第4話(中編)――「借金まで買う」
385年2月中旬。
2月11日、布屋跡の店には朝から人が並んでいた。
粟や豆を買う客ではない。
借りに来た者たちだった。
馬福成が先に事情を聞き、担保になりそうな物を持つ者だけを店の奥へ通している。
「家があります」
「名義はご本人ですか」
「俺だ」
「証文はお持ちですか」
「持ってきた」
「ほかの借金の担保には入っていませんね」
「入っていない」
「では、お待ちください」
その後ろには店を持つ男、荷車2台を持つ男、小さな倉を持つ油商が並んでいた。
何も持たない者には、人夫を募集している家を教える。飯と給金を渡す代わりに働かせる。
家、店、倉、荷車を持つ者には、それを担保にして粟や豆を貸した。
田朔の倉から食糧が出るたびに、帳場の証文が増えていく。
玉蓮は帳面を付けながら尋ねた。
「こんなに貸して大丈夫なの?」
「食糧を貸すのは、倉にある分の3分の1までだ」
「残りは?」
「売る分と、俺たちが食う分だ」
「全部貸した方が利息は増えるでしょう」
「全員が返せなくなったら、家や店ばかり増えて飯がなくなる」
玉蓮は笑った。
「そこまでは欲張らないのね」
「家は食えないからな」
田朔は次の客を呼んだ。
◇ ◇ ◇
2月12日から、田朔は買い取った7枚の証文の借り手を回り始めた。
最初は油を扱う商人だった。
借金は2,800銭あり、利息を合わせれば3,100銭を超える。担保には市内の倉が入っている。
男は田朔を見るなり、不機嫌そうに尋ねた。
「誰だ」
「田朔です」
「何の用だ」
田朔は証文を差し出した。
「こちらの貸付を譲り受けました」
男の顔色が変わった。
「前の旦那は?」
「長安を出ました」
「勝手に売ったのか」
「この証文には譲渡を禁じる約束がありません。今後はこちらへ返していただきます」
「そんな銭はない」
「いつなら払えますか」
「油が入ってこないんだ。春まで待て」
「待ちません」
男が田朔を睨んだ。
「若造、人が困っている時に取り立てるのか」
「困っていることは知っています」
「なら少しくらい待て」
「皆が困っているから、この証文を安く買えたんです」
男は言葉を失った。
田朔は裏手にある倉を見た。
「払えないなら、担保の倉をいただきます」
「倉は5,000銭以上するぞ」
「分かっています」
「2,800銭の借金で取る気か」
「利息もあります。それでも倉の方が高いですね」
「ならおかしいだろう」
「では、こちらから600銭お渡しします」
「何?」
「借金と利息をすべてなくします。そのうえ600銭払うので、倉を俺へ譲ってください」
男は田朔を見つめた。
「俺に600銭残るのか」
「今日、役所で手続きするなら」
男には家族がいる。
油が入らなければ、倉を持っていても商売は動かない。自分で倉を売るなら、今から買い手を探さなければならない。
田朔なら今日、借金を消したうえで600銭を払う。
男は何度も倉へ目をやった。
「700」
「600です」
「650」
「600」
「本当に動かんな」
「俺は急いでいませんから」
その言葉を、この数か月で何人もの売り手が聞いていた。
「……分かった」
男は承知した。
田朔が7枚の証文へ払った4,800銭のうち、この男への貸付に相当する買値は1000銭ほどだった。そこへ600銭を足しただけで、平時なら5,000銭以上になる倉が手に入った。
しかも残る6枚の証文は、まだ田朔の手元にある。
◇ ◇ ◇
その後の3日間で、借り手2人は銭を返した。
この2件を回収しただけでも、田朔が証文7枚すべてに払った4,800銭のかなりの部分が戻った。
別の1人は返せず、担保にしていた荷車2台を渡した。
さらに別の男は家を失いたくないと、妻の銀簪と絹を持ってきた。
田朔は品を確かめた。盗品ではなく、家の者が使っていた物で間違いない。
それでも相場いっぱいの値は付けなかった。
「これでは足りません」
「あと200銭だけ待ってくれ」
「3日待ちます」
「3日?」
「4日目になれば、家の話をさせていただきます」
男は簪と絹を置いて帰った。
玉蓮が意外そうに尋ねた。
「すぐ家を取らないの?」
「家はもう何軒も売りに出ている」
「だから?」
「今は銀の方がいい。小さくて持っていけるし、どこでも売れる」
田朔は簪を棚へ入れた。
「安いからといって、家ばかり集めても仕方ない」
「欲張りなのに、そこは選ぶのね」
「欲張りだから選ぶんだ。いらない物に銭を入れたら、欲しい物が出た時に買えない」
◇ ◇ ◇
2月15日。
韓敬は役所の机に積まれた書類を見て、顔をしかめた。
「今度は何件だ」
「今日は3件です」
「お前のせいで、俺のところへ来る家や倉の書類が増えている気がするぞ」
「その分はお支払いしています」
「そこだけは早いな」
田朔は小さな銭袋を卓へ置いた。
韓敬は中を確かめて懐へ入れた。
「お前、今度は借金そのものまで買っているそうだな」
「はい」
「誰から聞いたかと聞かないのか」
「韓さんなら役所の書類を見れば分かるでしょう」
「本当に可愛くないな」
韓敬は証文をめくった。
「返せない奴から倉まで取ったのか」
「本人が承知して印を押しています」
「恨まれるぞ」
「借りる時は喜んで銭を受け取り、返す時だけ恨むなら好きにさせます」
「お前には情というものがないのか」
「韓さんへはありますよ」
「どこにある」
「毎回、こうして銭を持ってきています」
韓敬は笑った。
「それは情ではなく賄賂だ」
「韓さんがそう呼ぶなら、それでも構いません」
「本当に嫌な奴だな」
「でも受け取ったでしょう」
「受け取った」
韓敬は悪びれずに答えた。
◇ ◇ ◇
書類の確認を終えた田朔は、そのまま韓家へ向かった。
韓敬はまだ役所に残っている。
王淑蘭は田朔を見ると、もう驚かなかった。
「今日は主人に用?」
「韓さんには先ほど会ってきました」
「では、何をしに来たの?」
「淑蘭さんに会いに来ました」
「最初からそう言うようになったのね」
淑蘭は田朔を家へ入れた。
夕食には豆を煮た物と羊肉が出た。
田朔が食べていると、淑蘭が尋ねた。
「主人から聞いたわ。人の家や倉をずいぶん手に入れているそうね」
「買うか、借金の代わりに受け取っています」
「困っている人からでしょう」
「はい」
「悪びれないのね」
「困っていない人は、店を半値で売りませんから」
「だから困っている人から取るの?」
「俺が困っていた時も、誰も安く物をくれませんでした」
「それで今度は自分がやるのね」
「買える時に買っているだけです」
淑蘭はしばらく田朔を見ていた。
「主人があなたを面白がるのも分かるわ」
「淑蘭さんは?」
「私は困っているの」
「何にですか」
「分かっているでしょう」
淑蘭は田朔から目をそらさなかった。
「主人に世話になりながら、その妻のところへ通う男なんて、本当なら嫌いになってもよさそうなのに」
「嫌いになりましたか」
「なれないから困っているの」
田朔は箸を置いた。
その夜、田朔が韓家を出たのは夜明け前だった。
家へ戻ると衣を替え、いつものように朝の稽古へ向かった。寝不足ではあったが、商売も女も稽古も、自分から減らすつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
人夫の数も増えていた。
2月18日には、1月に買った家で14人が寝泊まりしている。荷運び人夫10人に加え、兵役を経験した男4人を雇い、倉の番や荷車の護衛も任せた。
給金だけを見れば高くない。
しかし毎日2食を出すため、仕事を求める男は途切れなかった。
田順が倉の前で息子へ尋ねた。
「こんなに人を雇って、何を運ばせる気だ」
「食糧だ」
「どこから集める」
「まだ長安へ売ってくれるところ全部だ。父さんの知っている農家にも話をしてくれ」
「値はもう上がっているぞ」
「城内ではもっと上がっている」
「道も危なくなるぞ」
「だから護衛を増やした」
田順は倉の戸口にいる元兵士たちを見た。
「お前、いつの間にこんな店になったんだ」
「まだ小さい」
「これで小さいなら、俺が今まで荷を運んでいた商人は何なんだ」
「もっと大きくする」
「まだ梁旦那を見ているのか」
「ああ」
「しつこいな」
「追いついていないからな」
385年2月中旬が終わった。




