演技の終わり
千年王国ミリアムの首都は、なんとも奇妙な祝祭ムードに包まれていた。
王太子アンリが、いとこでありながら「変人」「毒の研究に明け暮れる世捨て人」と揶揄されていたエメロードとの婚約を、強引に公式発表したからだ。
街中の貴族たちは、「いくら高貴な血筋とはいえ、あの女を王太子妃に?」と陰口を叩き、アンリが何故そこまで彼女に執着するのかを訝しんだ。
だが、当のアンリは、冷たい水のような瞳で「彼女は私の一部だ」と断言していた。
一方でエメロードといえば、温室が壊された日から、屋敷の空気は明らかに変わった。
割れたガラスの破片は片付けたが、焼け焦げた苗床と、無残に踏み荒らされた毒草の跡は、簡単には消えなかった。
エメロードは朝から晩まで研究室に閉じこもり、残った資料を何度も並べ直している。
時折、何も持たずに温室跡に立ち尽くす姿もあった。
アズールは、そんな彼女を静かに観察していた。
窓の外では、銀色の鎧を纏った近衛兵たちが、屋敷の出入り口を完全に封鎖している。
アズールは、エメロードの背後に控え、変わらぬ慇懃無礼な態度で紅茶を差し出した。
彼の瞳には、激しさを秘めた静寂が宿っている。
彼にとって、今この瞬間が正体を露わにするための、最後の演技だった。祖国から届いた報告では、影武者の限界はあとわずかだ。
これ以上遅れれば、シファもジャミールも自分に従う者全てが、危険に晒される。エメロードの研究はまだ完全ではない。
だが、もう悠長に構えていられる状況ではなかった。
ある夜。
アズールはいつものように紅茶を淹れ、研究室の扉を叩いた。
「エメ、少し話があります」
中から「入って」と、少し掠れた声が返ってくる。部屋に入ると、エメロードは机に突っ伏すようにして資料を見つめていた。目の下に、薄い影ができている。
アズールはカップを傍らに置き、静かに切り出した。
「この屋敷は、もう安全ではありません」
エメロードが顔を上げる。
「……アンリのこと?」
「ええ。
温室を壊したのは、警告に過ぎないでしょう。次はもっと直接的な手段に出る可能性があります。
研究を続けるつもりなら、ここを離れた方がいい」
「……うん、アズール。
外が随分と騒がしいわね。
兵隊たちが、庭の花を次々と踏み潰している……。
あの子たちは、私が育てた大切な毒草なのに」
エメロードは悲しげに窓の外を見つめ、両手で自身を守るようにギュッと抱えた。
「アンリが、私を王宮へ呼び寄せようとしているのかしら。……あそこへ行ったら、もう研究はできない。……
そして、あなたともお別れね」
彼女は黙ってティーカップを手に取った。湯気の向こうで、湖水色の瞳が揺れている。
アズールは、エメロードの背後でゆっくりと、まるで獲物の首筋を撫でるように、その細い肩に手を置いた。
彼はエメロードの耳元に顔を寄せ、低く囁く。
「……お別れ、ですか?」
アズールは、彼女の首筋に息がかかる距離でゆっくりと話しかける。
「ええ、このままではそうなるでしょう。……貴女はあの男が支配する王宮へ連れて行かれ、二度と自由に空を見ることも、好きな薬を作ることもできなくなる」
エメロードは息を呑み、アズールを振り返った。そこには、いつもの彼ではなく、見たこともないほど鋭く、恐ろしく美しい男の顔があった。
「……アズール? あなた、一体……」
「逃げたいなら、俺が逃してあげましょうか?」
「……どこか、行ける場所があるの?」
「東の方に、昔の知人が残した隠れ家があります。
設備は古いですが、人の目はほとんど届きません。しばらく身を潜めるには十分かと」
エメロードの湖水色の瞳が、困惑とそれ以上に深い想いに揺らぐ。
アズールは屋敷を囲む近衛兵たちの列を見やり、形の良い唇の端を僅かに吊り上げた。
完全な嘘ではなかった。
ファールスとの国境に近い、配下が確保している地点を指している。ただ、そこが最終目的地ではないことだけは、伏せている。
エメロードはしばらく考え込み、やがて小さく息を吐いた。
「……研究が、また一からになるわね」
「運び出せるものは、できるだけ持っていきましょう。俺が手伝います」
彼女はアズールの顔をじっと見た。疑うでもなく、ただ疲れきった目で。
「あなたがそう言うなら……信るわ」
その言葉が、胸の奥に小さく刺さった。
(……信じる、だと)
自分は彼女を騙している。安全な隠れ家など存在しない。国境の向こうにあるのは、監視付きの研究室と、後宮の嫉妬に満ちた日々だ。なのに、この娘は自分を「信じる」と言い切る。アズールは表情を変えぬまま、短く答えた。
「ええ。少なくとも、ここでアンリに潰されるよりはマシです」
エメロードはゆっくりと頷いた。
「……わかった。行こう」
その瞬間、アズールの内側で何かが軋んだ。
(……そうだ、ついて来い。それでいい)
そう自分に言い聞かせる。彼女は道具だ。
母を殺した毒の真相を解くための、最も優秀な鍵だ。情など抱くな。抱けば、全てが狂う。
アズールは最低限の荷物だけをまとめ、エメロードがどうしても手放せない資料と器具を厳選して箱に詰めた。配下の一部には予め指示を出し、移動ルートの確保と、追手の攪乱を命じてある。
出発の朝。
エメロードは壊れた温室の前に立ち、最後にもう一度だけ、踏み荒らされた土を見つめていた。アズールは少し離れた場所から、その背中を見ている。
(……なぜ、立ち止まる)
ただの研究施設だ。壊されたなら、別の場所で再建すればいい。そう割り切れるはずなのに、彼女が小さく肩を落としている姿を見ると、胸の奥がざわつく。
母も、ああいう風に俯くことがあった。後宮の冷たい視線に耐えながら、それでも自分だけは守ろうとしていた、あの細い背中に。
(……似るな)
アズールは唇を噛み、視線を外した。
「支度ができました。そろそろ出ましょう」
エメロードは振り返り、力なく笑った。
「うん。……お願いね、アズール」
その「お願いね」が、予想以上に重く響いた。
頼られる資格など、自分には無いのに。
プロローグがうまく書けない…Pomezoの中ではアズは俺様過ぎて…猫被りがムズムズしちゃって
イメージが乏しくなるのである…




