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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第二章――「長安崩壊、悪党は儲ける」

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第2話(後編)――「役人の印で売る」

 384年12月下旬。


 12月21日になると、長安の塩値は田朔が買い付けた時より4割ほど高くなっていた。


 河東から塩車が全く来なくなったわけではない。しかし到着する日が読めず、長安へ入る量も安定していなかった。


 そのため、大きな店は手持ちの塩を少しずつ売り、小さな塩屋は高値でも仕入れようとするようになった。


 田朔の店にも、朝から塩を求める客が来た。


 田朔は全員へ同じ値を付けなかった。


 以前から油や薪、麻袋を買ってくれている客には、1度に買える量を制限する代わりに、市場の最高値より少し安く売った。一方、在庫を切らして転売用の塩を求めてきた商人には、その日の相場いっぱいまで取った。


 3人目の客が帰ったところで、玉蓮が尋ねた。


「同じ塩なのに、随分値を変えるのね」


「これからも毎月来る客と、今日だけ困って来た商人を同じにする必要はない」


「高く売れるなら、昔からの客にも高く売ればいいでしょう」


「今月だけならな」


「来月以降も買ってもらう方を取るの?」


「店を持っているからな」


 田朔は店を持つ前のように、目の前の取引だけを考えてはいなかった。


 昔からの客が来月も、その翌月も買いに来れば、長い目で見た利益は大きくなる。それに対し、普段は田朔の店を使わず、品切れになった時だけ転売用の塩を求めてくる商人へ安く売る理由はない。


「困っている商人からは取れるだけ取る。それで普段の客へ少し安く出せるなら、両方得だ」


「困っている商人だけ得をしていないわね」


「俺の客じゃないからな」


「本当に分かりやすいわ」


 ◇ ◇ ◇


 12月22日。


 韓敬から呼び出しが来た。


 田朔が役所へ行くと、韓敬は挨拶もそこそこに用件へ入った。


「塩をどれだけ持っている」


「今、店にある分なら荷車2台分ほどです。河東から来る予定の分が別にあります」


「軍へ出せ」


「どれくらい必要ですか」


 韓敬が必要な量を伝えた。


 現在店にある塩だけなら、半分以上を渡さなければならない。


「値は?」


 田朔が聞くと、韓敬は軍が希望する額を示した。


「安いですね」


「役所へ納めるんだ。少しは勉強しろ」


「韓さんのおかげで塩を扱えるようになったことは忘れておりません」


「なら、その値で出せ」


「それでは次の塩を買えません」


「お前は今まで十分儲けただろう」


「今まで儲けた分を安売りする理由にはなりません」


 韓敬は不機嫌そうな顔をした。


「随分強く言うようになったな」


「韓さんへ失礼なことを言うつもりはありません。ただ、俺も商売です」


「では、どこまでなら下げる」


 田朔は市場価格よりかなり低いものの、仕入れ値から見れば利益が残る額を示した。


 韓敬は首を振った。


「まだ高い」


「では、もう1つお願いがあります」


「何だ」


「河東に残り6台分の塩があります。それを軍へ塩を納める商隊として通せる札を出してください」


「お前の私物だろう」


「そのうち軍へ納める分も入っています」


「全部ではないな」


「全部役所へ売ったら店の客へ売れません」


「正直すぎるぞ」


「後で帳面を見られれば分かります」


 韓敬は田朔が何を欲しがっているのか考えた。


 田朔は続けた。


「俺は今回の塩を少し安く軍へ出します。その代わり、次の塩車については軍への納入分を積んでいることを確認した札を出していただきたいんです。道中の検めで何日も止められなければ、その分だけ早く長安へ入ります」


「銭を値切る代わりに紙を欲しがるのか」


「その紙があれば、次の銭が入ります」


 韓敬は田朔を見て笑った。


「陳貴がお前を嫌な若造だと言う理由が分かった」


「陳さんは、そう言いながら毎回銭を受け取っています」


「俺も受け取っているから強くは言えんな」


 話はまとまった。


 田朔は軍へ塩を市場価格より安く納める。その代わり、衛成が次に運ぶ6台分については、軍への納入分を含む商隊であることを示す正式な札を韓敬に用意してもらう。


 その札があっても、戦乱の道そのものが安全になるわけではない。しかし役所の検めで何度も荷を止められ、そのたびに積み荷の説明をする手間は減る。


 田朔にとっては、今回の塩を少し高く売るより、次の塩を早く長安へ入れられる方が利益になると判断した。


 ◇ ◇ ◇


 田朔はその日のうちに衛成へ会った。


「残り6台分を買います」


「銭はあるのか」


「先の塩を売った分があります」


「値は前に決めた通りだぞ」


「そのために先に決めました」


 衛成は笑った。


「こうなると思っていたのか」


「こうなればいいと思っていました」


「同じようなものだろう」


「違います。絶対に上がると分かっていたなら、最初から12台全部買っています」


「では今度は全部買う?」


「はい」


「ようやく最初の言葉通りになったな」


 田朔は残りの代金を支払い、韓敬から受け取った書類も衛成へ渡した。


 衛成は目を通して驚いた。


「これをどうやって取った」


「軍へ少し安く塩を売りました」


「塩を安く売って、塩を高く売るための札を取ったのか」


「そういうことです」


「お前、塩商いを始めてまだ1か月も経っていないだろう」


「だから衛さんに運んでもらっています」


「嫌な褒め方だな」


「褒めていますよ」


 衛成は書類を懐へしまった。


 田朔は塩を運ぶ知識も人脈も持っていない。その部分は衛成に任せ、自分は銭と役所へのつながりを出す。すべて自分でやろうとするより、その方が早かった。


 ◇ ◇ ◇


 12月25日の午後、待っていた塩車6台がまとまって長安へ入った。


 門では役所の者が韓敬の用意した札を確かめた。軍への納入分を含む商隊だと確認されると、荷を1つずつ開けて長く留め置かれることもなく通された。


 衛成が先頭の荷車から降りた。


「前より2日は早く入れた」


「札の分は役に立ちましたか」


「かなりな。途中で兵に止められても、何を運んでいるか一から説明しなくて済んだ」


 田朔は荷を確かめさせ、塩袋を次々と倉へ運ばせた。


 河東から6台分もの塩がまとまって着いたため、荷下ろしの様子を近くの商人たちが足を止めて見ていた。


 夕方までには田朔の店へ塩が入ったという話が広まり、翌朝になると買い手が来た。


 田朔は玉蓮と馬福成に在庫を確認させ、まず軍へ納める分を分けた。次に以前から付き合いのある客の分を確保し、残った塩を品切れに困っている商人へ売った。


 そのうちの1人は値を聞くなり怒った。


「昨日、河東から入ったばかりだろう。なぜこんなに高い!」


 田朔は相手の顔を見て答えた。


「河東から長安まで無料で来たわけではありません」


「軍の札まで使ったそうじゃないか」


「その札を取るために、軍へ安く塩を出しています」


「では、その分は役所が払ったようなものだろう」


「そうお考えでしたら、ご自分で役所から札をいただいて河東へ買いに行かれてはいかがでしょう」


「お前は、そればかり言うな」


「今は河東へ行きたくない方が多いので、この値になっています」


 相手は文句を言いながらも、必要な分を買った。


 田朔は相手へ買えと迫っているわけではない。ほかの店で安く買えるなら、誰も田朔の店へ来る必要はなかった。


 それでも買い手が来るのは、長安で塩が足りず、河東まで自分で取りに行く危険を負いたくないからだった。


 12月下旬だけで、塩から出た利益は4,000銭を大きく超えた。


 年の初め、草鞋20足を売るところから商売を始めた頃とは、扱う銭も商品も大きく変わっていた。


 ◇ ◇ ◇


 田朔は約束通り、韓敬と陳貴へ取り分を渡した。


 韓敬へ銭を届けた後、陳貴にも袋を差し出した。


 陳貴は受け取りながら笑った。


「もう韓さんと直接話せるようになったんだ。俺はいらんのではないか」


「陳さんを切るつもりはありません」


「俺より韓さんの方が役に立つぞ」


「韓さんを紹介してくださったのは陳さんでしょう」


「それが?」


「陳さんを切ったと知れたら、次に誰が俺へ人を紹介してくれますか」


 陳貴は銭袋を持ったまま田朔を見た。


「俺を大切にしているのかと思えば、結局自分のためか」


「陳さんにも銭が入るので、悪い話ではないでしょう」


「確かにな」


 陳貴は笑って袋を懐へ入れた。


「今夜は紅玉のところへ泊まる。お前が世話した女だが、あれはなかなかいい」


「それは何よりです」


「春華には言うなよ」


「言いません」


「絶対だぞ」


「商売に必要のないことは話しません」


 陳貴は満足して帰った。


 その夜、田朔が向かったのは陳家だった。


 陳貴が柳紅玉(リウ・ホンユー)のところへ泊まるなら、正妻の周春華(ジョウ・チュンホワ)は母屋に1人でいる。


 田朔は陳貴から聞いたことを春華へ話すつもりはなかったが、夫が帰らない夜を利用することには何のためらいもなかった。


 春華は田朔を部屋へ入れると、呆れた顔をした。


「主人から銭をもらって、その主人が紅玉のところへ行った夜に私のところへ来るのね」


「陳さんには、商売の取り分を渡しただけです」


「私は?」


「春華さんへ銭を渡したら怒るでしょう」


「当たり前よ」


「だから持ってきていません」


「そういう問題じゃないでしょう」


 春華は文句を言いながらも、田朔を帰そうとはしなかった。


 田朔はその夜も春華の部屋で過ごした。


 夜明け前になって田朔が衣を整え始めると、春華はまだ寝台から起きようとしなかった。


「今日くらい稽古を休んだら?」


 寝台から春華が言った。


「休みません」


「昨夜もほとんど寝ていないでしょう」


「少しは寝ました」


「あなた、本当に元気ね」


「鍛えていますから」


「鍛えただけで全部そうなるなら、世の男はもっと鍛えるわよ」


 田朔は笑い、衣を整えた。


 家へ戻って着替えると、そのまま稽古へ向かった。


 朝の冷気の中で何度も組み合い、汗をかいた後は朝飯を食べて店へ出た。


 数日後には玉蓮の部屋にも泊まった。


 翌朝、田朔が稽古へ行く支度をすると、玉蓮は寝台の中からその姿を見た。


「春華さんのところへ行った後も朝から稽古をして、今度は私のところへ来て、また稽古なの?」


「何か問題があるか」


「あなたではなく、私たちの方が先に疲れることよ」


「今日は休むか?」


「今さら言わないで」


 玉蓮は枕へ顔を埋めた。


「早く行きなさい。私はもう少し寝るわ」


 田朔はいつもの時間に稽古へ出た。


 店で1日働き、夜は春華や玉蓮のところへ通い、それでも朝の鍛錬を崩さない。暮らしが豊かになって食事が良くなったこともあり、18歳の田朔の身体は疲れて痩せるどころか、以前より力を増していた。


 ◇ ◇ ◇


 12月30日。


 韓敬が田朔の店へ立ち寄った。


 塩について急ぎの用があるわけではなかった。


「最近、変な相談が増えている」


 韓敬が言った。


「役所にですか」


「ああ。長安を離れるので、家や土地を売る話をまとめてほしいという奴がいる。戦が近づいていると思っているんだろう」


 田朔はすぐに値段のことを考えた。


「安く売っていますか」


 韓敬は呆れた顔をした。


「最初に聞くのがそこか」


「高いなら急いで買う必要がありません」


「普通は、そんなに人が逃げ始めたのかと心配するところだぞ」


「逃げたい人を俺が止めても仕方ないでしょう」


「本当に嫌な商人だな」


 韓敬が帰った後、玉蓮も別の話を持ってきた。


「質屋でも上等な品が増えているわ。それから、店を担保に銭を借りたいという商人が2人来ている」


「店を?」


「1人は布屋。もう1人は酒を扱っている人。どちらも長安を出るか迷っているらしいわ」


 田朔は12月の帳面を開いた。


 塩商いで現金はさらに増えている。


 11月には、戦の気配から値上がりする商品を見つけ、軍が買い始める前に仕入れた。12月には役人とのつながりを一段上へ広げ、河東から塩を運ぶ商人へ銭を出し、役所の札まで利用して利益を増やした。


 長安を危ないと思う者が増えているなら、次に安くなるのは商品だけではない。急いで逃げたい者は、持ち運べない家や店、倉、土地まで現金へ替えようとする。


「1月は品物を買うだけじゃない」


 田朔が言うと、玉蓮は嫌な予感がしたように顔を向けた。


「今度は何を買うの?」


「家と土地だ」


「誰の?」


「安く売りたい奴のだ」


 玉蓮はしばらく田朔を見ていた。


「また忙しくなりそうね」


「銭がある時に買わないでどうする」


 長安を危険だと思い、一刻も早く南や西へ逃げたい者にとって、家や土地は持っていけない財産だった。買い手が見つからなければ、値を下げてでも売るしかない。


 田朔には長安から逃げるつもりがない。


 安く手に入るなら、店も家も土地も買うつもりだった。


 384年12月が終わった。

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