あと2日
目を覚ますと本庄はもうベッドにいなかった。
今日は雨が降っていた。
リビングに行っても本庄はいなかった。
「他人に一人にしないでくれって言っておいて、どこに行ったのよ、あの人」
顔を洗い、適当に朝食を作った。
とりあえずソファーに座ってテレビを見ることにした。
「それでは、核保有国のすべての核兵器をあの巨大隕石と衝突させれば、地球落下は防げるということでしょうか」
「理論上は可能です。しかし、核保有国が核兵器を出すかどうか分かりませんし、核兵器による地上への被害も未知数です。危ない橋には違いがありません」
「……っ!」
思わず立ち上がった。
本庄から借りたTシャツの胸元を握りしめた。
制服に着替えた。
このセーラー服が私を表すもの。ある意味では本庄のスーツと一緒かもしれない。
顔色をよく見せるために化粧もした。
階段を降りると本庄がいた。
「どこに行くんだ」
「ちょっと買い物」
「お前はまた黙って……」
「貴方だって、私が起きたらいなかったじゃない」
「……。俺も行く」
私はため息をついた。
「言うと思ったわ。傘貸して」
「何を買いに行くんだ」
「新聞よ、ここ五日分の。どこに売ってるかしら」
「近くのタバコ屋ならあるかもしれない」
本庄は傘を広げながら答えた。
「何故新聞を買うんだ。携帯で良いんじゃないか?」
「新聞の方が情緒があるじゃない」
そのタバコ屋はすぐ近くにあった。
「そもそも空いてるかしら?」
「やってると思うぞ。あそこの婆さん暇そうだからな」
そう言って傘をふるった。
「やっぱりやってたぞ、ほら」
引き戸を開けた。タバコ屋というより商店に近かった。
私はレジに座るおばあさんに声をかけた。
「すみません、ここ五日分の新聞ってありますか?」
おばあさんは老眼鏡を下げて、私の顔を見た。
「義秋、あんたの女かい?」
「まあそんな感じだ」
ふーんと言ってまじまじと私を見つめた。
「若いね。でも不思議な美しさもある」
「あ、ありがとうございます」
「で、五日分の新聞だって?何だってそんなに買うんだい?」
「ここ最近、ニュースを見ていなかったもので」
そうかい、と言いながら手を動かした。
「あったよ。バラバラだけどいいかい?」
出された新聞は、新聞社も違ったし、朝刊も夕刊もあったが、ちゃんと五日分あった。
「じゃあそれでお願いします」
「婆さん、赤ラーク」
私がお金を払っている横で、本庄は煙草を買った。
店を出ていく私たちにおばあさんは声をかけた。
「もし世界が終わらなかったら、また会いに来ておくれ」
先ほどよりも雨が強くなっていた。雨粒が地面で跳ね返り、すねを濡らす。
「お前の金の出所はどこだ。お前は自分で金を稼いだことがあるか?」
「……ないわ、校則で禁止されていたもの」
私は水たまりを踏みつけた。
「どれだけ嫌っていても、所詮は親がいないと生きていけないのよ」
ビルに着くと、本庄はまた二階へ入った。
私は上で買った新聞を読むことにした。
昨日から核兵器を隕石にぶつけるという話が出てきたらしい。
朝、専門家が言っていたように核保有国全てが協力するか分からないし、地上への影響は未知数である。しかし、核兵器を投入するプランが準備されつつあると今日の新聞に書かれていた。
隕石は日本時間の28日土曜日の午前5時43分に地球に最接近するらしい。
「うーん」
私は四方に新聞を広げたまま寝転がった。靴下やスカートの裾はまだ湿っていた。
制服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びることにした。
ほとんど衝動的に風呂に入ったので、下着は用意したのに、着替えを持ってくるのを忘れた。
ペタペタと廊下を歩いた。キャリーケースをどこへやったか考えていると、ドアが開いた。
「あ」
本庄は持っていたダンポールをおき、つかつかとやってきて、下着姿の私にスーツの上着をかぶせた。
「何やってんだ」
「シャワー浴びててね、下着は用意したのに、服を忘れてたの。何かない?」
本庄は深くため息をついて、ダンボールからネグリジェを取り出した。
「ネグリジェ?」
「母さんの遺品だ。父さんのも下で整理してたんだ」
上品なデザインのものだった。かなりの年数が経っているだろうが、状態は良かった。
「ありがとう。素敵ね」
私はふわふわの裾をくるりと回って広げた。
「その遺品、他にも見てもいい?」
ダンボールにはお父さんのものと思われるCDや小説、服が入っていた。お母さんのものは少なく、アクセサリーと服が入っていた。
「母さんの遺品はお前にやる」
「え、いいの?」
「爺さんの遺言にもあったし、物は使われた方が良いと、俺も思う」
「ありがとう」
笑うと、頭を撫でられた。
「まだ髪が濡れてるじゃないか。風邪ひくぞ。乾かしてやる」
風邪ひいたって、あと2日しかないじゃないという言葉は飲み込んだ。
本庄はタオルで私の髪を包み絞ったあと、ドライヤーで乾かした。
甲斐甲斐しいなと思いつつ、私はされるがままになっていた。
「お前、結構、髪茶色いんだな」
本庄は櫛で髪をとかしながら言った。
「そうよ。私、顔も体つきも父に似ているけど、髪だけは母に似ているの。母も子供の頃は茶髪だったらしいわ。それよりはまだマシだけどね」
私は携帯を取り出して、家族三人の写真を見せた。
「これは入学式か?」
「そう。だから、えーと、2年前かしら」
本庄は見入っていた。
「母は太っているじゃない?父は普通だけど、私は病気のせいもあって痩せてるのよ。さっき見たでしょ?」
本庄は顔を上げて私を睨んだ。
「お前の危機管理能力の無さは気をつけた方が良いと思うぞ」
私は肩をすくめた。
「ちゃんとあるわよ。まあとにかくね、母はいつも言われてたんですって。『お宅のお嬢さんは、お綺麗ですね』って。純粋に嬉しかったわ。母は私に嫌味のように言っていたのに。周りの人に言われ続けたある日を境に、私は引っ叩かれるようになったわ。今思えば、自分と比較されて、娘だけが褒められたのがムカついたんでしょうね」
私は俯いた。
「……私、高飛車なんですって。確かにそうね。母との関係が悪くなったのって、結局私が悪いのよ。私の性格が悪いから」
本庄から携帯を受け取って写真を探しながら続けた。
「でも高校に入ってからは楽しかったの。学力奨学生でどうにか高校に通ってたから、結構キツかったけど。良い友人に出会えたの。この子よ」
私は修学旅行の時の写真を見せた。奈々と私二人で写っている写真だ。
「ね、この子すっごく可愛いでしょ?……この子のお母さんは不倫しててね、今もそこにいるらしいんだけど。私たちは深くお互いのことを理解していたわ。私たちは同じだったの」
本庄は私を見つめていた。
「だけど、奈々にはお姉ちゃんとお父さんがいた。私の父は、母のことが嫌いで家に寄り付かなかったの。父は私をそれなりに愛してくれたけど、私と母の関係には見て見ぬ振りだったわ」
私は立ち上がってスマホをテーブルの上に置いた。
「私は幼い頃から心も身体も弱かった。ハリボテの家族だった。それでも奈々に出会えたから、最後に貴方達に出会えたから、人生も悪いものじゃないって思えたの」
私は振り返って笑った。
「ねえ、ひとつだけ聞いても良い?」
「……なんだ」
「貴方が私をそばにおいた理由って何?」
本庄は立ち上がって私のところへ来た。私の頬へ手を伸ばした。
「俺にもわからない。ただそばにいて欲しかった」
「お母さんに似てるから?」
「違うな。いや、そうか、多分俺は……」
「?」
「何でもない」
私たちは昼食をとったあとも、遺品を眺めていた。その中にはアルバムもあった。
「昨日お前が母さんの写真が見たいって言ってただろ」
「それで探して、引っ張り出して来てくれたの?ありがとう」
アルバムは男性と女性の結婚写真から始まっていた。
男性は本庄から刺々しさを抜いた感じで、女性はただひたすらに美しかった。
ページをめくると、女性のお腹を横から撮った写真とメモがあった。
『2カ月目 妊娠が分かった。待望の我が子!二人でとても喜んだ。元気に生まれてきてくれますように』
『7カ月目 男の子だと言われた。どっちに似るだろう、私かな、俺かなって。どちらにせよ可愛いに決まってる』
『9カ月目 だいぶお腹が出て来た。赤ちゃんは私のお腹の中を蹴り回っている。お父さんはもう読み聞かせをしていますよ』
『出産 私が破水したとき、お父さんはオロオロしてて使い物になりませんでした。とてもとても痛かったけど、あなたが出て来てくれたとき、私は嬉しさのあまり痛みなんて吹き飛んでしまいました。生まれてきてくれてありがとう、義秋』
出産のときの写真だけは、お母さんと赤ちゃんのアップだった。幸せに満ち溢れていた。
その後も、母乳を飲む写真、お父さんが四苦八苦しながら沐浴をする写真、離乳食を食べる写真、おすわりしている写真、やっと立っている写真、ピクニックをしている写真、三輪車に乗っている写真、入園式の写真など、細かく写真に記録されていた。
さらにページをめくるたびに、子供が成長していくのがわかる。そして、たくさんの愛情を感じる。
最後の写真は小学校の入学式だった。キラキラしているように見えた。
「お父さんもお母さんも、心から貴方を愛していたのね」
アルバムを閉じながら呟いた。
「しかも、真由美さんとても綺麗じゃない。私なんか比べ物にならないわ!みんな目が腐ってたんじゃない?」
「瓜二つではないがな。多分生まれ変わりだと思ったんだろ」
「お父さんとお母さんが亡くなったのって、いつ?」
「20年前だな」
私は18歳。
「なるほど、納得したわ」
「母さんは確かに美しい人だった。だがお前にも違う美しさがある。母さんはエネルギーに満ち溢れていたが、お前の場合は儚い感じか?俺の審美眼はあてにならんがな」
「……そう、ありがとう」
窓の外を見れば、いつの間にか雨が止み、オレンジの光が雲間から差していた。
やっぱりどうしても世界が終わるようには見えなかった。
私たちはまた同じベッドで寝た。
「私は貴方に抱かれるのかと思ったわ」
「抱いて欲しいのか」
「……ぬくもりは欲しいけど、セックスは怖いから」
「お前が抱いて欲しければ抱こう」
「そう、ねえ、でも抱きしめて欲しい」
本庄が腕を広げたから、私は胸にすり寄った。幼い頃、家族三人で寝ていた頃を思い出した。
「おやすみ、みのり」




