↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第二章――「長安崩壊、悪党は儲ける」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/157

第4話(後編)――「店ごと食う」

 385年2月下旬。


 2月21日、長安で穀物を卸してきた商人が田朔を訪ねた。


 50歳前後の男で、以前なら田朔のような若い商人を相手にする必要もなかった。


 今は自分から田朔の店へ来ていた。


「商売を買わないか」


 男は挨拶を済ませると、すぐ本題へ入った。


 田朔が尋ねた。


「何を売るんです」


「店と倉2棟、荷車6台、馬2頭。それから今ある粟と豆だ」


 田朔はさらに尋ねた。


「番頭や人夫は?」


「残りたい奴は残るだろう」


「仕入れ先と得意先の帳面は?」


「渡す」


「売掛金も?」


「ああ」


「借金はありますか」


 男の顔が少し険しくなった。


「ある」


「いくらです」


「3,200ほどだ」


「では帳面を全部見せてください」


「先に値を決めたい」


「借金がいくらあるか分からなければ値段を決められません」


 男は不満そうだったが、持ってきた帳面を出した。


 玉蓮と馬福成も加わり、仕入れ先、売り先、在庫、荷車、馬、借金、売掛金を順番に確認した。


 ただ店と倉を買う話ではない。


 この商人が築いた取引先と働く人間まで手に入れれば、田朔は翌日から穀物商いをそのまま続けられる。


「いくら欲しいんです」


 田朔が尋ねた。


「20,000銭」


「高すぎます」


「平時なら25,000でも売らん」


「今は平時ではありません」


「だから20,000だ」


「10,000」


「ふざけるな」


「では買いません」


 田朔は帳面を閉じた。


 男が顔を赤くした。


「店も倉も荷車も馬もあるんだぞ」


「借金もあります」


「売掛金もある」


「全部取れる保証はありません」


「在庫もある」


「それは欲しいです。それでも10,000です」


「安すぎる」


「長安を出るのはいつですか」


 男は答えなかった。


「今月中でしょう」


「……そうだ」


「あと7日ですね。20,000で買ってくれる人を、それまでに探してください」


 男は田朔を睨んだ。


「お前は本当に人の足元を見るな」


「見せているのはそちらです」


 男は立ち上がった。


 田朔は止めなかった。


 男は店の出口まで歩き、そこで足を止めた。


「12,000なら売る」


 田朔は玉蓮を見る。


 玉蓮は帳面へ書いた数字を指した。


「11,000」


「11,500」


「在庫と倉をもう一度確認します。問題がなければ11,500出します」


「分かった」


 男は承知した。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、田朔は馬福成とともに店、倉、荷車、馬、在庫をすべて確かめた。


 粟と豆は思っていたより多く残っている。倉も使える。荷車6台のうち5台はすぐに動かせ、1台だけ車輪の修理が必要だった。馬2頭も痩せてはいない。


 田朔は11,500銭を払った。


 そこで終わらせず、店で働いていた番頭2人と人夫7人を集めた。


「前の主人は長安を出る。ここへ残る者は、俺のところでそのまま働ける」


 年長の番頭が尋ねた。


「給金は同じですか」


「同じではありません」


 男たちの顔が曇った。


 田朔は続けた。


「少し上げます。ただし、前より仕事は増える。荷車も今より動かします」


「人夫の飯は?」


「今まで通り出します。番頭は給金へ上乗せします」


 人夫の1人が尋ねた。


「嫌なら?」


「前の主人と一緒に行くか、ほかの仕事を探してください」


 結局、人夫7人のうち6人が残り、番頭2人も田朔の下で働くことを選んだ。


 田朔は店と倉だけでなく、荷車、馬、在庫、番頭、人夫、仕入れ先と得意先の帳面までまとめて手に入れた。


 店は1日も閉めなかった。


 翌朝から田朔の店として、そのまま商売を続けた。


 ◇ ◇ ◇


 新しく手に入った荷車は、すぐ城外へ出した。


 田順が知る農家、前の主人が長く取引してきた農家、衛成(ウェイ・チョン)が知る運送人にも声をかけた。


 使えるつながりを、そのまま使う。


 田朔は城外で粟や豆を買う際、ほかの商人よりわずかに高い値を出した。


 玉蓮が尋ねた。


「逃げる人からはあれだけ値切るのに、農家からは高く買うの?」


「長安へ持ってくれば、もっと高く売れる」


「それなら村でも安く買えば、さらに儲かるでしょう」


「今は銭をその場で払える商人が減っている。俺が少し高く買い、約束した日に銭を払えば、次も俺へ売る」


「仕入れ先は潰さないのね」


「潰したら何を売るんだ」


 田朔は相手によって取り方を変えた。


 これからも品を売ってほしい農家には少し多く払う。食糧を借りるしかない者からは高い利息を取る。長安から逃げたい商人からは、店も倉も安く買う。


 全員から同じように搾り取る必要はない。


 一番多く儲かる方法を相手ごとに選べばよかった。


 ◇ ◇ ◇


 2月24日、韓敬から軍の食糧買い付けについて話が来た。


「粟を出せるか」


「量によります」


 韓敬が必要な数を示した。


 かなり多い。


「値はいくらですか」


 韓敬が軍の提示額を教えた。


 市場より安い。


「その値で全部は無理です」


「また値切るのか」


「今回は値ではありません。前金をください」


 韓敬が田朔を見る。


「前金?」


「軍が必要としている粟を、全部俺の銭で先に集める必要はないでしょう」


「軍の銭で、軍へ納める粟を買う気か」


「はい」


「平然と言うな」


「きちんと納めれば同じです」


「いくら欲しい」


「代金の3分の1」


「多い」


「それなら受ける量を減らします」


 韓敬は顔をしかめた。


「お前は役所相手でも本当に変わらんな」


「粟を急いで必要としているのは俺ではありません」


「分かった。上へ話してみる」


「もう1つあります」


「まだあるのか」


「俺の荷車が食糧を運んでいると分かる札もお願いします。城門で半日止められたら、その分だけ人夫と馬の銭がかかります」


「塩の時にも似たことをしたな」


「役に立ちましたから」


「お前は一度使えた手を何度でも使うな」


「使える物を捨てる理由がありません」


 韓敬は呆れながらも、田朔の条件を上へ伝えた。


 2日後、軍から前金5,000銭が出た。


 田朔はその銭を金庫へしまわなかった。


 その日のうちに荷車を城外へ出し、粟と豆を買わせた。


 軍から受け取った銭で軍へ納める食糧を仕入れる。その分だけ自分の現金を、食糧の貸付、証文の買い取り、逃げる商人の店や倉を買うために残すことができる。


 戦が続けば軍は食う。


 軍が食えば食糧を買う。


 田朔が役所の注文を受ければ前金が入り、その銭で農家から食糧を集める。農家には現金が入るため、次も田朔へ売る。


 兵が増えるほど、田朔の荷車も忙しくなった。


 ◇ ◇ ◇


 2月27日。


 前編で粟20袋を借りた酒屋の主人が再び来た。


 まだ返済日ではない。


「もう返すんですか」


 田朔が尋ねた。


「違う。追加で借りたい」


「今の分を返してからです」


「店は担保に入っているだろう」


「だから、これ以上は貸しません」


「食糧が足りない。このままでは店で飯を出せなくなる」


「それはあなたの店の都合です」


「あと10袋だけでいい」


「担保が足りません」


 男は顔をゆがめた。


「だったらどうすればいい」


「店を売りますか」


 男の表情が変わった。


「何?」


「今なら買います」


「粟を借りた相手から、今度は店まで買うのか」


「嫌なら返済日まで店を持っていればいいでしょう」


「まだ期限前だぞ」


「ですから、まだ取りません」


 田朔は帳面を閉じた。


「ただし、追加で10袋欲しいなら別です。店を今売るなら、借りた粟の返済はなくし、そのうえで銭を払います」


 男はその場では決めなかった。


 翌日、妻と家族を連れて再び来た。


「売る」


 田朔は高い値を付けなかった。


 男も、それは分かっていた。


 今からほかの買い手を探している間にも、家族は飯を食う。店に客が来ても、出す食糧がない。


 条件がまとまり、郭安が証文を作った。


 男が内容を確かめ、印を押した。


 また1軒、田朔の店が増えた。


 ◇ ◇ ◇


 2月末。


 玉蓮と馬福成が、今月の帳面をまとめた。


 田朔の手には本店、布屋跡の店、穀物商から買った店、酒屋だった店がある。倉は城内外を合わせて7棟となり、荷車と馬も増えた。住み込みの人夫と護衛は20人を超え、買い取った借金の証文と、新たに食糧を貸した証文もかなりの数になっている。


 玉蓮は帳面を見ながら言った。


「1月に家を買い始めた頃より、ずっとひどくなったわね」


「何がだ」


「今は家だけではないでしょう。食糧を貸して返せない相手から店を取り、逃げる金貸しから借金を買って倉を取り、長安を出たい商人からは店も倉も荷車も商売ごと買っている」


「安いからな」


「本当に全部、戦のおかげね」


 田朔は首を振った。


「戦があるだけでは銭にならない」


「では、何が銭になるの?」


「怖くなって店を売る奴がいる。腹が減って食糧を借りる奴がいる。道が危なくて品を運べない奴がいる。兵を食わせるため、役所は銭を出す」


 田朔は机の上に積まれた証文へ手を置いた。


「その全部に俺が入っているから儲かる」


 玉蓮は帳面へ目を落とした。


「去年まで荷車を押していた人の言うこととは思えないわ」


「去年まで荷車を押していたから、荷を動かす人間が何を嫌がるか分かる」


「それでも、もう十分増えたでしょう」


「まだ梁家より小さい」


「また梁旦那?」


「ああ」


 田朔は店の外へ目を向けた。


 長安では食糧を求める者が増え、家を売る者も、店を閉じる者も増えていた。


 逃げる者からは財産を安く買い、残る者には高い利で食糧を貸す。軍には食糧を売り、その前金で次の食糧を集める。担保を持たない者は飯を与えて人夫にし、腕の立つ者には倉と荷車を守らせる。


 人々が戦乱に追われるほど、田朔の店、倉、荷車、証文、人手は増えていった。


 385年2月が終わった。


────────────────────────────

『長安の悪党、乱世を喰らう』


第二章「長安崩壊、悪党は儲ける」


第5話(前編)「道にも値段がある」

────────────────────────────


 385年3月上旬。


 前話の収入:約68,000銭

 前話の支出:約47,000銭

 現在動かせる金:約50,000銭


 3月1日の日の出前、田朔(ティエン・シュオ)は家の裏庭で兵役上がりの男と組み合っていた。


 男の名は段烈(ドゥアン・リエ)という。


 田朔が朝の稽古を始めてから、すでに5か月近くになる。段烈にはまだ及ばないが、組み付かれた途端に何もできず転がされることは減った。


 この朝も段烈が右腕を取りに来ると、田朔は身体を横へずらし、相手の肩へ自分の肩を当てた。そのまま足を絡めて崩そうとする。


 段烈の身体が傾いた。


 田朔がさらに押し込んだところで、逆に腕を取られた。次の瞬間には地面へ倒されていた。


「途中まではよかった」


「最後に俺が倒れているなら意味がない」


「5か月で欲張るな」


「欲張らないなら、こんな寒い朝から起きていない」


 田朔は身体についた土を払いながら立ち上がった。


「段さん。話がある」


「何だ」


「今の仕事を減らして、俺のところへ来ないか」


「何をさせる」


「護衛をまとめてほしい」


 段烈は田朔の顔を見た。


「倉の番なら、もう元兵を雇っているだろう」


「倉だけではない。荷車を城外へ出す回数を増やす。これからは今までより遠くへも行く」


「街道は危なくなっているぞ」


「だから段さんに頼む」


「今、何人いる」


「兵役を経験した男が4人。人夫の中にも喧嘩のできる男がいる。必要ならもっと雇う」


「俺を頭にするのか」


「ああ。毎月の給金を払う。遠くまで荷を守る時は別に手当も出す。朝の稽古も今まで通り頼む」


 段烈が笑った。


「護衛をまとめさせたうえで、お前まで鍛えろと言うのか」


「両方できるだろう」


「給金はいくらだ」


 田朔が額を示した。


 段烈は首を振った。


「もう少し出せ」


「高い」


「命を張る仕事もあるんだろう」


「危険な場所まで行った時は手当を増やす」


「毎月の給金も少し上げろ」


 2人はその場で条件を詰めた。


 最後には田朔が少し上げ、段烈も承知した。


「では今日から頼む」


「随分急だな」


「もっと道が危なくなってから護衛を集めても遅い」


「そこまで考えていたのか」


「銭を積んだ荷車を奪われてから考えるよりましだ」


 ◇ ◇ ◇


 その日の午前、田朔は段烈、馬福成(マー・フーチョン)、田順(ティエン・シュン)を連れ、1月に買った城外の倉へ向かった。


 倉の前には荷車が8台止まっていた。


 田朔の荷車ではない。東から来た商人たちのものだった。


 長安へ入ろうとしたものの、軍の往来が増え、城門の検めにも時間がかかる。軍の車が来るたびに商人の荷車は道を譲らされ、城内へ入れば宿代や馬の飼葉も高くつく。


 荷車には豆、乾物、油、麻布などが積まれていた。


 田朔は荷を持ってきた商人たちから事情を聞いた。


「昨日からここにいるんですか」


「そうだ」


 40歳ほどの商人が疲れた顔で答えた。


「昨日、城門まで行ったが、前に20台以上並んでいた。軍の荷車が来るたびに脇へどけられて、いつ入れるか分からん」


「今日も城内へ入るつもりですか」


「入れるなら入りたい。長安で売るために来たんだからな」


「でしたら、俺がここで買います」


 商人の目が変わった。


「全部か」


「品を見てからです」


 田朔は馬福成に中身を確かめさせた。


 豆は傷んでいない。油壺にも問題はなく、乾物も湿っていない。


 田朔は長安で売れる値から、運賃、損耗、役人への口利きに使う銭、自分の利益を引いて買値を示した。


「この値なら、まとめて買います」


 商人の顔が険しくなった。


「安すぎる。長安なら、この倍近くで売れるぞ」


「城内へ入り、ご自分で買い手を探せば、その値で売れるかもしれません」


「だからここまで来たんだ」


「でしたら、そのまま長安へお入りください。無理に俺へ売る必要はありません」


 田朔は引き止めなかった。


「俺へ売れば、ここで荷を渡した時点で銭を受け取り、今日中に空荷で帰れます。ご自分で売るなら、門前で順番を待ち、宿と飼葉へ銭を払い、売り終わるまで荷を守る必要があります」


「せめて長安の相場の6割は出せ」


「今申し上げた値までです」


「お前は城門にも顔が利くと聞いたぞ」


「はい」


「だったら俺たちより簡単に入れられるじゃないか」


「そのために俺は、これまで役人へ何度も銭を払ってきました。城内へ運ぶ手間も費用も、買った後は俺が負います。それを考えた買値です」


 商人は黙った。


「今売れば、あとは俺の仕事です。売らないなら、ご自分で長安へ運んでください。どちらでも構いません」


 商人は荷車を見た。


 馬は疲れている。人夫にも飯を食わせなければならない。帰り道がさらに悪くなる可能性もある。


「……あと500銭乗せろ」


「200なら足します」


「300」


「200です」


「本当に動かんな」


「俺は今日、この荷を買えなくても困りません」


 結局、商人は売った。


 その様子を見ていた別の商人も声をかけてきた。


「俺の荷も見るか」


「見ます」


 午前中だけで、田朔は荷車5台分の商品を買った。


 いずれも長安の相場より大幅に安い。


 その場で銭を払ったため、売った商人たちは空荷の車で東へ戻ることができた。


 田順が息子へ尋ねた。


「これを全部、城内へ入れるのか」


「ああ。ただし、今日全部は入れない」


「門で止められるからか」


「ここで俺の荷車へ積み替え、品ごとの荷札も付ける。韓さんと陳さんにも先に話を通して、何回かに分けて入れる」


 田朔は倉を見た。


「これからは、長安まで入りたくない商人の商品をここで買う。自分で売りたい奴には、荷を置かせて保管料を取る」


「倉まで商売にするのか」


「空いている場所をただで貸す理由がないだろう」


「保管料を払う銭もない奴は?」


「荷に十分な値打ちがあれば、その荷を担保に銭を貸す。返せなければ、約束通り商品で返してもらう」


 田順は息子を見た。


「お前、倉1つで何回儲ける気だ」


「使い道が3つあるなら、3つとも銭にした方がいい」


 ◇ ◇ ◇


 翌日から城外の倉には料金を決めた。


 荷を一晩置けば保管料を取る。夜の番人を増やしてほしければ別料金を取る。長安まで運んでほしい者には運賃を取り、道中の護衛まで求める者にはさらに銭を払わせる。


 自分で運ぶ者には何も強要しなかった。


 それでも客は来た。


 品を奪われればすべてを失う。田朔へ銭を払ってでも、長安まで安全に運びたい商人は増えていた。


 3月4日、麻布を積んだ商人が田朔へ尋ねた。


「ここから長安まで運んでくれるのか」


「運びます」


「いくらだ」


 田朔が値を示すと、男は声を上げた。


「高い! 前ならこの3分の1で運べたぞ」


「前のように安全なら、その値で運ぶ人を探してください。今は護衛も付けます」


「そこを何とかしろ」


「護衛なしなら安くできます」


「盗賊が出たらどうする」


「護衛なしを選ぶなら、ご自分で荷を守っていただくことになります」


 男は顔をしかめた。


「……護衛を付けろ」


「ありがとうございます」


 田朔は段烈へ声をかけた。


 その日の護衛料は、段烈たちへ払う手当を引いても十分に残った。


 しかも護衛するのは客の荷だけではない。同じ隊列の中央には、田朔自身が城外で安く買った豆、油、乾物も積んでいる。


 客から護衛料を取り、その銭で雇った男たちに自分の商品まで守らせる。


 話を聞いた許玉蓮(シュイ・ユーリエン)が呆れた。


「客の荷を守る銭で、自分の荷まで守っているじゃない」


「客の荷もきちんと守っている」


「でも一番多く積んでいるのは、あなたの商品でしょう」


「だから同じ隊列へ入れる意味がある」


「本当に、使える物は何でも使うのね」


「使えるのに別々に銭を払う方がおかしい」


 ◇ ◇ ◇


 3月6日の午後、田朔は陳貴(チェン・グイ)のところへ行った。


 陳貴は、田朔の荷車が増えたことをすでに知っていた。


「お前、最近は城外で商人の商品まで買っているそうだな」


「売りたい方から買っています」


「門へ入る前にか」


「はい。向こうはすぐ帰れる。俺は安く買える。双方に都合があります」


「一番得をするのはお前だろう」


「陳さんにも得をしていただきます」


 田朔は銭袋を卓へ置いた。


 陳貴はすぐに手を伸ばした。


「話が早いな」


「お願いがあります。俺の荷車は、荷札や届けに問題がなければ、門前で半日も待たずに検めを受けられるようにしてください」


「横入りさせろというのか」


「軍へ納める荷なら、これまで通り軍用として先に見てください。それ以外は普通の商品として扱って構いません。ただ、書類を前もって出しておき、門へ着いたら早く検めてもらえるようにしたいんです」


「軍の荷に見せかける気はないんだな」


「ありません。後で調べられて困るのは俺です」


「人の弱みには平気で付け込むくせに、役所相手では慎重だな」


「儲ける前に首を取られたら損ですから」


 陳貴は笑い、銭袋を懐へ入れた。


「分かった。書類が揃っている荷なら、前もって見るよう話しておく」


「お願いします」


 田朔が帰ろうとすると、陳貴が呼び止めた。


「今夜、うちへ寄るか」


 田朔は振り向いた。


「何か御用ですか」


「俺にはない。春華がお前の話をしていた」


「何と?」


「最近、顔を見せないと言っていたぞ」


 陳貴は笑った。


「お前、妻に随分気に入られたな」


「陳さんの奥様ですから、大事にしています」


「俺は今夜、紅玉のところへ行く。春華が退屈しているなら、話し相手にでもなってやれ」


「よろしいんですか」


「何がだ」


 陳貴は田朔の顔を見た。


「お前が俺の妻に妙な真似をするわけでもあるまい」


「そうですね」


 田朔は顔色を変えずに答えた。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、田朔は陳家を訪ねた。


 周春華(ジョウ・チュンホワ)は田朔を見ると、玄関先で腕を組んだ。


「随分久しぶりね」


「仕事が増えました」


「韓家へ行く暇はあるのに?」


 田朔は春華を見た。


「誰から聞いたんです」


「主人の話を聞いていれば分かるわよ。最近、韓家へよく出入りしているのでしょう」


「仕事でも行きますから」


「仕事だけ?」


「今夜は春華さんに会いに来ました」


「主人から言われたからでしょう」


「陳さんが言わなくても、そろそろ来るつもりでした」


「本当?」


「少なくとも、今夜ここへ来たのは俺が来たかったからです」


 春華は田朔をしばらく見てから、家へ入れた。


 部屋へ入ると、春華は田朔の衣についた土を見た。


「毎日、城外へ出ているの?」


「荷が増えましたから」


「危ないでしょう」


「危ないから、護衛料も運賃も高く取れます」


「また銭の話」


「安全なら皆、自分で運びます」


 春華は田朔の向かいへ座った。


「あなた自身は怖くないの?」


「怖いですよ」


「そうは見えないわ」


「怖いから護衛を雇っています。危ない道を1人で歩いて、自分は度胸があると威張るほど馬鹿ではありません」


「それでも長安に残るのね」


「今はまだ儲かりますから」


「本当に危なくなったら?」


「その時になって初めて道を調べるつもりはありません。南への道は今から見ています」


 春華の表情が変わった。


「そんなに悪くなると思っているの?」


「分かりません。ただ、悪くなった時の準備は今でもできます」


「主人は何も言わないわ」


「役所で見えるものと、商人のところへ入ってくる荷の動きは違います」


「もし本当に逃げなければならなくなったら、私はどうなるのかしら」


「陳さんと一緒に出られるなら、それが一番です」


「主人が役所を離れられなかったら?」


「先に俺の商隊で南へ出てください」


 春華は田朔を見た。


「主人の妻なのに?」


「陳さんから頼まれて送り出す形なら、何もおかしくありません」


「あなたは、それで終わるつもり?」


 田朔は笑った。


「春華さんは俺をよく知っていますね」


「何を考えているの?」


「今は安全に逃がすことしか考えていません」


「今は、なのね」


「その先のことは、その時になってから考えます」


「本当にずるい男」


「俺が春華さんを欲しいことは、もう知っているでしょう」


 春華は田朔の肩を叩いた。


「もっとましな言い方はできないの?」


「嘘よりいいでしょう」


「本当にひどい男」


「嫌いになりましたか」


「なれたら、とっくに家へ入れていないわよ」


 田朔は春華の手を取り、そのまま抱き寄せた。


 その夜も陳貴は戻らなかった。


 385年3月上旬が終わった。


────────────────────────────

『長安の悪党、乱世を喰らう』


第二章「長安崩壊、悪党は儲ける」


第5話(中編)「逃げるなら払え」

────────────────────────────


 385年3月中旬。


 3月11日の日の出前、城外の倉には荷車が集まっていた。


 田朔の荷車が12台、別の商人から預かった荷車が9台ある。護衛は段烈を頭に28人を揃えた。


 長安から南へ向かう隊列である。


 田朔は商人5人から運賃と護衛料を受け取っていた。戦がさらに近づく前に、家財や商品だけでも南へ移しておきたい者が増えていた。


 大きな箱4つを運ばせる男が、田朔の示した料金を見て顔をしかめた。


「箱4つで800銭も取るのか」


「荷車、人夫、護衛を合わせた値です」


「箱は俺の物だぞ」


「もちろんです。箱の値段ではありません。南まで運び、道中を守る仕事に800銭いただきます」


「以前なら200銭もかからなかった」


「以前なら、これだけの護衛も必要ありません」


「700にしろ」


「800です」


「750」


「800です」


「少しくらい客に譲れ」


「安く運んでくれる人が見つかるなら、そちらへ頼んでいただいて構いません」


 男は周囲を見た。


 長安から南へ向かうまとまった商隊は少なく、これだけの護衛を付けている隊列はほかになかった。


「……分かった。800払う」


「ありがとうございます」


 田朔は箱を隊列の中央へ積ませた。


 その隣には、自分の銀、絹、質流れの装飾品など、軽くて値の張る物を入れた箱も載せている。


 商人たちから受け取った運賃と護衛料だけで、今回の護衛28人へ払う手当や道中の食糧代の大半を賄えた。


 段烈が隊列を見ながら言った。


「客の銭で、お前の荷まで守るのか」


「客の荷を守るために護衛を雇った。同じ隊列に俺の商品も積む。それだけだ」


「お前の商品が一番多いだろう」


「だから得なんだ」


「客が聞いたら嫌な顔をするぞ」


「約束した荷はきちんと守る。客に損はさせない」


「それで自分はもっと得をするわけか」


「ああ」


 段烈は呆れながらも笑った。


 ◇ ◇ ◇


 隊列は南へ向かった。


 田朔自身も同行した。


 目的は荷を運ぶことだけではない。


 南から長安へ向かう商人がどこで減っているのか、どの宿場なら泊まれるのか、馬へ水を飲ませる場所は残っているのか、どこで兵に止められるのか、帰りに食糧を買える村があるのか。


 今後も使う可能性がある道なら、自分の目で確かめておく必要があった。


 出発から2日目の午後、道端で荷車が止まっていた。


 車軸が折れている。


 商人と人夫4人が荷を下ろし、壊れた車の前で困っていた。荷は乾物と豆で、長安へ運ぶ途中だという。


 田朔は隊列を止めた。


「車軸が折れたんですか」


「見れば分かるだろう」


 商人は苛立っていた。


「長安へ行くんですね」


「ああ。この荷を売りに行く」


「うちの人夫なら直せます。材料もあります」


 男の顔が明るくなった。


「いくらだ」


「300銭です」


「高い!」


「自分で直せるなら、その方が安く済みます」


「そんなことができたら困っていない」


「でしたら300銭です」


 男は顔をしかめた。


「もう少し下げろ」


「それとは別に、この商品そのものを俺へ売る方法もあります」


「買うのか」


「値が合えば」


 田朔が買値を示すと、男はさらに怒った。


「安すぎる。長安へ着けば、その倍近くになるぞ」


「無事に長安へ着き、売り切れればそうなります」


「足元を見やがって」


「今ここで買う値ですから」


「お前の護衛を付けて長安へ行けばいい」


「俺たちは今から南へ向かいます。長安とは反対です」


「では、帰りに一緒に行け」


「帰りは数日後です。待てるなら、その時に合流できます。荷をこの近くへ置いておくなら、保管場所と番人も手配できますが、それには別に銭がかかります」


「修理代に保管料、帰りには護衛料まで取るのか」


「全部必要なら、全部に人と銭がかかります。嫌なら修理だけでも構いません」


 男は考え込んだ。


 数日待てば宿代や馬の飼葉まで必要になる。修理して自分たちだけで長安へ向かえば、途中で襲われる危険がある。


「……商品を買うなら、もう少し出せ」


「この値なら今すぐ払います」


「あと300」


「100なら足します」


「200」


「100です」


 商人は長安の方角を見た後、とうとう承知した。


「分かった。商品は売る」


 田朔はその場で品を調べ、銭を払った。


 商品は田朔の空いている荷車へ積み替えた。


 商人は空になった自分の荷車で帰るため、壊れた車軸の修理も頼んだ。


「修理は300銭です」


「商品を買ったんだから、少しくらいまけろ」


「商品の代金と、荷車を直す仕事は別です」


「最後まで取る気か」


「直さなくていいなら取りません」


「……分かった。直せ」


 田朔は人夫へ指示を出した。


 困っている相手だからこそ、商品を安く買える。


 壊れた荷車を直せる人間と材料を持っているからこそ、修理代も取れる。


 田朔はどちらも見逃さなかった。


 ◇ ◇ ◇


 さらに南へ進むと、6人ほどの男が離れた場所から商隊を見ているのに気づいた。


 農民には見えない。棒や刀を持っていた。


 段烈が護衛を前後へ分け、荷車同士の間隔を詰めさせた。


「人夫は荷から離れるな。田朔、お前は中央だ」


「俺も前へ出る」


「28人も雇っているのに、何のためにお前が前へ出る」


「俺の荷だぞ」


「だから中央にいろ。お前が怪我をして動けなくなったら、商人への支払いも行き先の判断も止まる」


 それなら田朔にも分かった。


「分かった。任せる」


 男たちはしばらくこちらを見ていたが、護衛の数を見て近づいてこなかった。


 段烈が言った。


「6人で28人へ向かってくるほど馬鹿ではないらしい」


「こっちが人夫だけなら来たかもしれない」


「そのために俺たちを雇ったんだろう」


「高い給金を払った甲斐がある」


「その給金の大半は客から取った護衛料だろう」


「だからもっといい」


 段烈は呆れた。


 1年前なら、杜三を含む3人に囲まれただけで殴られ、銭を取られていた。


 今は28人の護衛を連れ、その費用の大半を商隊へ加わった客が負担している。


 田朔は、危ない道そのものから銭を取れるようになっていた。


 ◇ ◇ ◇


 3月15日、田朔は南から来る商人が集まる宿場で、長安へ食糧を運ぶ者を探した。


 だが、長安まで行きたがる者は少なかった。


「長安へ持っていけば高く売れますよ」


 田朔が言うと、豆を扱う商人が首を振った。


「高く売れても、帰ってこられなければ意味がない」


「俺の商隊へ加わりませんか。帰りは長安まで行きます」


「護衛料を取るんだろう」


「取ります」


「いくらだ」


 田朔が値を示した。


「高い」


「長安で売れる値も高いでしょう」


「この護衛料を払えば、せっかく高く売っても利益が減る」


「でしたら、俺がここで豆を買います」


 田朔は長安の相場よりかなり低い買値を示した。


 男が田朔を睨んだ。


「自分で長安へ持っていけば護衛料を取り、ここで売れば安く買うのか」


「はい」


「どちらを選んでも、お前が儲かるわけだ」


「だから商売にしています」


「嫌な奴だな」


「無理に売れとは言いません。ほかの商隊を待つ方法もあります」


 男はしばらく考えた末、荷車3台分の豆を田朔へ売った。


 別の商人は護衛料を払い、自分で長安まで行くことを選んだ。


 田朔にとっては、どちらでもよかった。


 安く買えれば、自分の店で高く売れる。買えなくても、護衛料が入る。


 商人が自分の荷車で隊列へ加われば、帰りの商隊そのものも大きくなる。


 ◇ ◇ ◇


 長安へ戻る時には、出発時より荷車が7台増えていた。


 護衛料を払って加わった商人の車もあれば、田朔が買った食糧を積んだ車もある。


 段烈が列の長さを見た。


「この調子で増えたら、そのうち軍隊みたいになるぞ」


「軍隊はいらない」


「なぜだ」


「軍隊は食わせるだけで銭が減る。商隊は動くたびに銭を持ってくる」


「お前らしいな」


 ◇ ◇ ◇


 3月18日の夜、長安へ戻った田朔は韓家を訪ねた。


 数日顔を見せていなかった。


 王淑蘭(ワン・シューラン)は田朔を見ると、まず顔と手を確かめた。


「怪我はない?」


「ありません」


「本当に?」


「顔にも手にもないでしょう」


「衣の下は分からないわよ」


「では確かめますか」


 淑蘭が田朔の腕を叩いた。


「そういうことを平気で言うようになったのね」


「もう何度も来ていますから」


「遠慮がなくなっただけでしょう」


「それもあります」


 淑蘭は呆れながらも家へ入れた。


 夕食には豆を煮た物、羊肉、漬物が出た。


 田朔は残さず食べた。


「南まで行ってきたの?」


 淑蘭が尋ねた。


「まだ漢中までは行っていません。道と宿場を見ながら、数日南へ下りました」


「主人から聞いたわ。今度は護衛を連れて、商人から随分高い運賃を取っているそうね」


「運賃だけではありません。護衛の銭も一緒に取っています」


「昔より何倍もするのでしょう」


「昔より危険ですから」


「困っている人から高く取るのね」


「困っていない人は、俺に護衛を頼みません」


 淑蘭は笑った。


「本当に悪い商人になったわね」


「前からです」


「自分で言うの?」


「それでも淑蘭さんは家へ入れてくれます」


 淑蘭は少し黙った。


「南の道を調べているということは、長安を出ることも考えているのね」


「今すぐではありません」


「では、なぜ今から?」


「本当に出なければならなくなった日に、初めて道を探したくないからです」


 淑蘭の表情から笑みが消えた。


「長安は、そこまで危なくなると思う?」


「分かりません。ただ、食糧の値は下がっていません。城外から入る荷車も減っています」


「主人も、荷が以前より入らないと言っていたわ」


「戦で勝ったという話があっても、長安へ入る食糧が増えなければ、俺には安心する理由になりません」


 淑蘭は卓上の皿へ目を落とした。


「もし本当に逃げなければならなくなっても、主人は簡単に役所を放り出せないでしょうね」


「そうでしょう」


「私はどうしたらいいのかしら」


「韓さんと一緒に出られるなら、それが一番です」


「主人が残ると言ったら?」


「淑蘭さんだけでも、俺の商隊で先に南へ出します」


 淑蘭は田朔を見た。


「主人の妻を?」


「韓さんから頼まれてお送りするなら、何もおかしくありません」


「主人には世話になっているでしょう」


「世話になっています」


「それでも私を連れていくのね」


「危ないところへ置いていきたくありません」


「なぜ?」


「欲しい女だからです」


 淑蘭は田朔を見つめた。


「あなたには玉蓮さんがいるでしょう。陳さんの奥方とも親しいと聞いたわ」


「春華さんのことですか」


「やっぱり本当なのね」


「どこで聞きました」


「女の噂を甘く見ない方がいいわよ。それで、私が嫉妬したら困る?」


「嫉妬されたからといって、嫌いにはなりません」


「では春華さんのところへ行くのをやめる?」


「それは嫌です」


 淑蘭は呆れて笑った。


「本当に勝手ね」


「淑蘭さんが俺との関係をやめたいと言うなら、それは受け入れます」


「ほかの女との関係をやめろと言っても?」


「それは受け入れません」


「本当に好色ね」


「知っています」


 淑蘭は田朔の隣へ座った。


「私は何番目になるのかしら」


「順番を決める必要がありますか」


「女には気になるものよ」


「俺は、1人増えたから前の女を粗末にするつもりはありません」


「いい女なら全部欲しい?」


「ああ」


「最低ね」


「帰った方がいいですか」


「帰したいなら、最初から食事なんて出していないわよ」


 淑蘭は田朔の衣をつかんだ。


 その夜、田朔が韓家を出たのは夜明け前だった。


 385年3月中旬が終わった。


────────────────────────────

『長安の悪党、乱世を喰らう』


第二章「長安崩壊、悪党は儲ける」


第5話(後編)「逃げる前に店を出す」

────────────────────────────


 385年3月下旬。


 3月21日、田朔の店へ、これまで何度か取引した商人が訪ねてきた。


 男は家族の一部をすでに南へ送り、残る家族と使用人を連れて自分も長安を離れるつもりだった。


「荷車12台を南へ出したい」


「何を積みますか」


「家財と商品だ」


「同行する人は?」


「俺を入れて18人だ」


「いつ出たいんです」


「5日以内だ」


 田朔は荷の量、人数、必要な人夫と護衛を計算し、値を示した。


 男は目を見開いた。


「6,000銭?」


「はい」


「高すぎる!」


「荷車12台と18人を、まとまった護衛を付けて南へ出します。道中の人夫と宿場の手配もこちらでします」


「荷車は俺の物だぞ」


「荷車を貸す銭は入れていません。護衛、人夫、隊列をまとめて南まで運ぶための値です」


「半分にしろ」


「できません」


「5,000」


「6,000です」


「知り合いだろう」


「だから5日以内に引き受けています。今は同じように南へ出たい人が多い」


 男は苛立った。


「去年まで荷車を押していた若造が、俺から6,000銭も取るのか」


「去年なら、俺に頼む必要はなかったでしょう」


「払えなければどうする」


「荷を減らしてください」


「何を置いていけと言うんだ」


「手放してもよい商品があるなら、俺が買います。そこで受け取った銭を護衛料へ回すこともできます」


 男が田朔を睨んだ。


「結局、商品まで安く買う気か」


「高いと思うなら売らなくて構いません。全部運ぶなら6,000銭です」


「お前には都合がいいことばかりだな」


「選ぶのはあなたです」


 男は結局、商品を何点か田朔へ売った。


 田朔は現在の長安で買い手を探す手間と、男が5日以内に出たい事情を織り込んだ安い値を付けた。


 荷車は12台から9台に減った。


 輸送する荷が減ったため料金も少し下がったが、田朔は商品を安く買う利益と、南へ運ぶ利益の両方を取った。


 ◇ ◇ ◇


 こうした話は1件ではなかった。


 家族だけ先に逃がしたい者、銀や絹を別の町へ移したい者、店の商品を南へ運びたい者が田朔のところへ来た。


 田朔は荷物の量、同行する人数、行き先、出発日によって値を変えた。


 急ぐ者からは高く取る。数日待てる者は、ほかの客と同じ隊列へまとめて少し安くする。荷物を減らしたい者からは、双方が値に納得すれば商品を買う。銭が足りない者には、長安に残す家や店を担保として貸した。


 食糧を積んで長安へ戻る商人については、帰りの隊列を大きくできるため護衛料を少し下げた。


 1人の客から1度だけ利益を取る必要はなかった。


 荷を預かれば倉代が入る。運べば運賃が入り、危ない道なら護衛料が入る。銭が足りない客には貸し、返せなければ契約に従って担保を受け取る。商品を減らしたい客がいれば、それを相場より安く買う。


 戦から逃げたい者が田朔の店へ来れば、その者が抱えている問題のどこかを商売に変えることができた。


 ◇ ◇ ◇


 3月23日、田朔は梁家を訪れた。


 以前のように荷運び人としてではない。


 穀物を買うための商談だった。


 客間へ通されると、梁景成(リャン・ジンチョン)が帳面を見ていた。


「随分大きくなったそうだな」


「まだ梁旦那ほどではありません」


「店が4軒、倉が7棟。荷車も増え、護衛を連れて商隊まで動かしていると聞いた」


「よくご存じですね」


「長安でそれだけ動けば、嫌でも耳に入る」


 梁景成は帳面を閉じた。


「今日は何をしに来た」


「粟を売っていただきたいと思いまして」


「お前も随分持っているだろう」


「足りません」


「どれだけ集める気だ」


「売れる間は、売れるだけ集めます」


「今の長安では、食糧を持っている者が強いか」


「家だけ持っているよりは安心です」


 梁景成が田朔を見る。


「お前、最近は家や店を前ほど買っていないそうだな」


「安ければ買います。ただ、1月ほどではありません」


「なぜだ」


「家は逃げる時に荷車へ積めませんから」


 梁景成の目が細くなった。


「逃げるのか」


「まだです」


「なら、なぜ南へ商隊を出している」


「今は運賃と護衛料が取れるからです。それに、本当に逃げる日が来た時、初めて道を通るよりは今から知っておいた方がいい」


「秦がこのまま負けると思っているのか」


「分かりません」


「またそれか」


「秦が戦に勝っても、長安へ入る食糧が増えなければ、俺の商売には関係ありません」


「戦が収まれば道も戻る」


「戻れば長安で今まで通り儲けます」


「戻らなかったら?」


「南にも店を出し、そちらで商売を続けます」


 梁景成は少し驚いた。


「長安でこれだけ店を増やして、今度は南にも出すのか」


「全部を長安へ置いておくのが怖くなりました」


「ようやく怖くなったか」


「怖いから、その逃げ道でも儲けています」


 梁景成は声を上げて笑った。


「普通は逃げ道を確保したら安心するものだ」


「同じ道を使いたい人が多いなら、運賃を取った方が得でしょう」


「やはり嫌な商人になったな」


「梁旦那に教わりました」


「俺はそこまで教えていない」


「頭を使えとは言われました」


「都合のよいところだけ覚えているな」


 梁景成は笑いながら、ようやく本題へ戻った。


「粟は200袋までなら売る」


「値は?」


 梁景成が示した額は高かった。


「高いですね」


「長安の今の値を見れば分かるだろう」


「200袋まとめて買います。もう少し下げてください」


「お前の店なら、今日買って明日もっと高く売れる」


「運ぶ銭もかかります」


「お前は自分で荷車を持っている」


「人夫と護衛へは払います」


「そこまで俺が面倒を見る必要はない」


 田朔はさらに値を詰め、最初に示された額から少し下げさせた。


 それでも平時なら高すぎる値だったが、現在の長安なら十分に利益が残る。


「では、その値で200袋すべて買います」


「随分あっさり決めたな」


「欲しい物を買える値まで下がりましたから」


「前なら、もう少し粘っただろう」


「今は粟200袋を早く押さえる方が大事です」


 梁景成は笑った。


「その口なら、もう荷運びには戻れんな」


「戻るつもりもありません」


 商談は成立した。


 田朔が客間を出る時、梁家の庭には何台もの荷車が見えた。


 倉も店も使用人も、田朔の何倍もある。


 それだけに、梁家が本当に長安を離れるとなれば、動かさなければならない物も桁違いだった。


 大きいことは強い。


 だが、動かなければならない時には、その大きさが重荷にもなる。


 田朔は初めて、梁家の大きさを羨むだけではなくなっていた。


 ◇ ◇ ◇


 梁家を出る途中、田朔は何小玉(ホー・シャオユー)と顔を合わせた。


 小玉は田朔を見ると、しばらく顔を眺めた。


「本当に田朔?」


「ほかに見えるか」


「衣も履物も変わったから」


「前より少し銭がある」


「少し?」


 小玉は笑った。


「旦那様が、あなたは随分大きくなったと言っていたわ」


「梁旦那に比べれば、まだ小さい」


「まだ比べているの?」


「ああ」


「本当にしつこいわね」


「よく言われる」


 小玉の後ろから、蘇青蘭(スー・チンラン)と馮彩児(フォン・ツァイアル)も歩いてきた。


 田朔は2人へ挨拶した。


 青蘭が田朔を見て笑った。


「昔、荷車の横からこちらを見ていた人とは思えないわね」


「覚えていたんですか」


「私は人の顔を覚えるのが得意なの」


「聞いたことがあります」


「誰に?」


 田朔が小玉を見ると、小玉が困った顔をした。


「私、昔そんなことまで話した?」


「随分前です」


 彩児は田朔より、門の外に止めてある馬を見ていた。


「あの馬はあなたの?」


「店の馬です」


「悪くない馬ね」


「買う時に彩児さんに見てもらえばよかった」


「銭を取るわよ」


「高すぎなければ払います」


「そこは相変わらずなのね」


 3人が笑った。


 田朔も笑った。


 1年前、梁家へ荷を運んでいた頃には、この女たちを遠くから見るだけだった。


 今は梁景成との商談を終えた帰りに、こうして立ち話をしている。


 それでも欲が満たされたわけではなかった。


 梁景成には正妻を含めて8人の女がいる。


 田朔にも玉蓮、春華、淑蘭がいる。


 それでも、きれいな女を見れば欲しいと思う。


 銭が増えて欲が減るどころか、手を伸ばせる範囲が広がった分だけ、欲しい物も増えていた。


「何を見ているの?」


 小玉が尋ねた。


「昔を思い出した」


「何を?」


「梁家へ来始めた頃だ。青蘭さんと彩児さんを初めて見た時は、俺は破れた袖で荷車を押していた」


 青蘭が笑った。


「あの頃から見ていたのね」


「きれいな女を見るなという方が無理でしょう」


「今は女にも困っていないでしょうに」


「それとこれとは別です」


 小玉が呆れた。


「本当に欲張り」


「知っている」


 田朔は3人へ挨拶し、梁家を出た。


 ◇ ◇ ◇


 3月25日、田朔は馬福成を帳場へ呼んだ。


「南へ行ってくれ」


「商隊を率いるんですか」


「今回は向こうへ着いてからも残ってほしい」


「何をします」


「店と倉を探す」


「買うんですか」


「まだ買わない。まず借りろ」


 馬福成が田朔を見る。


「長安を捨てるつもりですか」


「まだだ」


「では、なぜ今から店を?」


「長安だけに全部置いておく必要がない。南でも商売ができるなら、今から始める」


「どこまで行きます」


「漢中(ハンジョン)だ」


「かなり遠いですよ」


「だから今のうちに行ってほしい」


 田朔はまとまった銭、商品、紹介状を用意した。


「使える店を借りろ。倉も1棟確保してほしい。家賃が高すぎるなら無理に借りなくていい。長く使うか分からないから、今は買うな」


「何を売ります」


「まず塩、布、質流れの銀器や道具だ。それから、長安から逃れてきた者が銭に換えたがっている品があれば、値を見て買え。こちらで売って利益が出る値なら仕入れていい」


「分かりました。向こうへ着いた後、この荷車はどうします」


「荷を下ろした車には、帰りに粟、豆、乾物を積めるだけ積む。段さんが帰りの隊列をまとめる。馬さんは漢中に残って店を作ってくれ」


「行きも帰りも空にはしないんですね」


「ああ。南へ向かう客の荷を運んで銭を取り、帰りには長安で不足している食糧を積む」


「漢中の店が動けば、長安から商品を送ることもできますね」


「そのつもりだ。商売にならなければ店を畳めばいい。だから最初から建物を買う必要はない」


 横で聞いていた玉蓮が尋ねた。


「では、今は私が長安に残るのね」


「ああ。長安の店と帳簿を任せられるのは玉蓮だ」


「危なくなったら?」


「玉蓮と父さん、母さんは先に南へ出す」


「春華さんと淑蘭さんは?」


「できれば一緒に出したい」


 玉蓮の眉が上がった。


「2人とも旦那様がいるでしょう」


「夫と一緒に出られるなら、それでいい。役所の仕事で夫が残るなら、妻だけでも先に逃がした方がいい」


「それで済む?」


「何がだ」


「あなたのことよ。南へ連れていって、安全な場所へ着いたら、それで満足するの?」


 田朔は笑った。


「玉蓮は俺をよく知っているな」


「嫌になるほどね」


「今は逃がすことが先だ。その後のことは、その時に考える」


「でも欲しいのでしょう」


「ああ」


「春華さんも淑蘭さんも?」


「ああ」


「私も?」


「今さら聞くな」


「この先またいい女が出たら?」


「欲しくなるだろうな」


 玉蓮は呆れた。


「本当に救いようがないわ」


「嫌か」


「嫌なら、とっくに出ていっているわよ」


 ◇ ◇ ◇


 その夜、田朔は玉蓮の部屋で過ごした。


 夜明け前、田朔が衣を着始めると、玉蓮は寝台から恨めしそうに見た。


「今日も稽古へ行くの?」


「ああ」


「昨夜は春華さんでも淑蘭さんでもなく、私のところにいたのよ」


「誰の部屋で寝ても、朝は朝だろう」


「本当に可愛くないわね」


「今日は早く寝ろ」


「私が疲れていることにするの?」


「違うのか」


 玉蓮は枕を投げた。


 田朔は身体をそらして避けた。


「前なら当たっていたぞ」


「朝の稽古の成果を、こんなところで使わないで!」


 田朔は笑いながら部屋を出た。


 ◇ ◇ ◇


 3月30日。


 馬福成を乗せた南行きの商隊が長安を出た。


 荷車は18台ある。7台には南へ向かう客の家財や商品を積み、田朔はすでに運賃と護衛料を受け取っている。5台には田朔の商品を積み、残る6台は途中や漢中で商品を買ったり、帰りに食糧を積んだりできるよう余裕を持たせた。


 護衛の手当や道中の費用の多くは、客から取った銭で賄える。


 その護衛が田朔の商品も守る。


 漢中へ着けば馬福成が店と倉を借り、すぐ商売を始める。


 帰りの隊列は段烈がまとめ、長安で高く売れる食糧を積めるだけ積んで戻る。


 田朔は城門の外で、隊列が南へ小さくなるまで見送った。


 3月には、城外で安く買った商品、護衛と運送、食糧の販売、貸付、債権回収から大きな銭が入った。動かせる現金は9万銭を超え、店、倉、商品、貸付債権、荷車、馬まで合わせれば、その何倍もの財産になっている。


 それでも田朔が最後に見ていたのは、自分の店でも倉でもなかった。


 南へ続く道だった。


 長安を怖がる商人から商品を安く買う。逃げたい者から運賃と護衛料を取り、その銭で自分の商品まで同じ商隊に守らせる。南へ送った荷車は空で戻さず、長安で値の上がった食糧を積ませる。


 長安から逃げる者が増えるほど、田朔の商隊には客が増える。


 長安で食糧が不足するほど、南から運び込む荷の値は上がる。


 戦乱が道を危険にするほど、その道を安全に通れる商隊の値打ちも上がった。


 長安で儲け、長安を怖がる者からも儲け、その者たちが逃げる道からまで儲ける。


 385年3月が終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。