第2話(中編2)――「六つの命と天下の噂」
387年8月上旬、長安。
西方の2城を守り、後秦の討伐軍を撃破した田朔が帰還すると、宮城には凱旋を祝う声が響いた。だが田朔が気にかけていたのは、敵から奪った旗の数だけではない。戦場で降った兵をどう扱い、帰順した城主に安心して統治を続けてもらえるかも、次の戦を左右する問題だった。
陸文昭は西方から届いた書状を読み上げた。帰順した城主たちは、約束どおり秦軍が駆けつけたことを喜び、今後も秦王へ従うと改めて誓っている。ほかの城からも使者が訪れ始め、兵を出さずに服属を得られる見込みが生まれていた。
「戦に勝つだけなら、あの2城を見捨てても敵を追いかけられた。だが、それでは俺を信じて降った者が困る。守ると約束した以上、守り抜かなきゃならん。今後の城主たちにも、それを知らせてくれ」
田朔は将兵への褒賞を決め、段烈、趙嶽、賀蘭真、姚虎の働きを称えた。なかでも、旧後秦の将である裴慎には、敵歩兵を押さえた功績に応じて独立した指揮権を与えた。
「裴慎、お前がいなければ敵の歩兵をあれほど早く止められなかった。新しい軍を預けるから、さらに腕を見せてくれ」
「殿下、私は以前、姚萇に仕えた身でございます。それほどまでにお任せいただけるとは……」
「昔の主人の名を何度も聞かせなくていい。俺に仕えると決めたなら、もう俺の将軍だ。次の戦も頼むぞ」
裴慎は深く礼を取り、自分の部下をまとめて新たな任務へ向かった。
その夜の祝いの宴では、田朔は古参の将だけでなく新参の者にも杯を勧めた。段烈は敵騎兵の追撃を誘った苦労話を、身ぶりを交えて語っていた。田朔は笑って聞いていたが、部下たちが互いの功績を褒め合うのを見ると、ようやく全軍が1つになり始めたと感じた。
「俺は長安の王座に座って満足するつもりはない。いずれ天下を統一する。その時にはお前たちにも、もっと大きな軍と役目を預けるぞ」
広間に歓声が起こり、杯が掲げられた。
◇ ◇ ◇
宴を終えた田朔が後宮へ戻ると、王后崔玉容と妻たちが待っていた。玉容は夫の顔を見て安心したように笑い、まず父の田順が息子の勝利をどれほど喜んでいたかを話した。
「殿下がお戻りになると聞いて、お父様は若様を抱いたまま何度も宮門の方を気にしておられましたよ」
「父上らしいな。あの人は俺が戦に勝つことより、無事に戻ることを喜んでくれるからな」
田朔は玉容の腹に手を添え、身重の許玉蓮、蘇青蘭、拓跋阿若の体調も尋ねた。4人とも順調で、11月から12月にかけて出産する見込みだという。
そこへ何小玉が、少し照れた顔で近づいた。
「殿下、月のものが遅れているんです。医者には、まだはっきりとは申せぬと言われましたけれど、ひょっとすると私にも子供ができたかもしれません」
田朔は思わず妻の両手を取った。
「本当か。そうなら嬉しいぞ。ただし、まだ分からないなら無理をするな。医者にも引き続き診てもらってくれ」
小玉は目を潤ませ、以前から望んでいたことだと答えた。田朔は妻たちへ目を向けた。小玉が身重になれば、ほかの者たちにもまた希望が広がる。
「皆にもちゃんと会いに行くさ。俺が戦へ出ている間、寂しくさせたからな」
李麗華はその言葉を聞くと、今夜は自分の部屋へ来てほしいと申し出た。田朔は笑って頷き、久しぶりの夫婦の時間を楽しんだ。翌日からも政務を終えると後宮へ戻り、妻たちの部屋を順に訪ねた。
◇ ◇ ◇
8月中旬、玉容から急ぎの知らせがあった。
田朔が後宮へ向かうと、小玉の隣に麗華が座っていた。2人とも嬉しそうだが、どこか緊張している。玉容は侍女を下がらせ、夫へ笑いかけた。
「殿下、小玉が改めて診察を受け、懐妊していると分かりました。それだけではございません。麗華も医者に診てもらい、同じく子を宿しているそうです」
「2人ともか! それはめでたい!」
田朔は妻たちの手を取り、無事に育てるよう身体を大事にしてほしいと伝えた。小玉は母になれる喜びに涙を浮かべ、麗華は生まれてくる子のために衣を縫いたいと話した。すでに4人が身重だったから、これで懐妊した妻は6人になった。
田朔はその足で父の田順を訪ねた。
「父上、小玉と麗華も子を宿したぞ。これで6人だ」
「お前は戦場でも後宮でも忙しい男じゃな。しかし、皆が無事に産んでくれることが何よりだ。わしも長生きせねばならんのう」
父子は笑い合った。その夜は小玉と麗華の懐妊を祝う食事が催され、まだ身重でない蘇瑶、蘭英、月華、春華、淑蘭も喜びを分かち合った。蘇瑶は夫の隣へ寄り、今夜は自分の部屋へ来てほしいと頼んだ。田朔はその手を包み、もちろんだと答えた。
後宮では出産に備える仕事が、以前より具体的になっていた。玉容は侍女たちへ部屋の使い方を確かめさせ、寒くなる前に揃えておく寝具と赤子の衣を相談していた。小玉はまだ自分の腹がほとんど目立たないのが不思議らしく、早く母親らしくなりたいと何度も口にする。麗華はそんな小玉に、無理に動き回らず一緒に針仕事をしようと誘った。
田朔がその様子を見に行くと、玉容は積まれた布を指して笑った。
「殿下は将軍を何人も増やそうとなさっていますが、こちらも赤子を迎える人手を増やさねばなりませんね」
「そうだな。将軍の名前は覚えられるが、赤子の衣を間違えたらお前たちに叱られそうだ」
妻たちは笑い、田朔は久しぶりに戦の心配を忘れて食卓を囲んだ。
◇ ◇ ◇
8月下旬、長安へ河東と涼州からの使者が到着した。河東の豪族は秦王の実力を測ろうとし、涼州からは仕官を求める者が訪れた。陸文昭の書類には、西燕や後燕の動向も書き込まれるようになっている。
田朔は長安の東へ延びる地図を眺めた。
「向こうが俺を調べるなら、俺も向こうを調べよう。だが、その前に姚萇だ。西方で兵を集め直しているという話は、どうなっている」
後秦の王は健在で、敗れた部隊を補う兵を集めているという。田朔は将軍たちへ軍の再編を命じ、今後の遠征に備えさせた。
宮城の外では秦王の名が関中を越えて広まり、宮城の奥では6人の妻たちが赤子の衣を用意していた。田朔はその両方を大切にしながら、次に西へ進む日を見定めていた。




