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第5話 熊谷行き、隠れるための眠り


 非常口から外へ出たあと、俺は全身を震わせながら裏通りへ飛び出した。


 クロックスは、やっぱり大人サイズでぶかぶかだ。

 かかとが浮くたび脱げそうになり、

 足の指で必死に靴の前を掴みながら走った。


 「……頼む……脱げるな……っ」


 走る少女の身体は軽いが、

 足元が不安定だと恐怖が倍になる。


 施設の連中。

 白衣の男。

 警察。


 どこから誰が探しに来るか分からない。


 補導室を抜け出したということは、

 もう「行方不明少女としての扱い」される可能性が高い。


 ――急がないと。



 警察が探しそうな場所は、経験で分かる。


 生活安全課で働いていた過去が、今ここで役に立つなんて皮肉だ。


 まず 最寄り駅だ。


 未成年が失踪したら、警察はまず駅周辺を徹底して調べる。

 ターミナルのカメラ、改札の警備、巡回中の警察官――

 一番危険な場所だ。


 防犯カメラも避ける。


 少女がひとり裸足に近い格好で逃げていたら、

 それだけで「保護対象」として声をかけられる。


 自転車も危険。


 乗れる年齢の子どもに見えても、

 「一人でどうしたの?」と聞かれる可能性が高い。


 だから――俺は歩く。

 裏道を選んで。



 服装も変える必要があった。


 警察は、防犯カメラ映像から服の色で追跡する。


 「……裏返せば……別の服に見えるかも……」


 パーカーを裏返して着る。

 肌にプリントが当たって気持ち悪いが、

 防犯カメラ対策としては有効だ。


 「変な人に見られても……仕方ない……」


 映像に写った色が違えば、

 捜索は混乱する。



 逃げながら財布を確認する。


 朝コンビニで食べた分の残り、

 小銭と千円札が数枚。


 ――タクシーが使える。


 遠すぎると怪しまれる可能性もあるが、

 “駅まで”くらいなら、子どもでも乗る。


 そこで、行き先を決めた。


 熊谷駅の近く。


 県外である程度距離があって、

 なおかつ治安も悪くない街だ。

 駅前は広く、人も多いが――

 タクシーなら「降りるだけ」で問題ない。


 そこから歩いて別の場所に移動すれば、

 警察署からは十分離れられる。



 駅の裏路地まで回り込み、

 ロータリーを避けてタクシーを探す。


 表のロータリーには警察官がいる可能性がある。

 もちろん施設側が探しに来る可能性もある。


 裏通りの、少し古い酒屋の前に――

 一台のタクシーが停まっていた。


 白い車体。年季の入った車内。

 そして運転席には、白髪交じりのおじいちゃん運転手。


 ――この人なら。


 経験上、年配のドライバーは

 余計な詮索をせず、客に干渉しない人が多い。


 「……あの……」


 声をかけると、おじいちゃんが顔を上げた。


 「おや? どうしたんだい、ひとりか?」


 「……熊谷駅の近くまで……お願いします……」


 少し迷ったが、明確な地名を告げた。

 変に曖昧な目的地より、自然に聞こえる。


 「熊谷ね。ずいぶん遠くまで行くんだな」


 遠いけれど、常識的な範囲だ。

 これなら不審には思われにくい。


 「……親のところに、行くの……」


 本当は嘘だが、

 タクシーの運転手にとっては自然な説明だ。


 「そっか、じゃあ乗りなさい。寒いだろ」


 よかった。

 この人は追及してこないタイプだ。


 俺は後部座席に乗り込んだ。



 タクシーが動き出した瞬間、

 少しだけ緊張が緩んだ。


 けれど――油断は禁物だ。


 警察がパトカーを走らせて捜索していたら、

 窓から乗客の顔を確認してくる可能性がある。


 施設の連中がタクシーを止めようとする可能性だってある。


 だから――


 俺は、横になった。


 「す、すみません……

  ちょっと……寝てても……いいですか……?」


 「おう、構わんよ。疲れたんだろう」


 運転席から優しい声が返ってくる。


 横になる理由は一つ。


 外から乗客の顔を見られないようにするため。


 タクシーの窓は外から確認されやすい。

 制服の警察官がのぞき込むこともある。


 座ったままだと、子どもの顔は簡単に見えてしまう。


 だから、身を伏せて座席に横たわった。


 「……」


 緊張で、心臓がどくどく鳴る。


 タクシーのエンジン音。

 道路の振動。

 窓の外を走り去る影。


 そのすべてが子どもの身体に重くのしかかった。


 ――寝ちゃいけない。


 そう思った瞬間、

 さっきから溜まり続けていた疲れが一気に押し寄せてきた。


 補導室を抜け出し、走り続け、

 警察からも施設からも逃げるために神経を張り詰めたままだった。


 身体は小さく、エネルギーの消耗も早い。


 「……すこしだけ……」


 おじいちゃん運転手がバックミラーでこちらをちらりと見る。


 「無理しないでいいよ。ゆっくり寝なさい」


 その声が、妙に温かかった。


 安心した途端、

 視界がゆっくりと揺れ、

 重たい眠気が瞼を落としていく。


 できるだけ隠れるために横になったはずのその姿勢が――


 やがて本物の眠りへと変わった。


 タクシーは静かに熊谷へ向かって走り続ける。

 俺はその後部座席で、小さな少女の身体のまま、深い眠りに落ちていった。


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