第6話(後編)――「訴えられない銭」
384年6月下旬。
田朔は、2度目の商いで曹五へ880銭を返した。
曹五はその場で何度も数えた。
「80増えた」
「はい」
「前より多いな」
「出した銭が多いですから」
「お前はいくら取った」
「同じくらいです」
田朔は迷わず答えた。
本当は80銭どころではない。
「本当か?」
「仕入れにも運びにも俺が動いています。それくらいもらわなければやりません」
曹五は納得した。
「次は1000でもいいな」
「もう少し待ってください」
「何でだ」
「麻袋ばかりでは同じように儲かりません」
「別の物を探せ」
「簡単に言いますね」
「それを考えるのがお前だろう」
田朔は笑った。
「俺の仕事が増えていますよ」
「その分、お前も儲かっている」
「曹五さんもでしょう」
「俺は銭を出している」
「だから分けています」
曹五は機嫌がよかった。
自分が田朔を使って銭を増やしているつもりなのだ。
田朔には、その方が都合がいい。
「今度は紙を作りませんか」
田朔が尋ねると、曹五の顔が変わった。
「何だ、急に」
「金額が大きくなってきました。俺が受け取ったことを書いた方が、曹五さんも安心でしょう」
「いらん」
「1000銭になれば、なおさらでしょう」
「いらんと言っている」
「俺が逃げたらどうするんです」
「お前の家を知っている」
「父さんから取るんですか」
「それでも足りなければ、お前を探す」
曹五は声を落とした。
「余計な物を残すな」
「余計な物?」
「紙だ」
「なぜです」
「しつこいな」
曹五は周囲を見た。
人が離れていることを確かめてから言った。
「俺がどこから1000銭出したか聞かれたら、面倒なんだよ」
「貯めたと言えばいいでしょう」
「お前には関係ない」
「分かりました」
田朔は引いた。
それ以上聞く必要もなかった。
まとまった銭を持っていること自体を知られたくない。
その出所を聞かれることも嫌がっている。
もし田朔が100銭や200銭を余計に取ったとして、曹五は簡単に役所へ訴え出られるだろうか。
自分から官へ出向いて、
「田朔へ1000銭渡したのに返さない」
と言えば、今度はその1000銭をどうして持っていたのか聞かれるかもしれない。
曹五自身が、それを嫌がっている。
田朔は初めて、自分が選んだ相手の良さを別のところに見つけた。
銭を持っているだけではない。
取られても大声を上げにくい。
◇ ◇ ◇
翌日。
今度は杜三へ550銭を返した。
「50増えています」
杜三が笑った。
「前より増えたな」
「元が500ですから」
「もっと出したら、もっと増えるか」
「うまくいけば」
「またそれか」
「失敗しても怒らないなら、必ず増えると言います」
「失敗するな」
「無茶を言いますね」
杜三は550銭を手下へ渡した。
手下の1人が銭を見ながら言った。
「兄貴、俺も出していいですか」
杜三が睨んだ。
「何でお前が出す」
「俺も増やしたい」
「これは俺の話だ」
田朔は2人を見た。
「少しなら一緒でもいいですよ」
田朔が言うと、杜三がすぐ遮った。
「駄目だ」
「なぜです」
「俺が先に話を聞いた」
「銭を出す人が増えれば、仕入れも増やせますが」
「駄目だ」
杜三は、この儲け話を自分だけのものだと思っていた。
田朔には好都合だった。
「分かりました」
「今度は700出す」
「また増やすんですか」
「お前が増やせると言っただろう」
「言っていません」
「似たようなものだ」
「紙は?」
「いらん」
「曹五さんも同じことを言いました」
田朔は、そこで口を止めた。
杜三の顔が変わる。
「何?」
「何でもありません」
「今、曹五と言ったな」
「言いましたか」
「言った」
杜三が立ち上がった。
「お前、曹五ともやっているのか」
田朔は困ったような顔を作った。
「曹五さんには別の話です」
「別?」
「はい」
「何をやっている」
「それは言えません」
「俺には言えないのか」
「杜三さんの話も、曹五さんには言っていません」
田朔は落ち着いて答えた。
「人から聞いた商売の話を、別の人へ勝手に話したら信用されなくなります」
杜三は黙った。
「曹五はいくら出している」
「それも言えません」
「500か」
田朔は答えない。
「1000か?」
それでも答えない。
杜三は自分で考え始めた。
「俺より多いのか」
「俺からは言いません」
杜三は舌打ちした。
「なら俺は800出す」
田朔は内心で笑った。
わざと競わせようとして曹五の名を出したわけではなかった。
だが、杜三が勝手に張り合うなら止める理由はない。
「急に増やさなくてもいいですよ」
「800だ」
「分かりました」
「曹五には言うな」
「杜三さんも、今の話を曹五さんへ言わないでください」
「当たり前だ」
田朔は頭を下げた。
◇ ◇ ◇
杜三と別れたあと、田朔は南門近くの酒屋へ入った。
以前、曹五と陳貴を見た店だった。
今日は2人ともいない。
主人が田朔を見る。
「またお前か」
「酒は飲まない」
「なら何だ」
「杜三の話を聞きたい」
主人の顔が曇った。
「帰れ」
「5銭払う」
「いらん」
「10銭」
「そういう話じゃない」
主人は周囲を見回した。
「余計なことへ首を突っ込むなと言っただろう」
「殴られた話なら、俺の方が詳しい」
「なら十分だろう」
田朔は酒屋の端へ座った。
「杜三は何年くらい、ここで銭を取っている」
「知らん」
「曹五が後ろについてからか」
「知らん」
主人は本当に答える気がなかった。
田朔も無理には聞かなかった。
「分かった。水だけくれ」
「銭は?」
「杜三より高く取るなよ」
主人が苦笑した。
田朔は水を飲み、店を出た。
青蘭に教わった通りだった。
正面から聞いて口を閉じる相手なら、別のところから聞けばいい。
◇ ◇ ◇
それから数日、田朔は南門の周辺で商売をする者へ少しずつ話を聞いた。
初めから杜三の悪事を尋ねることはしなかった。
自分も杜三から銭を取られた話をし、相手が乗ってくれば続きを聞く。
草鞋を売る男は言った。
「俺は月に40くらいだ」
「毎日じゃないのか」
「毎日払ったら潰れる。売れた日に取られる」
「払わないと?」
「品を持っていかれる」
果物を売る老婆は、息子が殴られたと話した。
「いつです」
「去年だよ」
「何をしたんです」
「払わなかった」
布を売る男は、もっとはっきり言った。
「杜三だけなら、皆で追い払っている」
「では、なぜやらないんです」
「曹五がいるからだ」
「曹五?」
「知らない顔をするな。お前だって毎月払っているんだろう」
田朔は笑った。
「そこまで知られているんですね」
「皆知っている。杜三から曹五へ銭が渡ることもな」
「いくら渡すんです」
「そこまでは知らん」
「杜三は曹五に逆らえない?」
「そう見える」
「曹五が止めろと言えば止まりますか」
「前に役人が見回りに来た時は、杜三が姿を消した」
それは田朔自身も見ていた。
別々に見聞きした話が、少しずつつながってきた。
◇ ◇ ◇
6月27日。
田朔は杜三へ酒を1杯奢った。
「珍しいな」
「儲けさせてもらっていますから」
「俺が銭を出しているんだぞ」
「だからです」
杜三は機嫌よく飲んだ。
田朔は商いの話を急がなかった。
麦の値や露店の客について話したあと、何でもないことのように言った。
「曹五さんへ毎月渡すのも大変でしょう」
杜三の顔が曇る。
「何だ、急に」
「俺も毎月25銭払っています」
「お前は安い方だ」
「杜三さんはいくらです」
「お前には関係ない」
「そうですね」
田朔はすぐに引いた。
また別の話を続けた。
杜三が酒を重ねた頃、田朔は言った。
「俺なら毎月100銭も取られたら嫌になります」
杜三が鼻で笑った。
「100で済むなら楽だ」
田朔は酒を飲まずに聞いていた。
「もっとですか」
「月による」
「200?」
「そこまでは毎月じゃない」
田朔はもう聞かなかった。
すると杜三の方が続けた。
「先月は180だ」
「多いですね」
「だからお前に預けて増やしているんだ」
「それなら、俺にももっと働いてもらわないと困りますね」
「そういうことだ」
杜三は笑って酒を飲んだ。
田朔は180という数字を覚えた。
◇ ◇ ◇
2日後。
今度は曹五へ茶を奢った。
「何だ。急に気前がいいな」
「俺ばかり儲けさせてもらっていますから」
「お前が儲けさせているんだろう」
「元手を出す人がいないとできません」
曹五は満足そうだった。
田朔は頃合いを見て杜三の話へ移った。
「杜三さんも最近、景気がいいですね」
「あいつが?」
「酒を飲んでいました」
「いつものことだ」
「露店から集めるだけで、そんなに儲かるんですかね」
「集めても俺へ持ってくる」
「どれくらいです」
「またそれか」
「前から気になっています」
「月による。100前後だ」
田朔は顔に出さなかった。
杜三は先月180銭渡したと言った。
曹五は100銭前後だと言う。
80銭ほど違う。
杜三が酔って大きく言った可能性もある。
曹五が少なく言った可能性もある。
まだどちらとも決められない。
だが、田朔には面白い食い違いだった。
「それでも俺の25銭よりずっと多いですね」
「当たり前だ。あいつは俺がいなければ南門で好きに動けない」
「上へ回す分もありますしね」
曹五の目が動いた。
「前に俺が言ったか」
「言いました」
「余計なことを覚えているな」
「俺は忘れにくいんです」
「誰にも言うなよ」
「言いません」
田朔は笑った。
それだけは本当だった。
今はまだ、誰にも言うつもりはない。
◇ ◇ ◇
6月30日。
田朔は自宅で帳面を広げた。
曹五と杜三から受け取った銭、実際に仕入れへ使った銭、売った額、2人へ返した額、自分に残した額を1つずつ確かめた。
5月までとは違う。
6月に増えた銭の多くは、自分の元手で稼いだものではない。
曹五と杜三の銭を使った。
仕入れ値を隠した。
売値も隠した。
同じ商いを、2人とも自分だけの話だと思っている。
しかも2人とも儲かったと喜び、次はもっと大きな銭を出そうとしている。
帳面の端には別の数字も書いた。
杜三は、先月曹五へ180銭渡したと言った。
曹五は、杜三から受け取るのは月100銭前後だと言った。
さらに曹五自身が、上へ回す銭があると話している。
田順が向かいから帳面を見ていた。
「今度はいくら増えた」
「結構増えた」
「どれくらいだ」
「言わない」
「俺の家に置いてある銭だぞ」
「俺の銭だ」
「元は人の銭だろう」
「今は俺の分もある」
田順は息子を見た。
「返す物は返しているんだろうな」
「相手が受け取ると思っている分は返した」
「利益を半分にすると約束したんじゃないのか」
「向こうは本当の利益を知らない」
「ばれたらどうする」
「ばれにくい相手だからやっている」
田順は黙った。
田朔は帳面を閉じた。
「曹五も杜三も、俺へ渡した銭を紙に残したがらない。自分がどれだけ持っているのかも知られたくない」
「だから何だ」
「騙されたと役所へ駆け込めば、自分の銭の話までしなければならない」
田順の顔が険しくなった。
「そこまで考えてやったのか」
「最初から全部考えたわけじゃない。やっているうちに分かった」
「そのうち、お前より悪い奴に同じことをされるぞ」
「その時は、そいつからやり方を覚える」
田順は呆れた顔をした。
「本当に嫌な男になったな」
「まだ梁景成より貧乏だ」
「そこを比べるのか」
「ほかに誰と比べる」
田順はそれ以上何も言わず、寝床へ入った。
田朔はもう一度帳面を開いた。
曹五も杜三も、まだ自分たちが田朔を使っているつもりだ。
田朔も、それを訂正するつもりはなかった。
2人はまだ銭を出す。
それなら、出させればいい。
ただ、いつまでも同じことを続ける必要はない。
曹五は銭の出所を知られたくない。
杜三は南門の露店から長い間銭を取っている。
被害に遭った者も何人もいる。
杜三から曹五へ渡る銭の額にも食い違いがある。
さらに曹五の上にも誰かいる。
6月の初めには、2人の銭を使って儲けることしか考えていなかった。
今は、その先まで見え始めている。
どれだけ持っているのか。
誰から取っているのか。
誰へ渡しているのか。
そして、誰に知られることを恐れているのか。
そこまで分かれば、使えるのは銭だけではない。
田朔は帳面を閉じた。
曹五と杜三には、まだもう少し役に立ってもらうつもりだった。
384年6月が終わった。




