第7話(中編)――「上へ払う」
384年7月中旬。
田朔は南門近くの酒屋へ何度か足を運んだ。
酒を飲むためではない。
陳貴に会うためだった。
曹五は門兵の手伝いをしている。
その曹五が何度も酒を飲んでいた相手が陳貴だった。
陳貴は、南門の出入りを扱う役人の下で働いている。曹五より上にいる男だが、どこまで杜三たちの取り立てに関わっているのか、田朔にはまだ分からなかった。
分かっているのは、曹五自身が「上へ回す分もある」と口にしたことだけだった。
7月12日。
陳貴が1人で酒屋へ入った。
田朔は少し遅れて店へ入り、離れた席へ座った。
陳貴は30代半ばほどで、役所の下働きとはいえ着ている物は田朔より上等だった。
田朔はすぐには近づかなかった。
陳貴が酒を飲み終えて店を出たところで、後を追った。
「陳さん」
陳貴が振り向いた。
「誰だ」
「田朔と申します」
「知らんな」
「曹五さんとは何度か商売をしています」
陳貴の目つきが変わった。
「曹五?」
「はい」
「何の商売だ」
「ここでは話しにくいものです」
「何だ、それは」
「陳さんにも銭になる話です」
陳貴は田朔を上から下まで見た。
「荷車を引いている若造が、俺を儲けさせるのか」
「話を聞くだけなら銭はいりません」
「どこで覚えた、その口を」
「先生がいます」
陳貴が笑った。
「明日の夕方、またここへ来い」
「分かりました」
「何も持ってくるな。まず話だけだ」
「承知しました」
田朔は頭を下げた。
◇ ◇ ◇
翌日。
田朔が酒屋へ行くと、陳貴は奥の小部屋を取っていた。
「座れ」
田朔は卓を挟んで腰を下ろした。
「何の話だ」
「杜三をご存じですね」
「南門をうろついている男だろう」
「曹五さんへ毎月銭を渡しています」
陳貴の顔は変わらなかった。
「それがどうした」
「先月は180銭渡したそうです」
陳貴の目が田朔へ向いた。
「誰が言った」
「杜三さん本人です」
「本人が?」
「酒を奢ったら話しました」
陳貴が鼻で笑った。
「安い口だな」
「曹五さんは、杜三さんから来るのは月100銭前後だと言いました」
陳貴の笑みが消えた。
田朔はそれ以上言わず、相手の反応を待った。
「本当に100と言ったのか」
「月によるが、大体そのくらいだと」
陳貴はしばらく黙っていた。
「俺が聞いていた話より、さらに多いな」
田朔は顔を変えなかった。
陳貴の口から先を話させる。
「曹五は、杜三からそれほど取っていないと言っていた」
「いくらですか」
「そこまでお前に言う必要はない」
「そうですね」
田朔はすぐ引いた。
それでも十分だった。
杜三から曹五へ渡る額と、曹五が上へ話している額は違う。
曹五は田朔だけでなく、自分より上の陳貴にも少なく話しているらしい。
「お前は何を知っている」
陳貴が尋ねた。
「杜三が南門の露店から銭を取っていることは、あそこで商売をする人なら知っています。払わなければ殴られる。品を持っていかれることもあります」
「聞いた話か」
「俺も殴られました。草鞋も取られました」
「それで恨んでいるのか」
「最初は」
「今は違うのか」
「今は杜三さんに銭を出してもらって商売しています」
陳貴が田朔を見る。
「何?」
「曹五さんにもです」
「2人とも、お前へ銭を出しているのか」
「はい」
「いくらだ」
「今は曹五さんが1500銭。杜三さんと手下2人で1100銭です」
陳貴が田朔を見つめた。
「2600?」
「はい」
「お前に?」
「はい」
「どうしてそんなことになった」
「最初に少し増やして返しました」
陳貴は数呼吸ほど黙っていた。
それから笑った。
「味を覚えさせたのか」
「そういうことです」
「お前、何歳だ」
「18です」
「ろくでもない18歳だな」
「よく言われます」
「それで、今度はどうする」
田朔は陳貴の顔を見た。
「2人を片づけたいと思っています」
陳貴の笑いが止まった。
「なぜ俺に言う」
「俺1人ではできません」
「役所へ訴えればいい」
「そんなことをすれば、誰へ話が回るか分かりません。曹五さんへ先に伝われば終わりです」
「俺が曹五へ話すとは思わないのか」
「そのつもりなら、今までの話だけで十分でしょう」
陳貴は笑わなかった。
田朔は続けた。
「陳さんにも得になる話にした方が、俺を曹五さんへ売るよりいいと思いました」
「俺の得?」
「はい」
「何だ」
田朔は懐から銭袋を出し、卓の上へ置いた。
陳貴が袋を見る。
「何だ、これは」
「300銭あります」
「俺に?」
「はい」
陳貴はすぐには手を伸ばさなかった。
「何の銭だ」
「南門でこれからも商売をするための銭です」
「ずいぶん正直だな」
「杜三さんと曹五さんがいなくなれば、毎月25銭を払わずに済みます。殴られることもなくなります」
「それだけで300払うのか」
「それだけではありません」
「言え」
「陳さんと商売ができます」
陳貴が笑った。
「俺と?」
「役所では、急に薪や炭や縄が要ることがあるでしょう」
陳貴の目が変わった。
「誰から聞いた」
「前に兵舎へ薪を200束売りました。その時に知りました」
「失敗したという話か」
「そこまで知られているんですか」
「南門の近くは狭いんだよ」
田朔も笑った。
「では話が早いです。陳さんが先に必要な物を知る。俺が集める。儲かったら陳さんにも分ける」
「俺の銭までお前に預けろというのか」
「それでも構いません」
「抜くだろう」
「陳さんの銭を抜いたら、その翌日から南門を通れなくなります」
「分かっているじゃないか」
「だから陳さんとは長く商売したいんです」
陳貴は卓の銭袋を取った。
持ち上げて重さを確かめる。
「俺がこれを受け取ったあと、お前を捕まえたらどうする」
「その時は俺の負けです」
「怖くないのか」
「怖いですよ」
「そうは見えん」
「怖くても、払う時は払います」
陳貴は300銭を懐へ入れた。
「話を続けろ」
田朔もようやく笑った。
◇ ◇ ◇
陳貴が知りたがったのは、曹五がどれほど自分のところで抜いているかだった。
「杜三が180渡したと言ったのは先月だな」
「はい」
「曹五は100前後と言った」
「そうです」
「ほかに聞いた者は」
「いません」
「それだけでは弱い」
「だから本人たちが銭を渡すところを押さえた方が早いと思います」
陳貴が田朔を見る。
「お前がやらせるのか」
「できます」
「どうする」
「杜三さんには、曹五さんが今月分を早く持ってきてほしいと言っていると伝えます。曹五さんには、杜三さんが今月集めた銭を持ってくると伝えます」
「2人を同じ場所へ出すのか」
「はい」
「杜三は手下を連れてくる」
「その方がいいです」
「なぜだ」
「まとめて捕まえられます」
陳貴が笑った。
「お前、ずいぶん杜三を嫌っているな」
「今は嫌いではありません」
「では何だ」
「もう十分使いました」
陳貴は声を出して笑った。
「曹五に聞かせてやりたいな」
「捕まえる時に聞くかもしれません」
「それもそうだ」
陳貴はしばらく考えた。
「杜三に銭や品を取られた者を何人か出せるか」
「探せます」
「嘘を言わせるなよ」
「本当にされたことだけで足ります」
「分かっているじゃないか」
「3月に郭安という人から、知っていることと使えることは違うと言われました」
「代書屋の郭爺さんか」
「知っているんですか」
「長くこの辺にいれば、名前くらいは聞く」
田朔はそれも覚えた。
「もう1つ聞いていいですか」
「何だ」
「曹五さんたちがいなくなったあと、俺が南門を通る時はどうなります」
「何が言いたい」
「また別の男へ毎月25銭払うのは嫌です」
陳貴が呆れた顔をした。
「お前は今300銭払ったばかりで、もう元を取る気か」
「そのために払いました」
「正直すぎるぞ」
「陳さんには、その方がいいでしょう」
陳貴は笑った。
「しばらくは誰にもお前へ手を出させん」
「ありがとうございます」
「その代わり、俺にも得をさせろ」
「さっき話した通りです。儲かる話を教えてもらえれば、俺が動きます」
「役所では急に物が要る。人足、薪、炭、縄、飼葉。俺の耳へ先に入ることもある」
「その時は教えてください」
「全部は無理だ」
「使える話だけで十分です」
「ただし、役所が買うと知って先に品を買い占め、値をつり上げるような真似はするな。俺まで困る」
「分かりました」
田朔は答えた。
どこまで守るかは、その時の利益を見て決めればよかった。
少なくとも今は、陳貴から早い話を聞ける道を作る方が大事だった。
◇ ◇ ◇
7月15日。
陳貴から自宅へ来るよう言われた。
酒屋で何度も会う方が人目につくからだった。
陳家は南門からそれほど遠くない場所にあった。
梁家の屋敷とは比べものにならないが、田家よりはずっと立派だった。門の内側には小さな庭があり、井戸の脇には夏の花が咲いている。
戸口へ出てきたのは、30歳前後に見える女だった。
淡い緑の衣を着て、髪をきれいにまとめている。
「どなた?」
「田朔と申します。陳さんに呼ばれました」
「主人に?」
「はい」
女は田朔を見た。
「あなたが田朔?」
「俺をご存じなんですか」
「昨日、主人が話していたの。若いのに口の回る商人がいるって」
女は笑った。
「私は周春華。陳貴の妻よ」
「奥方様でしたか」
「何だと思ったの?」
田朔は春華の顔を見た。
「陳さんは外でも得をしている人だと思っていましたが、家へ帰っても得をしているんですね」
春華が目を丸くした。
「どういう意味?」
「こんなきれいな奥方様が待っているんですから」
春華は少し間を置いてから笑った。
「主人の言った通りね」
「何がです」
「口が回る」
「思ったことを言っただけです」
「商人は皆そう言うの?」
「俺はまだ大した商人ではありません。少し前まで父さんの荷車を押していました」
「では、誰にそんな話し方を習ったの」
「女の人を褒める言葉は習っていません」
「それでこれなの?」
「駄目でしたか」
「駄目とは言っていないわ」
春華は笑った。
田朔も笑った。
怒ってはいない。
それどころか、田朔の話を面白がっている。
それが分かれば十分だった。
◇ ◇ ◇
「主人はまだ戻っていないわ。中で待つ?」
「よろしいんですか」
「主人に呼ばれて来たのでしょう」
「では、お邪魔します」
田朔は居間へ通された。
春華が冷ました茶を出す。
「荷車を引く人にしては手がきれいね」
「前より荷車を引く日が減りました」
「人に運ばせているの?」
「必要な時は父さんや知り合いの荷運び人に頼みます」
「やっぱり商人じゃない」
「まだ小さいです」
「主人は、あなたを面白い男だと言っていたわ」
「悪口も言っていたでしょう」
「欲が深いとは言っていた」
「それは悪口ではありません」
「そうなの?」
「商人には褒め言葉です」
春華が笑った。
卓の上には布と糸が置かれていた。
「何か作っているんですか」
「夏の上着よ」
田朔は布を見る。
「少し地味ですね」
「あなたまでそう思う?」
「奥方様なら、もう少し明るい色の方が似合うと思います」
「主人は何でもいいと言うのよ」
「もったいないですね」
「何が?」
「奥方様が着るのに、色を選ばないなんて」
春華が田朔を見る。
「あなたは分かるの?」
「梁家へ出入りしていると、上等な布を見ることはあります」
「梁景成の屋敷?」
「はい」
春華の目に興味が浮かんだ。
「奥方様たちは、やっぱり綺麗な物を着ているのでしょうね」
「皆かなりいい物を着ています」
「どんな色?」
「その時によります。次に見た時、覚えてきましょうか」
「本当に?」
「奥方様に似合いそうな物があれば」
「流行っている物ではなく?」
「流行っていても似合わなければ意味がないでしょう」
春華の笑みが深くなった。
「ではお願いしようかしら」
「分かりました」
「買ってこなくていいのよ」
「そこまで金持ちではありません」
「少しは儲けているのでしょう?」
「どうでしょう」
「主人が、銭の使い方を知っている若造だと言っていたわ」
「陳さんも口が軽いですね」
「夫婦だもの」
田朔は、その言葉も覚えた。
陳貴が家で何を話すのか。
春華がどこまで聞いているのか。
まだ分からない。
だが、役人本人とは別に、家の中にも話を聞ける相手ができるかもしれない。
そこへ外から陳貴の声がした。
「帰ったぞ」
春華が立ち上がった。
「主人よ」
陳貴が居間へ入ってきた。
妻と田朔を見比べる。
「もう来ていたか」
「陳さん、お邪魔しています」
「春華、こいつに何を言われた」
「何よ、その言い方。普通に話していただけよ」
「普通?」
春華が笑った。
「私には明るい色の布が似合うそうよ」
陳貴が田朔を見る。
「お前、俺の妻にまで取り入る気じゃないだろうな」
「陳さんに呼ばれて待っていただけですよ」
「本当か」
「本当です」
春華が横から言った。
「主人より布の話が分かるだけよ」
「俺は役所で働いているんだ。布の色まで知るか」
「だから田朔に教えてもらうの」
陳貴は呆れた顔をした。
「お前、商売より口で食っていけそうだな」
「その方が楽なら考えます」
「帰れ」
「まだ用件を聞いていません」
春華が声を上げて笑った。
◇ ◇ ◇
その日の話は、23日の段取りだった。
陳貴が兵を数人用意する。
田朔は曹五と杜三を同じ場所へ呼び出す。
さらに南門で杜三の被害に遭った者を何人か集めておく。
「いつがいい」
田朔が尋ねた。
「7月23日だ」
「分かりました」
「場所は南門の外へ少し出たところにしろ。門前では騒ぎたくない」
「俺が決めていいですか」
「お前が呼ぶんだから、お前が決めろ」
「承知しました」
用件が終わり、田朔が帰ろうとすると、春華が玄関まで出てきた。
「田朔」
「はい」
「布の話、忘れないでね」
「忘れません」
「どんな色が似合うかまで考えるんでしょう?」
「奥方様に頼まれましたから」
「本気にするのね」
「嫌ならやめますよ」
「誰も嫌だとは言っていないわ」
春華が笑った。
田朔も頭を下げた。
「では、また持ってきます」
「持ってくるの?」
「見本くらいなら」
「主人がいない時でも構わないわよ。どうせ布の話なんて聞かないもの」
田朔は春華を見る。
「それなら、ゆっくり選べますね」
「そうね」
田朔はもう1度頭を下げ、陳家を出た。
陳貴とつながっただけでも大きい。
その妻とも、次に会う理由ができた。
田朔は使える縁を1つに絞るつもりはなかった。




