第5話(後編)――「勝ったまま進め」
386年11月下旬。
夜半に役所へ駆け込んできた使者は、北へ敵を追っていた賀蘭真からの報告を持っていた。城から逃れた敵兵は途中で別の一隊と合流し、そのまま逃げるのではなく、北方の集落近くで兵を集めているという。賀蘭真は姚虎を別の道へ回し、自身も追撃を続けながら周辺を探っていた。
田朔はその報告を受けると、休んでいた段烈と馮岳を呼び戻し、趙嶽も交えて地図を広げた。敵が集まっている場所から北へは街道が延びており、前編から賀蘭真たちに調べさせていた道へつながっている。昼に城を失った兵がそこで立ち直れば、いずれこちらの邪魔になる。
「明日の朝に出る。俺が中央を行くから、段烈は西、馮岳は東へ回れ。今日逃がした奴までまとめて片づけるぞ」
昼間に戦ったばかりではあったが、田家軍は敵の倉を無傷で確保しており、食糧も武器も補充できた。田朔は新しく取った城の守備に必要な兵だけを残し、翌朝には動ける兵を率いて北へ向かった。
進軍中にも賀蘭真から報告が届いた。敵は逃走を続けているのではなく、敗残兵を集めて陣を作り始めている。一方、さらに北へ回った姚虎からは大軍が南下してくる様子はないとの知らせが入り、田朔は後方から援軍が来る可能性が低いことを確かめたうえで進軍を速めた。
昼前には敵のいる場所まで数里に迫った。先行する騎兵によれば、敵は前日の敗残兵を加えて数を増やしているものの、まだ隊列を十分に整えられていない。西にも東にも大きな別働隊は見つからず、北から援軍が近づいている様子もなかった。
田朔はそこで全軍を止め、兵に食事と休息を取らせた。その間にも賀蘭真と姚虎の騎兵を休ませず、敵陣の周囲を大きく回らせた。西側の地形、東へ抜ける道、北へ続く街道まで調べ終え、午後になって最後の報告が届くと、田朔は段烈と馮岳へ使者を走らせた。
「明日の朝まで待つ必要はない。段烈は西から押せ。馮岳は東へ回れ。俺は正面から行く」
太鼓が鳴ると、休息を終えた兵たちが立ち上がった。田朔が馬へ乗って中央軍の前へ出ると、前日の勝利を知る兵たちもすぐに隊列を整えた。
「行くぞ。もう一つ勝って帰る!」
田朔の号令で中央軍が前進を始めた。
◇ ◇ ◇
敵が田家軍の接近に気づいた頃には、正面だけでなく西と東にも兵影が見えていた。前日に城を失ったばかりのところへ3方向から迫られ、敵は中央へ兵を残しながら段烈と馮岳にも備えなければならなかった。
田朔は敵陣が見えるところまで進むと弓兵を前へ並べ、その間も賀蘭真の騎兵には敵陣の外側を走らせた。姚虎も別の隊を率いて東から北へ回り、戦が始まった後も北へ続く街道を見張っている。
先に動いたのは敵だった。西から迫る段烈を押し返そうと兵を寄せたため、田朔はそれを見届けてから中央軍を進ませた。
「正面を押せ!」
太鼓が鳴り、弓兵が射かけた後を盾兵と槍兵が進んだ。西へ兵を回した敵の中央は前日ほど厚くなく、田家兵に押されると、敵は段烈へ向けた兵の一部を慌てて戻し始めた。そこへ今度は東の馮岳が前進し、敵は再び兵を割かなければならなくなった。
田朔はその動きを馬上から見届けると、趙嶽に中央を押し切るよう命じた。趙嶽の隊が前へ出るのに合わせて田家の旗も進ませ、自身も兵の顔が見えるところまで馬を進めた。
「田家の旗を前へ出せ! ここで終わらせるぞ!」
田朔の姿を見た中央軍から声が上がった。
正面では趙嶽の隊が敵陣へ食い込み、西では段烈が押し返し、東からは馮岳が側面へ迫った。3方向から圧力を受けた敵は中央を支えきれなくなり、やがて前列から崩れ始めた。
田朔はその機を逃さず、賀蘭真と姚虎の騎兵を動かした。騎兵は敵の左右を抜けて北へ回り込み、逃げようとした兵の前へ姿を現した。引き返せば田朔の中央軍が迫り、西には段烈、東には馮岳がいる。
最初に武器を捨てたのは、前日に城から逃げてきた兵だった。それを見た周囲の兵も次々と槍を置き始めたため、田朔は降伏した者への攻撃を止めさせ、なお抵抗を続ける一団だけを段烈と馮岳に両側から押させた。
日が傾くより早く、戦は終わった。
前日に城を失って逃げた兵だけでなく、彼らを収容して田家軍を迎え撃とうとした部隊まで崩れ、田朔の前には武器を置いた兵が集められていた。2日続けて戦った田家軍は、どちらの戦でも敵に立て直す時間を与えなかった。
◇ ◇ ◇
田朔は勝ったその日に軍を引き返さず、敵が兵を集めていた場所へ本営を移した。賀蘭真と姚虎にはさらに北を探らせ、段烈には周辺の集落を押さえさせる一方、馮岳と趙嶽には降伏兵の整理を任せた。
翌日になると、近隣から使者が訪れ始めた。最初に来た村は田家軍へ食糧を差し出し、兵を村内へ入れないことを求めた。田朔は従う者から勝手に物を奪うことを禁じ、それまで敵方へ食糧を納めていた村についても、今後こちらの命令に従うなら咎めなかった。その日の午後には別の集落からも使者が訪れ、田家への服従を申し出た。
さらに2日後、北にある小さな城からも使者が来た。
城側には戦う意思がなく、田家軍に従うという。田朔は武器、兵、兵糧をすべて明らかにして門を開くなら、城内を荒らさないと約束して使者を帰した。
翌朝、田朔が中央軍を率いて北へ進むと、その城の門はすでに開いていた。
段烈と馮岳に周囲の道を押さえさせたまま、田朔は中央軍を率いて城へ入った。抵抗はなく、武器や兵糧、馬、荷車も残っている。降った兵については趙嶽に選別させ、使える者から田家軍へ組み入れることにした。
最初の城を攻めた時より兵は増え、兵糧や武器も手に入り、田家が支配する土地はさらに北へ延びていた。戦えば勝ち、勝った翌日にはさらに敵を破り、その勝利を見た周囲の集落や城まで従ってきたのである。
田朔は開いた北門から外を眺めた。
「次は、あっちだな」
その先には山が見えていた。
◇ ◇ ◇
11月も終わりに近づいた頃、田朔は最初に落とした城へ諸将を集めた。
広間には段烈、馮岳、趙嶽、賀蘭真、姚虎がそろい、南鄭から来た陸文昭も加わっていた。卓上に広げられた地図は11月上旬に見ていたものより北まで書き込まれ、今月だけで田家の勢力がどこまで伸びたのか一目で分かる。
最初に攻めた城はすでに掌握され、周辺の集落も従っている。その北では敗残兵と合流した敵を田朔が3軍を率いて破り、さらに北の城は戦わず門を開いた。降伏した兵から使える者を選び、田家軍へ組み入れる作業も進んでいた。
最後に賀蘭真が北方の様子を報告した。さらに北には山へ入る道が何本かあり、騎兵なら進める道も見つかっている。ただし、大軍を通すには道幅だけでなく水や食糧を運ぶ方法まで調べる必要があり、賀蘭真は引き続き騎兵を出して調査を続けるつもりだった。
田朔は地図の北側へ目を向けた。そこには秦嶺があり、その向こうには関中と長安がある。
「12月は、もっと北まで見ろ。賀蘭真は斥候を増やして、道だけじゃなく向こうにいる兵や城まで調べてくれ。段烈と馮岳は兵を休ませながら、いつでも出られるようにしておけ。趙嶽は新しく入った兵を組み直せ」
諸将へまとめて命令を出してから、田朔は陸文昭へ顔を向けた。
「俺も一度南鄭へ戻る。今度は秦嶺を越えた先を教えてくれ。ここまで来たら、長安までの道を全部知っておきたい」
「では、帰ったら関中の地図を広げましょう」
陸文昭がそう答えると、田朔は満足そうに頷いた。
その日の夕方、田朔は城壁へ上がった。北へ続く街道では、命令を受けた賀蘭真の騎兵がすでに次の偵察へ向かっている。
11月の戦は、1つの城を取っただけでは終わらなかった。逃げた敵を追ってもう一度破り、その勝利を見た周囲の集落を従わせ、さらに北の城まで戦わず手に入れた。田家の兵も物資も土地も、出陣した時より大きくなっている。
田朔は北の山並みを眺めた。
2年前には長安から逃げ、秦嶺を越えて南へ来た。その道の向こうへ、今度は自分の軍を連れて戻ることになる。
「待ってろよ、長安」
386年11月が終わった。




