第5話(中編)――「逃げるなら払え」
385年3月中旬。
3月11日の日の出前、城外の倉には荷車が集まっていた。
田朔の荷車が12台、別の商人から預かった荷車が9台ある。護衛は段烈を頭に28人を揃えた。
長安から南へ向かう隊列である。
田朔は商人5人から運賃と護衛料を受け取っていた。戦がさらに近づく前に、家財や商品だけでも南へ移しておきたい者が増えていた。
大きな箱4つを運ばせる男が、田朔の示した料金を見て顔をしかめた。
「箱4つで800銭も取るのか」
「荷車、人夫、護衛を合わせた値です」
「箱は俺の物だぞ」
「もちろんです。箱の値段ではありません。南まで運び、道中を守る仕事に800銭いただきます」
「以前なら200銭もかからなかった」
「以前なら、これだけの護衛も必要ありません」
「700にしろ」
「800です」
「750」
「800です」
「少しくらい客に譲れ」
「安く運んでくれる人が見つかるなら、そちらへ頼んでいただいて構いません」
男は周囲を見た。
長安から南へ向かうまとまった商隊は少なく、これだけの護衛を付けている隊列はほかになかった。
「……分かった。800払う」
「ありがとうございます」
田朔は箱を隊列の中央へ積ませた。
その隣には、自分の銀、絹、質流れの装飾品など、軽くて値の張る物を入れた箱も載せている。
商人たちから受け取った運賃と護衛料だけで、今回の護衛28人へ払う手当や道中の食糧代の大半を賄えた。
段烈が隊列を見ながら言った。
「客の銭で、お前の荷まで守るのか」
「客の荷を守るために護衛を雇った。同じ隊列に俺の商品も積む。それだけだ」
「お前の商品が一番多いだろう」
「だから得なんだ」
「客が聞いたら嫌な顔をするぞ」
「約束した荷はきちんと守る。客に損はさせない」
「それで自分はもっと得をするわけか」
「ああ」
段烈は呆れながらも笑った。
◇ ◇ ◇
隊列は南へ向かった。
田朔自身も同行した。
目的は荷を運ぶことだけではない。
南から長安へ向かう商人がどこで減っているのか、どの宿場なら泊まれるのか、馬へ水を飲ませる場所は残っているのか、どこで兵に止められるのか、帰りに食糧を買える村があるのか。
今後も使う可能性がある道なら、自分の目で確かめておく必要があった。
出発から2日目の午後、道端で荷車が止まっていた。
車軸が折れている。
商人と人夫4人が荷を下ろし、壊れた車の前で困っていた。荷は乾物と豆で、長安へ運ぶ途中だという。
田朔は隊列を止めた。
「車軸が折れたんですか」
「見れば分かるだろう」
商人は苛立っていた。
「長安へ行くんですね」
「ああ。この荷を売りに行く」
「うちの人夫なら直せます。材料もあります」
男の顔が明るくなった。
「いくらだ」
「300銭です」
「高い!」
「自分で直せるなら、その方が安く済みます」
「そんなことができたら困っていない」
「でしたら300銭です」
男は顔をしかめた。
「もう少し下げろ」
「それとは別に、この商品そのものを俺へ売る方法もあります」
「買うのか」
「値が合えば」
田朔が買値を示すと、男はさらに怒った。
「安すぎる。長安へ着けば、その倍近くになるぞ」
「無事に長安へ着き、売り切れればそうなります」
「足元を見やがって」
「今ここで買う値ですから」
「お前の護衛を付けて長安へ行けばいい」
「俺たちは今から南へ向かいます。長安とは反対です」
「では、帰りに一緒に行け」
「帰りは数日後です。待てるなら、その時に合流できます。荷をこの近くへ置いておくなら、保管場所と番人も手配できますが、それには別に銭がかかります」
「修理代に保管料、帰りには護衛料まで取るのか」
「全部必要なら、全部に人と銭がかかります。嫌なら修理だけでも構いません」
男は考え込んだ。
数日待てば宿代や馬の飼葉まで必要になる。修理して自分たちだけで長安へ向かえば、途中で襲われる危険がある。
「……商品を買うなら、もう少し出せ」
「この値なら今すぐ払います」
「あと300」
「100なら足します」
「200」
「100です」
商人は長安の方角を見た後、とうとう承知した。
「分かった。商品は売る」
田朔はその場で品を調べ、銭を払った。
商品は田朔の空いている荷車へ積み替えた。
商人は空になった自分の荷車で帰るため、壊れた車軸の修理も頼んだ。
「修理は300銭です」
「商品を買ったんだから、少しくらいまけろ」
「商品の代金と、荷車を直す仕事は別です」
「最後まで取る気か」
「直さなくていいなら取りません」
「……分かった。直せ」
田朔は人夫へ指示を出した。
困っている相手だからこそ、商品を安く買える。
壊れた荷車を直せる人間と材料を持っているからこそ、修理代も取れる。
田朔はどちらも見逃さなかった。
◇ ◇ ◇
さらに南へ進むと、6人ほどの男が離れた場所から商隊を見ているのに気づいた。
農民には見えない。棒や刀を持っていた。
段烈が護衛を前後へ分け、荷車同士の間隔を詰めさせた。
「人夫は荷から離れるな。田朔、お前は中央だ」
「俺も前へ出る」
「28人も雇っているのに、何のためにお前が前へ出る」
「俺の荷だぞ」
「だから中央にいろ。お前が怪我をして動けなくなったら、商人への支払いも行き先の判断も止まる」
それなら田朔にも分かった。
「分かった。任せる」
男たちはしばらくこちらを見ていたが、護衛の数を見て近づいてこなかった。
段烈が言った。
「6人で28人へ向かってくるほど馬鹿ではないらしい」
「こっちが人夫だけなら来たかもしれない」
「そのために俺たちを雇ったんだろう」
「高い給金を払った甲斐がある」
「その給金の大半は客から取った護衛料だろう」
「だからもっといい」
段烈は呆れた。
1年前なら、杜三を含む3人に囲まれただけで殴られ、銭を取られていた。
今は28人の護衛を連れ、その費用の大半を商隊へ加わった客が負担している。
田朔は、危ない道そのものから銭を取れるようになっていた。
◇ ◇ ◇
3月15日、田朔は南から来る商人が集まる宿場で、長安へ食糧を運ぶ者を探した。
だが、長安まで行きたがる者は少なかった。
「長安へ持っていけば高く売れますよ」
田朔が言うと、豆を扱う商人が首を振った。
「高く売れても、帰ってこられなければ意味がない」
「俺の商隊へ加わりませんか。帰りは長安まで行きます」
「護衛料を取るんだろう」
「取ります」
「いくらだ」
田朔が値を示した。
「高い」
「長安で売れる値も高いでしょう」
「この護衛料を払えば、せっかく高く売っても利益が減る」
「でしたら、俺がここで豆を買います」
田朔は長安の相場よりかなり低い買値を示した。
男が田朔を睨んだ。
「自分で長安へ持っていけば護衛料を取り、ここで売れば安く買うのか」
「はい」
「どちらを選んでも、お前が儲かるわけだ」
「だから商売にしています」
「嫌な奴だな」
「無理に売れとは言いません。ほかの商隊を待つ方法もあります」
男はしばらく考えた末、荷車3台分の豆を田朔へ売った。
別の商人は護衛料を払い、自分で長安まで行くことを選んだ。
田朔にとっては、どちらでもよかった。
安く買えれば、自分の店で高く売れる。買えなくても、護衛料が入る。
商人が自分の荷車で隊列へ加われば、帰りの商隊そのものも大きくなる。
◇ ◇ ◇
長安へ戻る時には、出発時より荷車が7台増えていた。
護衛料を払って加わった商人の車もあれば、田朔が買った食糧を積んだ車もある。
段烈が列の長さを見た。
「この調子で増えたら、そのうち軍隊みたいになるぞ」
「軍隊はいらない」
「なぜだ」
「軍隊は食わせるだけで銭が減る。商隊は動くたびに銭を持ってくる」
「お前らしいな」
◇ ◇ ◇
3月18日の夜、長安へ戻った田朔は韓家を訪ねた。
数日顔を見せていなかった。
王淑蘭は田朔を見ると、まず顔と手を確かめた。
「怪我はない?」
「ありません」
「本当に?」
「顔にも手にもないでしょう」
「衣の下は分からないわよ」
「では確かめますか」
淑蘭が田朔の腕を叩いた。
「そういうことを平気で言うようになったのね」
「もう何度も来ていますから」
「遠慮がなくなっただけでしょう」
「それもあります」
淑蘭は呆れながらも家へ入れた。
夕食には豆を煮た物、羊肉、漬物が出た。
田朔は残さず食べた。
「南まで行ってきたの?」
淑蘭が尋ねた。
「まだ漢中までは行っていません。道と宿場を見ながら、数日南へ下りました」
「主人から聞いたわ。今度は護衛を連れて、商人から随分高い運賃を取っているそうね」
「運賃だけではありません。護衛の銭も一緒に取っています」
「昔より何倍もするのでしょう」
「昔より危険ですから」
「困っている人から高く取るのね」
「困っていない人は、俺に護衛を頼みません」
淑蘭は笑った。
「本当に悪い商人になったわね」
「前からです」
「自分で言うの?」
「それでも淑蘭さんは家へ入れてくれます」
淑蘭は少し黙った。
「南の道を調べているということは、長安を出ることも考えているのね」
「今すぐではありません」
「では、なぜ今から?」
「本当に出なければならなくなった日に、初めて道を探したくないからです」
淑蘭の表情から笑みが消えた。
「長安は、そこまで危なくなると思う?」
「分かりません。ただ、食糧の値は下がっていません。城外から入る荷車も減っています」
「主人も、荷が以前より入らないと言っていたわ」
「戦で勝ったという話があっても、長安へ入る食糧が増えなければ、俺には安心する理由になりません」
淑蘭は卓上の皿へ目を落とした。
「もし本当に逃げなければならなくなっても、主人は簡単に役所を放り出せないでしょうね」
「そうでしょう」
「私はどうしたらいいのかしら」
「韓さんと一緒に出られるなら、それが一番です」
「主人が残ると言ったら?」
「淑蘭さんだけでも、俺の商隊で先に南へ出します」
淑蘭は田朔を見た。
「主人の妻を?」
「韓さんから頼まれてお送りするなら、何もおかしくありません」
「主人には世話になっているでしょう」
「世話になっています」
「それでも私を連れていくのね」
「危ないところへ置いていきたくありません」
「なぜ?」
「欲しい女だからです」
淑蘭は田朔を見つめた。
「あなたには玉蓮さんがいるでしょう。陳さんの奥方とも親しいと聞いたわ」
「春華さんのことですか」
「やっぱり本当なのね」
「どこで聞きました」
「女の噂を甘く見ない方がいいわよ。それで、私が嫉妬したら困る?」
「嫉妬されたからといって、嫌いにはなりません」
「では春華さんのところへ行くのをやめる?」
「それは嫌です」
淑蘭は呆れて笑った。
「本当に勝手ね」
「淑蘭さんが俺との関係をやめたいと言うなら、それは受け入れます」
「ほかの女との関係をやめろと言っても?」
「それは受け入れません」
「本当に好色ね」
「知っています」
淑蘭は田朔の隣へ座った。
「私は何番目になるのかしら」
「順番を決める必要がありますか」
「女には気になるものよ」
「俺は、1人増えたから前の女を粗末にするつもりはありません」
「いい女なら全部欲しい?」
「ああ」
「最低ね」
「帰った方がいいですか」
「帰したいなら、最初から食事なんて出していないわよ」
淑蘭は田朔の衣をつかんだ。
その夜、田朔が韓家を出たのは夜明け前だった。
385年3月中旬が終わった。




