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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第四章――「乱世を喰らう」

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第7話(前編)――「関中へ」

 (387年1月上旬、秦嶺北麓)


 夜明けとともに、山裾を覆っていた薄い霧が晴れていった。


 冬枯れの田畑を縫って街道が北へ延び、その先には低い丘陵と集落が霞んでいる。振り返れば秦嶺の山々が南の空を塞ぎ、その向こうには漢中と南鄭があった。


 田朔は馬上から北を眺めた。


 2年前、父の田順とともに長安を離れた時は、秦嶺の向こうへ逃げることしか考えていなかった。今では関所と城を押さえ、山の北側に軍勢を並べている。


 背後では兵たちが隊列を整え、秦嶺を越えて確保した関所から兵糧や矢が運び込まれていた。荷駄も順次山を下り、漢中から関中へ軍を動かす道がつながり始めている。


 賀蘭真が数騎を連れて戻ると、夜明け前から北や東西へ出していた斥候も相次いで帰ってきた。


 北の街道沿いにはいくつかの集落があり、その先に城がある。城兵は田家軍が秦嶺を越えたことを知って周辺から兵を集めているものの、昨夜から今朝にかけて北方から大軍が入った形跡はない。東西の道にも大規模な増援は見当たらなかった。


 賀蘭真は馬を降り、地面に広げた地図の北側を指した。


「城から騎兵が何度か出ています。こちらの様子を探っているようですが、深くまでは来ません。西の村にも兵が入り、食糧を集めています」


 続いて姚虎が川沿いと西側の道について報告した。伏兵を置けそうな場所はすべて確かめたが、夜の間に多数の人馬が動いた跡はなく、少なくとも近くに別の軍勢が潜んでいる様子はないという。


 趙嶽も、前秦にいた者たちから集めた話をもとに城と周辺の街道を確かめていた。


「城兵だけなら十分に戦えます。ただ、関所を失った以上、向こうもここで我々を止めるつもりでしょう。兵を集める時間を与えれば、それだけ面倒になります」


 田朔は地図の上で北へ延びる街道を見た。


「なら今日行く。段烈と馮岳を呼んでくれ」


 2人が来ると、田朔はすぐに配置を決めた。


「段烈は西、馮岳は東を進め。俺は中央を行く。賀蘭真と姚虎は前を見続けろ。敵兵を見つけても、追いかけることばかり考えるな。北から別の軍が来れば、そっちを先に知らせてくれ」


 段烈は地図から顔を上げた。


「山を越えた翌日から、また進軍か」


「敵が兵を集めてくれるまで待つ理由もないだろ」


 段烈は笑って立ち上がった。


「分かった。西は任せろ」


 馮岳も自分の持ち場を確認すると、すぐ兵のもとへ戻った。


 号令が伝わり、休んでいた兵たちが動き始めた。賀蘭真と姚虎の騎兵が先に街道へ出て、その後ろを田朔の本隊が進む。段烈の軍は西へ、馮岳の軍は東へ離れ、三軍は互いの位置を確かめながら北上していった。


 ◇ ◇ ◇


 昼前、北の城から出てきた敵兵が街道を塞いだ。


 歩兵を中心とする部隊で、街道脇の低い丘と集落の入口に兵を置いている。城へ近づかせないというより、ここで田家軍を足止めし、その間に後方を整えるつもりらしい。


 前方から戻った斥候によれば、敵の背後に別働隊は見つかっていない。西では段烈が敵の小隊を退けながら進み、東の馮岳にも大きな敵は当たっていなかった。


 田朔は街道を塞ぐ敵を見て、趙嶽に中央の兵を任せた。


「正面を押してくれ。騎兵は左右へ出すが、北へ逃げる道までは塞がなくていい」


「承知しました」


 趙嶽はそれだけ答えると、自分の部隊へ戻った。


 太鼓を合図に歩兵が隊列を保ったまま前進し、弓兵がその間から敵の丘へ矢を送り始めた。左右へ出た騎兵は敵の側面へ近づきすぎず、逃げ道と周囲の動きを見ながら並走していく。


 敵も丘から矢を射かけ、街道では歩兵同士がぶつかった。


 趙嶽が正面から圧力をかける間に、西から段烈の旗が近づいた。敵がそちらへ兵を振り向けると、今度は東の丘の向こうに馮岳の軍が現れ、街道を守っていた敵の隊列が横へ広がっていく。


 田朔は中央からその動きを見ていた。


 敵の前列が丘を下り、中央の厚みが失われたところで本隊を進ませた。


「中央を押す。前へ出ろ」


 田家軍の中央が一斉に間合いを詰めた。


 田朔自身も馬を進め、趙嶽の兵と並ぶところまで前へ出る。西と東を警戒して兵を分けた敵は中央を支えきれず、少しずつ北へ押し戻された。


 やがて一部が丘を捨てて退き始めると、それまで踏みとどまっていた兵も続いた。西へ逃れようとした者は段烈の軍を見て北へ向きを変え、東側でも馮岳の兵が迫っている。


 街道に武器を捨てる者が現れ、退却は急速に広がった。


 田朔は追撃を命じたが、賀蘭真と姚虎の騎兵は手元に残した。逃げる敵を追う部隊とは別に、北方と東西の街道を監視する斥候を動かし続ける。


 敵が敗れたからといって、周囲から別の軍が消えるわけではない。


 しばらくして田朔が丘へ上がると、北の平地に城壁が見えた。敗兵はその城へ向かって走っている。


 段烈が西側から合流し、同じ城を眺めた。


「このまま行くんだろう」


「ああ。ただし兵には飯を食わせる。負傷した者を後ろへ送り、隊列を組み直してからだ」


「それなら俺のところも休ませる。昼過ぎには動けるぞ」


 馮岳にも同じ命令が伝えられ、三軍は城を望む場所でいったん足を止めた。


 追撃に出た兵が戻り、負傷者は後方へ送られた。荷駄も追いつき、兵たちは街道脇や丘の斜面で食事を取った。


 田朔も兵と同じ場所で飯を食いながら、遠くの城壁を見ていた。


 敵の敗兵が城へ逃げ込んだ後、門は閉ざされている。城壁では兵が増え、こちらの動きを見張っていた。


 その間にも偵察は続いた。


 賀蘭真からは北方に大軍が見えないとの報告が届き、姚虎も東側の街道に増援がいないことを確かめて戻った。西では段烈の斥候が川沿いを調べており、城から別の部隊が回り込んでくる様子もない。


 田朔は報告が揃うまで待ち、兵が食事を終えた頃に立ち上がった。


「そろそろ行こう。中央は俺について来い。段烈は西、馮岳は東から城へ寄せてくれ」


 再び太鼓が鳴り、休んでいた兵たちが立ち上がった。


 中央の田朔、西の段烈、東の馮岳がそれぞれ進み、三軍は城へ向かって間隔を狭めていく。賀蘭真と姚虎の騎兵はさらに外側を走り、城から使者が出れば追い、北から軍勢が近づけばすぐ田朔へ知らせる態勢を取った。


 城壁では鐘が鳴り、南門の上へ弓兵が集まっていた。


 田朔は弓の届かない位置で一度馬を止め、左右の旗を確かめた。


 西には段烈がいる。


 東には馮岳がいる。


 北方には賀蘭真の斥候が出ており、背後の道は秦嶺の関所まで田家軍が押さえている。


 田朔は全軍が所定の位置へ入るのを待ってから、腰の刀を抜いた。


「始めるぞ」


 太鼓が一斉に鳴り響き、田家軍が城へ向かって前進を始めた。

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