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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第四章――「乱世を喰らう」

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第6話(中編)――「山の向こうから来た男」

 386年12月中旬。


 秦嶺北側。


 日が暮れる頃、田朔の主力は関所へ向かって南下を始めた。賀蘭真と姚虎の騎兵はすでに前方へ散っており、昼間の偵察で周辺に敵の大軍がいないことを確かめた後も、北から来る援軍や関所の動きを探り続けている。


 月が山の端へ昇った頃、賀蘭真から最初の報告が届いた。関所の北側には大きな陣がなく、見張りも少ない。南側では段烈の軍を警戒しているらしく、城壁の上では松明が絶えず動き、兵の大半がそちらへ集まっているという。


 田朔は馮岳に主力をまとめて続くよう命じ、自身は趙嶽とともに前へ出た。しばらく進むと闇の中に関所の北壁が見え、山を隔てた南側からは段烈の太鼓まで聞こえてきた。


「段烈の奴、本当に派手にやってるな。あれだけ南で騒いでくれれば、こっちは近づきやすい。隊列を崩すな。このまま北門まで行くぞ」


 田朔は夜道だからと兵を急がせず、弓兵を前に、その後ろへ盾兵と槍兵を続かせた。馮岳には後続をまとめさせ、秦嶺を越えてきた主力を崩さないまま関所へ近づいていく。


 先行していた姚虎も戻り、北門の外にいる兵はわずかで、こちらにはまだ気づいていないと報告した。


 田朔はそれを聞くと腰の剣を抜いた。


「太鼓を鳴らせ。旗も全部出せ。一気に驚かせて、そのまま門まで押すぞ」


 それまで静まり返っていた北側で太鼓が鳴り響き、田家の旗が一斉に立ち上がった。


 関所の城壁では叫び声が上がり、松明を持った兵が北へ走り始めた。田朔は敵が混乱しているうちに弓兵を進ませ、城壁へ矢を浴びせながら盾兵と槍兵を北門へ向かわせた。敵も慌てて応射したものの、南へ兵を集めていたため数が足りず、北へ増援を回そうとしたところへ、今度は南側から段烈の太鼓が激しく響いた。


 北を守ろうとすれば段烈が南から迫り、南へ兵を残せば田朔が北門へ取りつく。敵が両側へ兵を動かし始めたのを見て、田朔は馮岳へ使者を送り、西側へ回って北門から逃げようとする兵を押さえるよう命じた。


 田朔自身は中央から北門へ迫った。


 敵もようやく北側へ兵を集め始めたが、田家の弓兵はすでに城壁を射程に収め、盾兵も門の近くまで進んでいる。


 その時、北門が開いた。


 中から敵兵が飛び出し、門前で隊列を作ろうとした。田家軍が十分に展開する前に押し返そうとしたらしい。


 趙嶽がそれを見て笑った。


「向こうから出てきてくれましたな。これなら門を破る必要もありません」


「閉めさせるな。そのまま中まで押し返すぞ」


 田朔は弓兵に射撃を続けさせながら槍兵を左右へ広げ、正面には盾兵を厚く置いた。


 両軍が門前でぶつかった。


 敵も必死に踏みとどまったが、狭い北門から一度に出せる兵には限りがあり、南側では段烈の攻撃も続いている。田朔は中央の兵が押し始めると自ら馬を前へ進め、開いたままの北門を剣で指した。


「門は開いてる! ここまで来て外で戦う必要はない。そのまま中まで押し込め!」


 田朔の姿を見た兵たちから声が上がり、前列が一気に敵を押した。退こうとする兵と、城内から出ようとする後続が門の内側でぶつかり、敵の隊列が乱れる。


 田朔はその瞬間に全軍を進ませた。


 田家兵が敵とともに北門へ押し入り、田朔も趙嶽を伴ってその後へ続いた。


 ◇ ◇ ◇


 関所へ入ると、南から響く太鼓や兵の怒号が一段と大きくなった。


 北から田家軍が現れることなど考えていなかった敵兵は、城内に田家の旗が入ってくると明らかに動揺した。それでも田朔は勢いだけで兵を走らせず、まず北門と周辺を確保して後続を入れ、馮岳が西側から合流するのを待ってから中央へ兵を進ませた。


「馮岳は西を押さえてくれ。趙嶽は俺と中央へ行く。南から段烈が入ってくれば終わる。それまでは敵を北へ逃がすな」


 中央の街路には、まだ敵兵がまとまっていた。


 田朔は隊列を整えて弓兵を左右へ分け、正面から矢を浴びせてから盾兵を進ませた。敵が左右へ広がって受け止めようとしたところへ槍兵を押し込み、少しずつ南へ後退させていく。


 やがて敵の背後から、ひときわ大きな太鼓が聞こえた。


 段烈の軍が南門を破り、街路の向こうに田家の旗が現れたのである。


 敵兵は北から田朔、南から段烈に挟まれた。


 田朔はそこで剣を下ろし、武器を捨てる者には手を出さないよう全軍へ命じた。最初に槍を落とした兵に続いて周囲でも武器を置く者が増え、それでも抵抗を続けた一団だけが趙嶽と段烈の兵に両側から押し込まれた。


 昼前から南を守り続けたうえ、夜になって背後から田朔の主力に攻め込まれた敵には、もはや戦を立て直す余力がなかった。ほどなくまとまった抵抗は消え、関所の中央で南北の田家軍が合流した。


 段烈が兵を率いて街路を進み、田朔の姿を見つけると、背後にそびえる秦嶺を見上げて呆れたように笑った。


「本当に軍を連れて越えてきたのか。こっちは朝から敵に顔を見せ続けていたんだぞ」


「おかげで北側は随分と静かだった。山越えは十分苦労したから、それで勘弁してくれ」


「次はもう少し楽な役を寄越せ」


「勝てたんだからいいだろ」


 2人が笑うと、周囲の兵たちにも笑いが広がった。


 南から関所を攻め続けた兵と、秦嶺を越えて北から入った兵が同じ街路に立っている。田朔が何をやったのかは、長い説明などなくても兵たちには分かっていた。


 敵が南を守っている間に、主人は主力を率いて秦嶺を越え、背後から関所へ現れたのである。


 ◇ ◇ ◇


 夜が明ける頃には関所のすべての門に田家の旗が立ち、兵営と倉も無事に確保されていた。残された武器や兵糧の確認が始まり、降伏した兵は武器を集めたうえで一か所へまとめ、趙嶽が順に調べている。


 田朔はほとんど眠らなかった。


 関所を取った以上、山の出口を確保しただけで満足するつもりはない。賀蘭真と姚虎にはすぐ騎兵を与えて北へ走らせ、近隣の城や集落、街道の様子を調べさせた。


 昼過ぎに戻った騎兵によれば、関所が落ちたという話はすでに北の村々まで届いていた。しかも噂は実際より膨らみ、田朔が大軍を率いて秦嶺を越え、山の北側へ突然現れたことになっているという。


 段烈は報告を聞いて笑った。


「俺たちの兵が、いつの間にか随分と増えたらしいな」


「わざわざ少ないと言って回る必要もないだろう。放っておけ」


 田朔は噂を訂正させる代わりに、北へ出す騎兵を増やした。関所が田家の手に落ちたことと、武器を持って抵抗しなければ村を荒らさないことだけを周辺へ伝えさせる。


 その日の夕方には近くの集落から使者が訪れ、翌日には別の村からも人が来た。


 田家軍が進むより先に、秦嶺を越えてきた田朔の名が関中へ広がり始めていた。


 ◇ ◇ ◇


 数日後、田朔は賀蘭真と姚虎を連れ、関所からさらに北へ出た。


 背後には秦嶺がそびえているが、前方には土地が開け、街道が関中の奥へ延びている。賀蘭真は前日までの偵察で、この先に城があり、すでに田家軍が関所を取ったことも伝わっていると報告した。


 田朔はそのまま城へ向かわず、周囲をもう一度調べさせた。街道に伏兵はなく、近くに大軍も見つからない。北方から援軍が急行している様子もない一方、城内では兵が集められ、門の警戒が強まっている。


 田朔は報告を聞き終えると、馬上から北へ続く道を眺めた。


「関所を取っただけで帰ったら、山を越えた意味がない。このまま次へ行くぞ。段烈には関所と漢中からの道を守らせる。馮岳と趙嶽には兵を整えさせて、動ける者から北へ寄越すよう伝えてくれ」


 賀蘭真が笑いながら騎兵をまとめ、そのまま前方へ散っていった。


 夕刻になると、丘の上から次の城が見えた。城壁では兵が慌ただしく動き、田家の騎兵を見つけた途端に門が閉じられた。


 田朔は馬を止め、その様子をしばらく眺めた。


 背後の関所には田家の旗が立ち、秦嶺を越えてきた主力も順次関中へ入っている。長安から逃げて南へ向かった2年前とは、何もかもが違っていた。


「賀蘭真。明日までにあの城を全部見てこい。兵の数だけじゃなく、門の出入り、援軍が来る道、逃げ道までだ。分かったところから俺へ知らせてくれ」


「承知しました」


 賀蘭真が騎兵を率いて走り出すと、田朔は暮れていく関中を眺めた。


 敵にとって田朔は、もはや秦嶺の向こうにいる漢中の男ではない。


 軍を率いて山を越え、関中へ攻め込んできた男になっていた。

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