後宮編 第21章:冬至の夜の始まり①
一年の締めくくり、最も夜が長い冬至の祭りの日。
宮殿は祝祭の喧騒と火の粉の匂いに包まれていたが、離宮の中だけは、得体の知れない静寂と緊張感が張り詰めていた。
朝早くから、エメは離宮の寝所という名の戦場に引きずり出されていた。
いつもなら虫の標本や乾燥したハーブが放つ、懐かしく土の匂いがする場所だが、今日は朝から侍女たちによって徹底的に浄化され、むせ返るような高級な香油の香りが充満している。
「ううう……やめてよ!
こんなにお腹を締め付けられたら、夜のお菓子も宴の馳走も、一口も入らないよ……」
細い腰をコルセットで強引に絞り上げられ、深緑の儀礼装束に身を包まれる。
髪を整えられ、耳元で香油を塗り込まれるたびに、エメは心底不服そうな仏頂面をさらした。しかし、鏡の前に立つエメの姿を見たイザベルや侍女たちは、そのあまりの神々しさに、うっとりと息を呑む。
「なんて……美しいのかしら。まるで、神話から抜け出した月の精霊のようですわ」
ため息の理由が「空腹と窮屈さ」にあるエメとは対照的に、周囲は彼女を、絶対神に捧げる最高級の供物のように磨き上げていく。
夜の宴は、眩いばかりの光と熱狂の渦だった。アズール、正妃であるシファ、そして他の妃たちが並ぶ上座。
その一角に座らされたエメは、周囲の思惑などどこ吹く風で、吟遊詩人が奏でる調べと、来年の吉凶を占う火の舞いにただ目を輝かせていた。
だが、その視線の中を潜り抜けるアズールの眼差しだけは、祭りのどの灯火よりも熱く、鋭くエメロードを捕らえていた。
宴の終わり際、アズールがイザベルの耳元に身を寄せ、短く何事かを囁く。
「……承知いたしました、殿下」
その言葉を聞いた瞬間、イザベルの表情から慈愛の色が消え、引き締まった規律の仮面が張り付いた。
彼女がエメへと向けた視線には、深い情愛と、取り返しのつかない決断への諦念が混じり合っている。
――深夜
離宮へと戻ったエメを待っていたのは、祝祭の余韻を完璧に遮断した、重苦しいまでの静寂だった。
寝支度は、いつもとは比較にならないほど念入りに進められた。
湯浴みを終え、若い侍女が最高級の香油を手に取り、エメの白磁のような肌に触れようとした瞬間――。
「退きなさい」
イザベルの静かな、しかし氷のような一言で侍女は後ずさりした。
彼女は自らの手で、この夜のために特別な夜着をエメに纏わせる。
それは、肌を覆い隠すための布地ではなく、ほどく順序を指先でなぞるための、官能的なまでに薄く、複雑な紐が絡み合うものだった。
鏡に映る姿は、確かに美しい。
けれど、そこにいるのはいつもの、研究と自由を愛するエメではなかった。
鏡越しに映るイザベルたちの目は、どこか別れを告げるような、あるいは、これから離宮で起きる「儀式」を畏怖しているような、複雑な色を湛えている。
「ねえ……どうしてそんな顔をするの? 何が起こるの?」
エメの純粋な問いに、誰も答えない。
イザベルたちはただ深く頭を下げ、離宮の扉を閉ざした。
廊下の彼方へと遠ざかる足音が消えると、広すぎる寝室には、取り残されたエメの荒い鼓動だけが響いた。
窓の外では、一年で最も長い夜が、獲物を狙う獣のように待ち構えている。
やがて、廊下の奥から、重く、迷いのない足音が聞こえ始めた。
扉がゆっくりと、重厚な音を立てて開かれる。
そこに立っていたのは、冷酷なファールスの世継ぎの仮面をかなぐり捨てたアズールだった。
その瞳には、計画の達成でも、政治的な思惑でもない、ただ一人の男として、愛しい女を食らわんとする、飢えた獣の熱が宿っていた。
一年で最も長い夜が、いま、幕を開けようとしている。




