第6話(中編)――「同じ話を2人に」
384年6月中旬。
田朔は、曹五と杜三から預かった700銭のうち、480銭を仕入れと運びに使った。
最初に回ったのは、城外で麻布や袋を作っている家だった。
麦の収穫期に入り、麻袋を欲しがる商人は増えている。
しかし、城外の家々が長安の相場を同じように知っているわけではない。
最初の家には麻袋が20枚あった。
新品ばかりではなく、前年に使った袋を洗い、破れた場所を縫い直した物も混じっていた。
「全部買います」
女主人が田朔を見る。
「今は袋が高くなっているよ」
「高いのは今だけかもしれません」
「どういうことだい」
「今年は麻袋を作った家が多いです。麦を売り終えれば、袋を売る家も増えます」
田朔は袋の底や縫い目を確かめた。
「あと10日もすれば安くなるかもしれません。今の値で売るなら、俺が全部買います」
「本当かい」
「待つのは自由です」
女主人は夫を呼んだ。
夫婦が相談を始めても、田朔は急かさなかった。
やがて夫が値を言った。
田朔はさらに下げた。
「それでは安すぎる」
「では、ほかへ行きます」
「待て」
最後は田朔が考えていた値より安く買えた。
次の家でも似た話をした。
「長安の商人も、そろそろ買い終える頃ですよ」
「本当か」
「俺も今週に売れる分だけ集めています」
本当ではなかった。
梁家も穀物商もまだ麻袋を欲しがっている。
ただし、麦の収穫が終われば需要が落ちる可能性はある。麻袋を売る家が増える可能性もあった。
それが10日後なのか、1か月後なのかは田朔にも分からない。
売り手が「今のうちに売った方がいい」と思えば、それでよかった。
◇ ◇ ◇
麻袋だけでなく、縄も買った。
村の縄職人には別の話をした。
「今は長安でも縄が多いですよ」
「この前は足りないと言っていなかったか」
「梁家が急いでいた日だけです」
「今は余っているのか」
「店によります」
男が眉をひそめた。
「お前の話は、あるのかないのか分からんな」
「安ければ買います」
「高ければ?」
「買いません」
最後には男の方から値を下げた。
集めた品は、田朔の小さな荷車だけでは一度に運べない。
田順にも運賃を払って手伝わせた。
父は麻袋を積みながら尋ねた。
「本当に麦が終われば値が下がるのか」
「下がるかもしれない」
「農家には下がると言っただろう」
「買う時はな」
「長安では何と言うつもりだ」
「足りなくなると言う」
田順の手が止まった。
「お前、売る方と買う方へ逆の話をするのか」
「売る人には早く売ってほしい。買う人には早く買ってほしい」
「本当はどっちだ」
「今は欲しがっている人が多い」
「なら農家へ言った話は嘘だろう」
「値がこの先も上がるとは限らない」
田順は息子を見る。
「便利な口だな」
「郭安に習った」
「郭爺さんはそんなことを教えていないと思うぞ」
「使い方は自分で考えた」
田順は呆れた顔で袋を積み直した。
「俺まで巻き込むなよ」
「父さんは運び賃をもらって荷を運ぶだけだ」
「その言い方をする時ほど嫌な予感がする」
◇ ◇ ◇
田朔は長安へ戻ると、今度は買い手を急がせた。
穀物商の主人へ麻袋を見せる。
「今のうちに買った方がいいですよ」
「なぜだ」
「麦を売りに来る農家が増えています。皆が袋ごと持ってくるわけではありません」
「足りなくなるのか」
「梁家も買っています」
これは本当だった。
「何枚ある」
「まず30枚です」
「値は」
田朔が示した値を聞き、主人が顔をしかめた。
「高い」
「では、ほかへ持っていきます」
「待て」
田朔は値を下げずに待った。
「城外では安く買ったんだろう」
「俺がいくらで買ったかは関係ありません」
「若いくせに言うようになったな」
「安く仕入れて高く売らなければ、荷車を引いている意味がありません」
主人が笑った。
「少しまけろ」
「まとめて買うなら下げます」
「20買う」
「では、この値で」
売れた。
次の店でも売れた。
縄も売れた。
梁家へも持ち込んだ。
趙六が袋を1枚ずつ確かめる。
「悪くない」
「買いますか」
「値は」
田朔が答えると、趙六は顔をしかめた。
「高いな」
「今は動いています」
「この前まで農家から預かって売っていた男が、随分偉くなったな」
「今は俺が買っています」
「袋の値も分かるようになったか」
「売れる値なら分かります」
「口の値は上がったな」
「それは無料です」
趙六が笑った。
結局、梁家も買った。
◇ ◇ ◇
6月15日。
最初の商いを終えた。
曹五と杜三から受け取った元手は700銭だった。
そのうち480銭を、仕入れ、運び賃、途中の細かな支払いまで含めて使った。使わなかった220銭はそのまま残してある。
売上は760銭余りになった。
手元には、使わなかった220銭と売上を合わせて980銭ほどある。
田朔は曹五へ550銭返すことにした。元金500銭に、利益として50銭を付ける。
杜三には240銭。元金200銭に40銭を足す。
2人へ790銭返しても、田朔には190銭ほど残る。
本当に半分ずつ分ければ、田朔の取り分はもっと少ない。
だが、曹五も杜三も仕入れ値を知らない。何枚買い、いくらで売ったかも知らなかった。
田朔が教えなければ計算できない。
曹五は50銭儲かる。
杜三は40銭儲かる。
田朔は2人の利益を合わせた額より多く取る。
それでも2人は、自分が騙されたとは思わない。
田朔は、その方が気に入った。
◇ ◇ ◇
田朔は最初に曹五へ会った。
「終わりました」
「どうだった」
「思ったほどではありませんでした」
田朔は550銭を出した。
曹五の目が大きくなる。
「500だったよな」
「はい。50銭増えています」
「10日ほどでか」
「麻袋が動きましたから」
曹五はその場で数えた。
「本当に550ある」
「俺も数えました」
「お前、なかなかやるな」
「思ったより仕入れが高かったんです」
「それでも50増えた」
「俺も同じくらいです」
田朔は平然と嘘をついた。
曹五は疑わなかった。
「次もできるか」
「どうでしょう」
「何だ。できないのか」
「今度は値が変わるかもしれません」
「お前、そればかりだな」
「必ず儲かると言って失敗したら、曹五さんが怒るでしょう」
「それはそうだ」
曹五は550銭を懐へ入れた。
自分では何もせず、10日ほどで50銭増えた。
それだけで満足していた。
「杜三さんには話さないでください」
田朔が付け加えると、曹五の目が変わった。
「何であいつの名前が出る」
「南門で顔を合わせるので。余計なところから話が漏れると困ります」
「杜三にはやっていないんだな」
「やっていません」
また嘘をついた。
「当然だ。あいつにこんな話を教える必要はない」
曹五は、自分だけが得な話へ乗ったつもりでいた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、田朔は杜三へ240銭を渡した。
「40増えています」
「本当に?」
「数えてください」
杜三は手下へ数えさせた。
「兄貴、240あります」
杜三が笑った。
「10日で40か」
「悪くないでしょう」
「お前を殴って10銭取っていたのが馬鹿らしくなるな」
田朔も笑った。
「そうでしょう」
「次はもっと出せば、もっと増えるのか」
「うまくいけば」
「うまくいかなければ?」
「減ることもあります」
杜三の顔が曇った。
「減るのは困る」
「それなら、ここでやめましょう」
「誰がやめると言った」
杜三は身を乗り出した。
「次はいくらいる」
「まだ決めていません」
「曹五は知っているのか」
「知りません」
「本当だな」
「杜三さんから銭を預かっていると曹五さんへ話したら、俺の方が困ります」
杜三は笑った。
「分かっているじゃないか」
「俺も南門を使いますから」
「次は500出す」
田朔は、わざと驚いてみせた。
「500ですか」
「何だ。多いか」
「急に増やすのは怖いですよ」
「お前が怖がるな」
「なくなっても知りませんよ」
「なくすな」
「だから怖いんです」
杜三は笑った。
「お前なら大丈夫だろう」
田朔も笑った。
そう思っている間は、まだ銭を出す。
それなら訂正する必要はなかった。
◇ ◇ ◇
6月16日。
今度は曹五の方から田朔を呼び止めた。
「次はいつだ」
「もう少し値を見ます」
「800出す」
田朔は曹五を見る。
「500から800ですか」
「増やせる時に増やす」
「俺は責任を持てませんよ」
「前は増えた」
「前が増えたからといって、次も増えるとは限りません」
「それでもやれ」
田朔は考えるふりをした。
「分かりました」
「800だ」
「今度も紙はなしですか」
「いらんと言っただろう」
「分かりました」
その日のうちに曹五から800銭を受け取った。
翌日には杜三から500銭を受け取った。
合わせて1300銭になる。
2人とも、もう一方が田朔へ銭を出していることを知らない。
しかも自分だけが、田朔の儲け話へ乗っていると思っていた。
最初は田朔から声をかけなければ銭は出てこなかった。
今度は向こうから金額まで決めて持ってくる。
田朔には、最初よりはるかに楽だった。
◇ ◇ ◇
2度目の商いでは、1300銭のうち820銭ほどを仕入れと運びに使った。
残り480銭は使わずに置いた。
麻袋だけでなく、縄や麦を入れる籠も扱った。
安く売りたい者を探し、急いで買いたい者を探す。
売り手には、
「収穫が進めば売る人が増えます。今ならこの値で買います」
と話した。
城内の買い手には、
「農家も自分で袋を使い始めています。これから集めにくくなります」
と話した。
片方には品が余る話をし、もう片方には品が足りなくなる話をする。
どちらも起こる可能性はある。
田朔は、そのうち自分に都合のいい方だけを聞かせた。
6月20日までに品はほぼ売れた。
売上は1370銭ほどになった。
使わなかった480銭を合わせると、手元には1850銭近くある。
曹五へは880銭を返す。
杜三には550銭を返す。
2人へ渡す利益は合わせて130銭だ。
それでも田朔には420銭ほど残る。
最初の190銭と合わせれば、この2人を使った商いだけで600銭を超える銭を抜いたことになる。
田朔は自分の帳面へ本当の数字を書いた。
そのあと、曹五へ話す数字と杜三へ話す数字を別に書いた。
そちらには本当の仕入れ値も売値も書かない。
田順が後ろから覗いた。
「何で紙が3枚ある」
田朔はすぐに重ねた。
「見るな」
「同じ商売だろう」
「相手が違う」
「数字まで違うぞ」
「相手に見せる数字が違う」
田順は息子を見る。
「お前、騙しているのか」
「2人とも元より増えて戻る」
「それがばれたらどうする」
「ばれない相手だからやっている」
田順の顔が険しくなった。
「ずいぶん言うようになったな」
「父さんには関係ない」
「俺はお前の父親だぞ」
「だから詳しく言わない」
「何でだ」
「父さんは顔に出る」
田順は呆れた。
「お前は最近、本当に可愛くなくなったな」
「18歳の息子に可愛さを求めるな」
「前から可愛くなかったがな」
田朔は笑った。
それ以上は父にも教えなかった。




