第9話(後編)――「7番目の妾」
385年7月下旬。
田朔は段烈と護衛4人を連れ、町の西側にある安宿へ向かった。
大勢で囲めば、相手が小玉を別の場所へ動かすかもしれない。
護衛4人は宿の表と裏手へ分けて待たせ、宿の中へ入ったのは田朔と段烈だけだった。
裏庭へ続く部屋で、人買いの男と向かい合う。
40歳ほどの男だった。
「女を探していると聞いた」
「何小玉という方です」
「知り合いか」
「はい」
「梁家の妾だった女ならいる」
「会わせてください」
「先に話を決めよう」
男が田朔を見る。
「5,000銭だ」
「高いですね」
「若くて器量がいい。大商人の妾なら礼儀も知っている」
「小玉さんが、あなたから5,000銭借りたんですか」
「借金の話じゃない」
「では、どうしてあなたが5,000銭取るんです」
男の顔が険しくなる。
「俺たちが道で拾った」
「拾った?」
「倒れていたところを助けた。飯を食わせ、ここまで運んだ」
「その費用なら払います」
「女の値もだ」
「小玉さんをあなたの所有だと示す証文はありますか」
「そんなものはない」
「では5,000銭は出しません」
「なら帰れ」
「分かりました」
田朔は立ち上がった。
「役所へ寄ってから帰ります」
「何?」
「梁家の妾だった女を道で拾っただけで、自分の物だと証明する証文もないのに売ろうとしている男がいると話します」
「脅すのか」
「役所へ話を持っていくだけです」
「お前も長安から来た余所者だろう」
「そうですね」
「役人がお前の話を聞くと思うか」
「聞くかどうか試してみます」
田朔が戸口へ向かう。
「待て」
男が呼び止めた。
「いくらなら出す」
「先に本人と話します」
「逃げるぞ」
田朔は段烈を見る。
「段さん。小玉さんが外へ出ても、この人たちが追わないよう話してください」
「分かった」
段烈が男の方を向いた。
男は段烈の身体と腰の刀を見た。
「分かった。会わせる」
◇ ◇ ◇
しばらくして、女が1人連れてこられた。
衣は汚れ、髪も以前のようには整っていない。
それでも田朔には一目で分かった。
「小玉さん」
女が顔を上げた。
何小玉だった。
田朔を見たまま、しばらく声が出なかった。
「本当に……田朔?」
「ああ」
「どうしてここにいるの」
「俺は漢中で商売をしている」
「長安を出たと聞いたから、もう会えないと思っていた」
「俺も小玉さんを探していた」
小玉の目が潤んだ。
田朔は手首や顔を見た。
目立った傷はない。
「ここから出たいですか」
「出られるの?」
「出たいかを聞いています」
小玉はすぐ答えた。
「出たい」
「分かりました」
田朔は人買いへ向き直った。
「ここまで運ぶのに、いくら使いました」
「だから5,000だ」
「飯代、宿代、運賃です」
「そんな細かい帳面を付けるか」
「なら俺が決めます。1,500銭」
「ふざけるな」
「2,000」
「4,000だ」
「2,000」
「3,500」
「2,200」
「3,000」
「2,500。それ以上なら役所で話します」
「お前、知り合いなんだろう」
「はい」
「なら5,000くらい出せるだろう」
「出せることと、出すことは別です」
「助けたいんじゃないのか」
「助けたいですよ」
「だったら」
「小玉さんを助けるために、あなたへ余計な2,500銭をやる必要はないでしょう」
男は田朔を睨んだ。
「3,000」
「2,500です」
「……分かった」
田朔は用意してきた書面を出した。
「2,500銭を受け取った後は、小玉さんについて何の権利も主張しないと書いてください」
「そこまでするのか」
「銭を払うなら残します」
男は不満を口にしながらも、最後には印を押した。
田朔は2,500銭を渡した。
◇ ◇ ◇
宿を出てしばらく歩いたところで、小玉が田朔へ言った。
「私を連れ出す銭まで値切ったのね」
「あいつの言い値を払わなかっただけだ」
「でも5,000を2,500にしたでしょう」
「2,500で話がついた」
「普通は、もう少し格好をつけない?」
「5,000払えば格好がいいのか」
「分からないけれど」
「余った2,500で小玉さんの衣や食い物を買った方がいい」
小玉は田朔を見た。
「あなた、本当に変わっていないわね」
「ずいぶん変わったぞ」
「衣も立派になったし、身体も大きくなった」
「商売も大きくなった」
「口は同じ」
「それは仕方ない」
小玉はようやく笑った。
◇ ◇ ◇
田朔は小玉を、春華と淑蘭が暮らしている家へ連れていった。
玉蓮も後から来た。
まず湯を使わせ、新しい衣を用意し、温かい粥と肉、豆を食べさせた。
小玉は粥を半分ほど食べたところで、ようやく梁家の最後を話せるようになった。
「旦那様が死んだところは見ていないの」
「護衛だった人から聞きました」
「そう」
小玉は匙を置いた。
「襲われた時、私は青蘭姉さんと一緒だった。奥様も近くにいたわ」
「彩児さんは?」
「馬のところへ走った」
「残り4人は?」
「荷車が2つに分かれていたから、全員は見えていなかった」
「襲われてからは?」
「青蘭姉さんに手を引かれて走ったの」
「一緒に逃げた?」
「途中までは」
倒れた荷車を避け、2人は道の脇の斜面へ入った。
そこにも逃げる人間があふれていた。梁家の者だけでなく、長安から逃げてきた者や、どさくさに紛れて荷を奪おうとする者まで入り乱れ、誰が味方なのか分からなくなったという。
「青蘭さんとは、どこで離れたんです」
「川を渡るところ」
「誰かに連れていかれた?」
「分からない。人に押されて手が離れた」
「玉容さんは?」
「最後に見た時は、使用人2人と南へ走っていた」
「捕まったところは見ていない?」
「見ていない」
「彩児さんは?」
「その後は分からない」
田朔は、それ以上同じことを聞かなかった。
小玉が見ていないことは、小玉にも分からない。
少し間を置いてから、今度は小玉自身がどうなったのかを尋ねた。
「私は3日くらい、知らない人たちと一緒に歩いたの。食べる物がなくなって、途中で倒れた」
「そこで、あの男たちに?」
「そう。最初は助かったと思った」
「いつから話が変わったんです」
「漢中へ近づいてから、女だけ別にされた」
田朔の顔が険しくなる。
「傷つけられたりは?」
小玉は首を振った。
「私はまだ。高く売れるから傷を付けるなと言っていた」
「そうですか」
田朔はそれ以上、その話を聞かなかった。
春華が小玉へ茶を渡した。
「もうここでは安心していいわ」
小玉は春華と淑蘭を見る。
「お2人は?」
春華が答えた。
「私たちも長安から逃げてきたの。田朔さんの商隊で」
小玉が田朔を見る。
「あなた、女ばかり助けているの?」
「違う」
玉蓮が口を挟んだ。
「それほど違わないわよ」
「玉蓮」
「春華さん、淑蘭さん、小玉さん。今ここに3人いるでしょう」
「父さんと母さんも逃がした」
「そこで張り合うのがおかしいのよ」
小玉が笑った。
淑蘭と春華も笑い、小玉の顔からようやく緊張が少し消えた。
◇ ◇ ◇
翌日から、小玉には梁家の女たちを探す手伝いをしてもらった。
本人を町中へ歩き回らせるのではない。
情報を持ってきた者の話を聞き、本人の特徴と合うかを確かめてもらう。
「この女は青蘭姉さんではないと思う」
「なぜです」
「青蘭姉さんは左耳の後ろに小さな黒子がある。この人が見た女にはなかったと言っているでしょう」
「彩児さんは?」
「馬に乗る女というだけでは分からない。でも右手の親指の付け根に古い傷があるわ」
「何の傷です」
「若い頃、馬に噛まれたと言っていた」
田朔は聞いた特徴を郭安や番頭に記録させた。
残る4人の妾についても、小玉から名前や年格好、顔立ち、見分けやすい身体の特徴などを聞いた。
これで適当な情報へ銭を払わずに済む。
◇ ◇ ◇
その間も、梁家から買った債権の回収は続いた。
現金を持つ者には現金で払わせ、すぐ全額を払うなら大きく値を引いた方が得な相手とはその場で話をまとめる。現金の少ない相手からは、田朔が使える荷車や馬、売りやすい布や銅器などを受け取った。
7月25日。
玉蓮が梁家から買った債権だけをまとめた帳面を田朔へ見せた。
「現金で332,000銭まで戻ったわ」
宋淮が横から帳面を覗いた。
「もう33万2,000?」
「ああ」
田朔が答えた。
玉蓮は続けた。
「ほかに荷車4台と馬6頭が増え、馬具、布、銅器、車軸や車輪の部品も受け取っているわ。まだ取り立てていない証文も約150,000銭分残っている」
宋淮は田朔を見る。
「14万で買ったんだぞ」
「ああ」
「もう現金だけで33万2,000だ」
「宋さんが14万で売ったんでしょう」
「分かっている」
「なら俺の利益です」
「分かっているから腹が立つ」
「梁旦那なら、もっと安く買ったそうですね」
宋淮は黙った。
「では褒めてください」
「誰が褒めるか」
そう言いながら、宋淮は笑っていた。
田朔も気づいていた。
宋淮は毎日、田朔の店へ来ている。
梁家の残った仕事を片づけるだけでなく、田朔の帳面を見て番頭たちへ指示を出し、時には仕入れ先との話まで手伝うようになっていた。
無理に誘う必要はない。
残りたければ、そのうち本人から言う。
◇ ◇ ◇
7月28日の午後。
小玉が店へ入ってきた。
いつもと顔が違った。
「田朔」
「どうした」
「奥様かもしれない」
田朔が立ち上がった。
「どこです」
「町の南にある妓楼」
玉蓮も帳面から顔を上げた。
「確かなの?」
「名前は別の名前で呼ばれている。でも、長安の大商人の正妻だった女だという話があるの」
田朔は小玉へ尋ねた。
「それだけですか」
「まだあるわ。客の前にはほとんど出していないみたい。字がきれいで、妓楼の帳面を見て間違いを見つけたって」
田朔の表情が変わった。
「ほかには?」
「右手の人差し指に古い切り傷があるって」
「玉容さんにある?」
「あるわ。帳面をめくる時に何度も見た」
田朔は段烈を呼んだ。
「今から行く」
玉蓮が尋ねる。
「本人なら連れて帰るのね」
「ああ」
「いくらでも払う?」
田朔は玉蓮を見る。
「助けることと、言い値を払うことは別だ」
「やっぱり値切るのね」
小玉が呆れた。
「奥様まで?」
「余計な銭を払って何になる」
「少しくらい格好をつけたら?」
「その話は小玉さんにも聞いた」
田朔は外套を取った。
1年半前、字の読めなかった田朔へ崔玉容は、字を覚えなさいと言った。
その時の崔玉容は大商人梁景成の正妻であり、田朔は梁家へ荷を運ぶだけの貧しい若者だった。
今、その梁景成は死んだ。
梁家が持っていた586,000銭の債権のうち、回収の見込みがある462,000銭分を田朔が140,000銭で買った。すでに現金だけで332,000銭を回収し、荷車や馬、商品まで手に入れている。
梁家で働いていた番頭や使用人も、田朔の店へ入り始めた。
第7妾の何小玉も、今は田朔の側にいる。
そして今度は、梁家の正妻だった崔玉容が漢中の妓楼にいるかもしれない。
田朔は段烈と護衛を連れ、店を出た。
梁家が崩れた後に残された債権、帳面、人、女たちが、次々に田朔の前へ現れていた。
田朔はそのどれも見逃すつもりはなかった。
385年7月が終わろうとしていた。




