第7話(後編)――「南門が空いた日」
384年7月下旬。
7月21日。
田朔は南門で杜三を見つけた。
「杜三さん」
「何だ。銭が戻ったのか」
「まだです」
「遅いぞ」
「買い手から全部揃うのが月末だと言ったでしょう」
「だったら何だ」
「次の話があります」
杜三の機嫌がすぐに直った。
「言え」
「曹五さんが、今月集めた銭を少し早く持ってきてほしいそうです」
「曹五が?」
「はい」
杜三の顔が曇る。
「直接俺に言えばいいだろう」
「今度の商いへ回せる分があるなら、それも一緒に持ってきてほしいと言われました」
「何でお前を通す」
「俺にも分かりません」
田朔は余計な説明をしなかった。
「いつだ」
「23日の夕方です」
「どこへ持っていく」
田朔は南門の外にある古い荷置き場を指定した。
街道から少し外れ、以前は荷車がよく止まっていたが、今はほとんど使われていない場所だった。
「曹五も来るのか」
「来ます」
「本当だな」
「来なければ俺も困ります」
杜三は少し考えた。
「分かった」
「手下の2人も連れてきてください」
「なぜだ」
「あの2人の300銭についても話があります」
「それもそうだな」
田朔は頭を下げた。
◇ ◇ ◇
翌日。
今度は曹五へ声をかけた。
「23日の夕方、少し時間をください」
「何だ」
「杜三さんが今月分を持ってくるそうです」
「俺へ?」
「はい。それと、俺へ預けた銭についても話があります」
「戻るのか」
「全部ではありません」
曹五が顔をしかめた。
「まだか」
「買い手からの支払いは月末です。ただ、その前に次の仕入れ先が見つかりました」
「また銭がいるのか」
「いい話なら先に動いた方がいいでしょう」
「何を買う」
「会ってから話します」
「杜三もいるんだろう」
「はい」
「何であいつと一緒なんだ」
「南門で集めた今月分を持ってくるそうです」
曹五の目が動いた。
「いくらだ」
「そこまでは聞いていません」
「また隠すのか」
「俺が勝手に聞く話でもないでしょう」
曹五は田朔をしばらく睨んだ。
「23日だな」
「夕方です」
「分かった」
曹五は去った。
田朔はその背中を見送った。
ここまで来れば、あとは陳貴が約束通り動くかどうかだった。
◇ ◇ ◇
7月23日。
朝から暑かった。
昼を過ぎる頃には道の土まで熱を持ち、南門を出入りする馬も汗で毛を濡らしている。
田朔は午前中に普段の仕事を終えた。
午後は南門の周辺を回った。
杜三に殴られた者。
商品を持っていかれた者。
場所代として繰り返し銭を取られた者。
その中から、陳貴に話せる者を4人集めた。
草鞋売りの男。
布売りの男。
果物を売る老婆の息子。
もう1人は、杜三の手下に品を壊された露店商だった。
「本当に役人が聞くのか」
草鞋売りが尋ねた。
「聞かれたことだけ話してください」
「杜三に知られたらどうする」
「今日捕まらなければ、俺も困ります」
「お前を信じろと?」
「俺を信じなくてもいいです。陳貴さんに直接話してください」
陳貴の名を出すと、男たちの反応が変わった。
「陳貴が動くのか」
「はい」
「本当なんだな」
「夕方になれば分かります」
田朔は4人へ、半日商売を休ませる分として少しずつ銭を渡した。
布売りの男が言った。
「こんなものはいらん」
「今日半日、店を閉めるでしょう」
「杜三がいなくなるなら、その方が得だ」
「では戻してください」
田朔が手を出す。
男は銭を握り込んだ。
「誰が返すと言った」
「いらないと言いましたよ」
「うるさい」
田朔は笑った。
◇ ◇ ◇
夕方。
田朔は指定した荷置き場へ向かった。
古い柵が残り、乾いた地面には昔の車輪跡が薄く残っている。
先に来たのは杜三だった。
手下2人もいる。
杜三は布袋を持っていた。
「曹五は?」
「まだです」
「遅いな」
「もう来るでしょう」
「俺の銭はどうなった」
「月末です」
「忘れるなよ」
「俺の家まで知っているでしょう」
「そうだったな」
杜三が笑った。
少しして曹五が現れた。
「何だ。お前ら、もう来ていたのか」
杜三が頭を下げた。
「曹五さん」
「今月分は」
「持っています」
「出せ」
田朔は少し離れて見ていた。
杜三が布袋を開く。
「今月は露店が多かったんで、いつもよりあります」
「いくらだ」
「210銭です」
田朔はその数字を覚えた。
先月は180。
今月は210。
曹五が手を出す。
杜三は銭を渡した。
曹五はその場で数え始めた。
「210あるな」
「ちゃんと持ってきています」
「当たり前だ」
その時だった。
「その銭を置け」
後ろから声がした。
杜三が振り向く。
曹五の顔色が変わった。
陳貴が兵6人を連れて立っていた。
「陳さん」
曹五が立ち上がる。
「これは」
「動くな」
陳貴が兵へ合図した。
2人の兵が曹五を押さえる。
別の兵が杜三と手下2人へ向かった。
「何をする!」
杜三が腕を振り払おうとした。
兵に足を払われ、地面へ倒された。
手下2人もすぐ取り押さえられた。
「陳さん!」
曹五が叫んだ。
「俺は何もしていません!」
陳貴は曹五の前へ立った。
「210銭は何だ」
「これは預かっただけで」
「何のために」
「それは」
「お前、今月は杜三から大して入っていないと言っていたな」
曹五の顔がこわばった。
「陳さん、それは」
「今、210銭受け取ったばかりだろう」
「違います」
「何が違う」
曹五は答えられなかった。
そこで田朔の姿に気づいた。
顔つきが変わる。
「田朔」
田朔は黙っていた。
「お前か」
曹五が兵に押さえられたまま身を乗り出す。
「お前が売ったのか!」
田朔は曹五を見る。
「陳さんへ、知っていることを話しただけです」
「ふざけるな!」
「今月の25銭は、もう払わなくてよさそうですね」
「この野郎!」
曹五が暴れた。
兵に腕をねじ上げられ、地面へ膝をつく。
杜三もようやく田朔を見た。
「お前」
以前なら、その場で殴りかかってきただろう。
今は両腕を兵に押さえられている。
「俺の800はどうした」
「まだ俺が持っています」
「返せ!」
「月末だと言いましたよ」
「この野郎!」
杜三が立ち上がろうとする。
兵に背中を押され、また地面へ伏せた。
田朔はそれ以上何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
陳貴は呼んでおいた4人を前へ出した。
「この男に銭を取られたことがある者は?」
草鞋売りが最初に答えた。
「あります」
「いつからだ」
「2年ほど前からです」
「払わなければ?」
「品を持っていかれました」
次は布売りだった。
「俺も何度も払っています。杜三だけじゃない。手下も取りに来ました」
果物売りの老婆の息子は言った。
「払わなかった時に殴られました」
杜三が怒鳴る。
「嘘をつくな!」
「黙れ!」
陳貴が制した。
4人目の露店商も、杜三の手下に品を壊された話をした。
そこへ騒ぎを聞きつけた者が集まり始めた。
「俺も取られた」
「うちもだ」
「払わなければ店を出すなと言われた」
南門で長く続いていたことだった。
誰も最初の1人になりたくなかっただけで、話す者が出れば次は早かった。
陳貴は兵へ命じた。
「4人とも連れていけ」
「待ってください!」
曹五が叫ぶ。
「俺は杜三を止めていた側です!」
「今、210銭受け取ったばかりだろう」
「あれは預かっただけです」
「だから何のために預かった」
曹五は答えない。
陳貴が続けた。
「お前の家も調べる」
曹五の顔から血の気が引いた。
「家は関係ないでしょう」
「関係があるかどうかは、調べてから決める」
曹五は黙った。
田朔はその顔を見ていた。
家にも見つけられたくない銭がある。
第6話で考えた通りだった。
◇ ◇ ◇
翌日。
曹五の家から、普段の稼ぎだけでは説明しにくい額の銭が見つかった。
杜三の住まいからも銭や、露店から取り上げたと見られる品が出てきた。
手下2人も別々に話を聞かれ、過去の暴行や取り立てについて少しずつ違うことを話した。
被害を訴える者も増えた。
4人はそのまま牢へ入れられた。
陳貴は詳しい取り調べの内容まで田朔へ話さなかった。
「4人とも牢だ」
「曹五さんもですか」
「当然だ」
「長くなりそうですか」
「杜三より長くなるかもしれん」
「なぜです」
「お前には関係ない」
田朔は笑った。
「前にも、よくその言葉を言う人がいました」
「誰だ」
「梁家の趙六です」
「知らん」
「でしょうね」
「そんな話はどうでもいい」
陳貴は田朔を見る。
「手下の2人は、お前へ300銭預けたと言ったぞ」
「はい」
「驚かないのか」
「陳さんには最初から話しました」
「そうだったな」
「曹五さんと杜三さんは?」
「お前へ預けた額までは話していない」
「やっぱり」
「言えば、その銭をどこから出したかまで聞かれるからだろう」
田朔は笑った。
「俺もそう思います」
「手下の300も、まともに稼いだ銭とは言いにくい」
「では?」
陳貴が田朔を見る。
「今回は俺が聞かなかったことにする」
「ありがとうございます」
「礼を言うなら、次に儲かった時だ」
「分かっています」
「本当に分かっているのか」
「陳さんとは長く商売したいですから」
陳貴は鼻で笑った。
「怖い若造だな」
「陳さんには勝てません」
「今度は俺を持ち上げる気か」
「奥方様ほどではありません」
陳貴の顔がしかめられた。
「妻の話を出すな」
「何もしていませんよ」
「これからもするな」
「何をです」
「知らん」
陳貴は田朔を睨んだ。
田朔は笑った。
◇ ◇ ◇
7月26日。
田朔は陳家へ小さな包みを持っていった。
周春華との約束だった。
春華が戸口へ出てくる。
「何?」
「布を見てきました」
「本当に?」
「忘れません」
田朔は包みを開いた。
明るい赤紫の絹の端切れが入っている。
衣を作れるほど大きな物ではない。色を見るために買ってきたものだった。
春華が手に取った。
「きれい」
「梁家で似た色を見ました」
「奥様が着ていたの?」
「屋敷の女の人たちが使っていました」
「私には派手すぎない?」
田朔は春華の顔と布を見比べた。
「これくらいの方がいいと思います」
「本当?」
「地味な色だと、せっかくの顔が目立たなくなります」
春華が笑った。
「また始まった」
「嫌でしたか」
「その聞き方はずるいわね」
「嫌ならやめます」
「別に嫌とは言っていないでしょう」
田朔も笑った。
「では続けます」
「勝手ね」
「奥方様が止めないので」
春華は絹を指でなぞった。
「いくらしたの」
「見本ですから大した額ではありません」
「もらっていいの?」
「どうぞ」
「主人に怒られない?」
「陳さんには300銭渡しました。これくらいで怒られたら割に合いません」
春華が声を上げて笑った。
「あなた、本当に主人にもそんなことを言うの?」
「もっと丁寧に言います」
「中身は同じでしょう」
「そうですね」
春華は絹を胸元へ当てた。
「どう?」
「似合っています」
「早いわね」
「似合うと思って持ってきたんですから」
春華は田朔を見る。
「あなた、女の人みんなにこうなの?」
「綺麗な人には」
「それなら大勢いるでしょう」
「大勢いて困ることはありません」
「欲張りね」
「よく言われます」
春華が笑った。
田朔は、春華が自分から話を終わらせるまでは帰ろうとしなかった。
陳貴の妻だから近づいた。
だが美人で、田朔の言葉を喜ぶ女なら、それだけで離れる理由もなかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして陳貴が帰ってきた。
庭から居間へ入り、妻が持つ赤紫の絹を見る。
「何だ、それは」
「田朔が持ってきてくれたの」
陳貴が田朔を見る。
「またお前か」
「奥方様との約束です」
「何の約束だ」
「似合う布を探す約束です」
「いつそんな約束をした」
「前に陳さんが帰ってくる前です」
「俺のいないところで約束するな」
春華が笑った。
「あなたは布なんて見てくれないでしょう」
「俺は忙しいんだ」
「だから田朔に見てもらったの」
「こいつを使うな」
田朔が口を挟んだ。
「俺は構いませんよ」
「お前に聞いていない」
春華がまた笑った。
陳貴は呆れた顔で席についた。
「茶をくれ」
「はいはい」
春華が茶を用意する。
陳貴は田朔へ向き直った。
「ちょうどいい。話がある」
田朔の顔が変わった。
「何ですか」
「8月に入ったら、南門から兵馬が少し動く」
「どこへです」
「そこまでは言えん」
「何が要ります」
「まだ全部は決まっていない」
「買い付けがありますか」
「欲張るな」
「使える話だけでいいです」
陳貴は茶を飲んだ。
「飼葉と縄だ」
田朔はすぐ覚えた。
「いつ頃です」
「8月の初めから中頃だ」
「量は?」
「知らん」
「本当に?」
「そこまで聞きたければ役所へ入れ」
「面倒なので嫌です」
「俺はその役所で働いているんだぞ」
「だから陳さんから聞けば済みます」
春華が横で笑った。
「主人、田朔に使われているんじゃない?」
「こいつに使われるものか」
「でも、もう教えているでしょう」
「俺にも取り分があるからだ」
田朔が答えた。
「そういうことです」
「お前まで威張るな」
陳貴は田朔を指した。
「先に買いすぎるなよ。値が上がれば俺が困る」
「必要な分だけにします」
「本当だな」
「陳さんが困るほどはやりません」
「その言い方が信用できん」
春華が笑った。
田朔も笑った。
陳家へ来る前とは違う。
今は陳貴から、次に動きそうな品の話を聞ける。
その妻とは、陳貴が帰る前でも茶を飲んで話せる。
2600銭を取ったことより、こちらの方が長く使えるかもしれなかった。
◇ ◇ ◇
7月31日。
田朔は月の帳面をまとめた。
曹五から1500銭。
杜三から800銭。
手下2人から300銭。
預かった銭は合計2600銭だった。
商いへ使ったのは約1100銭。
その売上が約1450銭。
使わなかった1500銭を合わせ、約2950銭まで増えた。
そこから陳貴へ300銭を渡した。
証言に来た者への礼や細かな支払い、春華へ持っていった絹の代金を引いても、2500銭を超える銭が残った。
それまで田朔が小商いで貯めてきた額とは桁が違った。
田順が帳面の横にある銭袋を見る。
「ずいぶん増えたな」
「そうだな」
「あの連中はどうなった」
「牢へ入った」
「お前が入れたのか」
「捕まえたのは役人だ」
「お前が仕組んだんだろう」
「少し手伝った」
「預かった銭は」
「ここにある」
田順は息子を見る。
「返さないのか」
「誰に?」
「牢に入った連中だ」
「返せと言いに来たら考える」
「言いに来られないだろう」
「今はな」
「お前、それを分かってやったんだろう」
「途中からはな」
田順は銭袋を見る。
「人から銭を取り上げていた奴らから、今度はお前が取ったわけか」
「俺は殴っていない」
「そういう話じゃない」
「なら、どういう話だ」
「もういい」
田順は頭を振った。
「そのうち本当にろくでもない男になるぞ」
「まだ足りない」
「何が」
「梁景成には全然足りない」
田順はしばらく息子を見た。
「そこへ戻るのか」
「最初からそこだ」
田朔は銭袋の口を閉じた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
田朔は自分の荷車を引いて南門へ向かった。
1月には、ここで杜三に殴られた。
草鞋を4足取られた。
2月にも殴られ、10銭を取られた。
4月からは曹五へ毎月25銭を払って通った。
今は2人ともいない。
田朔が門へ近づくと、顔を知っている兵がこちらを見た。
だが止めなかった。
別の男が声をかける。
「田朔」
陳貴の下で働いている男だった。
「今日は何を運んでいる」
「炭です」
「そうか。通れ」
それだけだった。
銭を出せとは言われない。
田朔は荷車を引いたまま南門を通った。
曹五へ払っていた25銭は、通るためだけに消える銭だった。
陳貴へ渡した300銭は違う。
曹五と杜三を片づけ、南門を通りやすくし、さらに役所が次に欲しがる品の話まで返ってきた。
払う相手を変えただけで、銭の働き方まで変わった。
門の向こうでは、長安の通りに夕方の人が増え始めている。
田朔は荷車を引き、その中へ入っていった。
384年7月が終わった。




