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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第四章――「乱世を喰らう」

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第10話(中編)――「長安陥落」

 387年4月中旬。


 長安の南に広がる平地で、田家軍と後秦軍が激突した。


 両軍の中央では弓兵が矢を放ち、盾を構えた歩兵が前進していた。後秦軍は街道を挟んで厚い槍列を組み、その後ろに予備兵を控えさせている。3月に田家軍が破った軍勢とは違い、長安を守るために集められた兵たちは、指揮官の命令に従って隊列を保っていた。


 田朔は中央軍の前方で敵の動きを見ながら、趙嶽に歩兵を進めさせた。ただし、最初から全軍をぶつけるつもりはない。後秦軍がどこに予備兵を置き、田家軍の攻撃にどう応じるかを確かめるため、前列の兵を交代させながら圧力をかけていった。


 趙嶽は敵の槍列を見て、簡単には崩れそうにないと判断した。


「向こうも腹を決めていますな。長安の手前まで来られた以上、ここで負ければ後がないと分かっているのでしょう」


「俺たちも同じだよ。ここまで来て負けたら、父上に何と言われるか分からん。長安へ帰るって知らせまで送ったんだからな」


 田朔は笑いながら答えたが、視線は敵陣から離さなかった。


 西では段烈の軍が後秦騎兵と向かい合っている。敵騎兵は田家軍の側面へ出ようとして何度か前進したものの、姚虎の斥候がその動きを早く知らせたため、段烈は歩兵を西へ向けて迎え撃つことができた。


 段烈は馬上から敵騎兵を眺め、部下へ槍を前に出すよう命じた。


「馬が多いからって怖がるな。向こうも槍の中へ突っ込むのは嫌なはずだ。勝手に追いかけるなよ。俺が行けと言うまで、そこで踏ん張ってろ!」


 後秦騎兵は田家軍の槍列へ正面から突っ込まず、距離を取って矢を放ち始めた。段烈は盾兵を前へ出し、弓兵に応射させる。騎兵を追って隊列を崩せば、敵の思うつぼになることは分かっていた。


 一方、東では馮岳が水路の間を進んでいた。畑を区切る溝や水路がいくつも走っているため、歩兵を横一列に並べて進ませることはできない。馮岳は前もって調べておいた渡り場を使い、部隊を順に向こう岸へ送っていた。


 後秦軍も東側へ兵を出し、田家軍の前進を妨げようとした。馮岳は無理に渡り場へ兵を詰め込まず、先に渡った部隊に守備を固めさせ、後続が揃ってから前進を再開した。


 田朔のもとへ、東西の戦況が次々と届いた。


 西の敵騎兵は段烈に押さえられ、東では馮岳が水路を越えて敵右翼へ近づいている。ただし、後秦軍は中央の予備兵をまだ動かしていなかった。


 田朔は敵将の旗を見ながら、趙嶽に中央軍の前進を続けさせた。


「向こうは俺が中央を破りに来ると思ってる。だから予備を残してるんだろう。だったら、しばらくそのまま待っててもらおう」


 趙嶽は田朔の意図を察し、前列の兵を交代させながら敵を押し続けた。田家軍が攻撃を強めても、後秦軍は予備兵を前へ出さず、厚い槍列で受け止めている。


 戦いが続くうち、賀蘭真の騎兵が北側から戻ってきた。


 長安から新たな軍勢が出てくる様子はなく、敵軍の後方に大きな動きも見られないという。ただし、城門へ続く街道には荷車が並び、負傷兵を運ぶ者たちが行き来していた。


 田朔は報告を聞くと、敵がまだ長安へ退くつもりではないと判断した。


「よし。なら、ここで決めよう。馮岳に伝えろ。東から押し込めるなら、今だ」


 伝令が走り、東の馮岳へ命令が届いた。


 ◇ ◇ ◇


 馮岳は田朔からの命令を受けると、渡り場を越えた歩兵を前へ進ませた。


 後秦軍の右翼は水路を背にして戦っていたため、田家軍が正面から近づいても簡単には崩れなかった。しかし馮岳は攻撃を1か所へ集中させず、複数の渡り場から兵を進め、敵にどこを守るべきか迷わせた。


 後秦側の指揮官は右翼を支えるため、中央から歩兵を送り始めた。


 その動きは田朔のいる丘からも見えた。敵将の旗の近くに置かれていた予備兵の一部が東へ向かい、後秦軍の中央には以前より広い間隔が生じている。


 趙嶽はそれを見て、中央から攻める好機だと進言した。


 田朔はすぐには動かなかった。東へ送られた兵が馮岳の軍とぶつかる前に中央を攻めれば、敵将はまだ予備兵を呼び戻せる。田朔は伝令に敵の動きを確かめさせ、東側で戦いが激しくなるのを待った。


 その頃、西でも段烈の軍が後秦騎兵を押し返し始めていた。


 敵騎兵は田家軍の槍列へ何度か接近したものの、思うように突破できず、次第に西側へ広がっていた。段烈はそこへ歩兵を進め、敵騎兵が中央へ戻る道を狭めていった。


 姚虎はさらに西の外側を回り、敵騎兵の一部が長安方面へ退こうとしているのを発見した。すぐに段烈へ知らせると、段烈は兵を前へ進ませ、敵が戻ろうとする場所へ弓兵を配置した。


「逃げるなら勝手に逃げろ。ただし、こっちへ戻ってくるなら矢を食らわせてやれ。田朔が中央で戦ってる間、あいつらを好きに動かすな!」


 後秦騎兵は西へ広がったまま田家軍と戦うことになり、中央の歩兵を助ける余裕を失っていった。


 田朔のもとへ、西の敵騎兵が押さえられたとの知らせが届いた。


 続いて東からも、馮岳が敵右翼を押し込み、後秦軍が中央から送った兵と交戦を始めたと報告された。


 田朔は趙嶽へ向き直った。


「そろそろ行くぞ。西の騎兵は段烈が押さえてる。東の予備兵も馮岳が引き受けた。残ってる中央を俺たちで破る」


 趙嶽は中央軍の兵を集め、田朔の旗の下へ精鋭を揃えた。


 田朔は馬を進め、前列の兵たちへ声をかけた。


「長安はすぐそこだ。あの城を取れば、俺たちはもう逃げる必要がない。父親も女房も子供も、みんな呼んでこられる。今日ここで勝って、長安へ帰るぞ!」


 兵たちから大きな鬨の声が上がった。


 軍鼓が鳴り、田朔の中央軍が一斉に前進する。


 後秦軍は槍列を固めて迎え撃ったが、東へ予備兵を送った後であり、中央の後列には十分な兵が残っていなかった。田家軍の盾兵が矢を受けながら近づき、槍兵が敵の前列へ突きかかる。


 両軍の兵が激しくぶつかり、前列では槍が折れ、盾が割れた。後秦兵も必死に抵抗し、田家軍の攻撃を何度か押し返したが、趙嶽は後方の予備兵を順に投入し、攻撃を途切れさせなかった。


 田朔も馬上から敵陣を見続け、後秦軍の前列が下がり始めた場所へ兵を集中させた。


「趙嶽、あそこだ! 敵の旗が下がってる。右を前へ出せ!」


 中央軍の右側が前進すると、後秦軍はそちらへ兵を寄せた。しかし、すでに東西へ兵を分けていたため、中央の隊列を十分に立て直すことができない。


 田朔は敵が右へ兵を動かしたのを見て、今度は中央の精鋭を前へ押し出した。


 後秦軍の前列が後退し、後列とぶつかる。敵将は旗を振って兵を踏みとどまらせようとしたが、田家軍の攻撃は止まらなかった。


 やがて後秦軍の中央に隙間が生じ、田朔の兵がそこへ入り込んだ。


 趙嶽はその隙間を広げるため、後方から新たな兵を送り込んだ。田朔も自ら馬を進め、崩れ始めた敵の中央へ向かって剣を振り上げた。


「押せ! ここを破れば長安だ!」


 田家軍の兵が一斉に前へ出ると、後秦軍の中央はついに耐えきれなくなった。


 敵将の旗が後方へ移動し、前列の兵が長安方面へ退き始める。中央が崩れたことで、東西の部隊にも動揺が広がった。


 西では段烈が敵騎兵を押し返し、東では馮岳が後秦軍の右翼を崩していた。中央の敗北を知った敵兵は、それぞれ長安へ向かって退却を始める。


 田朔は逃げる敵を見ながら、すぐに追撃の命令を出した。


「賀蘭真と姚虎を先へ出せ。段烈は西から追え。馮岳は東の兵をまとめて街道へ出ろ。俺と趙嶽は中央から行くぞ!」


 田家軍は敗れた後秦軍を追い、長安へ向かって北上した。


 ◇ ◇ ◇


 後秦軍は長安へ逃げ帰ろうとしたが、田家軍の追撃は激しかった。


 賀蘭真と姚虎の騎兵が街道の外側を走り、脇道へ散ろうとする敵兵を追い立てる。段烈も西から進み、逃げる後秦騎兵を追っていた。馮岳は歩兵をまとめ、隊列を崩さず街道へ出て、田朔の中央軍と歩調を合わせた。


 後秦軍の敗残兵は長安の城門へ向かって殺到した。


 城壁の上では守備兵が慌ただしく動き、門の前には逃げ帰った兵たちが集まり始めている。田朔はその様子を遠くから見て、敵が城門を閉ざす前に近づく必要があると判断した。


 賀蘭真が戻ってきて、長安の南門では敗残兵を収容するために門を開けていると報告した。


「今なら入れるかもしれん。ただし、門の前には兵が集まってる。無理に突っ込めば、こっちもかなりやられるぞ」


 田朔は城門の様子を確かめ、騎兵だけで飛び込むのは危険だと判断した。敗残兵と一緒に門へ入ろうとしても、城壁の上から矢を浴びせられれば逃げ場がない。


「分かった。お前は門の近くを見張ってろ。閉まるなら閉まるでいい。俺たちはもうここまで来たんだからな」


 田朔は中央軍を城門の外へ進ませ、後続の歩兵が揃うのを待った。


 段烈と馮岳も到着し、田家軍は長安の南側へ兵を展開した。城壁の上には後秦の旗が並び、弓兵が田家軍へ向けて矢を構えている。


 田朔は城壁を見上げた。


 長安の城壁は、かつて自分が暮らしていた頃と変わらず高かった。商売をしていた頃には、あの門を通って荷車を引き、銭を稼ぐために町を歩き回っていたのである。


 今はその城門の前に、田家軍の旗が並んでいる。


 田朔は趙嶽と段烈を呼び、城門への攻撃準備を命じた。


「ここまで来たんだ。城壁が高いからって帰るわけにはいかん。明日から攻めるぞ」


 段烈は待っていたように笑った。


「ようやく長安の城門を叩けるのか。昔のお前が見たら腰を抜かすだろうな」


「昔の俺なら、こんな軍が来たら荷車を置いて逃げてるよ。だが、今度は逃げる側じゃない」


 田朔は笑いながら城門を見上げた。


 その夜、田家軍は長安の南側に陣を敷き、攻城の準備を始めた。兵たちは周囲の村から木材を集め、工兵が梯子や攻城兵器を整える。城壁の上では後秦軍が松明を掲げ、田家軍の動きを見張っていた。


 翌朝、田朔は将たちを集め、攻城の配置を決めた。


 段烈は南門への攻撃を担当し、馮岳は東側の城壁へ兵を進める。趙嶽は中央軍を率いて段烈を支え、賀蘭真と姚虎は城の外側を回って後秦の援軍が近づかないか監視する。


 田朔は攻城兵器が揃うのを待ち、南門の前へ兵を進ませた。


 城壁の上から矢が飛び、田家軍の盾兵がそれを受け止める。段烈の部隊は梯子を運び、城門へ近づいた。後秦軍も石や矢を浴びせ、田家軍の攻撃を防ごうとする。


 田朔は戦況を見ながら、攻城兵器を前へ出すよう命じた。


「門を破れ! 今日こそ長安へ入るぞ!」


 軍鼓が鳴り、田家軍の兵が城門へ殺到した。


 後秦軍は城壁から必死に抵抗したが、田家軍の攻撃は止まらなかった。段烈が兵を率いて城門へ迫り、趙嶽も後続を送り込む。馮岳は東側の城壁へ攻撃を仕掛け、守備兵をそちらへ引きつけていた。


 やがて南門の扉が大きく揺れ、門を支える木材が折れ始めた。


 段烈はそれを見ると、兵たちへ声を張り上げた。


「もう少しだ! 押せ! 長安の門をぶち破れ!」


 攻城兵器が再び門へぶつかり、重い音が響いた。城門の片側が内側へ傾き、そこへ田家軍の兵が一斉に押し寄せる。


 田朔は剣を抜き、中央軍へ前進を命じた。


「趙嶽、行くぞ! 長安へ入る!」


 田家軍の兵が城門を突破し、長安の市街へなだれ込んだ。


 城内では後秦軍がなお抵抗していたが、南門を失ったことで守備兵の配置は乱れ始めた。田朔は兵をまとめながら街路を進み、後秦軍が宮城へ向かって退くのを追った。


 かつて荷車を引いて歩いた道を、今は兵を率いて進んでいる。田朔は見覚えのある建物や通りを目にしながらも、足を止めることはなかった。


 やがて田家軍は宮城へ迫り、後秦軍の残兵を追い詰めた。


 後秦の将たちは最後まで抵抗したものの、城門を破られ、田家軍が市街へ入り込んだ以上、もはや戦いを続けることは難しかった。降伏する者が相次ぎ、宮城の門も田家軍の前に開かれた。


 田朔は兵を率いて宮城へ入った。


 長安の宮殿には、かつて後秦の支配者が座っていた場所がある。田朔はその広間へ足を踏み入れ、周囲を見渡した。


 陸文昭が後から到着し、長安の主要な門と官庫が田家軍の手に入ったことを報告した。姚萇はすでに城を脱出しており、後秦の残存勢力を率いて逃れたという。


 田朔は報告を聞き、しばらく黙っていた。


 2年前、父とともに長安を逃げ出した時には、再びこの都へ戻れるとは思っていなかった。まして、自分が兵を率いて城門を破り、宮城へ入ることになるなど、想像もしなかったのである。


 段烈が広間へ入ってくると、田朔の肩を叩いて笑った。


「とうとう取ったな。長安だぞ。お前の故郷を、俺たちが取ったんだ!」


 田朔は段烈を見て笑い、広間の奥へ進んだ。


「そうだな。ようやく帰ってきたよ」


 387年4月、長安は田家軍の手に落ちた。

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