ふと浮かんだ疑念
エメロードは、アズールが部屋を出て行ったあとも、しばらくその場に座っていた。
紅茶のカップを両手で包み込み、湯気を見つめながら、先ほどの会話を反芻する。毒は純粋だ、と断言した自分の言葉。アズールの、一瞬だけ苦しげに歪んだ表情。あのときの彼の目は、いつもよりずっと冷たかった。
(……怒らせちゃったかな)
小さな声で呟き、カップを置く。鼻がむずむずして、また「ぐしゅん」とくしゃみが出た。〝強力鼻水枯渇丸EX〟は結局見つからず、仕方なく新しい実験ノートを開く。けれど、文字がうまく頭に入ってこない。
アズールは、いつもならすぐに戻ってきて「おかわり、いりますか」と声をかけてくるのに、今日はなかなか姿を見せない。
――その日から、エメロードは少しだけ、アズールの行動を意識するようになった。
彼は、決して長時間いなくなるわけではない。朝はきちんと紅茶を淹れ、昼過ぎには研究室に顔を出し、夜は静かに部屋へ戻る。表面上は、何も変わっていない。
それでも、やはり時折。
「少し外の空気を吸ってきます」
そう言って出て行ったきり、小一時間ほど姿を消すことがあるのだ。戻ってきたときには、いつもの穏やかな微笑みを浮かべていて、どこかへ行っていた気配すら感じさせない。
靴に泥がついているわけでもなく、服に煙草や香水の匂いが残っているわけでもない。ただ、どこか……視線が、わずかに疲れたように、遠くなっている気がした。
ある午後。
エメロードが新しい毒草の栽培記録をつけていると、アズールが静かに近づいてきた。
「エメ、やはり風邪ですか。さっきから顔色が少し悪いようですね。生姜シロップ入りの紅茶を淹れましょうか?もちろん、砂糖はたっぷりめに。」
「ええ? 大丈夫だよ。ちょっと最近、研究資金が足りなくて……売るための薬を開発してたらさ。寝不足になっちゃって」
彼女は厚底眼鏡を押し上げ、アズールの顔を見上げる。いつもと変わらない優しげな表情。
けれど、その濃青の瞳からエメロードに向けられる視線は前ほど焦点が合わず、声音は少しだけ冷たく感じた。
「……アズール」
「はい」
「最近、よく出かけるわね」
アズールの形の良い眉が、わずかに動いた。すぐに、柔らかく微笑み直す。
「屋敷の周辺を把握しておいた方がいいと思いまして。まだまだ慣れてないので、道に迷わないように」
「ふうん、そうなんだ……」
エメロードは、ペン先でノートの端を軽く叩いた。嘘ではないのだろう。事実、彼は異国人で、この辺りの地理に詳しいはずもない。それでも、何か引っかかる。
(……本当に、それだけ?)
アズールは、彼女の沈黙に含まれる疑念を察したように、少し腰を屈めて目線を合わせた。
「心配させてしまったなら、すみません。これからは、もう少し散策は短くするようにします」
「ううん、心配ってほどじゃないわ。ただ……」
エメロードは言葉を濁し、視線を毒草に戻した。紫がかった葉の銀色のうぶ毛が、差し込む光を受けきらきらと輝いている。
「ただ、急にいなくなると、ちょっとだけ気になるの」
アズールは一瞬だけ、何かを言いかけて口を閉じた。そして、いつもの穏やかな声で続けた。
「わかりました。次からは、行き先を伝えてから出るようにします。それでいいですか?」
「……うん」
エメロードは小さく頷いた。アズールはそれで納得したように一礼し、静かに部屋を出ていく。
彼の背中を見送ったまま、エメロードはしばらく動かなかった。
(行き先を伝えて、か)
先日の毒の話しから、アズールは優しいのにどこか冷たい。ペンを握る手が、わずかに力を込める。
散策?
それなら、それでいい。ただ、もし――本当にただの散歩なら、なぜ、戻ってきたときの彼の目が、時々、こんなにも静かで、冷たいのだろう。
エメロードは眼鏡の位置を直し、再びノートに目を落とした。記録すべき数字が、今日は少しぼやけて見えた。
8/9 挿絵追加
エメは天才です(たぶん)天然で優しいです(お、おそらく)でも、自分の好きな分野に関わると理性が吹っ飛ぶタイプです。
対してアズールは冷静な人です。
自分をひたすら押し殺すことに慣れています。
物語は正反対なふたりが出会うから、感情のぶつかり合いも生まれて楽しい。




