第7話(前編)――「最後の出資」
384年7月上旬。
麦の刈り入れが進み、長安の南門には朝から荷車が列を作っていた。
城外から入ってくるのは麦だけではない。麻袋、縄、籠、薪、炭など、収穫に合わせて動く品も増えている。
田朔も自分の荷車を引き、城内と城外を往復していた。
6月には、曹五と杜三から預かった銭を使って2度商いをした。
2人には元金より多く返した。
その一方で、本当の仕入れ値と売値を隠し、自分は2人へ渡した以上の利益を抜いている。
曹五も杜三も、それには気づいていない。それどころか次はもっと多くの銭を出すと言っていた。
田朔は、今度は2人から取れるだけ取るつもりだった。
7月2日。
田朔は長安城内の穀物商を回り、麻袋や縄をどれほど欲しがっているか確かめた。
1軒目の穀物商は麻袋50枚。
2軒目は30枚。
別の商人は縄40巻を欲しがっていた。
梁家でも買い付けは続いている。
田朔はその日の午後に城外へ出て、麻袋や縄を作る家を回った。
この日は値を聞くだけで買わなかった。
「今日は買わないのか」
顔見知りになった縄職人が尋ねた。
「値を見ています」
「先月はずいぶん急いで買っていたじゃないか」
「急ぐと高く買うことになると分かりましたから」
「少しは賢くなったな」
「前から賢いですよ」
縄職人が笑った。
「自分で言うな」
田朔も笑い、次の家へ向かった。
買える値と売れる値は大体分かった。
売り先もある。
今度も商いそのものでは利益を出せそうだった。
しかも、曹五と杜三が考えるほど大きな元手はいらない。
そこが重要だった。
◇ ◇ ◇
7月3日。
田朔が南門を通ると、曹五から呼び止められた。
「田朔」
「何です」
「次の話はどうした」
「ありますよ」
曹五が近づいた。
「だったら早く言え」
「前より大きくできます」
「いくらいる」
田朔は少し考えるふりをした。
「1500銭くらいあれば、かなり動かせます」
「1500?」
曹五はすぐには答えなかった。
「多いですから、無理にとは言いません」
「どれくらい増える」
「うまくいけば200か300。もっと残るかもしれません」
「1500出して、それだけか」
「1500銭そのものを儲けるわけではありません。品を買う銭ですから」
「前は800で80増えた」
「今回は仕入れ先を広げます。運び賃もかかりますし、値が崩れることもあります」
田朔は、わざと大儲けできるとは言わなかった。
曹五は前の2回で利益を受け取っている。
欲を出すなら、自分から出すはずだった。
「何を買う」
「麻袋と縄です。値が合えば籠も買います」
「売り先は」
「あります」
「梁家か」
「梁家だけではありません」
曹五は少し考えた。
「本当に1500いるのか」
「少なければ、その分だけ小さくやります」
田朔は話を終え、荷車の柄を握った。
「明日だ」
曹五が言った。
「何がです」
「1500持ってくる」
「本当にいいんですか」
「お前が1500あればできると言ったんだろう」
「出してくださいとは言っていません」
「同じことだ」
田朔は笑った。
「では明日」
「今度も儲けは半分だぞ」
「もちろんです」
田朔は迷わず答えた。
◇ ◇ ◇
翌朝、曹五は本当に1500銭を持ってきた。
前回より大きな布袋だった。
田朔は南門から少し離れた場所で受け取り、その場で数えた。
「本当に数えるんだな」
「1500もありますから」
「俺を疑うのか」
「銭は誰から受け取っても数えます」
「可愛げがない奴だ」
「商売にはいらないでしょう」
1500銭あった。
田朔は袋の口を閉じた。
「今度も札はいりませんか」
「いらん」
「これだけの額でも?」
「何度言わせる」
「分かりました」
曹五は周囲を確かめてから声を落とした。
「今度は少し早く返せ」
「売った相手からの支払いが遅れるかもしれません」
「何でだ」
「数が多いですから。大きく買う商人は、その場で全部払わないこともあります」
曹五が嫌そうな顔をした。
「いつになる」
「遅くても7月末です」
「長いな」
「嫌なら今返しますよ」
田朔は銭袋へ手をかけた。
「待て」
曹五が止めた。
「月末でいい」
「分かりました」
「その代わり増やせよ」
「やってみます」
「やってみるじゃない。増やせ」
「それは俺の売り先にも言ってください」
曹五が笑った。
「口だけは相変わらずだな」
田朔も笑い、1500銭を持って南門を離れた。
◇ ◇ ◇
杜三には、その日の午後に会った。
手下2人も一緒だった。
「田朔。曹五は今度いくら出した」
いきなり聞かれた。
「それは言えません」
「まだそんなことを言うのか」
「杜三さんの話も曹五さんにはしていません」
「俺は800出す」
「前にそう言っていましたね」
「持ってきた」
杜三が銭袋を見せた。
田朔はすぐには受け取らなかった。
「何だ」
「今回は少し大きく動かします」
「だから800持ってきたんだろう」
「もう少しあっても使えます」
杜三の顔が変わった。
「いくらだ」
「杜三さんからは800で十分ですよ」
「何だ、その言い方は」
「曹五さんとは別の話です」
「また曹五か」
杜三が顔をしかめた。
すると手下の1人が口を挟んだ。
「兄貴、俺たちも出せばいいんじゃないですか」
前月にも田朔へ銭を預けたがった男だった。
杜三が睨む。
「お前、まだ言っているのか」
「兄貴は2回とも増えたんでしょう。俺もやりたいですよ」
もう1人も続いた。
「俺も少しなら出せます」
杜三は2人を見る。
田朔は口を挟まなかった。
前回は杜三が手下を止めた。
今度は止める理由がない。
「お前たち、いくらある」
杜三が尋ねた。
「200」
「俺は150くらいです」
田朔はそこで言った。
「2人で300くらいなら使えます」
「350あるぞ」
「全部出す必要はありません」
手下が笑った。
「田朔が心配しているぞ」
杜三は鼻で笑った。
「こいつが心配するのは、自分が困る時だけだ」
「よく分かっていますね」
田朔も笑った。
結局、杜三から800銭。
手下2人から合わせて300銭。
全部で1100銭を受け取った。
曹五の1500銭と合わせれば2600銭になる。
田朔がこれまで1度に持ったことのない額だった。
◇ ◇ ◇
その夜。
田朔は2600銭を家へ持ち帰った。
父の田順が銭袋を見て目を疑った。
「何だ、それは」
「元手だ」
「元手?」
「人から預かった」
「またあの2人か」
田朔は父を見る。
「名前は言っていないぞ」
「先月の話を聞けば分かる」
「父さんも少し頭がよくなったな」
「殴るぞ」
「冗談だ」
田順は銭袋を見た。
「いくらある」
「2600」
父の顔から笑いが消えた。
「そんな大金を預かってどうする」
「商売する」
「全部使うのか」
「使わない」
「またか」
「全部使う必要がない」
「返す時はどうする」
「その時はその時だ」
田順が息子を見る。
「前にも聞いたぞ、その言葉」
「今度は前より考えている」
「何を考えている」
田朔は2600銭を分け始めた。
「まだ言わない」
「俺にもか」
「父さんには特に言わない」
「なぜだ」
「止めるから」
田順はしばらく息子を見た。
「ろくでもないことだけは分かった」
「それで十分だ」
田朔は1100銭ほどを仕入れや運びへ使うことにした。
残り1500銭には手をつけない。
先に確かめた売り先へ品を運べば、1100銭でも十分に利益を出せると読んでいた。
◇ ◇ ◇
7月5日から、田朔は麻袋、縄、籠を集め始めた。
今回は前月より慎重に動いた。
先に買い手と数量、値を決める。
それから城外へ仕入れに行った。
「麻袋40枚なら、この値で買う」
穀物商が値を示した。
「支払いはいつです」
「全部届いた日に払う」
「札にしてください」
「またお前か」
「前に支払いの日を決めずに痛い目を見ていますから」
主人は笑いながら札を作り、印を押した。
別の穀物商では縄30巻。
梁家にも趙六を通じて麻袋20枚と籠を売った。
売り先をほぼ決めてから仕入れたため、田朔が実際に危険へさらした銭は少なかった。
7月8日には大半の品を売り終えた。
仕入れや運びに使ったのは約1100銭。
売上は約1450銭になった。
使わず残していた1500銭を合わせれば、手元には2950銭ほどある。
曹五と杜三たちは、預けた2600銭をほとんど使って大きな商いをしていると思っている。
実際には半分にも届かなかった。
田朔は2人に同じ説明をした。
「買い手から全部の銭が揃うのは月末です」
曹五は顔をしかめた。
「前より遅いじゃないか」
「大口ですから」
「本当に売れたんだろうな」
「売れました」
これは本当だった。
杜三も似た反応をした。
「月末か」
「はい」
「増えているだろうな」
「今のところはうまくいっています」
これも嘘ではない。
「いくら増える」
「全部終わってから計算します」
「またそれか」
「途中で違う数字を言う方が嫌でしょう」
杜三は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
7月上旬が終わる頃には、曹五と杜三たちから預かった2600銭の大半が、田朔の手元に残っていた。
だが田朔は、もう麻袋の値を見ていなかった。
次に見るのは、曹五のさらに上だった。




