後宮編 第15章:乾いた風と、凍てつく問い
11月の後宮には、やや季節を早めたような、冷たい乾いた風が吹き荒れていた。
エメロードのために造られた華やかな離宮が、庭園の中央でいよいよ完成の時を迎えようとしている。
だが、その白い石壁が塗り上げられるたびに、後宮の暗部では不可解で凄惨な事件が加速度的に増えていった。
アズールの権力が安定すると共に、凄惨な暗殺や誘拐は激減した後宮にて———
かつては些細な嫌がらせの域を出なかった後宮の〝意地悪〟が、いつしか死の影を伴うよう変質していた。
ある時は妃が慈しんでいた美しい鳥が、無残な亡骸となって主人の寝台に投げ込まれ、ある時は女奴隷が毒味の直後に血を吐いて黒く変色した床に崩れ落ちる。
それが一度や二度ではない。まるで何者かの悪意が、目に見えない糸を引いているかのような頻度で、起こされていた。
『あのお方は、夜な夜な殿下の寝所に招かれては、毒と魔術を操っているのよ』
『ミリアムから連れてこられた娘らしいわ。女神というよりは北の魔女ね。きっと殿下に媚薬を盛って、イスファーンを内側から食い荒らしているんだわ』
根拠なき噂は乾燥した空気と混ざり合い、またたく間に後宮の全域へ広がっていった。
エメロードの背中に突き刺さる妃たちの視線は、もはや嫉妬を超え、獲物を狙う獣のような殺気を含んでいる。
正妻シファは、その噂を聞きつけ、深く沈んだ溜息を漏らした。彼女はジャミールを己の背に庇うように抱きしめ、窓の外を舞う枯れ葉を見つめる。
女主人としてこの嵐を鎮めなければならない。だが、夫であるアズールが傍目からみれば、狂気じみた寵愛でエメロードを独占し、後宮の法を捻じ曲げている今、シファの言葉など風に吹き消される灯火に過ぎない。
シファは決意した。夫の執着が破滅を招く前に、一人の妻として、そして母として、彼と直接対峙しなければならないと。
*
――その夜。
宮殿の寝室には、不穏な静寂が漂っていた。アズールは今宵もまた、エメロードを自身の側へと引き寄せ、静かに唇を寄せていた。
彼の指先が、彼女の肩や鎖骨のあたりを、ゆっくりと撫でていく。そのたびにエメロードは、わずかに身を硬くした。
「……アズール」
「なんだ?」
今夜のエメロードは違った。
彼女は爛々と光り輝くエメラルドの瞳で、アズールを睨め付ける。
「なぜ?」
その問いは、鋭い刃となってアズールの耳に突き刺さった。アズールは動きを止め、彼女を覗き込む。エメロードは、彼を睨みつけるようにして続けた。
「愛を語られた記憶なんて、一度もないわ。……あの日のことを覚えている? ミリアムの地からの逃避行、その終着点で、あなたが私に冷たく言い放った言葉は。『地獄へようこそ』――あれが、私たちのはじまりだったはずよ」
彼女の言葉が、アズールの脳裏に当時の光景を呼び戻す。絶望に満ちた彼女の瞳。その時に突きつけた冷酷な宣告。
「今のこれは、一体何なの? 私の身分を偽り、何の意味もない演技を繰り返して……こんなことが貴方の地獄?」
「……」
「ねえ、いつまでこの演技を続けるつもりなの?」
エメロードの瞳からは、涙ではなく、静かな怒りと深い失望が溢れていた。しかし、その鋭い問いかけに対し、アズールは答えなかった。
代わりに、彼は彼女の腰を引き寄せ、静かに唇を重ねる。それは答えの拒絶だった。
「……お前を守る為だと言ったはずだ」
アズールは冷徹に微笑み、彼女の肩を深く抱きしめた。エメロードは、自分がどれほど深い泥沼に足を踏み入れているのかを、改めて悟る。
彼の腕の中で、彼女の心は氷のように凍てついていく。彼が語る全てが事実では無いことを、彼女の魂は本能的に理解していた。偽りの夜が、また静かに過ぎ去ろうとしていた。
こちらもR15改訂版になります。
すこしボリュームが減りましたが…違和感がない程度に収めてあります。




