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噂をされれば

「ぐしゅん!」


可愛らしいくしゃみを研究室に響かせたエメロードが、小さな鼻を塵紙でぢーん!とかむ。

背筋に走る悪寒に、実験器具を置き、背中に手を当てて首を傾げる。


「おかしいなぁ…風邪かな?

そうだ、こないだ作った〝強力鼻水枯渇X丸〟たしか、この辺りにしまったはず…」


ガサゴソと研究室の棚を漁るエメロードを、背後から冷めた表情で観察していたアズールが、表情を取り繕い微笑を浮かべて彼女に声を掛ける。


「エメ、紅茶入れましたよ。

ミルクたっぷりの砂糖どっさり、でしたよね。」


(毎回、吐き気がするほどの砂糖の量だ…)


アズールは内心で毒づきながらも、丁寧な仕草できっかりティースプーン5杯の砂糖を、温めたミルクと共に、カップに入れてかき混ぜる

どうぞ、と差し出すと破顔したエメロードが、犬の子のような無邪気さで近寄る。


「ちょうど良かった!

なんだか今朝からくしゃみが止まらないの。

暖かいお茶でも飲んで、今日はもう研究は終わりにするわ…」


紅茶を飲みながら自分を見つめるエメロードを、鋭さが出ないように気を払いながら見返して、アズールは質問する。

この屋敷に居着いてひと月、大体の事は把握済みだった。

エメロードはどうやら毒専門の研究者であり、研究費用を稼ぐために、名門貴族ながらさまざまな薬を作り売り捌いているようだ。

実家からの支援はまったく受けていないと説明され、アズールはエメが身を置く不可思議な環境に疑問を抱いていた。

エメの実家リュシェール家は軍部のトップであるだけでなく、秘密組織を持ち、領地は資源に富む。

莫大な資金のほんの僅かでも、娘ならば都合をつけて貰うのは、簡単なことだろう。


「ところでエメは、前にも聞いたが、何故こんな危険な研究を?」


アズールは研究室の壁一面の虫や植物の標本や、古びた専門書、机に並ぶ実験器具を見回し、エメロードに視線を戻す。

質問された本人は、どうにも説明に困る。といった雰囲気を醸し出し、いつもよりゆっくりと光る厚底眼鏡を押し上げた。


「私にとっては、この毒物の研究が全てだから。

毒に出会わなければ、抜け殻みたいになっていたもの。

それに…どうしても追い越したい人がいるの。」


アズールはその答えに、不満げな表情を隠し切ることが出来なかった。

命の恩人のように毒を語る娘に、生理的な受け付けなさすら感じる。

どこか幸せそうな、その口元をみて彼は見たくないものをみた、とでも言いたげに暗く視線を逸らした。


「でも、毒でしょう?

毒は人の命を奪うものだ。

貴女の作る毒が、もしかしたら誰かの命を奪う…その誰かはきっと誰かの愛しい人だとしても。

貴女はそんな笑みを浮かべるのですか?」


エメロードが弾かれたようにアズールを見る。

その頬は怒りに高揚し、愛らしい声は興奮に震えていた。


「違う!

そんなのは使う人次第よ!

毒に罪はない…毒は純粋だわ。

悪用されてしまう事もあるけど、人の命を助けたり、痛みを楽にする事もできる。

アズールみたいに、何もわからない人にとやかく言われたくないわ!」


激昂したエメロードの言葉に、アズールは強く手のひらを握りしめる。

仮面が剥がれてしまいそうだった。

激しい怒りに奥歯を折れるほど噛み締めた。


「…っ、俺は無知な異国人ですから。

高尚な話はわからなくて、気分を悪くしたなら謝ります。」


(人外め、だが…その知識は認めよう)


「わかればよろしい!

……あのね、実家を出たのは、いいえ、なんでもない。

いつか、話すわ、絶対に。」


アズールの荒れ狂う心には一切気付かずに、エメロードは無邪気に微笑む。

無言で頷き、彼は茶器を片付けて、彼女に背を向け部屋を出て行った。


その表情は怒りを滲ませながらも、どこまでも冷静だった。



研究室を出たアズールは、長い廊下をゆっくりと歩いた。窓から差し込む午後の光が、古びた絨毯の上に斜めに落ちている。足音を殺すように、彼はわざとゆっくりした歩幅を選んだ。


(毒は純粋だ、だと……?)


奥歯を軋ませる音が、自分の耳にだけ聞こえた。エメロードのあの無邪気な笑顔が、網膜に焼き付いて離れない。

毒を純粋と呼び、命を奪う可能性を使う人次第、と切り捨てるあの口調。それが、どれほど自分の中の何かを抉っていたか。

屋敷の北側にある、エメロードが〝物置き〟と呼ぶ部屋に戻る。薄暗い室内に、アズールは無言で入り、扉を静かに閉めた。

机の上には、今朝まで読んでいた新聞が開かれたまま放置されている。チラ見すると、彼は椅子に深く腰を沈めた。指先でこめかみを押さえ、目を閉じる。


(……あの家の人間だ)


リュシェール。ミリアム軍部の頂点に立ち、影の組織を抱える名門。その血を引く娘が、親の庇護を一切受けず、こんな街外れの屋敷で毒の研究に明け暮れている。「どうしても追い越したい人がいる」と言ったときの、エメロードの瞳の奥に灯っていた煌めき。

それは、単なる研究者の情熱ではなかった。

もっと、個人的で、執拗で重い何かだった。

アズールはゆっくりと目を開け、天井を見上げた。


(俺がここに残った理由を、あいつはまだ何も知らない)


ポケットの中で、冷たい感触が指先に触れる。小さな銀のロケット。彼はそれを握りしめた後、ゆっくりと開く。

中には細い紐で結ばれた黒髪が、丁寧にしまい込まれていた。

外では、遠くでカラスが鳴いている。風が屋敷の古い窓枠を軋ませた。

アズールは立ち上がり、窓辺に寄った。庭の奥、薬草園の向こうに、エメロードが作ったという小さな温室が見える。ガラス戸が半開きになっていて、中から白い煙のようなものが、細く立ち上っていた。


(……まさか、今からまた実験か)


彼は眉間に皺を寄せた。さっきまで「今日はもう研究は終わり」と言っていたくせに。くしゃみが止まらないと言いながら、結局また毒に戻る。あの娘は、本当に自分の身体のことも、周囲のことも、何も考えていないのか。

アズールは窓から視線を外し、静かに息を吐いた。


「……まだ早い」


独り言のように呟き、彼は部屋の隅にある小さな箱を開けた。中には粗末な荷物と、もう一つ——黒い布に包まれた細い剣が収まっている。

柄を軽く握り、すぐに離す。

今はまだ、抜く時ではない。エメロードの研究が、どこまで進んでいるのか。

果たしてそれは自分の役に立つものなのか否か。

そして何よりこちらの準備が整うまでは、この馬鹿らしい仮面を被り続けるしかない。


廊下の向こうから、また小さく「ぐしゅん」という音が聞こえた。エメロードのくしゃみだ。アズールは一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの、穏やかな表情を顔に戻した。


「……紅茶、冷めないうちにもう一杯淹れておくか」


呟きながら、彼は再び廊下へ向かった。歩調は、さっきより少しだけ速くなっていた。

誤字脱字などを見直して、たまに加筆したりして投稿してるけど…見直してみたらまだ誤字脱字があるだと?

きっと、誤字脱字はない。ととある少年漫画のあの卍解をかけられたに違いない…

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