になるだけ」
「美娟を呼ぶか」
「もう嫁いだでしょう」
「田家の仕事まで辞めたわけじゃない。食事のことなら今まで通り聞けばいい」
玉容は汁を少し口にしてから器を置いた。
「それより、あなたに話があるの」
「何だ」
「今月、月のものが来ていないわ」
「どのくらい遅れている」
「10日ほど」
田朔はすぐに立ち上がった。
「医者を呼ぶ」
「今から?」
「早い方がいい」
「騒がないで。まだ分からないわよ」
「分からないから診せるんだ」
玉容が止める間もなく、田朔は使用人に医者を呼びに行かせた。
翌日の午前、漢中で評判の医者が屋敷へ来た。診察の間、田朔は隣室へ帳面を持ち込んだが、目で数字を追っても内容がほとんど頭に入らなかった。
しばらくして呼ばれると、医者は玉容の脈を見終えたところだった。
「まだ日が浅いので断言はいたしません。ただ、懐妊している可能性は高いでしょう」
「何を食わせればいい」
「普段通りで構いません。食べられる物を食べさせ、無理をさせないことです」
「薬はいらないのか」
「今は必要ありません」
「ほかに何をすればいい」
医者は田朔の顔を見た。
「旦那様が落ち着かれることでしょうな」
玉容が笑ったが、田朔は構わず尋ねた。
「いつならはっきりする」
「もう少し日を置けば分かるでしょう」
医者が帰ると、田朔は玉容の前へ座った。
「今日から遠出はするな。重い物も持つな。馬にも乗るな」
「今までも重い物なんて持っていないし、私は彩児ほど馬にも乗らないわ」
「階段は大丈夫なのか」
「田朔」
玉容の声が強くなった。
「私は病人ではないのよ」
「子どもがいるかもしれない」
「だからといって寝台に縛りつける気?」
「それが一番安全なら、そうしたいくらいだ」
「やめなさい」
玉容は呆れながらも笑っていた。
田朔は隣へ座り、玉容の腹を見た。外から見ても、まだ何の変化もない。
「男だと思うか」
「まだ分かるわけがないでしょう」
「女だったらどうする」
「それを私が聞こうと思っていたのよ。跡継ぎにはならないかもしれないでしょう」
「俺の子なら男でも女でも構わない。跡継ぎが足りなければ次を作る」
「簡単に言うのね」
「子どもは何人いても困らない」
「育てる方は大変よ」
「銭なら俺が稼ぐ」
玉容は笑った。
「結局そこへ戻るのね」
「ほかに俺ができることがあるか」
「あるわ。無事に生まれるまで私を大事にすること」
「それならやる」
「子どものため?」
「子どもも欲しい。お前も要る。どちらかを選ぶ話じゃない」
玉容はしばらく田朔の顔を見た。
「今の言い方はよかったわ」
「さっきから言い方ばかりだな」
「あなたは中身より言い方で損をすることが多いのよ」
「銭で損していなければいい」
「そういうところよ」
その夜、田朔は仕事を早めに切り上げ、玉容と一緒に夕食を取った。美娟に相談して、玉容が食べやすい酸味のある菜と薄味の魚を用意させた。
田朔が酒へ手を出さないので、玉容が尋ねた。
「あなたまで飲まないの?」
「お前が飲まないからな」
「私は今は控えた方がいいでしょうけれど、あなたは関係ないわよ」
「1人で飲んでも面白くない」
玉容は何も言わなかったが、食事を終える頃には昼より顔色がよくなっていた。
田朔はこれまで、跡継ぎを家を続けるために必要なものとして考えてきた。しかし実際に玉容の腹に自分の子がいるかもしれないと知ると、帳面の上で考えていた時とは違った。
男でも女でもよいから無事に生まれてほしかったし、玉容にも何事もなく産んでもらいたかった。そのために金が要るなら惜しむ気はない。
同時に、守るべき家族が増えるなら、財産と人手も今まで以上に必要になる。田朔が金を欲しがる理由は、また1つ増えた。




