第4話(前編)――「腹が減れば家を出す」
385年2月上旬。
前話の収入:約34,000銭
前話の支出:約24,000銭
現在動かせる金:約29,000銭
2月1日の朝、田朔はいつもの稽古を終えると、1月に2,500銭で買った家と倉へ向かった。
古い家の屋根や塀は傷んでいたが、すべてをきれいに直したわけではない。雨が入るところを塞ぎ、戸を直し、崩れそうな塀だけ補修した。
ここへ田朔が住むつもりはなかった。
父の田順が集めた荷運び人夫6人と、夜間に倉を守る男2人を住ませている。大部屋には寝台を並べ、炊事場には大鍋を置いた。裏の倉には塩、豆、油、乾物など、比較的長く置ける品を集めている。
二番番頭の馬福成が倉へ入り、積み荷を書いた札を田朔へ見せた。
「今日、豆があと30袋入ります。田順さんが城外の農家と話を付けました」
「全部ここへ入れろ。塩は奥へ寄せて、入口を空けておけ」
「分かりました」
人夫たちは家の中で朝飯を食べていた。粟の粥に豆を入れ、漬物も添えている。
「旦那、飯まで出してもらっていいのか」
人夫の1人が尋ねた。
「ただではない。給金に飯代も含めている。飯がいらないなら、その分は銭で渡す」
「いや、今なら飯の方がいい」
「なら食え。昼も出す。その代わり、荷が着いたらすぐ働いてもらう」
「それなら文句はない」
長安では食糧の値が上がり、仕事を失う者も増えている。以前と同じ給金を払わなくても、毎日食事が出るなら働きたい男は集まった。
田朔にとっても都合がよかった。人夫をそのまま倉の近くへ住ませれば、荷が着いた時にすぐ使えるうえ、夜の番まで任せられる。
1月に買った家を空けておく理由はなかった。
田朔は家を人夫宿にし、隣の倉を食糧と商品の保管場所として働かせた。
さらに城外で買った倉も使い始めていた。
城内へ入る荷車が門で止められることが増えたため、農家から買った粟や豆、薪などをまず城外の倉へ集める。門を通りやすい時間を見て、必要な分だけ長安へ運び込む形に変えた。
城内の倉が詰まれば、城外へ置いておける。農家から来た荷車を毎回城内まで入れる必要もなくなった。
1月に安く買った家も倉も、2月には田朔の商売を動かすための場所になっていた。
◇ ◇ ◇
布屋だった店も、すでに戸を開けている。
布を並べたわけではない。質流れになった衣、銀器、鍋、鏡、道具などを売り、その奥で質入れと貸付を受け付ける店に変えた。
本店では塩、油、縄、麻袋などの大口商いを扱い、布屋跡では質屋と金貸しを行う。
一番番頭の許玉蓮は、質草、貸付、売買を分けて帳面を作っていた。
「これで3冊。今までより見やすいでしょう」
「食糧の貸付は別にしてくれ」
玉蓮が顔を上げた。
「食糧も貸すの?」
「ああ。今日から、銭だけを貸すのは減らす」
「何を貸すつもり?」
「粟、豆、塩だ」
「食べてしまう物でしょう。どうやって返させるの?」
「粟を10袋貸したら、30日後に13袋返させる」
「3袋も増やすの?」
「ああ」
「返せなかったら?」
「担保を取る」
「家や店?」
「倉でも荷車でもいい。値打ちがあれば何でもいい」
玉蓮はしばらく田朔を見た。
「銭を貸すよりひどいわね」
「なぜだ」
「今は食糧そのものが上がっているでしょう。10袋借りて、来月13袋返す頃には、今よりもっと高くなっているかもしれない」
「だからいいんだ」
田朔は帳面を引き寄せた。
「1000銭貸して1200銭返させても、その間に物の値が倍になれば大して儲からない。粟を貸したなら粟で返させる。値が上がれば、返ってくる13袋も高くなる」
「返せなければ店を取る」
「ああ」
「随分悪い商売を考えたものね」
「腹いっぱい食える奴が、粟を借りるために店を担保へ入れるか?」
玉蓮は答えなかった。
店の外では、朝から粟や豆を探す者が行き交っている。
「困っているから担保を出す。俺はそこへ貸す」
田朔は帳面を閉じた。
「利息が取れればそれでいい。返せなければ担保を取ればいい」
◇ ◇ ◇
その日の午後、早速1人目が来た。
長安で小さな酒屋を営む男だった。
「1500銭貸してほしい」
田朔が尋ねた。
「何に使いますか」
「粟を買う。店で客に出す飯が足りない」
「でしたら、銭は貸しません」
「何?」
「粟を貸します。20袋までなら出せます」
男は田朔を見た。
「売るのではないのか」
「貸します。30日後に26袋返してください」
「6袋も増えるのか!」
「はい」
「高すぎる」
「でしたら市場で買われた方がよろしいと思います」
「市場でまとまった量を買えないから来ているんだ」
「それは俺の責任ではありません」
男は黙った。
「担保は?」
「店を入れてください」
「粟20袋のために店を?」
「返していただければ何も取りません」
「26袋返せなかったら?」
「店をいただきます」
「粟20袋で店を取る気か」
「嫌でしたら借りない方がよろしいでしょう」
田朔は本気で断るつもりだった。
担保に十分な値打ちがないなら、食糧を減らしてまで貸す理由がない。
男は席を立たなかった。
「少し利を下げろ」
「25袋なら」
「24にしろ」
「25です」
「本当に動かんな」
「俺には粟がありますから」
男は長く迷った末に承知した。
田朔はその場では粟を渡さなかった。郭安に用意させた証文へ、店の場所、返済日、返す粟の量、返せなかった場合の処置まで書き、男に確認させる。
印が押されてから、初めて倉から粟20袋を出した。
荷車へ粟が積まれるのを見ながら、玉蓮が尋ねた。
「返してもらいたいの? 返せない方がいいの?」
「どちらでもいい」
「本当に?」
「25袋返れば5袋増える。返せなければ店が入る」
田朔は証文を帳面の間へしまった。
「俺が損しなければ、それでいい」
◇ ◇ ◇
2月5日までに、さらに4人が食糧を借りに来た。
田朔は全員には貸さなかった。
担保になる物を持たない者には、食糧も銭も貸さない。
「家も土地もありません」
痩せた男が言った。
「道具は?」
「何もない。この手だけだ」
「何の仕事ができますか」
「荷を運べます」
「なら借りるより働け」
田朔は、人夫を住ませている家の場所を教えた。
「朝から来れば飯を出す。荷があれば運び、夜は交代で倉の番もしてもらう」
「給金はいくらだ」
田朔が額を示すと、男は顔をしかめた。
「安いな」
「2食付きだ」
男は少し考えた。
「今の飯の値を考えれば悪くないか」
「嫌ならほかへ行け」
「いつから働ける」
「明日からだ。朝飯に遅れたら、お前の分はないぞ」
「分かった」
男は仕事を得て帰った。
田朔は、担保を持つ者からは利息を取り、何も持たない者からは働く時間を取った。
食糧をただで渡す気はなかった。
◇ ◇ ◇
2月7日の夕方、今度は田朔から金貸しを訪ねた。
50歳を過ぎた男で、数日後には家族を連れて長安を離れるという。
店の奥には、借金の証文を入れた箱が積まれていた。
田朔は箱を見て尋ねた。
「これは全部持っていくんですか」
「持っていってどうする。取れる物だけ取り立てて、残りは諦める」
「それなら俺が買います」
男が田朔を見た。
「借金を?」
「証文をです。ただし、担保が付いた物だけです」
田朔は1枚ずつ確認した。貸付額、返済日、利息、担保、借りた者の名を見て、無担保の証文は外した。家、店、倉、荷車などを担保にしている物だけを残す。
「この7枚を買います」
「貸した元金だけで13,600銭だぞ」
「4,000出します」
男の顔が変わった。
「馬鹿にするな」
「では、ご自分で取り立ててから長安を出てください」
「8,000だ」
「4,000です」
「せめて7,000」
「明後日には長安を出るのでしょう。7人全員から、それまでに取り立てられますか」
男は黙った。
「俺は残ります。時間があります」
「5,500」
「4,500」
「5,000だ」
田朔は証文をもう一度確かめた。
「4,800なら買います」
「……分かった」
男は承知した。
田朔はすぐには銭を渡さず、証文を持って韓敬のところへ行った。借り手と担保が実在するか、すでに返済された証文が混じっていないかを確かめてもらう。
翌日、問題がないと分かってから4,800銭を払った。
額面13,600銭の貸付債権が、4,800銭で田朔の物になった。
全額を回収できなくても構わない。
半分でも取れれば十分に利益が出る。返せない者がいれば、担保まで田朔のものになる。
家を安く買う商売をやめたのではない。
家をもっと安く手に入れる方法を見つけたのだった。
385年2月上旬が終わった。




