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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第四章――「乱世を喰らう」

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第6話(後編)――「関中に旗を立てる」

 386年12月下旬。


 関中へ入った田朔は、丘の上から次の城を見ていた。


 夜明け前から賀蘭真と姚虎の騎兵が周囲を走り、城門の出入りだけでなく、北へ延びる街道、西を流れる川、東側の丘や村まで調べている。城内には守備兵が集められていたものの、城外に大きな陣はなく、北から援軍が近づく様子もなかった。


 前日の夜には北門から数騎が出ており、賀蘭真の斥候が途中まで追っている。援軍を求める使者と考えてよかった。


 田朔は馮岳と趙嶽の兵が到着しても、すぐには城へ近づけなかった。秦嶺を越え、関所を奪い、さらに北へ進んできた兵には疲れが残っている。丘の陰で食事を取らせ、馬も休ませる一方、偵察だけは止めなかった。


 昼過ぎ、北から戻った賀蘭真が、街道の先まで見た結果をまとめて報告した。


「昨夜出た騎兵は、そのまま北へ向かっています。こちらへ南下する軍勢は見つかりません。西の川沿いにも兵はおらず、東の道も今のところ空いています。城の兵は増えておりますが、外から入った様子はありません」


 田朔は地図を見ながらしばらく考え、馮岳には東側へ回って旗を多く見せ、姚虎の騎兵もその周辺を走らせることにした。自分は中央軍を率いて南へ出るが、西側には大きな部隊を置かない。


 趙嶽はその配置を聞いただけで、田朔の狙いに気づいたらしい。


「城から出るなら、北へ向かいますな」


「出てくれるなら楽だ。城壁の上にいる兵まで相手にする必要はない」


 翌朝、田朔は中央軍を率いて城の南へ姿を現した。


 秦嶺の関所を落とした軍が来たことは、すでに城内にも伝わっている。田家の旗が南に並ぶと城壁では兵が慌ただしく動き、南門の守りが厚くなった。その頃には東の丘にも馮岳の旗が現れ、さらに外側では姚虎の騎兵が土煙を上げながら走っていた。


 田朔は弓の届かない場所で兵を止めたまま、昼になっても攻めなかった。


 兵には食事を取らせ、交代で休ませる。城壁を見張る兵も十分に置いたが、無理に矢を射ち合うこともしなかった。賀蘭真の騎兵だけは北側を走り続け、城門と街道の動きを田朔へ知らせていた。


 夕刻が近づいた頃、その賀蘭真から待っていた報告が届いた。


 北門から荷馬が出始め、その後ろには兵も続いている。最初は少数だったが、次第に数が増え、城内から兵糧や武器まで運び出そうとしていた。


 田朔は報告を聞くと、中央軍を立たせた。


「太鼓を鳴らして前へ出る。馮岳にも同時に動けと伝えろ。ただし北へ出た兵には、まだ手を出すな。賀蘭真には十分に城から離れるまで待たせろ」


 太鼓が鳴り、南に並んでいた田家軍が前進を始めた。


 東でも馮岳が動き、姚虎の騎兵が城外を走る。田朔は城壁へ無理に取りつかず、弓兵を前へ出して南門を牽制しながら、敵がどこへ兵を動かすかを見ていた。


 城内では南と東へ兵が集まり、その一方で北門から出ていく兵も増えていく。


 やがて賀蘭真から、北へ出た敵が城壁から十分に離れたとの知らせが来た。


「よし。賀蘭真に追わせろ。俺たちは南門へ行く」


 田朔が中央軍を進ませると、北では賀蘭真の騎兵が街道脇から姿を現した。城から離れた敵の後ろへ食いつき、荷馬を守りながら逃げようとする隊列を崩していく。


 北へ出した兵を呼び戻そうにも、その後ろには賀蘭真がいる。南からは田朔、東からは馮岳が迫っており、城内に残った兵だけで両方を守らなければならない。


 田朔は盾兵を南門へ寄せ、弓兵には城壁の上を狙わせた。


 攻撃が本格的に始まる前に、南門の内側で騒ぎが起こった。


 しばらくして門が開き、武器を置いた兵たちが両手を上げて出てきた。


 田朔は前列を止め、降伏した者を左右へ退かせてから中央軍を率いて城へ入った。馮岳も東門から入り、残っていた兵の武器を集めていく。


 関中へ入ってから2つ目の拠点が、田家の手に落ちた。


 ◇ ◇ ◇


 夕方には賀蘭真も戻ってきた。


 北へ逃げた敵は追撃を受けると次第に隊列を崩し、武器を捨てて降る者が相次いだ。城から運び出された荷馬も取り返し、その荷には兵糧や武器が積まれていた。


「深追いはしておりません。逃げ続けた者はそのまま行かせ、降った兵と荷だけ連れて戻りました。姚虎には北の街道をもう少し見させています」


 田朔は賀蘭真の判断を認め、そのまま北方の偵察を続けさせた。


 城内では趙嶽が降伏兵をまとめ、馮岳は兵営と城門を押さえていた。倉にも火は入っておらず、敵が運び出そうとした物資まで戻っている。


 田朔は兵に勝手な略奪をさせず、倉の中身を調べて記録するよう命じた。田家軍がここで冬を越すことになっても困らないよう、まず兵糧と馬の餌を確保し、漢中から続く道にも兵を置く。


 日が暮れる頃には4つの門すべてに田家の旗が立っていた。


 秦嶺を越えた田家軍は、関所を奪っただけでは止まらず、その北にある城まで確保したのである。


 ◇ ◇ ◇


 数日が過ぎると、田朔が軍を率いて秦嶺を越えたという話は周辺へ広がっていった。


 近隣の村や集落から使者が訪れ、食糧を差し出して従う者も現れた。前秦の軍が崩れた後、所属を失っていた兵たちも田家軍を訪ねてくるようになり、趙嶽が経歴や腕を確かめて使える者を選んでいった。


 田朔は、集まってきた者をすべて自分で相手にしようとはしなかった。兵については趙嶽、周辺の警戒については賀蘭真と姚虎、城と街道の守りについては馮岳に任せ、自分は関中全体を見ることに時間を使った。


 役所の一室には大きな地図が広げられていた。


 田朔はその地図へ、これまで自分が進んできた道を重ねて見た。


────────────────────────────

【386年12月末 田朔軍の進路】


          北

          ↑


       北魏・拓跋珪

          │

    西燕 ── 山西 ── 後燕

          │

       前秦残存勢力

          │

       後秦・姚萇

        長 安

         ★

         │

      関中の諸城・街道

         │

     ★ 今回確保した城

         ↑

     ★ 奪取した関所

         ↑

      ── 秦嶺 ──

         ↑

      漢中北部の拠点

         ↑

        南 鄭

       ★田家の本拠

         │

        漢 中

         │

        巴 蜀

         │

        東 晋


 田朔軍の進路

 南鄭 → 漢中北部 → 秦嶺突破 → 関所奪取

    → 関中進出 → 関中側の城を確保 → 長安方面

────────────────────────────


 2年前は逆だった。


 田朔は父の田順とともに長安を離れ、秦嶺を越えて南へ逃げた。あの頃は漢中へたどり着いて生き延びるだけで精一杯だったが、今では南鄭を本拠とし、自分の兵を率いて同じ山を北へ越えている。


 しかも、秦嶺を越えただけではない。


 漢中北部から関所を経て、今いる城まで田家の拠点がつながった。後方から兵糧を運び、兵を送り、傷ついた者を南へ戻せる道ができつつある。


 田朔は地図の北側へ目を移した。


 その先に長安がある。


 ◇ ◇ ◇


 12月の終わり、南鄭から陸文昭が到着した。


 関所に田家の旗が立ったとの知らせを受けた後、さらに北の城まで田朔が取ったと聞き、関中の地図を持って自らやって来たのである。


 役所の広間には段烈、馮岳、趙嶽、賀蘭真、姚虎も集まり、陸文昭が持参した地図を囲んだ。


 漢中から北へ延びる田家軍の道は、すでに秦嶺を越えている。


 陸文昭は田朔が12月に進んだ道を指でたどり、関所と現在地を確かめてから、その先に広がる関中へ指を移した。


「ここから先は後秦だけを見ればよいわけではありません。前秦の残った勢力もおりますし、まだ誰につくか決めていない土地もあります。今まで以上に賀蘭真たちの目が必要になります」


 田朔は長安へ向かう道だけでなく、その周囲にある城や街道も見た。


「なら、正月からもっと遠くまで調べよう。賀蘭真と姚虎は北と西を見てくれ。趙嶽は関中に残っている前秦の兵を探す。段烈と馮岳は今取った場所を固めて、俺が命じたらすぐ兵を動かせるようにしておいてくれ」


 諸将がそれぞれの役目を受けた。


 以前の田朔なら、城を取った後にはまず倉の中身を気にしたかもしれない。もちろん兵糧も武器も大切だが、今の田朔が見ているのは一つの倉ではなく、その城から次にどこへ軍を出せるかであった。


 陸文昭は地図を見ていた田朔に、少し笑みを向けた。


「南鄭で商売をしていた頃とは、随分と地図の見方が変わりましたな」


 田朔は長安の位置に目を置いたまま答えた。


「倉の中身も見るぞ。ただ、その先も見るようになっただけだ」


 段烈が笑い、馮岳や趙嶽もつられて表情を緩めた。


 田朔は地図から顔を上げた。


「次は関中そのものを食う。長安は、その先だ」


 ◇ ◇ ◇


 その日の夕方、田朔は城壁へ上がった。


 北には関中の土地が広がり、街道が遠くまで続いている。城門からは賀蘭真の騎兵が偵察へ出ていき、別の門からは漢中より運ばれてきた荷が入っていた。


 秦嶺はもう南にある。


 そのさらに南には南鄭があり、玉容や玉蓮たちが田朔の帰りを待っている。何人かの妻には、新しい命が宿っているという知らせも届いていた。


 田朔は城壁から北を眺めた。


 2年前、自分は長安から南へ逃げた。


 今は自分の旗を立て、自分の軍を率いて戻ってきた。


「父上に知らせてやれ。俺は関中まで戻ったってな」


 そばにいた兵が頭を下げ、南鄭へ送る書状を受け取った。


 田朔はもう一度、北へ目を向けた。


 長安はまだ見えない。


 だが、自分が逃げ越えた秦嶺は、すでに背後にあった。


 386年12月が終わった。

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