第9話(中編)――「梁家の帳面を買う」
385年7月中旬。
田朔、玉蓮、馬福成、郭安、宋淮は、3日かけて梁家の債権を調べた。
額面は586,000銭あるが、その数字をそのまま財産として見ることはできない。
長安にしか財産を持たない相手、生死も居場所も分からない者、店や倉を失ったことが確かな者は買い取りの対象から外した。担保が長安の建物だけという証文にも、今はほとんど値を付けなかった。
反対に、漢中へ逃れてきた商人や蜀方面へ移った商人、南側にも店や倉を持つ者は残した。現金や商品だけでなく、馬や布などを担保にしている債権も値打ちがあると判断した。
3日後、田朔が実際に買う価値があると判断した債権は、額面約462,000銭になった。
宋淮が尋ねた。
「46万2,000を残したか」
「ああ」
「いくら出す」
「140,000銭です」
宋淮の眉が動いた。
「最初より20,000上がったな」
「思ったより取れそうでした」
「それでも14万か」
「はい」
「46万2,000だぞ」
「全部取れれば、ですね」
「どれくらい取れると思う」
「分かりません」
「その答えは昔から変わらんな」
「分からない物を、分かると言う必要がありますか」
宋淮は苦笑した。
「旦那様も似たようなことを言っていたよ」
「梁旦那なら、これをいくらで買います」
宋淮は少し考えた。
「おそらく12万くらいから始める」
「では俺の方が甘いですね」
「そこで下げるなよ」
玉蓮が笑った。
最終的に話はまとまった。
田朔は額面約462,000銭の債権を140,000銭で買い取り、梁家の使用人32人へ未払いだった給金約6,000銭も別に支払った。
合計146,000銭である。
田朔が6月末に持っていた動かせる現金の半分以上が、一度に出ていった。
それでも田朔は迷わなかった。
140,000銭で手に入れたのは、借金の証文だけではない。
梁家の帳面には、誰が何を買い、どこに店を持ち、何を扱い、支払いを守るか遅らせるかまで残っていた。何年もかけなければ集められない商売相手の情報が、債権と一緒に田朔の手へ入った。
◇ ◇ ◇
梁家の使用人32人も、そのまま全員を抱え込んだわけではない。
未払いの給金は、今後田朔の下で働くかどうかに関係なく払った。
そのうえで田朔は1人ずつ以前の仕事を聞いた。梁家には番頭や帳場を務めていた者だけでなく、集金、馬の世話、荷車の管理、取引先回り、倉の在庫管理などを任されていた者がいた。
仕事内容を確かめたうえで新しい給金を示すと、32人のうち19人が田朔の下で働くことになった。
玉蓮が人名を書いた帳面を見る。
「ずいぶん使えそうな人が残ったわね」
「梁家で長く働いていた人間だ。何もできない奴ばかりのはずがない」
「給金は前より下げないの?」
「同じ仕事を任せられる奴なら、むしろ少し上げる」
玉蓮が田朔を見る。
「珍しい」
「客と仕入れ先を知っている人間を、少しの給金を惜しんで逃がす方が損だ」
「やっぱりそこなのね」
「ほかに何がある」
◇ ◇ ◇
7月13日。
田朔は最初の取り立てへ向かった。
宋淮と、梁家で長く集金を担当していた男を連れ、漢中の大きな布商を訪ねた。
相手には84,000銭の支払いが残っている。
店の奥へ通され、田朔が証文を出すと、主人の顔色が変わった。
「梁旦那は死んだと聞いたぞ」
「俺も聞きました」
「では、なぜお前がこの証文を持っている」
「買ったからです」
「誰から」
宋淮が梁景成の書状と、債権を田朔へ譲った記録を見せた。
主人は読み終えると、証文を卓へ戻した。
「それで84,000全部払えと言うのか」
「証文ではそうなっています」
「梁家との取引はもう続かん」
「それは残念ですね」
「残念で済ませるな。この値で商品を買ったのは、今後の商いもあったからだ」
「それは梁旦那とあなたの今後の話です」
田朔は証文を指した。
「こちらは、すでに受け取った商品の代金でしょう」
「今すぐ84,000は出せん」
「いつなら出せます」
「分からん」
「では、今日70,000銭払ってください。それで全部終わりにします」
主人は田朔を見る。
「14,000も引くのか」
「今日払うならです」
「60,000」
「70,000です」
「65,000」
「70,000」
「少しくらい動け」
「もう14,000動いています」
主人が黙った。
「梁家の債権を安く買ったんだろう」
「そうですよ」
「なら60,000でも儲かるじゃないか」
「俺が安く買えたことと、あなたがいくら払うかは別でしょう」
「本当に嫌な若造だな」
「今日70,000なら終わりです。嫌なら証文通り84,000をお願いします」
「期限まで待つのか」
「待ちます」
主人はしばらく考えた。
田朔は急いでいない。
梁家が消えたことで借金まで消えたと思っていた相手の方が、早く話を終わらせたがっている。
「……70,000だ」
「ありがとうございます」
田朔はその場で70,000銭を受け取った。
140,000銭で買った債権から、最初の1件だけで買値の半分が戻った。
◇ ◇ ◇
2日後には、馬や荷車を扱う商人を訪ねた。
残る債務は62,000銭だった。
「今すぐ出せる銭は30,000しかない」
「残りは?」
「待ってくれ」
「店には商品があるでしょう」
「商売をやめろと言うのか」
「言っていません。払える物があるか聞いています」
田朔は倉を見せてもらった。
中には馬具や革、布、荷車の交換部品があり、外には荷車と馬も置かれていた。
田朔は自分だけで値を決めず、梁家で馬と荷車を扱っていた元使用人にも状態を確認させた。
話し合いの末、現金30,000銭に加え、荷車4台、馬6頭、馬具、車輪や車軸の予備部品を受け取ることで決着した。
「これで62,000全部消すのか」
商人が確認した。
「はい。今日渡していただけるなら、それで終わりです」
「あとで足りないと言うなよ」
「書面に残します」
「梁旦那より細かいんじゃないか」
「梁旦那に習いましたから」
◇ ◇ ◇
7月15日には、穀物を扱う大商人を訪ねた。
額面は116,000銭だった。
相手には現金を出す余裕があることを、梁家の元番頭が知っている。
田朔は最初から条件を出した。
「今日80,000銭いただければ、残りは要りません」
主人が驚いた。
「36,000も引くのか」
「今日、現金でいただけるならです」
「待てば116,000だぞ」
「待てば、です」
「では70,000」
「80,000です」
「75,000」
「80,000」
「お前から引くと言ったんだろう」
「36,000引いています」
主人は笑った。
「分かった。80,000払う」
田朔はその場で受け取った。
これで最初の3件から、現金だけで180,000銭を回収した。
さらに荷車4台と馬6頭を増やし、馬具や修理用の部品も手に入れている。
債権の買値140,000銭は、すでに現金だけで回収した。
しかも証文はまだ大量に残っている。
玉蓮は帳面を見ながら首を振った。
「もう元を取ったわ」
「ああ」
「まだ3件よ」
「ああ」
「少しくらい嬉しそうにしたら?」
「残りを取ってからでいい」
「本当に欲が深い」
「知っている」
◇ ◇ ◇
梁家から手に入れた取引先帳面にも大きな値打ちがあった。
そこには穀物や豆、麦を集める商人だけでなく、馬や布を扱う者、荷車を貸す者、人夫をまとめる者、長安から漢中を経てさらに南へ行き来する商人まで記録されていた。田朔が以前から気にしている塩を扱う商人の名も、何人も載っている。
田朔は塩商人の頁を何度も見た。
玉蓮が気づいた。
「気になる?」
「もちろんだ」
「今度こそ塩を始める?」
「まだだ」
「また?」
「名前が分かっただけだ。今どの道が使えるのか、本当に塩を持っているのは誰か、どのくらいの量を動かせるのかも見なければならない」
「ずいぶん焦らすのね」
「大きく儲けられる時まで待つ」
「塩だけは慎重ね」
「塩だからじゃない。大金を入れるなら、分からないまま買いたくないだけだ」
田朔は塩商人の名前へ印を付けた。
「会える奴には会う。顔をつないで、今の値と道を聞く。大きく買うのは後だ」
◇ ◇ ◇
宋淮は、田朔の下へ正式に入ることをまだ断っていた。
「俺は梁家の大番頭だった」
「知っています」
「旦那様が死んだ直後から、お前の大番頭になる気にはなれん」
「ならなくていいですよ」
田朔は無理に誘わなかった。
「梁家の残った仕事を片づける間だけ手伝ってください。その分の給金は払います」
「それならやる」
「終わった後は?」
「その時考える」
「分かりました」
腕のある人間を無理に縛る必要はない。
本当に使える男なら、田朔のところで働く方が得だと思わせればよかった。
◇ ◇ ◇
同じ頃、梁家の女たちを探す方でも話が集まり始めた。
ただし、情報に銭を出すと広めたため、適当な話を持ち込む者も多かった。
「長安から来たきれいな女を3人見た」
「名前は?」
「知らない」
「どこで?」
「宿場だ」
「今は?」
「知らない」
「梁家の女だと分かった理由は?」
「美人だったから」
「それだけでは銭は出せません」
別の男は、馮彩児を見たと言った。
「馬に乗った女だった」
「名前を聞いたんですか」
「聞いていない」
「梁家の者が一緒にいた?」
「いない」
「では、なぜ彩児さんだと」
「いい馬に乗っていたから」
「それだけなら違う女かもしれません」
田朔は、誰が見ても美しい女だったというだけの話へ銭を払わなかった。
本人が名を名乗ったのか、梁家の元使用人が顔を確認したのか、身体や衣服の特徴が合うのか、今いる場所まで分かっているのかを確かめる。どれもない話なら、追う価値は低い。
◇ ◇ ◇
7月18日の夕方。
店を閉める前、若い人夫が走り込んできた。
「旦那。見つかったかもしれません」
田朔が顔を上げた。
「誰が」
「何小玉という方です」
田朔は立ち上がった。
「本人が名前を言ったんですか」
「はい」
「どこです」
「町の西側の安宿です。ただ、自由に出入りはできないようです」
「誰が置いている」
「長安から女や使用人を連れてきた人買いです」
「男は何人いる」
「5人ほどです。女も何人かいます」
田朔は段烈を呼ばせた。
玉蓮が尋ねる。
「殴り込みに行くの?」
「買いに行く」
「その方があなたらしいわね」
「相手が銭で手放すなら、それが一番早い」
「高く言われたら?」
「値切る」
「小玉さんまで値切る気?」
「助けたいからといって、相手へ余計な銭を渡す理由はない」
玉蓮は呆れた。
「本当に何でも商売ね」
「小玉は商品じゃない」
「では何?」
「欲しい女だ」
田朔は外套を取った。
「だから見つけたなら取り戻す」
385年7月中旬が終わった。




