第2話(前編1)――「天下の英雄を迎えよ」
387年7月上旬、長安。
秦王田朔が関中西部の反抗的な城主を討伐してから半月が過ぎた。かつて姚萇に従っていた城主たちも、長安へ服属の使者を送るようになった。城門から宮城へ通じる道には、贈り物を載せた荷車と官吏に案内される使節の姿が絶えない。
宮城の軍議では、その勢力拡大がかえって悩みの種になっていた。
「城は増えたが、守らせる将が足らん。城を取るたびに俺の軍から兵を割いていたら、いつか攻める兵までいなくなるぞ」
地図を眺める田朔に、段烈が頷いた。
「兵は集められます。だが、城を預けられる将は簡単には見つかりません。西へ攻めるつもりなら、今から手を打っておくべきですな」
趙嶽も、新たに帰順した城には土地の事情を知る役人が必要だと述べた。武勇だけで城は守れず、兵糧を集め、住民を治める者がいなければ反乱を招く。田朔が家来を増やしたいと言い出したのは、ただ威勢を張るためではなかった。
「それなら天下から呼ぼう。前秦に仕えていた奴でも、後秦の将でも構わん。腕のある者を敵だったというだけで捨てるのは惜しい。文官も同じだ。俺の代わりに国を治められる奴なら歓迎する」
陸文昭は筆を取り、各地へ求賢の布告を出すと申し出た。関中だけでなく涼州、河東、巴蜀にも知らせ、武将、官吏、学識や技術を持つ者を募るという。
「家柄も民族も問わぬことを明記してくれ。漢人だろうが鮮卑だろうが、立派に働けばそれでいい。ただし、略奪をする者や兵を私物にする者は要らん。俺の下で働くなら、俺の決めた規律を守らせる」
賀蘭真が笑った。
「殿下、それでは野心だけは大きい食わせ者までやってきますぞ」
「そんな連中に騙されるほど、俺も間抜けじゃないさ。見る目のある将がお前を含めてこれだけいるんだ。使える奴は拾い、使えぬ奴には帰ってもらえばいい」
田朔が答えると将軍たちから笑いが起こった。段烈だけは待ちきれない様子で、西へ攻める日取りを尋ねた。
「焦るな。姚萇と戦う時には、お前にも今より大きな軍を預ける。兵を増やすだけで指揮する者が足りぬのでは、俺がいくら強くても勝てんからな」
田朔はそう言って軍議を終えた。その日のうちに布告の草案が作られ、数日後には長安の城門や市場へ掲げられた。
陸文昭が広間から退出した後、田朔は改めて守備隊の帳簿を見直した。新たに服属した城には、秦国から派遣する兵だけでなく、以前からその土地に住む人々を守るための役人も必要だった。降伏した城主をそのまま残せば土地の事情は分かるが、命令に背いた時の備えがない。反対に、すべて長安の者へ入れ替えれば、現地の百姓は急な徴税や軍の食糧要求を恐れるだろう。
「城を取るのは1日でもできるが、取った後の仕事は毎日続く。俺はその全部を自分で見に行けるわけじゃない。だからこそ、腕のある者を探す必要があるんだ」
田朔は馮岳に、城の守備を任せる者の条件を細かく調べさせた。武勇だけを頼りにした将を置けば、兵を強くできても住民が疲弊する。一方、政務に長けた文官でも、兵が不穏になった時に指揮を執れなければ城は守れない。必要なのは、互いの欠点を補い合える将と役人の組み合わせだった。
求賢の布告は、そんな現実を背負って世に出された。市場の前で読み上げられると、仕事を失った元兵士だけでなく、物資の勘定に詳しい商人や地方の書記だった男たちも足を止めた。『以前の所属は問わない』という言葉を何度も確かめる者がいた。
◇ ◇ ◇
7月10日、宮城の広間に、求賢の布告に応じた武人たちが呼ばれた。
長安が陥落した時に武器を置いた者、敗軍となって主人を失った者、地方の守備隊で働いていた者。出自も経歴も異なる男たちが並ぶ中、裴慎という40歳ほどの武将が一歩進み出た。
「秦王殿下、私は長らく姚萇の軍におりました。長安が落ちた折、なお戦えば配下を無駄に死なせると考え、武器を納めた者でございます。以前の主を裏切ったと言われても仕方ありませんが、兵を率いる腕まで失ったつもりはございません」
田朔は差し出された経歴書を読んだ。裴慎は西方の城で守備隊を指揮し、歩兵と騎兵の双方を扱った経験があるという。敗北した時にも部下をまとめ、散り散りに逃げ出させなかったことは、捕虜になった将兵の証言でも確かめられていた。
「以前の主人に仕えたことを隠さないのはいい。だが、俺に仕えるとなれば、今度は昔の仲間と戦うこともあるぞ。そこは分かっているのか」
「承知しております。降伏した以上、以前の旗の下へ戻ることは考えておりません。ただ、私を信じて降った部下たちに、もう一度働く場所を得させたいのでございます」
田朔は趙嶽に意見を求めた。趙嶽は事前の聞き取りで、裴慎が守備と行軍の実務に通じていると認めていた。段烈は、口先だけでは戦場の腕は測れないと言ったが、試す機会を与えることには反対しなかった。
「よし、お前を迎えよう。ただし初めから大軍を好きに使わせるわけにはいかん。まず趙嶽の下で兵を率い、俺に腕を見せてくれ。功績を立てれば、出自も以前の主人も問わず取り立てる」
裴慎は深く頭を下げた。その顔には、降伏してから初めて軍人としての働き場所を得た安堵があった。
「必ずや、ご期待にお応えいたします」
「期待しているぞ。姚萇には悪いが、あいつの知っている道を今度は俺のために歩いてもらおう」
謁見が終わる前、田朔は裴慎をもう一度呼び止めた。
「お前が西方の城を預かっていた頃、兵糧はどうやって集めた。俺のところでは、住民から勝手に奪って軍を養うやり方は許さんぞ」
裴慎は、官倉に積む穀物と街道を通る輸送車の数を把握する必要があると説明した。守備兵の人数だけを増やしても、冬を越す食糧の見込みが立たなければ城主は村々へ過度な取り立てを始める。以前仕えた城でも、徴発に苦しんだ住民が畑を捨てたことがあったという。
「私は戦を学んだつもりでおりましたが、城を守るのは壁の上の兵だけではございませんでした。殿下が住民への略奪を禁じられたと聞き、ここならやり直せると考えたのでございます」
田朔は答えを聞き、これなら少なくとも住民の暮らしを軽んじる男ではないだろうと思った。忠誠を言葉で誓うのは簡単だ。しかし、兵糧をどう扱うかという面倒な話を避けなかったことを、田朔は覚えておくつもりだった。
裴慎に続き、旧後秦の将校数人も登用された。宮城を出た男たちが再び軍服を着ると、長安に集まっていた元敵兵たちの間に噂が広がった。田朔は降伏した者の命を助けるだけでなく、働く機会まで与えるらしい。
その噂こそ、秦王が西方へ送り込んだ新しい使者だった。戦わずに揺らぐ城が、これから現れるかもしれない。




