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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第二章――「長安崩壊、悪党は儲ける」

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第4話(後編)――「店ごと食う」

 385年2月下旬。


 2月21日、長安で穀物を卸してきた商人が田朔を訪ねた。


 50歳前後の男で、以前なら田朔のような若い商人を相手にする必要もなかった。


 今は自分から田朔の店へ来ていた。


「商売を買わないか」


 男は挨拶を済ませると、すぐ本題へ入った。


 田朔が尋ねた。


「何を売るんです」


「店と倉2棟、荷車6台、馬2頭。それから今ある粟と豆だ」


 田朔はさらに尋ねた。


「番頭や人夫は?」


「残りたい奴は残るだろう」


「仕入れ先と得意先の帳面は?」


「渡す」


「売掛金も?」


「ああ」


「借金はありますか」


 男の顔が少し険しくなった。


「ある」


「いくらです」


「3,200ほどだ」


「では帳面を全部見せてください」


「先に値を決めたい」


「借金がいくらあるか分からなければ値段を決められません」


 男は不満そうだったが、持ってきた帳面を出した。


 玉蓮と馬福成も加わり、仕入れ先、売り先、在庫、荷車、馬、借金、売掛金を順番に確認した。


 ただ店と倉を買う話ではない。


 この商人が築いた取引先と働く人間まで手に入れれば、田朔は翌日から穀物商いをそのまま続けられる。


「いくら欲しいんです」


 田朔が尋ねた。


「20,000銭」


「高すぎます」


「平時なら25,000でも売らん」


「今は平時ではありません」


「だから20,000だ」


「10,000」


「ふざけるな」


「では買いません」


 田朔は帳面を閉じた。


 男が顔を赤くした。


「店も倉も荷車も馬もあるんだぞ」


「借金もあります」


「売掛金もある」


「全部取れる保証はありません」


「在庫もある」


「それは欲しいです。それでも10,000です」


「安すぎる」


「長安を出るのはいつですか」


 男は答えなかった。


「今月中でしょう」


「……そうだ」


「あと7日ですね。20,000で買ってくれる人を、それまでに探してください」


 男は田朔を睨んだ。


「お前は本当に人の足元を見るな」


「見せているのはそちらです」


 男は立ち上がった。


 田朔は止めなかった。


 男は店の出口まで歩き、そこで足を止めた。


「12,000なら売る」


 田朔は玉蓮を見る。


 玉蓮は帳面へ書いた数字を指した。


「11,000」


「11,500」


「在庫と倉をもう一度確認します。問題がなければ11,500出します」


「分かった」


 男は承知した。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、田朔は馬福成とともに店、倉、荷車、馬、在庫をすべて確かめた。


 粟と豆は思っていたより多く残っている。倉も使える。荷車6台のうち5台はすぐに動かせ、1台だけ車輪の修理が必要だった。馬2頭も痩せてはいない。


 田朔は11,500銭を払った。


 そこで終わらせず、店で働いていた番頭2人と人夫7人を集めた。


「前の主人は長安を出る。ここへ残る者は、俺のところでそのまま働ける」


 年長の番頭が尋ねた。


「給金は同じですか」


「同じではありません」


 男たちの顔が曇った。


 田朔は続けた。


「少し上げます。ただし、前より仕事は増える。荷車も今より動かします」


「人夫の飯は?」


「今まで通り出します。番頭は給金へ上乗せします」


 人夫の1人が尋ねた。


「嫌なら?」


「前の主人と一緒に行くか、ほかの仕事を探してください」


 結局、人夫7人のうち6人が残り、番頭2人も田朔の下で働くことを選んだ。


 田朔は店と倉だけでなく、荷車、馬、在庫、番頭、人夫、仕入れ先と得意先の帳面までまとめて手に入れた。


 店は1日も閉めなかった。


 翌朝から田朔の店として、そのまま商売を続けた。


 ◇ ◇ ◇


 新しく手に入った荷車は、すぐ城外へ出した。


 田順が知る農家、前の主人が長く取引してきた農家、衛成(ウェイ・チョン)が知る運送人にも声をかけた。


 使えるつながりを、そのまま使う。


 田朔は城外で粟や豆を買う際、ほかの商人よりわずかに高い値を出した。


 玉蓮が尋ねた。


「逃げる人からはあれだけ値切るのに、農家からは高く買うの?」


「長安へ持ってくれば、もっと高く売れる」


「それなら村でも安く買えば、さらに儲かるでしょう」


「今は銭をその場で払える商人が減っている。俺が少し高く買い、約束した日に銭を払えば、次も俺へ売る」


「仕入れ先は潰さないのね」


「潰したら何を売るんだ」


 田朔は相手によって取り方を変えた。


 これからも品を売ってほしい農家には少し多く払う。食糧を借りるしかない者からは高い利息を取る。長安から逃げたい商人からは、店も倉も安く買う。


 全員から同じように搾り取る必要はない。


 一番多く儲かる方法を相手ごとに選べばよかった。


 ◇ ◇ ◇


 2月24日、韓敬から軍の食糧買い付けについて話が来た。


「粟を出せるか」


「量によります」


 韓敬が必要な数を示した。


 かなり多い。


「値はいくらですか」


 韓敬が軍の提示額を教えた。


 市場より安い。


「その値で全部は無理です」


「また値切るのか」


「今回は値ではありません。前金をください」


 韓敬が田朔を見る。


「前金?」


「軍が必要としている粟を、全部俺の銭で先に集める必要はないでしょう」


「軍の銭で、軍へ納める粟を買う気か」


「はい」


「平然と言うな」


「きちんと納めれば同じです」


「いくら欲しい」


「代金の3分の1」


「多い」


「それなら受ける量を減らします」


 韓敬は顔をしかめた。


「お前は役所相手でも本当に変わらんな」


「粟を急いで必要としているのは俺ではありません」


「分かった。上へ話してみる」


「もう1つあります」


「まだあるのか」


「俺の荷車が食糧を運んでいると分かる札もお願いします。城門で半日止められたら、その分だけ人夫と馬の銭がかかります」


「塩の時にも似たことをしたな」


「役に立ちましたから」


「お前は一度使えた手を何度でも使うな」


「使える物を捨てる理由がありません」


 韓敬は呆れながらも、田朔の条件を上へ伝えた。


 2日後、軍から前金5,000銭が出た。


 田朔はその銭を金庫へしまわなかった。


 その日のうちに荷車を城外へ出し、粟と豆を買わせた。


 軍から受け取った銭で軍へ納める食糧を仕入れる。その分だけ自分の現金を、食糧の貸付、証文の買い取り、逃げる商人の店や倉を買うために残すことができる。


 戦が続けば軍は食う。


 軍が食えば食糧を買う。


 田朔が役所の注文を受ければ前金が入り、その銭で農家から食糧を集める。農家には現金が入るため、次も田朔へ売る。


 兵が増えるほど、田朔の荷車も忙しくなった。


 ◇ ◇ ◇


 2月27日。


 前編で粟20袋を借りた酒屋の主人が再び来た。


 まだ返済日ではない。


「もう返すんですか」


 田朔が尋ねた。


「違う。追加で借りたい」


「今の分を返してからです」


「店は担保に入っているだろう」


「だから、これ以上は貸しません」


「食糧が足りない。このままでは店で飯を出せなくなる」


「それはあなたの店の都合です」


「あと10袋だけでいい」


「担保が足りません」


 男は顔をゆがめた。


「だったらどうすればいい」


「店を売りますか」


 男の表情が変わった。


「何?」


「今なら買います」


「粟を借りた相手から、今度は店まで買うのか」


「嫌なら返済日まで店を持っていればいいでしょう」


「まだ期限前だぞ」


「ですから、まだ取りません」


 田朔は帳面を閉じた。


「ただし、追加で10袋欲しいなら別です。店を今売るなら、借りた粟の返済はなくし、そのうえで銭を払います」


 男はその場では決めなかった。


 翌日、妻と家族を連れて再び来た。


「売る」


 田朔は高い値を付けなかった。


 男も、それは分かっていた。


 今からほかの買い手を探している間にも、家族は飯を食う。店に客が来ても、出す食糧がない。


 条件がまとまり、郭安が証文を作った。


 男が内容を確かめ、印を押した。


 また1軒、田朔の店が増えた。


 ◇ ◇ ◇


 2月末。


 玉蓮と馬福成が、今月の帳面をまとめた。


 田朔の手には本店、布屋跡の店、穀物商から買った店、酒屋だった店がある。倉は城内外を合わせて7棟となり、荷車と馬も増えた。住み込みの人夫と護衛は20人を超え、買い取った借金の証文と、新たに食糧を貸した証文もかなりの数になっている。


 玉蓮は帳面を見ながら言った。


「1月に家を買い始めた頃より、ずっとひどくなったわね」


「何がだ」


「今は家だけではないでしょう。食糧を貸して返せない相手から店を取り、逃げる金貸しから借金を買って倉を取り、長安を出たい商人からは店も倉も荷車も商売ごと買っている」


「安いからな」


「本当に全部、戦のおかげね」


 田朔は首を振った。


「戦があるだけでは銭にならない」


「では、何が銭になるの?」


「怖くなって店を売る奴がいる。腹が減って食糧を借りる奴がいる。道が危なくて品を運べない奴がいる。兵を食わせるため、役所は銭を出す」


 田朔は机の上に積まれた証文へ手を置いた。


「その全部に俺が入っているから儲かる」


 玉蓮は帳面へ目を落とした。


「去年まで荷車を押していた人の言うこととは思えないわ」


「去年まで荷車を押していたから、荷を動かす人間が何を嫌がるか分かる」


「それでも、もう十分増えたでしょう」


「まだ梁家より小さい」


「また梁旦那?」


「ああ」


 田朔は店の外へ目を向けた。


 長安では食糧を求める者が増え、家を売る者も、店を閉じる者も増えていた。


 逃げる者からは財産を安く買い、残る者には高い利で食糧を貸す。軍には食糧を売り、その前金で次の食糧を集める。担保を持たない者は飯を与えて人夫にし、腕の立つ者には倉と荷車を守らせる。


 人々が戦乱に追われるほど、田朔の店、倉、荷車、証文、人手は増えていった。


 385年2月が終わった。


────────────────────────────

『長安の悪党、乱世を喰らう』


第二章「長安崩壊、悪党は儲ける」


第5話(前編)「道にも値段がある」

────────────────────────────


 385年3月上旬。


 前話の収入:約68,000銭

 前話の支出:約47,000銭

 現在動かせる金:約50,000銭


 3月1日の日の出前、田朔(ティエン・シュオ)は家の裏庭で兵役上がりの男と組み合っていた。


 男の名は段烈(ドゥアン・リエ)という。


 田朔が朝の稽古を始めてから、すでに5か月近くになる。段烈にはまだ及ばないが、組み付かれた途端に何もできず転がされることは減った。


 この朝も段烈が右腕を取りに来ると、田朔は身体を横へずらし、相手の肩へ自分の肩を当てた。そのまま足を絡めて崩そうとする。


 段烈の身体が傾いた。


 田朔がさらに押し込んだところで、逆に腕を取られた。次の瞬間には地面へ倒されていた。


「途中まではよかった」


「最後に俺が倒れているなら意味がない」


「5か月で欲張るな」


「欲張らないなら、こんな寒い朝から起きていない」


 田朔は身体についた土を払いながら立ち上がった。


「段さん。話がある」


「何だ」


「今の仕事を減らして、俺のところへ来ないか」


「何をさせる」


「護衛をまとめてほしい」


 段烈は田朔の顔を見た。


「倉の番なら、もう元兵を雇っているだろう」


「倉だけではない。荷車を城外へ出す回数を増やす。これからは今までより遠くへも行く」


「街道は危なくなっているぞ」


「だから段さんに頼む」


「今、何人いる」


「兵役を経験した男が4人。人夫の中にも喧嘩のできる男がいる。必要ならもっと雇う」


「俺を頭にするのか」


「ああ。毎月の給金を払う。遠くまで荷を守る時は別に手当も出す。朝の稽古も今まで通り頼む」


 段烈が笑った。


「護衛をまとめさせたうえで、お前まで鍛えろと言うのか」


「両方できるだろう」


「給金はいくらだ」


 田朔が額を示した。


 段烈は首を振った。


「もう少し出せ」


「高い」


「命を張る仕事もあるんだろう」


「危険な場所まで行った時は手当を増やす」


「毎月の給金も少し上げろ」


 2人はその場で条件を詰めた。


 最後には田朔が少し上げ、段烈も承知した。


「では今日から頼む」


「随分急だな」


「もっと道が危なくなってから護衛を集めても遅い」


「そこまで考えていたのか」


「銭を積んだ荷車を奪われてから考えるよりましだ」


 ◇ ◇ ◇


 その日の午前、田朔は段烈、馬福成(マー・フーチョン)田順(ティエン・シュン)を連れ、1月に買った城外の倉へ向かった。


 倉の前には荷車が8台止まっていた。


 田朔の荷車ではない。東から来た商人たちのものだった。


 長安へ入ろうとしたものの、軍の往来が増え、城門の検めにも時間がかかる。軍の車が来るたびに商人の荷車は道を譲らされ、城内へ入れば宿代や馬の飼葉も高くつく。


 荷車には豆、乾物、油、麻布などが積まれていた。


 田朔は荷を持ってきた商人たちから事情を聞いた。


「昨日からここにいるんですか」


「そうだ」


 40歳ほどの商人が疲れた顔で答えた。


「昨日、城門まで行ったが、前に20台以上並んでいた。軍の荷車が来るたびに脇へどけられて、いつ入れるか分からん」


「今日も城内へ入るつもりですか」


「入れるなら入りたい。長安で売るために来たんだからな」


「でしたら、俺がここで買います」


 商人の目が変わった。


「全部か」


「品を見てからです」


 田朔は馬福成に中身を確かめさせた。


 豆は傷んでいない。油壺にも問題はなく、乾物も湿っていない。


 田朔は長安で売れる値から、運賃、損耗、役人への口利きに使う銭、自分の利益を引いて買値を示した。


「この値なら、まとめて買います」


 商人の顔が険しくなった。


「安すぎる。長安なら、この倍近くで売れるぞ」


「城内へ入り、ご自分で買い手を探せば、その値で売れるかもしれません」


「だからここまで来たんだ」


「でしたら、そのまま長安へお入りください。無理に俺へ売る必要はありません」


 田朔は引き止めなかった。


「俺へ売れば、ここで荷を渡した時点で銭を受け取り、今日中に空荷で帰れます。ご自分で売るなら、門前で順番を待ち、宿と飼葉へ銭を払い、売り終わるまで荷を守る必要があります」


「せめて長安の相場の6割は出せ」


「今申し上げた値までです」


「お前は城門にも顔が利くと聞いたぞ」


「はい」


「だったら俺たちより簡単に入れられるじゃないか」


「そのために俺は、これまで役人へ何度も銭を払ってきました。城内へ運ぶ手間も費用も、買った後は俺が負います。それを考えた買値です」


 商人は黙った。


「今売れば、あとは俺の仕事です。売らないなら、ご自分で長安へ運んでください。どちらでも構いません」


 商人は荷車を見た。


 馬は疲れている。人夫にも飯を食わせなければならない。帰り道がさらに悪くなる可能性もある。


「……あと500銭乗せろ」


「200なら足します」


「300」


「200です」


「本当に動かんな」


「俺は今日、この荷を買えなくても困りません」


 結局、商人は売った。


 その様子を見ていた別の商人も声をかけてきた。


「俺の荷も見るか」


「見ます」


 午前中だけで、田朔は荷車5台分の商品を買った。


 いずれも長安の相場より大幅に安い。


 その場で銭を払ったため、売った商人たちは空荷の車で東へ戻ることができた。


 田順が息子へ尋ねた。


「これを全部、城内へ入れるのか」


「ああ。ただし、今日全部は入れない」


「門で止められるからか」


「ここで俺の荷車へ積み替え、品ごとの荷札も付ける。韓さんと陳さんにも先に話を通して、何回かに分けて入れる」


 田朔は倉を見た。


「これからは、長安まで入りたくない商人の商品をここで買う。自分で売りたい奴には、荷を置かせて保管料を取る」


「倉まで商売にするのか」


「空いている場所をただで貸す理由がないだろう」


「保管料を払う銭もない奴は?」


「荷に十分な値打ちがあれば、その荷を担保に銭を貸す。返せなければ、約束通り商品で返してもらう」


 田順は息子を見た。


「お前、倉1つで何回儲ける気だ」


「使い道が3つあるなら、3つとも銭にした方がいい」


 ◇ ◇ ◇


 翌日から城外の倉には料金を決めた。


 荷を一晩置けば保管料を取る。夜の番人を増やしてほしければ別料金を取る。長安まで運んでほしい者には運賃を取り、道中の護衛まで求める者にはさらに銭を払わせる。


 自分で運ぶ者には何も強要しなかった。


 それでも客は来た。


 品を奪われればすべてを失う。田朔へ銭を払ってでも、長安まで安全に運びたい商人は増えていた。


 3月4日、麻布を積んだ商人が田朔へ尋ねた。


「ここから長安まで運んでくれるのか」


「運びます」


「いくらだ」


 田朔が値を示すと、男は声を上げた。


「高い! 前ならこの3分の1で運べたぞ」


「前のように安全なら、その値で運ぶ人を探してください。今は護衛も付けます」


「そこを何とかしろ」


「護衛なしなら安くできます」


「盗賊が出たらどうする」


「護衛なしを選ぶなら、ご自分で荷を守っていただくことになります」


 男は顔をしかめた。


「……護衛を付けろ」


「ありがとうございます」


 田朔は段烈へ声をかけた。


 その日の護衛料は、段烈たちへ払う手当を引いても十分に残った。


 しかも護衛するのは客の荷だけではない。同じ隊列の中央には、田朔自身が城外で安く買った豆、油、乾物も積んでいる。


 客から護衛料を取り、その銭で雇った男たちに自分の商品まで守らせる。


 話を聞いた許玉蓮(シュイ・ユーリエン)が呆れた。


「客の荷を守る銭で、自分の荷まで守っているじゃない」


「客の荷もきちんと守っている」


「でも一番多く積んでいるのは、あなたの商品でしょう」


「だから同じ隊列へ入れる意味がある」


「本当に、使える物は何でも使うのね」


「使えるのに別々に銭を払う方がおかしい」


 ◇ ◇ ◇


 3月6日の午後、田朔は陳貴(チェン・グイ)のところへ行った。


 陳貴は、田朔の荷車が増えたことをすでに知っていた。


「お前、最近は城外で商人の商品まで買っているそうだな」


「売りたい方から買っています」


「門へ入る前にか」


「はい。向こうはすぐ帰れる。俺は安く買える。双方に都合があります」


「一番得をするのはお前だろう」


「陳さんにも得をしていただきます」


 田朔は銭袋を卓へ置いた。


 陳貴はすぐに手を伸ばした。


「話が早いな」


「お願いがあります。俺の荷車は、荷札や届けに問題がなければ、門前で半日も待たずに検めを受けられるようにしてください」


「横入りさせろというのか」


「軍へ納める荷なら、これまで通り軍用として先に見てください。それ以外は普通の商品として扱って構いません。ただ、書類を前もって出しておき、門へ着いたら早く検めてもらえるようにしたいんです」


「軍の荷に見せかける気はないんだな」


「ありません。後で調べられて困るのは俺です」


「人の弱みには平気で付け込むくせに、役所相手では慎重だな」


「儲ける前に首を取られたら損ですから」


 陳貴は笑い、銭袋を懐へ入れた。


「分かった。書類が揃っている荷なら、前もって見るよう話しておく」


「お願いします」


 田朔が帰ろうとすると、陳貴が呼び止めた。


「今夜、うちへ寄るか」


 田朔は振り向いた。


「何か御用ですか」


「俺にはない。春華がお前の話をしていた」


「何と?」


「最近、顔を見せないと言っていたぞ」


 陳貴は笑った。


「お前、妻に随分気に入られたな」


「陳さんの奥様ですから、大事にしています」


「俺は今夜、紅玉のところへ行く。春華が退屈しているなら、話し相手にでもなってやれ」


「よろしいんですか」


「何がだ」


 陳貴は田朔の顔を見た。


「お前が俺の妻に妙な真似をするわけでもあるまい」


「そうですね」


 田朔は顔色を変えずに答えた。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、田朔は陳家を訪ねた。


 周春華(ジョウ・チュンホワ)は田朔を見ると、玄関先で腕を組んだ。


「随分久しぶりね」


「仕事が増えました」


「韓家へ行く暇はあるのに?」


 田朔は春華を見た。


「誰から聞いたんです」


「主人の話を聞いていれば分かるわよ。最近、韓家へよく出入りしているのでしょう」


「仕事でも行きますから」


「仕事だけ?」


「今夜は春華さんに会いに来ました」


「主人から言われたからでしょう」


「陳さんが言わなくても、そろそろ来るつもりでした」


「本当?」


「少なくとも、今夜ここへ来たのは俺が来たかったからです」


 春華は田朔をしばらく見てから、家へ入れた。


 部屋へ入ると、春華は田朔の衣についた土を見た。


「毎日、城外へ出ているの?」


「荷が増えましたから」


「危ないでしょう」


「危ないから、護衛料も運賃も高く取れます」


「また銭の話」


「安全なら皆、自分で運びます」


 春華は田朔の向かいへ座った。


「あなた自身は怖くないの?」


「怖いですよ」


「そうは見えないわ」


「怖いから護衛を雇っています。危ない道を1人で歩いて、自分は度胸があると威張るほど馬鹿ではありません」


「それでも長安に残るのね」


「今はまだ儲かりますから」


「本当に危なくなったら?」


「その時になって初めて道を調べるつもりはありません。南への道は今から見ています」


 春華の表情が変わった。


「そんなに悪くなると思っているの?」


「分かりません。ただ、悪くなった時の準備は今でもできます」


「主人は何も言わないわ」


「役所で見えるものと、商人のところへ入ってくる荷の動きは違います」


「もし本当に逃げなければならなくなったら、私はどうなるのかしら」


「陳さんと一緒に出られるなら、それが一番です」


「主人が役所を離れられなかったら?」


「先に俺の商隊で南へ出てください」


 春華は田朔を見た。


「主人の妻なのに?」


「陳さんから頼まれて送り出す形なら、何もおかしくありません」


「あなたは、それで終わるつもり?」


 田朔は笑った。


「春華さんは俺をよく知っていますね」


「何を考えているの?」


「今は安全に逃がすことしか考えていません」


「今は、なのね」


「その先のことは、その時になってから考えます」


「本当にずるい男」


「俺が春華さんを欲しいことは、もう知っているでしょう」


 春華は田朔の肩を叩いた。


「もっとましな言い方はできないの?」


「嘘よりいいでしょう」


「本当にひどい男」


「嫌いになりましたか」


「なれたら、とっくに家へ入れていないわよ」


 田朔は春華の手を取り、そのまま抱き寄せた。


 その夜も陳貴は戻らなかった。


 385年3月上旬が終わった。


────────────────────────────

『長安の悪党、乱世を喰らう』


第二章「長安崩壊、悪党は儲ける」


第5話(中編)「逃げるなら払え」

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 385年3月中旬。


 3月11日の日の出前、城外の倉には荷車が集まっていた。


 田朔の荷車が12台、別の商人から預かった荷車が9台ある。護衛は段烈を頭に28人を揃えた。


 長安から南へ向かう隊列である。


 田朔は商人5人から運賃と護衛料を受け取っていた。戦がさらに近づく前に、家財や商品だけでも南へ移しておきたい者が増えていた。


 大きな箱4つを運ばせる男が、田朔の示した料金を見て顔をしかめた。


「箱4つで800銭も取るのか」


「荷車、人夫、護衛を合わせた値です」


「箱は俺の物だぞ」


「もちろんです。箱の値段ではありません。南まで運び、道中を守る仕事に800銭いただきます」


「以前なら200銭もかからなかった」


「以前なら、これだけの護衛も必要ありません」


「700にしろ」


「800です」


「750」


「800です」


「少しくらい客に譲れ」


「安く運んでくれる人が見つかるなら、そちらへ頼んでいただいて構いません」


 男は周囲を見た。


 長安から南へ向かうまとまった商隊は少なく、これだけの護衛を付けている隊列はほかになかった。


「……分かった。800払う」


「ありがとうございます」


 田朔は箱を隊列の中央へ積ませた。


 その隣には、自分の銀、絹、質流れの装飾品など、軽くて値の張る物を入れた箱も載せている。


 商人たちから受け取った運賃と護衛料だけで、今回の護衛28人へ払う手当や道中の食糧代の大半を賄えた。


 段烈が隊列を見ながら言った。


「客の銭で、お前の荷まで守るのか」


「客の荷を守るために護衛を雇った。同じ隊列に俺の商品も積む。それだけだ」


「お前の商品が一番多いだろう」


「だから得なんだ」


「客が聞いたら嫌な顔をするぞ」


「約束した荷はきちんと守る。客に損はさせない」


「それで自分はもっと得をするわけか」


「ああ」


 段烈は呆れながらも笑った。


 ◇ ◇ ◇


 隊列は南へ向かった。


 田朔自身も同行した。


 目的は荷を運ぶことだけではない。


 南から長安へ向かう商人がどこで減っているのか、どの宿場なら泊まれるのか、馬へ水を飲ませる場所は残っているのか、どこで兵に止められるのか、帰りに食糧を買える村があるのか。


 今後も使う可能性がある道なら、自分の目で確かめておく必要があった。


 出発から2日目の午後、道端で荷車が止まっていた。


 車軸が折れている。


 商人と人夫4人が荷を下ろし、壊れた車の前で困っていた。荷は乾物と豆で、長安へ運ぶ途中だという。


 田朔は隊列を止めた。


「車軸が折れたんですか」


「見れば分かるだろう」


 商人は苛立っていた。


「長安へ行くんですね」


「ああ。この荷を売りに行く」


「うちの人夫なら直せます。材料もあります」


 男の顔が明るくなった。


「いくらだ」


「300銭です」


「高い!」


「自分で直せるなら、その方が安く済みます」


「そんなことができたら困っていない」


「でしたら300銭です」


 男は顔をしかめた。


「もう少し下げろ」


「それとは別に、この商品そのものを俺へ売る方法もあります」


「買うのか」


「値が合えば」


 田朔が買値を示すと、男はさらに怒った。


「安すぎる。長安へ着けば、その倍近くになるぞ」


「無事に長安へ着き、売り切れればそうなります」


「足元を見やがって」


「今ここで買う値ですから」


「お前の護衛を付けて長安へ行けばいい」


「俺たちは今から南へ向かいます。長安とは反対です」


「では、帰りに一緒に行け」


「帰りは数日後です。待てるなら、その時に合流できます。荷をこの近くへ置いておくなら、保管場所と番人も手配できますが、それには別に銭がかかります」


「修理代に保管料、帰りには護衛料まで取るのか」


「全部必要なら、全部に人と銭がかかります。嫌なら修理だけでも構いません」


 男は考え込んだ。


 数日待てば宿代や馬の飼葉まで必要になる。修理して自分たちだけで長安へ向かえば、途中で襲われる危険がある。


「……商品を買うなら、もう少し出せ」


「この値なら今すぐ払います」


「あと300」


「100なら足します」


「200」


「100です」


 商人は長安の方角を見た後、とうとう承知した。


「分かった。商品は売る」


 田朔はその場で品を調べ、銭を払った。


 商品は田朔の空いている荷車へ積み替えた。


 商人は空になった自分の荷車で帰るため、壊れた車軸の修理も頼んだ。


「修理は300銭です」


「商品を買ったんだから、少しくらいまけろ」


「商品の代金と、荷車を直す仕事は別です」


「最後まで取る気か」


「直さなくていいなら取りません」


「……分かった。直せ」


 田朔は人夫へ指示を出した。


 困っている相手だからこそ、商品を安く買える。


 壊れた荷車を直せる人間と材料を持っているからこそ、修理代も取れる。


 田朔はどちらも見逃さなかった。


 ◇ ◇ ◇


 さらに南へ進むと、6人ほどの男が離れた場所から商隊を見ているのに気づいた。


 農民には見えない。棒や刀を持っていた。


 段烈が護衛を前後へ分け、荷車同士の間隔を詰めさせた。


「人夫は荷から離れるな。田朔、お前は中央だ」


「俺も前へ出る」


「28人も雇っているのに、何のためにお前が前へ出る」


「俺の荷だぞ」


「だから中央にいろ。お前が怪我をして動けなくなったら、商人への支払いも行き先の判断も止まる」


 それなら田朔にも分かった。


「分かった。任せる」


 男たちはしばらくこちらを見ていたが、護衛の数を見て近づいてこなかった。


 段烈が言った。


「6人で28人へ向かってくるほど馬鹿ではないらしい」


「こっちが人夫だけなら来たかもしれない」


「そのために俺たちを雇ったんだろう」


「高い給金を払った甲斐がある」


「その給金の大半は客から取った護衛料だろう」


「だからもっといい」


 段烈は呆れた。


 1年前なら、杜三を含む3人に囲まれただけで殴られ、銭を取られていた。


 今は28人の護衛を連れ、その費用の大半を商隊へ加わった客が負担している。


 田朔は、危ない道そのものから銭を取れるようになっていた。


 ◇ ◇ ◇


 3月15日、田朔は南から来る商人が集まる宿場で、長安へ食糧を運ぶ者を探した。


 だが、長安まで行きたがる者は少なかった。


「長安へ持っていけば高く売れますよ」


 田朔が言うと、豆を扱う商人が首を振った。


「高く売れても、帰ってこられなければ意味がない」


「俺の商隊へ加わりませんか。帰りは長安まで行きます」


「護衛料を取るんだろう」


「取ります」


「いくらだ」


 田朔が値を示した。


「高い」


「長安で売れる値も高いでしょう」


「この護衛料を払えば、せっかく高く売っても利益が減る」


「でしたら、俺がここで豆を買います」


 田朔は長安の相場よりかなり低い買値を示した。


 男が田朔を睨んだ。


「自分で長安へ持っていけば護衛料を取り、ここで売れば安く買うのか」


「はい」


「どちらを選んでも、お前が儲かるわけだ」


「だから商売にしています」


「嫌な奴だな」


「無理に売れとは言いません。ほかの商隊を待つ方法もあります」


 男はしばらく考えた末、荷車3台分の豆を田朔へ売った。


 別の商人は護衛料を払い、自分で長安まで行くことを選んだ。


 田朔にとっては、どちらでもよかった。


 安く買えれば、自分の店で高く売れる。買えなくても、護衛料が入る。


 商人が自分の荷車で隊列へ加われば、帰りの商隊そのものも大きくなる。


 ◇ ◇ ◇


 長安へ戻る時には、出発時より荷車が7台増えていた。


 護衛料を払って加わった商人の車もあれば、田朔が買った食糧を積んだ車もある。


 段烈が列の長さを見た。


「この調子で増えたら、そのうち軍隊みたいになるぞ」


「軍隊はいらない」


「なぜだ」


「軍隊は食わせるだけで銭が減る。商隊は動くたびに銭を持ってくる」


「お前らしいな」


 ◇ ◇ ◇


 3月18日の夜、長安へ戻った田朔は韓家を訪ねた。


 数日顔を見せていなかった。


 王淑蘭(ワン・シューラン)は田朔を見ると、まず顔と手を確かめた。


「怪我はない?」


「ありません」


「本当に?」


「顔にも手にもないでしょう」


「衣の下は分からないわよ」


「では確かめますか」


 淑蘭が田朔の腕を叩いた。


「そういうことを平気で言うようになったのね」


「もう何度も来ていますから」


「遠慮がなくなっただけでしょう」


「それもあります」


 淑蘭は呆れながらも家へ入れた。


 夕食には豆を煮た物、羊肉、漬物が出た。


 田朔は残さず食べた。


「南まで行ってきたの?」


 淑蘭が尋ねた。


「まだ漢中までは行っていません。道と宿場を見ながら、数日南へ下りました」


「主人から聞いたわ。今度は護衛を連れて、商人から随分高い運賃を取っているそうね」


「運賃だけではありません。護衛の銭も一緒に取っています」


「昔より何倍もするのでしょう」


「昔より危険ですから」


「困っている人から高く取るのね」


「困っていない人は、俺に護衛を頼みません」


 淑蘭は笑った。


「本当に悪い商人になったわね」


「前からです」


「自分で言うの?」


「それでも淑蘭さんは家へ入れてくれます」


 淑蘭は少し黙った。


「南の道を調べているということは、長安を出ることも考えているのね」


「今すぐではありません」


「では、なぜ今から?」


「本当に出なければならなくなった日に、初めて道を探したくないからです」


 淑蘭の表情から笑みが消えた。


「長安は、そこまで危なくなると思う?」


「分かりません。ただ、食糧の値は下がっていません。城外から入る荷車も減っています」


「主人も、荷が以前より入らないと言っていたわ」


「戦で勝ったという話があっても、長安へ入る食糧が増えなければ、俺には安心する理由になりません」


 淑蘭は卓上の皿へ目を落とした。


「もし本当に逃げなければならなくなっても、主人は簡単に役所を放り出せないでしょうね」


「そうでしょう」


「私はどうしたらいいのかしら」


「韓さんと一緒に出られるなら、それが一番です」


「主人が残ると言ったら?」


「淑蘭さんだけでも、俺の商隊で先に南へ出します」


 淑蘭は田朔を見た。


「主人の妻を?」


「韓さんから頼まれてお送りするなら、何もおかしくありません」


「主人には世話になっているでしょう」


「世話になっています」


「それでも私を連れていくのね」


「危ないところへ置いていきたくありません」


「なぜ?」


「欲しい女だからです」


 淑蘭は田朔を見つめた。


「あなたには玉蓮さんがいるでしょう。陳さんの奥方とも親しいと聞いたわ」


「春華さんのことですか」


「やっぱり本当なのね」


「どこで聞きました」


「女の噂を甘く見ない方がいいわよ。それで、私が嫉妬したら困る?」


「嫉妬されたからといって、嫌いにはなりません」


「では春華さんのところへ行くのをやめる?」


「それは嫌です」


 淑蘭は呆れて笑った。


「本当に勝手ね」


「淑蘭さんが俺との関係をやめたいと言うなら、それは受け入れます」


「ほかの女との関係をやめろと言っても?」


「それは受け入れません」


「本当に好色ね」


「知っています」


 淑蘭は田朔の隣へ座った。


「私は何番目になるのかしら」


「順番を決める必要がありますか」


「女には気になるものよ」


「俺は、1人増えたから前の女を粗末にするつもりはありません」


「いい女なら全部欲しい?」


「ああ」


「最低ね」


「帰った方がいいですか」


「帰したいなら、最初から食事なんて出していないわよ」


 淑蘭は田朔の衣をつかんだ。


 その夜、田朔が韓家を出たのは夜明け前だった。


 385年3月中旬が終わった。


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『長安の悪党、乱世を喰らう』


第二章「長安崩壊、悪党は儲ける」


第5話(後編)「逃げる前に店を出す」

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 385年3月下旬。


 3月21日、田朔の店へ、これまで何度か取引した商人が訪ねてきた。


 男は家族の一部をすでに南へ送り、残る家族と使用人を連れて自分も長安を離れるつもりだった。


「荷車12台を南へ出したい」


「何を積みますか」


「家財と商品だ」


「同行する人は?」


「俺を入れて18人だ」


「いつ出たいんです」


「5日以内だ」


 田朔は荷の量、人数、必要な人夫と護衛を計算し、値を示した。


 男は目を見開いた。


「6,000銭?」


「はい」


「高すぎる!」


「荷車12台と18人を、まとまった護衛を付けて南へ出します。道中の人夫と宿場の手配もこちらでします」


「荷車は俺の物だぞ」


「荷車を貸す銭は入れていません。護衛、人夫、隊列をまとめて南まで運ぶための値です」


「半分にしろ」


「できません」


「5,000」


「6,000です」


「知り合いだろう」


「だから5日以内に引き受けています。今は同じように南へ出たい人が多い」


 男は苛立った。


「去年まで荷車を押していた若造が、俺から6,000銭も取るのか」


「去年なら、俺に頼む必要はなかったでしょう」


「払えなければどうする」


「荷を減らしてください」


「何を置いていけと言うんだ」


「手放してもよい商品があるなら、俺が買います。そこで受け取った銭を護衛料へ回すこともできます」


 男が田朔を睨んだ。


「結局、商品まで安く買う気か」


「高いと思うなら売らなくて構いません。全部運ぶなら6,000銭です」


「お前には都合がいいことばかりだな」


「選ぶのはあなたです」


 男は結局、商品を何点か田朔へ売った。


 田朔は現在の長安で買い手を探す手間と、男が5日以内に出たい事情を織り込んだ安い値を付けた。


 荷車は12台から9台に減った。


 輸送する荷が減ったため料金も少し下がったが、田朔は商品を安く買う利益と、南へ運ぶ利益の両方を取った。


 ◇ ◇ ◇


 こうした話は1件ではなかった。


 家族だけ先に逃がしたい者、銀や絹を別の町へ移したい者、店の商品を南へ運びたい者が田朔のところへ来た。


 田朔は荷物の量、同行する人数、行き先、出発日によって値を変えた。


 急ぐ者からは高く取る。数日待てる者は、ほかの客と同じ隊列へまとめて少し安くする。荷物を減らしたい者からは、双方が値に納得すれば商品を買う。銭が足りない者には、長安に残す家や店を担保として貸した。


 食糧を積んで長安へ戻る商人については、帰りの隊列を大きくできるため護衛料を少し下げた。


 1人の客から1度だけ利益を取る必要はなかった。


 荷を預かれば倉代が入る。運べば運賃が入り、危ない道なら護衛料が入る。銭が足りない客には貸し、返せなければ契約に従って担保を受け取る。商品を減らしたい客がいれば、それを相場より安く買う。


 戦から逃げたい者が田朔の店へ来れば、その者が抱えている問題のどこかを商売に変えることができた。


 ◇ ◇ ◇


 3月23日、田朔は梁家を訪れた。


 以前のように荷運び人としてではない。


 穀物を買うための商談だった。


 客間へ通されると、梁景成(リャン・ジンチョン)が帳面を見ていた。


「随分大きくなったそうだな」


「まだ梁旦那ほどではありません」


「店が4軒、倉が7棟。荷車も増え、護衛を連れて商隊まで動かしていると聞いた」


「よくご存じですね」


「長安でそれだけ動けば、嫌でも耳に入る」


 梁景成は帳面を閉じた。


「今日は何をしに来た」


「粟を売っていただきたいと思いまして」


「お前も随分持っているだろう」


「足りません」


「どれだけ集める気だ」


「売れる間は、売れるだけ集めます」


「今の長安では、食糧を持っている者が強いか」


「家だけ持っているよりは安心です」


 梁景成が田朔を見る。


「お前、最近は家や店を前ほど買っていないそうだな」


「安ければ買います。ただ、1月ほどではありません」


「なぜだ」


「家は逃げる時に荷車へ積めませんから」


 梁景成の目が細くなった。


「逃げるのか」


「まだです」


「なら、なぜ南へ商隊を出している」


「今は運賃と護衛料が取れるからです。それに、本当に逃げる日が来た時、初めて道を通るよりは今から知っておいた方がいい」


「秦がこのまま負けると思っているのか」


「分かりません」


「またそれか」


「秦が戦に勝っても、長安へ入る食糧が増えなければ、俺の商売には関係ありません」


「戦が収まれば道も戻る」


「戻れば長安で今まで通り儲けます」


「戻らなかったら?」


「南にも店を出し、そちらで商売を続けます」


 梁景成は少し驚いた。


「長安でこれだけ店を増やして、今度は南にも出すのか」


「全部を長安へ置いておくのが怖くなりました」


「ようやく怖くなったか」


「怖いから、その逃げ道でも儲けています」


 梁景成は声を上げて笑った。


「普通は逃げ道を確保したら安心するものだ」


「同じ道を使いたい人が多いなら、運賃を取った方が得でしょう」


「やはり嫌な商人になったな」


「梁旦那に教わりました」


「俺はそこまで教えていない」


「頭を使えとは言われました」


「都合のよいところだけ覚えているな」


 梁景成は笑いながら、ようやく本題へ戻った。


「粟は200袋までなら売る」


「値は?」


 梁景成が示した額は高かった。


「高いですね」


「長安の今の値を見れば分かるだろう」


「200袋まとめて買います。もう少し下げてください」


「お前の店なら、今日買って明日もっと高く売れる」


「運ぶ銭もかかります」


「お前は自分で荷車を持っている」


「人夫と護衛へは払います」


「そこまで俺が面倒を見る必要はない」


 田朔はさらに値を詰め、最初に示された額から少し下げさせた。


 それでも平時なら高すぎる値だったが、現在の長安なら十分に利益が残る。


「では、その値で200袋すべて買います」


「随分あっさり決めたな」


「欲しい物を買える値まで下がりましたから」


「前なら、もう少し粘っただろう」


「今は粟200袋を早く押さえる方が大事です」


 梁景成は笑った。


「その口なら、もう荷運びには戻れんな」


「戻るつもりもありません」


 商談は成立した。


 田朔が客間を出る時、梁家の庭には何台もの荷車が見えた。


 倉も店も使用人も、田朔の何倍もある。


 それだけに、梁家が本当に長安を離れるとなれば、動かさなければならない物も桁違いだった。


 大きいことは強い。


 だが、動かなければならない時には、その大きさが重荷にもなる。


 田朔は初めて、梁家の大きさを羨むだけではなくなっていた。


 ◇ ◇ ◇


 梁家を出る途中、田朔は何小玉(ホー・シャオユー)と顔を合わせた。


 小玉は田朔を見ると、しばらく顔を眺めた。


「本当に田朔?」


「ほかに見えるか」


「衣も履物も変わったから」


「前より少し銭がある」


「少し?」


 小玉は笑った。


「旦那様が、あなたは随分大きくなったと言っていたわ」


「梁旦那に比べれば、まだ小さい」


「まだ比べているの?」


「ああ」


「本当にしつこいわね」


「よく言われる」


 小玉の後ろから、蘇青蘭(スー・チンラン)馮彩児(フォン・ツァイアル)も歩いてきた。


 田朔は2人へ挨拶した。


 青蘭が田朔を見て笑った。


「昔、荷車の横からこちらを見ていた人とは思えないわね」


「覚えていたんですか」


「私は人の顔を覚えるのが得意なの」


「聞いたことがあります」


「誰に?」


 田朔が小玉を見ると、小玉が困った顔をした。


「私、昔そんなことまで話した?」


「随分前です」


 彩児は田朔より、門の外に止めてある馬を見ていた。


「あの馬はあなたの?」


「店の馬です」


「悪くない馬ね」


「買う時に彩児さんに見てもらえばよかった」


「銭を取るわよ」


「高すぎなければ払います」


「そこは相変わらずなのね」


 3人が笑った。


 田朔も笑った。


 1年前、梁家へ荷を運んでいた頃には、この女たちを遠くから見るだけだった。


 今は梁景成との商談を終えた帰りに、こうして立ち話をしている。


 それでも欲が満たされたわけではなかった。


 梁景成には正妻を含めて8人の女がいる。


 田朔にも玉蓮、春華、淑蘭がいる。


 それでも、きれいな女を見れば欲しいと思う。


 銭が増えて欲が減るどころか、手を伸ばせる範囲が広がった分だけ、欲しい物も増えていた。


「何を見ているの?」


 小玉が尋ねた。


「昔を思い出した」


「何を?」


「梁家へ来始めた頃だ。青蘭さんと彩児さんを初めて見た時は、俺は破れた袖で荷車を押していた」


 青蘭が笑った。


「あの頃から見ていたのね」


「きれいな女を見るなという方が無理でしょう」


「今は女にも困っていないでしょうに」


「それとこれとは別です」


 小玉が呆れた。


「本当に欲張り」


「知っている」


 田朔は3人へ挨拶し、梁家を出た。


 ◇ ◇ ◇


 3月25日、田朔は馬福成を帳場へ呼んだ。


「南へ行ってくれ」


「商隊を率いるんですか」


「今回は向こうへ着いてからも残ってほしい」


「何をします」


「店と倉を探す」


「買うんですか」


「まだ買わない。まず借りろ」


 馬福成が田朔を見る。


「長安を捨てるつもりですか」


「まだだ」


「では、なぜ今から店を?」


「長安だけに全部置いておく必要がない。南でも商売ができるなら、今から始める」


「どこまで行きます」


漢中(ハンジョン)だ」


「かなり遠いですよ」


「だから今のうちに行ってほしい」


 田朔はまとまった銭、商品、紹介状を用意した。


「使える店を借りろ。倉も1棟確保してほしい。家賃が高すぎるなら無理に借りなくていい。長く使うか分からないから、今は買うな」


「何を売ります」


「まず塩、布、質流れの銀器や道具だ。それから、長安から逃れてきた者が銭に換えたがっている品があれば、値を見て買え。こちらで売って利益が出る値なら仕入れていい」


「分かりました。向こうへ着いた後、この荷車はどうします」


「荷を下ろした車には、帰りに粟、豆、乾物を積めるだけ積む。段さんが帰りの隊列をまとめる。馬さんは漢中に残って店を作ってくれ」


「行きも帰りも空にはしないんですね」


「ああ。南へ向かう客の荷を運んで銭を取り、帰りには長安で不足している食糧を積む」


「漢中の店が動けば、長安から商品を送ることもできますね」


「そのつもりだ。商売にならなければ店を畳めばいい。だから最初から建物を買う必要はない」


 横で聞いていた玉蓮が尋ねた。


「では、今は私が長安に残るのね」


「ああ。長安の店と帳簿を任せられるのは玉蓮だ」


「危なくなったら?」


「玉蓮と父さん、母さんは先に南へ出す」


「春華さんと淑蘭さんは?」


「できれば一緒に出したい」


 玉蓮の眉が上がった。


「2人とも旦那様がいるでしょう」


「夫と一緒に出られるなら、それでいい。役所の仕事で夫が残るなら、妻だけでも先に逃がした方がいい」


「それで済む?」


「何がだ」


「あなたのことよ。南へ連れていって、安全な場所へ着いたら、それで満足するの?」


 田朔は笑った。


「玉蓮は俺をよく知っているな」


「嫌になるほどね」


「今は逃がすことが先だ。その後のことは、その時に考える」


「でも欲しいのでしょう」


「ああ」


「春華さんも淑蘭さんも?」


「ああ」


「私も?」


「今さら聞くな」


「この先またいい女が出たら?」


「欲しくなるだろうな」


 玉蓮は呆れた。


「本当に救いようがないわ」


「嫌か」


「嫌なら、とっくに出ていっているわよ」


 ◇ ◇ ◇


 その夜、田朔は玉蓮の部屋で過ごした。


 夜明け前、田朔が衣を着始めると、玉蓮は寝台から恨めしそうに見た。


「今日も稽古へ行くの?」


「ああ」


「昨夜は春華さんでも淑蘭さんでもなく、私のところにいたのよ」


「誰の部屋で寝ても、朝は朝だろう」


「本当に可愛くないわね」


「今日は早く寝ろ」


「私が疲れていることにするの?」


「違うのか」


 玉蓮は枕を投げた。


 田朔は身体をそらして避けた。


「前なら当たっていたぞ」


「朝の稽古の成果を、こんなところで使わないで!」


 田朔は笑いながら部屋を出た。


 ◇ ◇ ◇


 3月30日。


 馬福成を乗せた南行きの商隊が長安を出た。


 荷車は18台ある。7台には南へ向かう客の家財や商品を積み、田朔はすでに運賃と護衛料を受け取っている。5台には田朔の商品を積み、残る6台は途中や漢中で商品を買ったり、帰りに食糧を積んだりできるよう余裕を持たせた。


 護衛の手当や道中の費用の多くは、客から取った銭で賄える。


 その護衛が田朔の商品も守る。


 漢中へ着けば馬福成が店と倉を借り、すぐ商売を始める。


 帰りの隊列は段烈がまとめ、長安で高く売れる食糧を積めるだけ積んで戻る。


 田朔は城門の外で、隊列が南へ小さくなるまで見送った。


 3月には、城外で安く買った商品、護衛と運送、食糧の販売、貸付、債権回収から大きな銭が入った。動かせる現金は9万銭を超え、店、倉、商品、貸付債権、荷車、馬まで合わせれば、その何倍もの財産になっている。


 それでも田朔が最後に見ていたのは、自分の店でも倉でもなかった。


 南へ続く道だった。


 長安を怖がる商人から商品を安く買う。逃げたい者から運賃と護衛料を取り、その銭で自分の商品まで同じ商隊に守らせる。南へ送った荷車は空で戻さず、長安で値の上がった食糧を積ませる。


 長安から逃げる者が増えるほど、田朔の商隊には客が増える。


 長安で食糧が不足するほど、南から運び込む荷の値は上がる。


 戦乱が道を危険にするほど、その道を安全に通れる商隊の値打ちも上がった。


 長安で儲け、長安を怖がる者からも儲け、その者たちが逃げる道からまで儲ける。


 385年3月が終わった。

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