第8話(後編)――「俺は俺の国を取る」
387年2月下旬。
軍鼓が鳴ると、田家軍は三方から城へ向かって動き始めた。田朔が率いる中央軍は正面から城壁へ近づき、西では段烈、東では馮岳がそれぞれ兵を進める。前日の野戦で敗れて逃げ込んだ兵も城内にいるため、城壁にはかなりの人数が並んでいたが、夜の間に賀蘭真と姚虎が周囲を調べ、外から援軍が近づいていないことは確認してあった。
田朔は盾兵を前へ出し、その後ろへ弓兵を続かせた。敵の矢が届き始めても盾兵は歩調を落とさず、後方の弓兵が城壁へ射返す。ほどなく西と東からも軍鼓が響き、段烈と馮岳の攻撃が始まった。
正面だけを見ていればよい戦ではない。賀蘭真の騎兵は城外を広く回り、姚虎は北へ続く街道を見張っている。城壁の敵がどこへ兵を移しているかも、各隊から送られてくる伝令によって田朔のもとへ集まっていた。
西で段烈が城壁へ取りつくと、敵はそちらへ兵を回した。ほどなく東でも馮岳の攻撃が激しくなり、守備兵が再び動く。正面の守りが薄くなったのを見た田朔は、趙嶽に歩兵をまとめて門へ向かわせた。
「趙嶽、ここを破る。盾を前へ出して、そのまま門まで行け」
「承知しました。弓兵にも前へ出てもらいます」
「任せる。俺も続く」
趙嶽が率いる兵が盾を連ねて門前へ迫り、城壁から降る矢や石を防ぎながら、後続が門へ取りついた。門を打つ重い音が何度も響く間にも、西と東から伝令が戻ってくる。最初に段烈が城壁の一角を越え、その直後には馮岳も東から城内へ入った。
敵は左右から侵入した田家軍へ兵を回さざるを得なくなり、門前の守りはさらに薄くなった。やがて内側からも怒号が聞こえ始め、西から入った段烈の兵が門を守る敵の背後へ迫っていることが分かった。
「もう一度だ。押し込め!」
田朔の号令で兵が門へ殺到し、何度目かの衝撃で門扉が大きく傾いた。歓声が上がる中、趙嶽が兵を押し込み、田朔も剣を抜いてその後へ続いた。
「兵営と倉を先に押さえろ。家へ入り込む奴がいたら引きずり出せ。降る兵には手を出すな!」
中央軍が壊れた門から大路へ入ると、敵兵はなお隊列を組んで抵抗した。しかし西からは段烈、東からは馮岳の兵が近づいている。前日の野戦から戦い続けていた者も多く、三方から田家軍が入ったことが伝わるにつれて、武器を捨てる兵が増えていった。
田朔は降伏した者を後方へ集めさせ、なお抵抗する兵だけを趙嶽に押さえさせた。昼を過ぎる頃には兵営が田家軍の手に入り、倉と武器庫も確保された。北へ逃れた兵の一部については賀蘭真が行き先を確かめたが、城外で無理に追い続けることはさせなかった。
兵営へ入った田朔を待っていたのは、先に西から入った段烈であった。
「昨日から逃げてばかりだった連中だ。さすがに今日は早かったな。馮岳の方も、もう大きな戦は終わってる。それより見てみろ。昨日の連中が飯まで持って逃げ込んだおかげで、倉が思ったより残ってるぞ」
「それはありがたいな。兵には勝手に触らせるなよ。中身と量を確かめてから配る」
「城を取った直後に、真っ先に気にするのが倉か。そういうところは昔から変わらんな」
「食い物を雑に扱う将軍よりはましだろ」
「はいはい、田将軍」
段烈は笑いながら部下のところへ戻っていった。
田朔はその後も城内を回り、降伏兵の扱いを趙嶽へ任せた。前日の野戦で降った者と同様に経歴を確かめ、使える者を選ぶが、すぐに武器は戻さない。馮岳には城内の守りを整えさせ、賀蘭真と姚虎には周辺の街道を引き続き探らせた。
城を取ったことで、この日の仕事が終わったわけではなかった。
◇ ◇ ◇
翌日の午後、田朔が前の城へ戻ると、後秦と前秦の使者が城門近くまで出てきていた。段烈が面白がって呼び出したらしく、田朔が馬を降りながら睨むと、本人は悪びれる様子もない。
「せっかく勝って帰ってきたんだ。見てもらった方が話が早いだろ」
「余計なことだけはよく思いつくな」
「それほどでもない」
田朔が呆れている間にも、城門から帰還する兵が次々と入ってきた。出陣した田家軍だけではない。その後ろには降伏した兵が続き、さらに敵の城から運び出した荷を載せた車も見える。後秦の使者はその列を黙って眺めていた。
前秦の使者は田朔へ礼をし、城を落としたことを祝った。
「昨日逃げ込んだ連中を、そのまま置いてくるわけにもいかなかったからな。城も倉も使える状態で取れた。しばらくは兵を置ける」
田朔がそう答えると、後秦の使者は降伏兵の列へ目を向けたまま言った。
「田殿は、勝つたびに兵を増やしておられるように見えます。しかし、降った者をそのまま軍へ入れておられるわけではないのでしょうな」
「そこは趙嶽に見させてる。使える奴なら残すし、怪しい奴に武器は持たせない。人数だけ増やして後ろから刺されたんじゃ笑えないからな」
ちょうど降伏兵を連れて戻った趙嶽が、それを聞いて苦笑した。
「そのおかげで、こちらは日に日に見る人数が増えております。そろそろ私1人では追いつきません」
「だったら人をつけよう。前秦の軍を知っている奴も増えてきただろ。全部自分で抱えるな」
「そうしていただけると助かります」
趙嶽は一礼すると、降伏兵を連れて城内へ入っていった。
田朔は2人の使者にも休むよう勧め、自分は風呂へ行くと言って屋敷へ向かった。前秦の使者はその背中を見て笑っていたが、後秦の使者は来た時とは違い、何も言わずに帰還した兵と荷車の列を眺め続けていた。
◇ ◇ ◇
新しい城を取ったという知らせが周囲へ広がるにつれて、田家軍のもとへ来る者はさらに増えた。
とりわけ目立ったのは前秦の旧兵である。以前は1人、2人で現れる者が多かったが、かつて同じ隊にいた者同士で連れ立ってくるようになり、中には部下を率いた経験のある者も混じっていた。趙嶽だけでは経歴を確かめる仕事が追いつかなくなったため、田朔はすでに田家軍へ加わった旧前秦兵の中から信頼できる者を選ばせ、聞き取りや選別を手伝わせることにした。
集まってくるのは兵だけではない。役所で働いた経験のある者、周辺の土地や街道を知る者、荷を運ぶ商人なども姿を見せ始めた。仕官を望む者もいれば、田家軍がどこまで進むのか見定めるために訪れる者もいる。
田朔は誰でも抱え込むことはせず、役人として使えそうな者は陸文昭に見させた。商人からは街道の状態や物価、どこへ行けば食糧が集まるのかを聞く。田朔自身が商売をしていた頃なら、同じ話を聞いても儲かる場所を探しただろうが、今は兵を動かし、城を維持するための情報として聞いていた。
夕方になると、趙嶽が疲れた顔で部屋へ入ってきた。
「今日も前秦の旧兵が来ています。今度はまとまった人数で、隊を率いた経験のある男も混じっていました。経歴を確かめるまで武器は預かっていますが、この調子で増えるなら受け入れる側も人を増やした方がよいでしょう」
「そうしてくれ。来た奴には先に飯を食わせろ。腹を減らしたまま話を聞いたって、ろくな答えは返ってこない。それと、抱えられる人数を越えてまで兵を増やすな。飯を食わせられなくなったら軍じゃなくなる」
「その辺りは昔から変わりませんな」
「兵糧がなくても戦える軍があるなら教えてくれ。俺も入りたい」
趙嶽は疲れた顔のまま笑い、翌日から選別を手伝う者を増やすと言って部屋を出ていった。
その間にも陸文昭は、集まってきた情報を地図へ書き加えていた。賀蘭真と姚虎が外から調べていた城についても、そこにいた経験のある者から守備兵の様子や食糧を入れる道、周辺勢力との往来が聞けるようになっている。
「兵が増えるだけではありません。関中を知る人間そのものが、田様のところへ集まり始めています。こちらが1から調べるより、はるかに早く分かることも増えるでしょう」
陸文昭が地図を示すと、田朔は新たに書き込まれた道を目で追った。秦嶺を越えたばかりの頃には名前しか知らなかった土地が、そこへ来る人間の数だけ詳しくなり、長安までの道も以前よりはっきり見えるようになっていた。
◇ ◇ ◇
数日後、後秦と前秦の使者がそれぞれ帰ることになった。
田朔は2人を同席させず、先に後秦の使者と会った。初日に比べれば男の態度は明らかに慎重になっている。田朔が若いことも元商人であることも変わらないが、実際に軍を出して敵を破り、城を増やし、降伏兵まで吸収するところを見た後では、来た時と同じように扱うことはできなかった。
「田殿。長安へ戻る前に、朝廷へお伝えする返事をいただきたい」
田朔は用意させていた書状を男へ渡した。
「俺は関中でまだやることがある。後秦と争うためだけに来たわけじゃないが、今持っている土地を誰かに渡すつもりもない。仕えるかどうかは、まだ返事をしない。長安にはそのまま伝えてくれ」
使者は書状を受け取ったものの、すぐには懐へ入れなかった。
「田殿は、我らがまだご自身を見定めているとお考えなのですな」
「そっちだけじゃない。俺だって長安を見てる。お互い様だろ」
男はそこで初めて、初日の愛想笑いとは違う笑みを見せた。
「商人であった頃から、そのように相手を見て商いをされていたのでしょうか」
「昔は草鞋を売るだけで必死だった。こんな話をしても誰も信じなくなってきたけどな」
「私も、今の田殿だけを見れば信じられません」
田朔が笑うと、使者も声を出して笑った。最後に深く礼をし、従者を連れて長安へ向かった。
午後には前秦の使者が訪れた。
こちらは返事を急かすことなく、席につくと自分から口を開いた。
「この数日で、田殿が我らの命を受けて戦う方ではないことはよく分かりました。それでも姚萇と田殿の利が、いつまでも重なるわけではないことだけは覚えておいていただきたい」
「そっちも、俺が長安を欲しがってることは覚えておいた方がいい。最初に言ったとおり、長安を取り戻す話そのものは気に入ってる」
「誰のために取り戻すかは別だ、とも言われましたな。あの言葉は忘れられそうにありません」
「なら話は早い。俺は俺のために動く。そっちも自分たちのために動けばいい。使える情報があるなら交換しよう」
田朔は前秦側にも書状を渡した。共に後秦と戦うとも、前秦へ臣従するとも書いていない。田家軍が現在確保している土地を守りながら関中で行動を続けることと、今後も情報のやり取りを拒まないことだけを記してある。
使者は書状を懐へ入れ、席を立った。
「次にお会いする時、田殿がどこまで進んでおられるのか楽しみにしております。ただ、長安でお会いすることだけは、あまり考えたくありませんな」
「その時は俺が飯を出してやるよ」
「ずいぶん高い食事になりそうです」
使者は苦笑しながら礼をして去った。
田朔は2人の見送りには出なかったが、賀蘭真には、それぞれの使者がどの道を使って帰るのかを確かめさせた。使者が持ってきた言葉だけでなく、どこを通り、どこへ戻るのかも、これから関中で戦う田家軍には役に立つ。
◇ ◇ ◇
2月の終わりには、関中側に置かれた田家軍の地図は、秦嶺を越えた直後とは比べものにならないほど詳しくなっていた。
賀蘭真と姚虎が調べた街道、趙嶽のもとへ来た旧兵が知っていた城、商人から聞いた食糧の集まる場所が書き加えられ、段烈と馮岳の兵も次の進軍に備えて整えられている。新しく加わった兵の組み直しも続き、田家軍は城を取るたびに、その土地だけでなく兵と情報まで手に入れるようになっていた。
陸文昭は長安へ続く道へ指を置いた。
「後秦の使者は田様を味方にできるか確かめに来ました。前秦も同じでしょう。しかし2人とも、帰る頃には別の報告を持つことになりました。次は、味方にできるかだけではなく、田家軍がどこまで北へ来るのかを見るはずです」
「だったら見せてやればいい。後秦と前秦が戦ってる間に、こっちは進めるところまで進む。3月も北へ行くぞ」
陸文昭は次に調べるべき街道を示し、賀蘭真と姚虎をさらに北へ出す準備を始めた。
そこへ南鄭から使者が到着し、父の田順からの書状と屋敷の知らせを届けた。
南鄭と漢中に大きな異変はなく、田順も玉容たちも無事である。以前から兆しのあった懐妊についても診てもらっているという知らせを読んだ田朔は、父からの書状を丁寧に畳んだ。
「南鄭が無事なら、こっちはまだ動ける。今帰ったら、また秦嶺を越えてこなきゃならんからな」
陸文昭は何も急かさず、田朔が続きを話すのを待った。
「長安を取る。そうしたら父上も玉容たちも呼べる。俺が戻るより、その方が早い」
2年前には父と2人で長安から南へ逃げ、秦嶺を越えた。
今ではその山を越えた北側に田家の城があり、兵が集まり、長安と前秦の双方から使者が来るようになった。田朔が見ているものも、南鄭で商売を始めた頃とは変わっている。
その日の夕方、田朔が城壁へ上がると、城門から賀蘭真と姚虎の騎兵が北へ出ていくところだった。城内では趙嶽が新しく加わった兵を見ており、馮岳の隊は荷を整え、段烈も次の進軍に備えて部下を動かしている。
2月の初め、後秦は田朔を味方へ引き入れようと使者を送り、その翌日には前秦も同じように使者を寄越した。
月が終わる頃には、2人とも返事だけを持ち帰ることはできなくなっていた。
秦嶺の南から来た若い男が、自分で軍を率いて戦い、勝てば城を取り、降った兵を選んで自軍へ加え、さらに次の土地へ手を伸ばしている。その事実まで、それぞれの主へ報告しなければならない。
田朔は北へ続く街道を眺めた。
長安までは、まだいくつもの城と道が残っている。
それでも2年前とは違う。
今度は長安にいる者たちが、田朔がどこまで来るのかを気にしていた。
387年2月が終わった。




