後宮編 第38章:凍りつく正妃の座
後宮の女主人たる正妃シファの部屋は、凍りつくような沈黙に支配されていた。
新年の朝を祝う晴れやかな装飾が、今はかえって惨劇の冷酷さを際立たせている。
シファの部屋に、宦官長と第四妃ファルザーネの侍女長が、顔を血の気のない蒼白に染めて駆け込んできたのは、つい先刻のことだった。
「シ、シファ様……! ファルザーネ妃が、今朝方自室にて、急にお倒れになり……!」
シファは、側で遊んでいた嫡子ジャミールの無邪気な姿を一瞥すると、侍女に鋭い目配せをして遠ざけた。
次代の世継ぎに、死の影を触れさせるわけにはいかない。
彼女は己の背筋を正し、正妃としての威厳を纏い直した。
「……病死か? それとも」
シファは努めて淡々と尋ねた。
しかし、その声は微かに震え、漆黒の切長の瞳は、長年の友人でもある第四妃の死に驚き、僅かに涙で潤んでいた。
宦官長は深々と頭を垂れたまま、首を横に振った。
「血を吐くような凄惨なものではございませぬ。朝の食事を済ませ、好物の茶を含み……そののち、しばらくしてから痙攣し、激しく苦しみ……そのまま息を引き取られました」
シファは、背筋を凍らせるような悪寒に襲われた。食事、茶、そして時間を置いての突然の苦悶と痙攣。それは、アズールの母の最期とあまりに酷似していた。
時を超え、場所を変え、悪夢が再びこの後宮に這い出してきたのだ。
重い沈黙が、部屋に重くのしかかる。
シファは指先が白くなるほど、豪華な装飾が施された座席の肘掛けを握りしめ、冷静さと理性を必死に呼び戻した。
「……殿下は、どちらに」
宦官長は気まずげに視線を逸らした。
「あの……ミリアム国の女学者が住まう、離宮に……」
シファは、小さく深い溜息をついた。
アズールは今、まるで初恋に戸惑う少年のように、あの白金の髪の娘に心奪われている。
政略結婚とは言え、彼の幼馴染として妻として、長く共に過ごしてきた。
エメロードという存在が、冷酷で苛烈、そして愛に飢えていたアズールを生身の人間へと変えつつあることは、シファも理解していた。
それは一人の人間としての彼を思えば、喜ばしい変化に思えた。
だが――。
「……至急、離宮へ向かいなさい。アズール殿下に、事の次第をすべて……一言一句漏らさず、ありのままにお伝えなさい」
シファの命令に、宦官長が深く礼をして下がっていく。
彼女は一人、冷え切った部屋に残り、窓の外を舞う冬の冷気を眺めた。
後宮の闇が、新年という再生の祝いを塗りつぶしていた。
シファは震える手を隠すように合わせ、ただ静かに待つことしかできなかった。
挿絵はシファ様




