第6話(中編)――「借金の束を買う」
385年4月中旬。
4月11日。
田朔のところへ、長安を離れる金貸しが訪ねてきた。
50歳を過ぎた羅進という男だった。
持ってきたのは商品ではない。
箱2つに詰めた借金の証文だった。
「全部で48,000銭ほどある」
羅進は言った。
「元金だけで?」
「利息まで入れればもっとある」
「担保は?」
「家、店、倉、荷車、土地。無担保も少しある」
「全部はいりません」
「まだ中も見ていないだろう」
「無担保の証文はいりません」
「きちんと払う奴もいるぞ」
「払うかもしれない相手を追い回すより、払わなければ担保が残る相手の方がいい」
田朔は玉蓮と郭安を呼び、証文を1枚ずつ調べ始めた。
借り手の名、貸付額、返済日、担保の場所、保証人の有無を見る。
すでに長安を逃げた者、役人の親族で触れば面倒になりそうな者、担保の権利が曖昧な者は外した。
店や倉、荷車などがはっきり担保に入っている物だけを残していく。
半日かけて選ぶと、田朔が欲しい証文は12枚になった。
額面は合計約41,000銭だった。
「この12枚を買います」
羅進が尋ねた。
「いくら出す」
「10,000銭」
「冗談だろう」
「いいえ」
「41,000だぞ」
「全部取れるなら、ご自分で取り立ててから長安をお出になればいいでしょう」
「20,000は出せ」
「10,000です」
「15,000」
「10,500」
「お前、前にも借金の証文を買っているらしいな」
「だから俺のところへ来られたんでしょう」
羅進は苦い顔をした。
「13,000」
「11,000」
「12,500」
「12,000までです」
「それ以上は?」
「出しません」
羅進は証文の束を見た。
長安へ残れば、時間をかけて取り立てることはできるかもしれない。
だが、家族はすでに南へ出している。
本人も早く長安を離れたがっていた。
「……12,000でいい」
「では、確認が終わってから払います」
「まだ調べるのか」
「当然です」
田朔は韓敬へ証文を持ち込み、借り手、担保、返済済みの物が混じっていないかを確かめてもらった。
韓敬は書類の束を見て呆れた。
「今度は金貸しの貸付まで買うのか」
「担保のある物だけです」
「十分ひどいぞ」
「韓さんにも確認していただいた分はお支払いします」
「そこだけは忘れるな」
「忘れません」
2日後、問題のないことが分かった。
田朔は12,000銭を払い、約41,000銭分の貸付債権を手に入れた。
◇ ◇ ◇
最初の3人は銭で返した。
合計7,800銭。
それだけで、証文の束へ払った12,000銭の半分以上が戻った。
4人目は、荷車と馬を使って運送をしている商人だった。
名を呉成という。
借金は元金と利息を合わせて6,400銭。
担保には荷車8台、馬3頭、倉1棟が入っていた。
「6,400は今すぐ出せん」
呉成は田朔へ言った。
「いつなら払えますか」
「戦が落ち着けば仕事が戻る」
「それはいつです?」
「分かるわけがない」
「なら、返済日を延ばしても払える保証はありませんね」
「だから少し待てと言っている」
「待つなら、その分の利息を付けます」
「これ以上増やされたら払えん」
「それなら別の方法があります」
田朔は倉と荷車を見た。
「この仕事に使っている物を俺へ譲りませんか」
呉成が眉をひそめた。
「何を言っている」
「借金6,400銭を全部なくします。さらに2,000銭払います。その代わり、倉、荷車8台、馬3頭を俺へ譲ってください」
「そんな値で売れるか」
「荷車だけでも、もっとするぞ」
「なら高く買う人へ売り、借金を返してください」
「今すぐ8台まとめて買う奴がどこにいる」
「俺がいます」
呉成は黙った。
「嫌なら断って構いません」
「また足元を見る気か」
「呉さんは借金を返したい。俺は荷車と馬が欲しい。条件が合うかどうかの話です」
「嫌な言い方をしやがる」
「では、もっとよい条件の人を探してください」
呉成は倉の中を歩いた。
荷車は古い物もあるが、使える。
馬も3頭いる。
さらに呉成の下では、御者や荷運び人夫が9人働いていた。
「人はどうする」
「残りたい人には仕事を出します」
「俺は?」
「働きたいなら雇います」
呉成が目を見開いた。
「俺までか」
「道と客を知っているでしょう」
「俺の荷車を取って、その下で働けと言うのか」
「荷車を譲るかどうかは呉さんが決めます。譲った後に働くかどうかも呉さんが決めればいい」
「本当に情がないな」
「情で6,400銭を消してくれる人がいるなら、その人に頼んだ方がいいでしょう」
翌日、条件がまとまった。
田朔は借金6,400銭を帳消しにし、さらに2,000銭を渡した。
呉成は倉1棟、荷車8台、馬3頭を譲った。
御者と人夫9人のうち7人が残った。
呉成本人も、結局は給金を受け取って運送の仕事を続けることを選んだ。
玉蓮は譲渡の帳面を見ながら言った。
「12,000銭で買った証文から、最初の3件だけで7,800銭が戻った。それに今度は倉、荷車8台、馬3頭でしょう」
「ああ」
「まだ8枚残っているわ」
「全部確かめる」
「もう元を取れそうなのに?」
「残っている証文を捨てる理由がない」
「最後まで取るのね」
「そのために買った」
◇ ◇ ◇
4月14日の夜、田朔は韓家へ向かった。
韓敬は夜まで役所に残ると聞いている。
戸口へ出た王淑蘭は、田朔を見るとその肩へ目をやった。
「また身体が大きくなった?」
「毎朝鍛えていますから」
「少し前までは、そこまで肩が張っていなかったでしょう」
「荷運びをやめた分、今は意識して動かしています」
淑蘭は田朔を家へ入れた。
「段さんは南へ行っているのでしょう」
「はい」
「それでも稽古を続けているの?」
「残っている男たちに相手をしてもらっています」
「商売だけでも忙しいのに、よく続くわね」
「必要ですから」
「何に?」
田朔は淑蘭を見た。
「淑蘭さんを連れて逃げることになって、途中で襲われたら困るでしょう」
「私まで入っているの?」
「とっくに入っています」
淑蘭は笑った。
「勝手な人」
「嫌なら守りません」
「そういう言い方をする」
「俺は守りたいですよ」
淑蘭の笑みが変わった。
「なら最初からそう言いなさい」
「分かりました」
食事の後、淑蘭は田朔の腕へ触れた。
「確かに硬くなったわね」
「毎朝投げられていますから」
「投げられて強くなるの?」
「前より立っていられる時間は長くなりました」
淑蘭が笑った。
その夜も田朔は韓家で長く過ごした。
淑蘭は田朔の精力に付き合いながら、途中で何度か休ませてほしいと言った。田朔は無理をせず、淑蘭が望む時には休んだ。
それでも夜明け前、先に目を覚ましたのは田朔だった。
「もう行くの?」
淑蘭が寝台の中から尋ねた。
「朝の稽古があります」
「昨夜もあれだけ元気だったのに?」
「それと稽古は別です」
「玉蓮さんも同じことを言っていそうね」
「言っています」
「春華さんも?」
「多分」
淑蘭が田朔を睨んだ。
「そういうところだけは正直なのね」
「聞かれたので」
「あなた、本当に女心には賢くならないわね」
「商売より難しいです」
「それだけは正しいわ」
田朔は韓家を出た。
家へ戻って衣を替えると、いつもの時間には裏庭に立っていた。
眠気はある。
それでも走った。
麻袋を担ぎ、革袋へ拳を打ち、木棒を受け、最後には兵役上がりの男と組み合った。
夜を楽しんだ分だけ朝を怠けるなら、いずれ身体は鈍る。
欲を減らしたくないなら、それに耐えられる身体を作ればよかった。
◇ ◇ ◇
4月17日には、陳貴のところへ商売の書類を持っていった。
話を終えると、陳貴が言った。
「俺は明日から2日、外へ出る」
「どちらへ?」
「軍の荷を見に行く。帰りは遅い」
「それは大変ですね」
「お前、本当に口だけだな」
「土産をお願いします」
「誰が買うか」
翌日の夜、田朔は陳家を訪ねた。
周春華は戸を開けるなり言った。
「やっぱり来た」
「来てはいけませんでしたか」
「主人がいないと聞いたら来ると思っただけよ」
「春華さんがいますから」
「淑蘭さんのところにも行ったのでしょう」
「行きました」
「正直すぎるのよ」
「嘘をついた方がいいですか」
「今夜は私のことだけ見ていればいいわ」
「分かりました」
春華は田朔の腕をつかんで家へ入れた。
その夜も、先に音を上げたのは春華の方だった。
「少し休ませて」
「分かりました」
田朔が手を止めると、春華がその胸を押した。
「何を笑っているの?」
「前にも同じことを言われたと思って」
「誰に?」
田朔は答えなかった。
春華の目が細くなる。
「言わない方がよさそうだと思ったのでしょう」
「はい」
「今さら遅いわよ」
春華は田朔の肩を叩いた。
「本当に元気すぎるの」
「嫌ですか」
「嫌なら、こんな時間まであなたを置いていないでしょう」
翌朝、田朔は春華より先に起きた。
「また稽古?」
「はい」
「あなた、本当に休まないのね」
「夜は楽しみました」
「それで朝からまた身体を動かすの?」
「そのためにも鍛えています」
「何のために鍛えているのか、だんだん分からなくなってきたわ」
「自分と皆を守るためです」
田朔は笑って陳家を出た。
4月19日の朝も、いつも通り身体を鍛えた。
385年4月中旬が終わった。




