あと3日
昨日よりは少し早く目が覚めたと思う。携帯の電源を切っているから分からないけど。
浴衣を整え、布団を畳んで押入れに入れた。
洗面所に向かい、顔を洗って、軽く化粧をしていると外から工藤さんに呼ばれた。
「あら、おはようございます。どうしました?」
「組長が!」
私たちは組長の部屋へ走った。
浴衣だったので、足が捌きにくかったが、とにかく走った。
「組長さん!」
「意識が混濁してて」
「わかりました。本庄さんは?」
「今から連絡を取ります」
「ここにいますから、任せてください」
工藤さんを見送って、私は組長に話しかけた。
「もうすぐ、もうすぐ、ヨシアキさんが来ますから、頑張ってくださいね」
「…………真由美……」
意識を取り戻した組長に驚いた。
恐らく組長の娘さんで、本庄の母親だろう人と見間違っているのだろう。
「真由美、……真由美、……すまなかった」
「……っ」
「ヨシアキにも……悪いことをした。私は親になってはいけなかった」
「そんなことはないです。ヨシアキさんは貴方に愛されて幸せだったはずです」
涙が溢れて止まらなかった。
「爺さん」
いつのまにか本庄が来ていた。私は涙を流したまま目を見開いた。
「俺は爺さんに愛されて幸せだった。俺は父さんにも母さんにも爺さんにも組の連中にも、みんなに愛されて幸せだったんだ」
「そうか、そうか」
組長は優しく笑った。
「真由美が迎えに来ているからね、私はもういくよ」
「ああ、お休み、爺さん」
眠るように息を引き取った。
本庄は組長の手を握ったままだった。
工藤さんは立ち尽くしていた。
私は畳に手をつき涙を流したまま呆然としていた。
昨日のあれは……。
「……工藤さん、かかりつけの医師とかいましたか?私が連絡します」
「いや、俺が」
「いいえ、工藤さんと本庄さんはここにいた方が良いでしょう。私がしますから」
私は医師に連絡しすぐに死亡診断書を書いてもらい、工藤さんは火葬場に連絡した。本庄は車で役所へ行き、死亡届を出してきた。組長の生前の意向で葬儀はしないらしい。
火葬場に着き、火葬炉の中に棺を運び入れ、本庄がボタンを押した。本庄と工藤さんは両手を合わせ、私は膝をついて手を組んだ。
「二人とも何も食べてないでしょう?コンビニで買ってきました」
緑茶のパックとおにぎりを差し出した。
「……ああ」
「……ありがとうございます」
「ちゃんと食べてくださいよ?お骨を拾ってる間に倒れたら洒落になりませんから」
そう言うと二人とも細々と食べ始めた。
「あの、ずっと聞きたかったのですが」
本庄は俯いたままだったが、工藤さんは顔を上げた。
「私は真由美さん、に似ているのですか?」
「そっくりです、若い時のお嬢に。初めてお会いしたときはびっくりしました」
「私を組長と話をさせたのは、そのためですか。組長も最期は見間違えていたみたいですし」
「あの浴衣はお嬢のものでしたから。尚更でしょう」
「そう、でしたか」
火葬が終わりました、と係員の人が教えてくれた。
三人で遺灰を拾った。最後に喉仏を本庄が拾い上げた。
係員の人にふたを閉め、包んでもらったものを本庄が抱えた。
「あったけえ」
本当に亡くなったのだと、実感が湧いてきて思わず制服のスカートを握りしめた。
運転するからと、遺骨を渡されたので、工藤さんに渡そうとしたが、持っててくださいと言われ、助手席に座った。あたたかかった。
家に戻り、遺骨を組長の部屋に置いた。
本庄も工藤さんも話し合うことがあると言ったので、私はロザリオを取り出し組長に祈りを捧げていた。
「みのり」
長いことそうしていると声がかかった。
振り返ると本庄と工藤さんがいた。
「組は今日をもって解散することになった。爺さんの遺言で。まあもう二人しか残ってなかったがな」
「二人はどうするんです?」
「工藤には好きにするように言った。世界が終わるまであと3日だしな」
「俺はここにいますよ。どうせ家族も俺のこと忘れてますから」
工藤さんはへらっと笑った。私は眉を寄せて言った。
「家族がいるなら家族のところに行くべきだわ。どんなことでも悔いを残すべきではないじゃない」
「工藤、組長の遺言状にも書かれてただろう。それにみのりの意見には賛成だ。どのみちお前が動かないと俺は動かないつもりだ」
「坊ちゃん……」
私と本庄の二人で工藤さんを見送った。本庄が振り返るなと言ったから、工藤さんは振り返らずに去っていった。
「……みのり、抱きしめても良いか?」
「良いわよ」
本庄は私をきつく抱きしめた。
本庄は泣いているようだった。組長さんが亡くなってから初めて泣いている。
私は背中に手を回して、トントンと叩いた。
しばらくすると本庄が体を離した。
「貴方は、これからどうするの?」
「……分からない」
「私はどうすればいいの?」
「俺と一緒にいて欲しい」
「そう、分かったわ」
笑いかけてやると、やっと顔を上げた。
「じゃあ、まずは組長さんの思い出話でもしましょうよ。私聞きたいわ」
私は近くの雑居ビルに連れてこられた。
「ここは?」
「俺の会社が入っていたビルだ。一階が倉庫、二階が事務所、三階が俺の居住スペースになっている」
「あの家はどうするの?」
「あれは爺さんのものだからな。爺さんの遺骨と一緒にそのままにするさ」
「そう」
三階の部屋は物が少なく、簡素だった。
「貴方、お風呂に入ってさっぱりしてきたら?」
「そうする、お前も入るか?」
「入りたい。ハンガー貸してくれる?あとキッチンも」
本庄が風呂に入っている間に、簡単な食事を作ろうと思ったが、食材がなかった。
仕方がないので、近くのスーパーに行った。
家に戻ると、風呂から上がった本庄が駆け寄って来た。
「どうしたの」
「お前が、いなかったから」
私の肩を掴む手は震えていた。
「頼む、一人にしないでくれ」
「……ごめんなさい、書き置きをしていれば良かったわね」
私が買い物袋を持っているのを見て、持ってキッチンまで運んでくれた。
「冷蔵庫に何も無かったから。お酒しかないからビックリしたわよ」
本庄は私が買って来たものをガサガサと取り出した。
「何を作るんだ?」
「入麺よ。これなら食べられるでしょ。すぐ出来るから待ってて。でもお酒はやめておいたほうが良いわよ」
そう言って麺を茹で始めたのだが、私が作り終えるまで本庄はキッチンから離れなかった。
「出来たわよ」
食器も十分に無かったので、不揃いな食器に入れた。
「いただきます」
「……いただきます」
「どう?」
「美味しい」
「それは良かった」
本庄は昼よりマシだが、憔悴している。でも入麺は食べきったようだ。
食器を洗っていると、本庄はキッチンでウイスキーを飲み始めた。私は尋ねてみた。
「貴方は知っていたの?組長さんが、実の祖父だって」
「知っていた。母さんから爺さんの写真を見せてもらっていたからな。ヤクザだってことも知ってたさ。じゃなきゃ、組までたどり着けなかった」
本庄はグラスをひと回しした。
「母さんからよく言われていたんだ。『何かあったらお祖父さんを頼りなさい』ってな」
私は思わず涙を流してしまった。
「組長さんが亡くなる前、昨晩言っていたの。自分は貴方に真実を告げるのが怖いって」
本庄が私の涙を指で拭った。
「爺さんは他にも何か言ってたか?」
「二つ頼みがある。自分はまもなく死ぬだろう。一つは、自分が死んだら貴方に真実を話してほしい。もう一つは、貴方を頼む、と言われたわ」
本庄は、なおも涙を流す私の頬を撫でた。
「そうか」
「私、貴方がうらやましいわ。貴方は独りではなかったし、お爺様や工藤さんだけでなくお父様やお母様や他の組の人からも愛されていたのでしょう」
本庄は黙っていた。
「そして貴方も皆のことを愛していたのでしょう。うらやましくて、うらやましくて、組長さんから貴方を頼まれたのに、貴方は組長さんを喪って悲しいのに、私は貴方をうらやましく思うなんて、ひどいわよね」
涙を流したまま、自嘲気味に微笑んだ。
「私なんて、世界の終わりに母親には死ねって言われて、唯一愛した父親には見捨てられたんだもの。……ごめんなさい」
涙を堪え切れなくて目を閉じた。
「きっと爺さんもお前が悲しんでくれて嬉しいさ。お前が母さんに似ているからではなくな」
本庄は私を抱きしめた。
「俺だって嬉しい。赤の他人も同然のお前が涙を流してくれて、ここまで付き合ってくれて。ありがとう」
私はすすり泣いた。悲しくて静かに涙を流したのは久しぶりだった。
風呂に入ってこい、と言われた。浴槽に浸かると、心が落ち着いた。涙と汗は流れ落とせたけど、瞼の腫れは治まりそうになかった。
浴衣はあの家に置いて来たから、本庄のTシャツをワンピースのようにして着た。お腹が冷えそうだ。
「上がったわ」
本庄はテレビを見ていた。
「やっぱり隕石は落ちて来るの?」
「らしいな」
私が来たのを見るとテレビを消した。
「ねえ、あの、お願いがあるんだけど」
「なんだ」
「……いっしょに寝ても良い?どうしても心細くて……。いや、いいわ。大丈夫よ」
本庄が何も言わなかったから、目を閉じてかぶりを振った瞬間、身体が持ち上げられた。俵担ぎにされている。
「うわぁ!」
「一緒に寝てやる。セックスはしないからな」
「セッ……!!す、するつもりなんかないわよ!しないわよ!しない!しないったら!」
「本当にただ寝るだけだ。だが俺はまだ眠くないから、お前を寝かしつけながら話をしよう」
「……うん、ありがとう」
ベッドにどさっと落とされた。横に本庄のも寝そべる。
「お前は本当に母さんに似てる。生まれ変わりかと思ったくらいにな」
本庄は私の髪を梳きながら呟いた。
「だがお前はお前だった。生まれ育った環境も、性格も全く違う。爺さんもそれは分かってたんだろう」
「そう。今度お母さんの写真見せてね」
「ああ」
「ねえ、本庄さん」
「……義秋と、義秋と呼んで欲しい、指示だ」
「よしあき、さん」
「義秋だ」
「よしあき……」
私は微睡みながら呟いた。
「明日から何をする?」
「そうだな、何をしようか」
「あと、何日?」
「あと3日だ」
「そっか、じゃあ……」
本庄--義秋の髪を梳く手が気持ち良くて、そのまま眠りの淵に落ちてしまった。




