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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第四章――「乱世を喰らう」

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第8話(中編)――「二人の使者」

 387年2月中旬。


 前秦の使者と会ったのは、翌朝であった。


 後秦から来た男より年上で、日に焼けた顔には深い皺が刻まれている。衣服こそ使者らしく整えていたが、田朔には役人というより、長く軍中で暮らしてきた男に見えた。


 田朔が部屋へ入ると、使者は立ち上がって礼をした。


「田朔殿。秦嶺を越えられたとの報せは、我らのもとにも届いております。後秦と戦う我らにとって、漢中から関中へ新たな軍勢が現れたことは無視できません」


 昨日の使者とは話の入り方から違っていた。後秦は田朔を値踏みしながら懐へ入れようとしたが、こちらは最初から姚萇と戦う者同士として話を進めるつもりらしい。


 田朔は男に座るよう勧め、自分も卓を挟んで腰を下ろした。陸文昭と趙嶽が左右に控え、段烈は少し離れた場所で壁に背を預けている。


「そこまで分かっているなら話は早い。俺に何を望んでいるのか、先に聞かせてくれ」


「後秦を討っていただきたい。我らには飾った言葉を並べている余裕がありません。姚萇は長安を奪い、関中を我が物としていますが、前秦はまだ滅びておりません。陛下も兵を集めて戦っておられます。田殿が南から進めば、後秦はこちらへ向ける兵を割かねばならなくなります」


 使者はさらに、後秦を退ければ田朔が関中で手に入れた土地を保持することにも異存はないと続けた。


 田朔は卓上の杯を指で回しながら聞いていたが、そこで小さく笑った。


「昨日も似たような話を聞いたな。俺が自分で取った土地を認めてやるから、自分たちのために戦えって話だ」


 使者の目が細くなったが、田朔は誰から聞いたとは言わなかった。壁際では段烈が下を向いている。笑いを堪えているのが見えた。


「田殿は前秦の民であり、長安にも住んでおられたと聞いております。ならば姚萇に奪われた長安を取り戻すことには、異存がありますまい」


「長安を取り戻すところまでは気に入った。ただし、誰のために取り戻すかは別だ」


 使者の顔から笑みが消えた。


 田朔は酒を注がせながら、相手の返事を待たずに続けた。


「俺は後秦に仕えるために関中へ来たわけじゃないし、前秦を助けるためでもない。漢中から連れてきたのは俺の兵で、秦嶺を越えて取った城も俺たちが戦って取ったものだ。その上で後秦を敵に回せというなら、まず北の様子を聞かせてもらいたい。どこに兵がいて、どの道を使い、前秦と戦っている軍がどこまで動いているのか。それが分からなければ兵は出せん」


 使者はすぐには杯へ手を伸ばさなかった。


「我らの軍情をお求めですか」


「何も教えずに後秦と戦えと言うつもりなら、その方が無理な話だろう」


 使者はしばらく田朔を見ていたが、やがて杯を取った。


「田殿について、聞いていた話が1つ間違っていたようです。若い男だと聞いておりましたが、それだけで判断してよい方ではなかった」


「若いところは間違ってないぞ」


 段烈がとうとう横を向き、趙嶽まで笑った。


 使者も苦笑したが、先ほどまでより口は軽くなった。すべてを明かすことはなかったものの、後秦軍が動いている方面や前秦側との戦況について、話せる範囲で説明を始めた。


 田朔は途中で遮らず、陸文昭と趙嶽にも聞かせた。


 返事はしなかった。


 ◇ ◇ ◇


 昼になる前に、賀蘭真と姚虎が戻ってきた。


 2人が持ち帰った報告を聞くため、田朔は使者との会談を切り上げ、地図を広げてある部屋へ移った。


 北の街道では数日前から兵の往来が増えているものの、まとまった軍勢が南下する動きはない。東へ抜ける道にも騎馬が現れたが、田家軍の様子を探る程度である。一方、西では村から食糧を集める兵が確認され、近くの城が軍を動かす準備を始めていた。


 賀蘭真は自分が確かめた場所へ木札を置き、姚虎も東から北へ回って見てきた道を書き加えた。2人の報告を照らし合わせても、田家軍へ向かう大軍は見つかっていない。


 趙嶽は西側に置かれた木札を手に取った。


「この城が先に動きそうです。田家軍がさらに兵を集める前に、秦嶺の方へ押し戻しておきたいのでしょう。すでに食糧まで集めているなら、こちらが待つほど向こうの準備が整います」


 田朔も同じところを見ていた。


 後秦と前秦から使者が来ている間にも、近くの敵は兵を集めている。長安からどんな官職を出すと言われようが、前秦からどんな誘いを受けようが、目の前の敵が待ってくれるわけではない。


「段烈は西へ出て、敵の動きを見ながら街道を押さえてくれ。馮岳にも兵を出させる。俺は中央をまとめて後から行く」


「やっと俺の出番だな。朝から使者の話ばかりで尻が痛くなってきたところだ」


「昨日から酒ばかり飲んでた奴が言うな。さっさと支度してこい」


 段烈は笑いながら立ち上がったが、戸口まで行ったところで使者をどうするのかと振り返った。


「飯を食わせて待たせておけばいい。2人とも長い道を来た客には違いない。腹を減らせて帰したら、田家はけちだと言われる」


「そこだけ元商人に戻るんだな」


 段烈が声を上げて笑い、そのまま部屋を出ていった。


 田朔は賀蘭真と姚虎には、もう一度先へ出るよう命じた。西へ向かう敵だけを追うのではなく、その後方と北の街道まで広く見て、別の軍が続いていないか確かめさせる。趙嶽にも兵をまとめさせると、部屋には陸文昭だけが残った。


「使者が来た翌日に出陣となれば、長安も前秦も驚くでしょうな」


 陸文昭が地図を畳む田朔を見ながら言った。


「向こうが兵を集めてるんだ。待ってやる理由はない。それに、俺が誰の返事を待って兵を動かしてるわけじゃないってことも、見れば分かるだろ」


 田朔は畳んだ地図を脇へ置き、兵装を整えるため部屋を出た。


 ◇ ◇ ◇


 後秦の使者が異変に気づいたのは、城内に軍鼓が響いた時であった。


 窓の外では兵が次々と城門へ向かっている。馬を引く者、槍を担ぐ者、荷を運ぶ者が途切れず通り、城外ではすでに田家の旗が動き始めていた。


 使者が従者を連れて部屋を出ると、廊下の向こうから別の一団が現れた。


 先頭にいた前秦の使者も足を止めた。


 互いに相手が何者なのか、衣服と従者を見れば分かったらしい。しばらく無言で見合った後、後秦の使者が先に口を開いた。


「これは珍しいところでお会いしましたな。前秦の方々まで、秦嶺を越えてきた田殿へ御用がおありとは」


「長安からここまで足を運ばれた方に言われるとは思いませんでした。後秦も田殿のことが、ずいぶん気になっているようですな」


 田家の兵たちは、2人の間に挟まれて困った顔をしていた。


 そこへ陸文昭が現れた。


「ちょうどよいところへ来られました。田様はこれから城外へ出られます。見送られるのでしたら、こちらへどうぞ」


 2人の使者は互いに顔を見合わせたが、結局は陸文昭の後について城門へ向かった。


 城外では、すでに田朔が馬上にいた。趙嶽が率いる中央の兵が街道に並び、少し離れた場所では馮岳の部隊も動き始めている。


 2人を見つけた田朔は、驚いた様子もなく笑った。


「会ったみたいだな。ちょうどいい。俺はこれから西へ行くから、帰るなら勝手に帰ってくれ。まだいるなら飯でも食って待ってろ」


 後秦の使者は呆れたように田朔を見た。


「我らが同じ城にいることを、ご存じだったのですな」


「俺が泊めたんだから知ってるに決まってるだろ」


 前秦の使者が声を殺して笑ったところへ、城外から騎兵が駆け込んできた。


 賀蘭真の配下である。


「田様、西の兵が城を出ました。段烈様が街道の南で見ています。敵は増えていますが、その後ろに別の軍は確認できません。北にも大きな動きはありません!」


 田朔は報告を聞き終えると、すぐに趙嶽へ出発を命じた。馮岳には予定どおり東から回らせ、自分は中央の兵を率いて西へ向かう。


 後秦の使者が馬を進めようとする田朔を呼び止めた。


「田殿。相手がどの勢力に属する兵か、まだ確かめておられないのではありませんか」


「俺の取った土地へ武器を持って入ってきた。それだけ分かれば、今は十分だ」


 田朔は馬首を西へ向けた。


 趙嶽が続き、その後ろから兵が次々と街道へ出ていく。


 2人の使者は城門前に残ったまま、その軍勢を見送った。


 前秦の使者が隣の男へ視線を向けた。


「どうやら、我らのどちらにも返事をするつもりはなさそうですな」


 後秦の使者は答えなかった。


 街道の先では、田家の旗が次々と西へ消えていった。


 ◇ ◇ ◇


 田朔が戦場へ着いた時、段烈はすでに敵と向かい合っていた。


 街道の北には畑が広がり、南には低い丘が続いている。敵は街道を中心に兵を並べ、田家軍の進路を塞いでいたが、まだ戦端は開かれていない。


 田朔が丘へ馬を上げると、段烈が自分の隊から離れて駆けてきた。


「遅かったな。向こうが出てこないから、こっちから行くか迷ってたところだ」


「珍しく我慢したな。賀蘭真たちの報告が揃うまで待って正解だ。勝ったら褒めてやる」


「なら、さっさと勝とうぜ」


 段烈は笑いながら自分の隊へ戻った。


 賀蘭真と姚虎から届いた報告は変わっていない。敵の後方に別働隊はなく、北から援軍が下りてくる様子もない。東を回っている馮岳も、まもなく敵の側面へ出られる位置まで進んでいた。


 田朔は丘の上から敵陣を見渡した。


 目の前の敵は少なくない。しかし、周囲に別の軍はいない。そこまで確かめているなら、これ以上待つ必要はなかった。


「趙嶽は中央を前へ。段烈には西から押させろ。馮岳の旗が東に出たら、俺も中央を進める」


 命令を受けた趙嶽が丘を駆け下り、各隊へ合図が送られた。


 やがて軍鼓が鳴った。


 段烈の隊が西から動き始めると、敵もそちらへ兵を寄せた。その直後、東の畑の向こうに馮岳の旗が現れ、別の軍鼓が響いた。


 敵は東西へ兵を振り分けた。


 田朔は剣を抜いた。


「中央、行くぞ!」


 趙嶽の隊が正面から敵へぶつかり、その後ろを田朔の本隊が押した。敵も槍を並べて踏みとどまったが、西では段烈が前へ出ており、東からは馮岳が迫っている。左右へ兵を割いたままでは、田朔の中央を押し返せなかった。


 敵の前列が少しずつ下がり始めた。


 田朔はその動きを見逃さず、さらに兵を前へ出した。


「止まるな! そのまま押せ!」


 中央の兵が声を上げて進む。


 敵の一角が崩れると、後退は周囲へ広がった。最初は列を保っていた兵も次第に散り、街道を北西へ逃げる者や畑へ入る者が増えていく。武器を捨てて立ち止まる兵も現れた。


 田朔は逃げる兵を追うことより、その先に別の軍がいないか確かめることを優先した。


「賀蘭真は逃げた連中がどこへ入るか見てこい。城まで追い込まれても、そのまま突っ込むな。姚虎は北を見ろ。援軍が動いたらすぐ戻れ」


 2隊の騎兵がそれぞれ別方向へ走り出した。


 田朔は中央の兵をまとめ直しながら街道を進んだ。ほどなく段烈が西から合流し、馮岳も東から戻ってきた。


「もう終わりかと思ったが、逃げた連中の入る城が残ってるんだろ」


 段烈が機嫌よく言った。


「賀蘭真が確かめに行ってる。城へ入ったなら、次はそこだ」


「それなら文句はない」


 日が傾き始めた頃、賀蘭真が戻ってきた。


 逃げた兵は西の城へ入り、城門を閉じたという。周囲の村からも兵を集め始めているが、北から新たな軍勢が向かってくる様子はなく、姚虎が調べた街道にも大きな動きはなかった。


 田朔はその場で進軍を止めた。兵には飯を食わせ、負傷者を後方へ送り、崩れた隊列を整えさせる。賀蘭真と姚虎には夜の間も周囲を見張らせ、敵の増援が動けばすぐ知らせるよう命じた。


 街道の先には、逃げた敵兵が籠もる城壁が見えている。


 田朔は馬を降り、水を飲みながらしばらく城を眺めた。


「今日はここまでだ。明日、あれを取る」


 段烈も隣へ来て城を見た。


「長安から来た奴も、前秦から来た奴も、俺たちが戦ってる間は城で待ってるんだな。帰ったら、どんな顔をしてるか見てみたいもんだ」


「お前は使者の顔を見るために戦うのか。明日のことを考えろ」


「そっちも楽しみにしてるさ」


 段烈は笑って自分の陣へ戻っていった。


 翌朝には中央に田朔、西に段烈、東に馮岳の兵が並び、その外側を賀蘭真と姚虎の騎兵が走っていた。夜を通して探らせた街道にも、敵を助けに来る軍勢は現れていない。


 田朔は各隊から届いた報告を確かめてから馬を進め、城壁を見上げた。


「取るぞ」


 軍鼓が鳴り、田家軍が城へ向かって動き始めた。

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