後宮編 第36章:天才は愛の駆け引きを解読できない
夜明けの光が離宮に差し込み、宝石のような煌めきを散らしていた。
アズールの腕の中で、エメロードは小さな狼が獲物を仕留めた後のように無防備に眠っていた。やがて、小さなあくびと共に彼女がゆっくりと目を開ける。
アズールの胸板にそっと手を置き、それを押し退けるようにして身を起こしたその動作は、またもや、あまりにも淡々としていた。
アズールは、呆気にとられて彼女を見つめた。
(嘘だろう……。
あれほど激しく求め合い、魂が削れるほどに愛を交わしたというのに。まるで何事もなかったかのような、この態度は何だ?)
彼は自分が、「言葉を交わさずとも、すべてが通じ合った」と信じていた分、エメロードの妙にあっさりとした表情が、胸に鋭い棘となって刺さった。
「ふあぁ……。
とりあえずさ、喧嘩はもうやめにしない? 今はほら、一時休戦ということで」
エメロードは寝起き特有の少し掠れた声で、エメラルドの瞳をアズールに向けた。
その瞳はあくまで美しく、そしてどこまでも冷静だった。
アズールは言葉を失った。喧嘩? 今、彼女は確かに『喧嘩』と言ったのか?
(天才か馬鹿か知らないが、あまりに人を食った態度だ。
この女は、感情というものをどこかの研究室に置き忘れてきたのではないか?)
「喧嘩、など……してない」
アズールは奥歯を噛み締め、努めて低く、重苦しい声で応じた。
プライドが彼にそう言わせたが、心の中では「昨日あんなに求めておいて、今は休戦だと?」という叫びが渦巻いている。
「えっ……でも、だって……」
エメロードは少しだけ首を傾げた。彼女の唇は、昨夜の激しいキスの名残で少し腫れぼったく、驚くほど色気に満ちていた。
しかし、本人はそれに気づく気配もない。
彼女は小さくため息をつくと、すぐに表情を切り替え、事務的な響きで告げた。
「とにかく、今は後宮の事件に集中しなきゃ。ねえ、聞いてる?」
(お前は、俺が嫌いなのか?
まさか、昨夜のあれはただの……いや、弄ばれたのか? この俺が、一介の女に……馬鹿な、そんなはずがあるか!)
アズールは恐ろしいものを見るような眼差しでエメロードを見つめた。
男としての尊厳が音を立てて崩れ去る音が聞こえるようだった。
身支度を整え、朝食の席についてもその不穏な空気は晴れなかった。
アズールは不機嫌の極みで、銀のフォークを皿に鳴らす。
エメロードはそれをちらちらと伺いながら、また小さく溜息をついた。
「あのさ、少しだけ話し合いたいんだけど」
アズールは反射的に顔を上げた。
「やっとわかったか!」と期待を込めて。
しかし、次にエメロードが放った言葉によって、彼の眉間には再び深い皺が刻まれることになった。
「後宮の毒の成分と、今後の手立てについて、論理的に整理しておきたいんだけど。いい?」
エメロードは、昨夜の情事後の男女の機微、などという概念を綺麗さっぱりぶった斬り、早口で毒の考察を並べ始めた。
扉の外でそのやり取りを一部始終聞いていた乳母のイザベルは、肩を落として深い溜息を漏らした。
「……ああ、なんと救いようのない二人か」
アズールは、目の前で熱心に毒の事を語るエメロードを見つめながら、毒よりもずっと強力で、解毒剤のない恋の泥沼に、ますます深く沈み込んでいくのだった。
この話、プロローグ→ファールス後宮編→ファールス内乱編→ふたたびのあの方登場編になるけど
なっがいよ
(あと2作、こちらに移植したいのですが)
手直ししながら投稿だけど
プロローグが1番イメージがわかなくて、未だになおしたい




