第5話(後編)――「聞かずに聞く」
384年5月下旬。
田朔は梁家から受け取った銭を分けた。
次の仕入れに使う銭。
荷車の修理で減った分を戻す銭。
郭安へ払う稽古代。
曹五へ渡す銭。
残った分だけを別の袋へ入れた。
以前は銭が手元へ入れば、全部使えると思っていた。
今はそうではない。
使ってしまえば次の品を買えなくなる銭がある。
父の田順が袋を見た。
「荷車を買ったのに、また貯めるのか」
「次は何がいると思う」
「嫁」
田朔は父を見る。
「商売の話だ」
「俺は家の話をしている」
「嫁なら銭がもっといる」
「そこから考えるのか」
「ほかに何から考える」
田順が笑った。
「お前なら、嫁まで値切りそうだな」
「安ければ悪いとは限らない」
「女の前で言うなよ」
「分かっている」
田順は息子の銭袋を見る。
「で、次は何だ」
「まだ決めていない」
「珍しいな」
「荷車を増やすには早い。倉を借りるほど荷もない。人を雇うほど仕事もない」
「なら今ので稼げ」
「そのつもりだ」
田朔は銭袋をしまった。
欲しい物から買うのではない。
買えば今より銭を取れる物を先に買う。
荷車へ持ち銭の大半を使ったため、田朔はその違いをよく覚えていた。
◇ ◇ ◇
5月23日。
田朔は梁家へ豆を運んだあと、裏門近くで何小玉を待った。
今日は菓子を2包み持っている。
小玉が侍女と出てきた。
「また来たの?」
「仕事で来た」
「私を待っていたでしょう」
「ついでだ」
「その包みは?」
「お前の分」
小玉の顔が明るくなる。
「本当に?」
「もう1つは蘇夫人です」
小玉が笑った。
「青蘭姉さんの方が大きくない?」
「同じだ」
「怪しい」
「量ってみろ」
「そこまではしないわよ」
小玉が包みを受け取った。
「青蘭姉さんなら、たぶん中にいるわ」
「呼べるか」
「何て言えばいいの?」
「前の答えを聞きに来たと言ってくれ」
「何の?」
「どうすれば相手が自分から話すか」
小玉が思い出した。
「本当に覚えていたのね」
「菓子を2つも買ったんだ。忘れるか」
「結局、そこなのね」
小玉は侍女へ何か言い、屋敷へ戻った。
しばらくすると、赤みを帯びた衣を着た蘇青蘭が、小玉と一緒に出てきた。
「本当に持ってきたのね」
「約束でしたから」
田朔は包みを差し出した。
青蘭は受け取り、手の上で重さを確かめた。
「小玉の分より少なくない?」
「同じです」
小玉が笑った。
「私も同じことを言った」
「2人とも面倒だな」
青蘭が田朔を見る。
「今のは誰に向かって言ったの?」
田朔は口を閉じた。
「……失礼しました」
「まだまだね」
「だから教えてもらいに来ました」
「何を?」
「客から話を聞くやり方です」
青蘭はすぐには答えなかった。
田朔の後ろに止めてある荷車を見る。
「その荷車、あなたの?」
「はい」
「随分古いわね」
「古いですが、車輪は直しました」
「高かったでしょう」
「本体は安く買いました。売る男が翌日に引っ越すところだったので」
「では、いい買い物をしたのね」
「修理代まで入れると、思ったほど安くありませんでした」
「梁家へ炭を売った銭で戻った?」
「全部ではありません。でも10日でかなり戻しました」
「炭は儲かったの?」
「5日目に濡れた分を買い直したので、その日はほとんど残りませんでした。全体では……」
田朔はそこで口を止めた。
青蘭が笑っていた。
小玉もこちらを見ている。
「何ですか」
青蘭が答えた。
「私は、あなたの荷車の値段も、修理代も、炭の利益も聞いていないわ」
田朔は眉をひそめた。
「聞いたでしょう」
「古いわね、と言っただけ。高かったでしょう、とも言った。でも、いくらとは聞いていない」
田朔は今の会話を思い返した。
青蘭が続けた。
「あなたが自分から話したのよ」
小玉が声を立てて笑った。
「田朔、また取られたわね」
田朔は小玉を睨んだ。
「お前は黙っていろ」
「私は何もしていないもの」
青蘭は包みを開け、菓子を1つ取った。
「人は聞かれると警戒することがあるわ。でも、自分が知っていることを話すのは嫌いではない人も多い」
「それで、相手が話したくなるようなことを言うんですか」
「そういう時もあるわね」
「相手を褒める?」
「褒めれば何でも話すほど単純なら楽だけれど」
「では、どうするんです」
「今、教えたでしょう」
田朔は納得していない顔をした。
青蘭は荷車を見る。
「あなたは自分で買った荷車の話をしたかった。梁家へ直接炭を売れたことも、少し自慢したかった。だから私は、そこへ触れただけ」
田朔は黙った。
荷車を自分の銭で買ったことは嬉しかった。
梁家の帳面へ自分の名が残ったことも、誰かに話したかった。
それを青蘭に拾われた。
「相手が何を話したがっているかを見るんですか」
「最初から全部分かる人はいないわ。顔を見て、返事を聞いて、嫌がれば別の話へ移る。それだけよ」
「簡単そうに言いますね」
「簡単なら、あなたも今やっているでしょう?」
田朔は返事をしなかった。
青蘭が菓子を食べる。
「甘いわね」
「高かったんです」
青蘭と小玉が同時に笑った。
田朔は顔をしかめた。
「そこは毎回言うのね」と青蘭。
「本当に高いんです」
「では、元を取るまで覚えなさい」
青蘭は小玉と一緒に屋敷へ戻った。
田朔は荷車のそばに残った。
梁家の商いについては何も聞けなかった。
代わりに、聞かなくても相手が喋ることがあると知った。
田朔には、その方が使い道が多そうだった。
◇ ◇ ◇
2日後。
田朔は南門近くの茶店で曹五を見つけた。
今月分の25銭はすでに払っている。
用事はなかった。
田朔は荷車を止め、水を飲んだ。
曹五の方から声をかけてきた。
「梁家へ出入りしているそうだな」
「前から出入りしています」
「荷運びじゃなく、品を売ったと聞いた」
「炭を少しです」
「儲かっているな」
「荷車の修理代で消えました」
そこまで答えたところで、田朔は青蘭との会話を思い出した。
また自分から喋っている。
今度は曹五に喋らせることにした。
「曹五さんの方が、俺より楽に稼げるでしょう」
曹五が眉を上げた。
「何だ、その言い方は」
「俺は城外まで炭を集めに行って、荷車を引いて、雨まで気にします。曹五さんは南門にいればいい」
「お前、嫌味を言っているのか」
「羨ましいと言っています」
「馬鹿を言え。俺だって好き勝手に銭を取っているわけじゃない」
田朔は水を飲んだ。
何も聞かなかった。
曹五が続けた。
「門には門の付き合いがある。上へ回す分もある」
田朔は顔を上げた。
「上?」
「お前には関係ない」
「そうですか」
田朔はそれ以上聞かなかった。
すると曹五が自分から続けた。
「杜三だって全部自分の懐へ入れているわけじゃない」
「大変ですね」
「お前に同情される筋合いはない」
「では、来月も25銭でお願いします」
曹五が田朔を見る。
「話はそこへ持っていくのか」
「上へ回すなら、余計に毎月入った方がいいでしょう」
「30だ」
「25」
「お前は本当に変わらんな」
「5銭は大きいです」
曹五は茶を飲んだ。
「来月になったら考える」
「分かりました」
田朔は荷車を引いて茶店を出た。
曹五は、上へ回す分があると言った。
誰へ回しているのか。
いくらなのか。
そこまでは分からない。
田朔は以前、曹五が陳貴と酒を飲んでいるところを見ている。ただ、それだけで陳貴へ銭が渡っているとは決められない。
確かなのは、杜三と曹五だけで銭が止まっていないということだった。
田朔は聞かなかった。
曹五が自分から喋った。
青蘭から菓子1包みで買ったやり方は、もう少し試す価値がありそうだった。
◇ ◇ ◇
5月31日。
田朔は月の収支を書いた。
普段の小商い。
梁家へ納めた炭100束。
荷車の購入代。
修理代。
曹五へ渡した25銭。
郭安へ払った銭。
菓子2包み。
5月は、それまでで最も大きく銭が動いた月だった。
荷車を買った直後には手元の銭がほとんど消えた。
それでも月末には、次の仕入れに使える銭が残った。
田順が紙を見る。
「菓子2つ」
「そこを見るな」
「今月は女が2人になったのか」
「違う」
「1人に2つか」
「2人に1つずつだ」
田順が息子を見る。
「増えているじゃないか」
「商売の話をしている」
「俺はお前の将来を心配している」
「心配するところが違う」
田順が笑った。
田朔は紙へ目を戻した。
5月には自分の荷車を買った。
梁家へ自分の名で炭100束を売った。
崔玉容からは、次も必要なら声をかけると言われた。
蘇青蘭からは、相手に自分から喋らせるやり方を教わった。
曹五の口からは、南門で取られている銭の一部が、さらに上へ回っていることも聞いた。
田朔が持つ荷車はまだ1台だった。
荷を置けるのも家の軒下だけだ。
梁家とは比べものにならない。
だが、父の荷車を借りなければ何も運べなかった頃とは違う。
梁家の帳面にも、田朔という名前が残った。
田朔は収支を書いた紙を折り、銭袋と一緒にしまった。
梁景成のようになるには、真面目に荷車を引いているだけでは何年かかるか分からない。
田朔も、そのくらいは分かっていた。
銭だけを増やしても遅い。
梁家が持っている物、人、役人とのつながり、商売の口、町の裏で銭を取る連中まで、使えるものを増やす必要がある。
今はまだ、その方法を知らない。
知らないなら覚えればいい。
使えると分かったら、使えばいい。
384年5月が終わった。




