中編
運ばれてきた、玉座の如き椅子に座る女王の御前にて、私は人形劇を始めた。
あの夜、夢見た、あの演劇を。
「昔々――それほど昔でもない、つい最近のお話! グランフォードというお家に、それはそれは美しい姉妹がおりました。
父に似た髪の優秀な姉、母に似た、愛らしい妹。さて父親はと申しますと、母親似の妹を蝶よ花よと可愛がり、姉は優秀な駒として、それはもう立派に完璧に育て上げたのでございます!」
父親人形を動かしながら、魔法で声色を変えて、威厳ある風情で喋る。
『セティエル、お前はグランフォードに相応しい優秀な姉だ。だから全て妹に譲ってあげなさい。エミリーが欲しいと言った物をすべて! あの子は可哀想な娘だからだ!』
続いて桃色の妹人形が手足を振り回す。
『お姉様、それいいなぁ、ちょうだい! その家具、可愛らしいわ、ちょうだい! そのアクセサリー、とっても素敵ね、ちょうだい!』
一度、二度、三度。
姉人形の周囲を跳ね回り、目につく物を片端から奪う仕草をするたび、招待客の間から失笑が漏れる。まるで子供の癇癪か、或いは道化のような所作。
笑われるそれに、エミリー嬢が怒りで顔を真っ赤にしたが、何も言えないようだ。
『お姉様が貰った、お母様の髪飾り、綺麗だわ。ちょうだい! お姉様のお友達のご本、面白そうね、ちょうだい! 婚約者のユーグ様から貰った指輪? とっても綺麗ね、ちょうだい!』
そこで初めて、姉人形が首を横へ振る。
『これは大切なものなのよ。あげられないわ』
飛び回る妹人形が、カシャン、と止まった。
次の瞬間には、怒ったように両腕を激しく振り回す。
『お姉様のくせに生意気だわ! お姉様のものは私のものなの! ほら、さっさとちょうだい! 生意気なお姉様には罰をあげちゃうんだから!』
ガシャン、と乾いた音を立て、妹人形が姉人形の頬を打つ。姉人形が地面に倒れると同時に、父親人形がその間へ割って入る。
だが、責めるように詰め寄る先は、姉人形だった。
『お前はなんてひどい姉なんだ。エミリーがこんなにも悲しんでいるのに、可哀想とは思わないのか!?』
『そんな、でも』
『黙れ! 当主たる私へ口答えするつもりか!?』
「ああ、不憫! まことに不憫! 父親の目には、殴られて頬を赤くした姉など映らないのでございます!」
私は見るに堪えないと言わんばかりに、天を仰いだ。
同時に、会場は完全に沈黙していた。
セティエル嬢は何も言わず、ただ、ジッと人形を見ている。
『あ、お母様の髪飾り、壊れちゃった! お友達のご本も破れちゃった! 指輪も失くしちゃったけど、また買ってもらえばいいわよね?』
妹人形がけたけたと踊る。
『お姉様はお金持ちの家に嫁ぐんだもの、グランフォードの後継ぎじゃないの。グランフォードはアタシが継ぐんだから、お姉様のものはアタシのもの!』
「ええ、そうですとも! グランフォードを継ぐのは完璧な姉ではなく、先ほど公爵が無能と褒めそやした妹なのでございます。何故か! さて、なぜでしょうなぁ?」
「なっ……!?」
グランフォード公爵が何かを言おうとして、しかし女王の御前であることを思い出し、沈黙した。
その合間にも劇は続く。
妹人形がクルクルと姉人形の周囲を回る。
『ユーグ様を婚約者にちょうだいって言ったのに、レヴァント家はひどいわ! それにお姉様、婚約破棄されたの? まあ、可哀想なお姉様! でもグランフォードはアタシが継ぐから、お姉様は邪魔者なのよ! メイドの格好をさせてあげる。アタシの侍女になって働いてね!』
姉人形から奪うように、粗末な布を被せる。
『お部屋は今までと違うわよ。地下室のかび臭い倉庫に入れてあげる!』
そして妹人形は、姉人形の背を蹴るようにして舞台の隅へ追いやった。
『お姉様に結婚なんて無理よ! だから一生、アタシの侍女にさせてあげる! でも仕事は面倒だからお姉様にあげるね! ほら、難しい計算も統治もぜーんぶお姉様にやらせてあげる! お姉様がお金を稼いで、アタシは新しいドレスを買って、黄金の馬車で王子様を迎えに行くの。だから働きなさい! アタシのために、面倒なことはぜーんぶやるのよ! じゃないと、アタシのお金を横領したって言って首を刎ねさせちゃうから!』
姉人形の首を絞めるように両手で掴み、睥睨しながら妹人形が笑った。
醜悪に、あの夢の中のように、悍ましく。
『アタシの役に立って嬉しいでしょう? だってお姉様は、アタシのために生まれたんだから! アンタはアタシの元で一生、奴隷として飼い殺しにしてあげるわ! だから、役に立たなくなるまで、使ってあげる。
ねぇ、笑ってよお姉様! ほら、笑いなさい! この出来の悪いデク人形! 誰にも愛されないアンタをアタシだけが使ってあげるんだから、喜びなさいよ!!』
ガシャン、と床に崩れ落ちる姉人形。
震える姉人形は、ケラケラ笑って舞台袖へ去る妹人形と父親人形へ手を伸ばし、ゆっくりと顔を上げて、両手で頭を掻き毟った。
『…………、
…………、
…………、
――――消えてしまえ』
それを最後に、首を吊るように吊り上がる、姉人形。
両手で首を掻きむしり、ぶらぶらと足が揺れて、カシャン、と両手が力なく落ちた。
これで終わり、終幕、何の救いもないエンディング。
ぶら下がる人形の前で、私は一礼する。
拍手の音は、響かなかった。
「な、なんなの……なんなのよ、これはっ!!」
ついに耐えかねたのか、エミリーが顔を真っ赤にして叫び、ドスドスとやって来た。
「アタシはあんなに意地悪じゃないわ! あんな酷いこと、やったことないもん! お父様、見てくださいっ。あんなひどい嘘をつく道化なんて……!」
「……ふ、ふざけるな!」
グランフォード公爵もまた、青ざめた顔で一歩を踏み出す。
「誰がそんなことを……! 私は、私はただ、躾を――」
しかし、言葉は続かなかった。先程の光景に僅かでも心当たりがあるのだろう。それだけで皆は察する。誇張や推測もあろうが、大体は事実なのだと。
会場の空気は密やかで、そして誰もが冷ややかで、おぞましい何かを見たような目をしていた。
セティエル嬢は過呼吸のように荒い息を吐き、肩を震わせていた。隣に立つユーグが、セティエル嬢の背を撫でながら、手をしっかりと握っていた。
「……容赦のないことだな」
座するアレシア陛下が、低く呟く。
「笑わせるための芸にしては、少々毒が強すぎる」
その通り、かなりの荒療治だろう。しかし、見せなければ彼女は動けない。
あり得る未来、その先の姿を見せつけなければ、彼女は何も言えない。
そう、教育されているからだ。
私は首を吊る人形を引っ張り上げて、にんまりと笑った。
「おわかりですか? これが、この先待ち受ける哀れな女性の結末。その果てにあるのは大団円のグランギニョール! 血と狂気、呪詛と怨嗟、全てを汚染する終わりの始まりでございましょう! ああ、なんと不憫、なんと哀れ! この上もない悲劇でございますなぁ!」
誇張でも、妄想でもない。
何度も見た光景だ。大地が腐敗し、根を張るように病が蔓延していく光景。
人々が飢えて苦しむこととなった元凶の魔女は、一番最初に自ら命を断っていた。だから、呪詛の大元を殺すことは、誰にもできなくなる。
あの下らない舞台劇の幕を、上げさせるつもりはない。
そのために十年、今日まで待ったのだ。
私は無造作に、手にした人形たちを放った。
ガシャン、と乾いた音を立てて地面に転がる人形。操る者がいなければ人形は動かない。当然だ、所詮は物に過ぎない。
だが、人間は違う。
「貴方は、どうされたいですか? 貴方の人生を、貴方はどうしたいですか?」
私は進む、夢にまで見た、この場所で。
そして震える彼女の前で、片手を差し出した。
「貴方が望むとおりに、私は手を貸しましょう。レヴァント家は、貴方の保護を国に求めましょう。貴方に与えられる選択はたったの二つ。ただ救われるのを待つだけのヒロイン気取りで終わるのか。それとも、自ら立ち上がる主人公へと成り上がるのか。それを決めるのは、貴方自身ですよ。セティエル嬢」
静まり返った会場で、震えるセティエル嬢はその手を見ていた。
次いで、答えを求めるように視線を巡らせるが、どこにも答えなど記されてはいないだろう。
私は何も言わない、言えることもない。
救うとは、別の誰かが糸を握ることではないのだから。
「セティ」
隣のユーグが、彼女を呼んだ。
目を向けたセティエル嬢へ、ユーグはゆっくりと頷いてから、手を解いた。
行けとも、拒めとも言わない。ただ彼女に選択を与えた。
セティエル嬢は一度、自分の手を見下ろしてから、グランフォード公爵を見る。
青い顔の男、今もなお、娘の主導権を得ようと睨みつけている、小さな男。
「セティエル! くだらぬ道化の戯言に惑わされてはいけない。お前はグランフォードの長女なのだぞ! 家のために尽くすことこそがお前の存在意義だ!」
その威圧的で、他人の人生を良いように扱おうとする声に、彼女の肩が僅かに揺れる。
洗脳のような言葉ひとつで、これまでは何でも飲み込んできたのだろう。暴力から守るために心を固めて、完璧を演じてきたのだろう。
だが彼女は、今度は俯かなかった。
先程の絶望的な光景をあり得る未来として見てしまったからこそ、今の状況への焦燥が、洗脳を上回った。
だからこそ、グランフォード公爵の声も荒々しくなる。
「セティエル、正気に戻りなさい! 公の場でそのような我が儘を通すなど、グランフォード家の名に――」
「お父様」
初めて、セティエル嬢が遮った。
「私は今まで、お父様のお言いつけに従ってまいりました。エミリーが欲しがれば譲り、私ならば我慢できると言われれば、我慢しました」
「それが姉というものだ。家族とは互いに助け合って――」
「では、エミリーは私のために何を我慢したのでしょうか。お父様は、私に義務以外で何を与えてくれましたか」
「与えたものだと? そんなものは簡単だ、お前への愛情だ! 娘として愛しているに決まっているだろう!」
「……お父様の愛とは、私が虐げられるのを良しとすること、なのですね」
「な、にを……!」
「今まで、ずっとそのように扱われてきました。使用人も皆、そう思っています。……ユーグ様も」
セティエル嬢の微かな声に、ユーグは頷いて口を開いた。
「ずっと貴家の方針に疑問を抱いていましたよ、グランフォード公。何故、婚約者同士の茶会にエミリー嬢を相席させるのか。何故、エミリー嬢には新品のドレスを与え、セティだけ流行遅れの昔のドレスを着せるのか。何故、嫁ぐはずのセティへ、領政の多くを任せているのか。……僕は、貴方の能力を前々から疑問に思っていましたよ」
「なっ……!?」
「ほう」
そのユーグの告発に、アレシア陛下が反応した。
顔を青褪めさせて何事かを弁明しようとするグランフォード公爵を無視し、セティエル嬢ははっきりと、父親へと言った。
「私、我儘だと言われても……私を大切にしない貴方がたを、大切には思えません。それに先程の人形劇は……きっと、本当にああいうことが起きるのだろうと、そう思ってしまいました。婚約破棄をされればきっと、私はエミリーのために一生を消費させられるのでしょうね」
セティエル嬢は疲れ切ったような溜息を吐いた。完璧な令嬢の彼女にしては珍しい、空虚な姿だった。
それからセティエル嬢は私の方へ向き直り、私の手へ、ゆっくりと手のひらを乗せた。
「……私、もう、自分の人生を譲りたくありません。図々しいお願いではございますが…………助けて、くださいますか?」
「……ええ、その言葉を待っておりました」
彼女は初めて、自分の意思で助けを求めることができた。
最期まで沈黙を守り通して死ぬこともなく。
……本当に、感慨深い思いに満ちる。
「な、何よ、これは! お姉様のくせにお父様に逆らうだなんて、お姉様なんて首を刎ねられればいいんだわ! 誰か、お姉様を捕まえてよ! グランフォード公爵に逆らった逆賊だわ!」
「そこまでだ」
エミリーが割り込もうとしたところで、ユガロ・レヴァントがようやく満を持して歩み出る。笑みを広げ、しかしその瞳は一切笑っていない。
ギャーギャーと騒ぐエミリーを見もせずに、ユガロはグランフォード公爵へ顔を向けた。
「グランフォード公爵。我が家の道化師が無礼を述べたことについては謝罪しよう。まあ、道化の言うことだ。そうお怒りなさるな」
「レ、レヴァント公……! 我が娘を拐かすなど、いったいどういう……」
「ところで」
ユガロは相手の弁明を許さず、真正面から言葉を叩きつける。
「勝手な婚約解消と再締結を迫ったこと。我が息子の意思を一顧だにせず、レヴァント家の意見を蔑ろにしようとしたこと。それについて、そなたはどう考えている? まるで、この婚約がグランフォード家のためだけにあるかのような振る舞い――私は、非常に不快だ」
それはそうだ。こちらの都合を一切無視した、身勝手な要望ばかり。
本来はユガロも怒り、何を考えているのかと相手を詰め、口論の果てにセティエル嬢との婚約を破棄してグランフォード家との縁を絶とうとするのだ。
それほどまでに無礼な物言いを、あちらはこのパーティ中、ずっと言い続けている。
ユガロの言葉に、グランフォード公爵が完全に沈黙した。例え王命であろうとも婚約とはグランフォード家だけで完結する話ではなく、レヴァント家との契約だ。その相手を無視して、娘が欲しがったから取り替えるなど、公爵という立場にある者が口にして良い話ではなかった。ようやく、それを思い出したのか。
さて、ここまで来ればもう一押し。
「女王陛下、無礼ついでに一つ、愚かな質問をよろしいでしょうか?」
私はくるりと踵を返し、座する女王陛下へ恭しく頭を下げる。
陛下は目を細め、私へ顎をしゃくった。
「ふむ、申してみよ」
「貴方様は即位前より、親に搾取される子供らの権利向上と保護に尽力されておりましたな? 例えば子供側が虐待を受けている場合――貴族家の内情であろうとも、その子供が貴族籍からの離籍を申請する自由は存在しますでしょうか?」
ざわり、と、今度こそ違う意味で人々が揺れた。
これは離籍を認めろ、と言ったわけではない。当主の承認を飛び越えて勝手に家を捨てられるようにしろ、とも言っていない。
ただ、虐待される子供側から、国へ申し立てることが出来るのか。
家という閉ざされた箱の中で何かが起きていると、外へ声を上げることが許されるのか。
私が欲しいのは、その一点だけ。
アレシア陛下はしばし黙り、それから赤い瞳を細めた。
「……道化。お前、私に面倒な課題を投げておるな?」
「滅相もございません! 愚者は疑問を口にしただけでございますとも!」
「よく言うわ、この道化者め」
鼻で笑い、肘掛けに肘を乗せ、その白魚の指で自身の頬を撫でる。
思案の沈黙の後に、女王ははっきりと答えた。
「私は言葉を持つ者に、舌を縫えと命じる気はない。声を発する自由だけならば、誰にでも存在して良かろう。無論、その自由を嫌う者達が私の意見に抗議するのも自由だが、子供を申請させるまで追い詰めたのは、その貴族家内の話だ。王家はそこまで面倒など見ん。だが人命を脅かすほどの虐待ならば、それは社会法規への挑戦だ。手は抜かんよ」
よし。
これで少なくとも、家の中だけで声を潰される者にも外へ手を伸ばす手段が出来る。不当な扱いをされる子供が、外へ声を上げる機会が生まれるようになる。
「では、もう一つ!」
「まだあるのか」
「道化は欲張りなのでございます! 離籍に足る理由ありと国が判断した場合、当主の許可なく離籍することは可能となりますかな?」
「事情次第であろうな。少なくとも家長本人が問題の原因ならば、その者の許可のみを絶対条件とするのは馬鹿げている」
「なんとも御尤も! ではここで、もう一つ愉快な問題を見てみましょう!」
私は両手を広げ、誰しもが思っていた問題点を指摘した。
「此度のグランフォード家の判断は、あまりに支離滅裂! 次女へグランフォード家を継がせるつもりでありながら、レヴァント家の次期当主たる嫡男を、その次女の婚約者へと挿げ替えようとなされた! はて? これはおかしなこと」
そこで、わざと首を大きく傾げる。
右へ、コテン。
「どちらがレヴァントを継ぐのでしょう?」
左へ、コテン。
「どちらがグランフォードを継ぐのでしょう?」
そして正面を向き、ニンマリと笑った。
「まさかグランフォード家はレヴァント公爵家へ、後継者をそちらの都合で挿げ替えろ、などとは仰りますまいな?」
「そ、それは……」
公爵の口が開くが、そこで途切れた。これっぽっちも考えていなかったのだろう。エミリー嬢がユーグを欲しがった、だから姉から妹へ与える。たったそれだけの、浅い理由だ。
公爵家と公爵家の婚姻がその程度の思いつきで動かせるものではないことすら、この男は覚えていなかった。
公爵家という、この国で上から数えたほうが早い地位にいたからこそ培われた、恐ろしいまでの傲慢さだった。
「この愚かな道化の頭でも、このご判断、少々――誇り高き公爵家という家名と釣り合いの取れぬ愚行と存じますなぁ」
道化以下の愚行、つまり当主として失格ではないか。
そう述べれば、会場内で密やかなさざめきと嘲笑が溢れた。
アレシア女王は蠱惑的な唇を釣り上げて、グランフォード公爵を睥睨する。
「……確かに道化の言うとおり、グランフォード公爵は少々、疲れておるようだ」
「へ、陛下……?」
「公爵という激務のせいで体調を崩しておるのであろう。判断にも相当な疲労が見える。それに以前、貴公は私が先王を討つ際に病身を理由に協力を辞退しておったな。確かに、そのような状態で公爵を続けさせるのも心苦しい」
一見すると、慈しむような言葉。
されどそこに乗るのは、絶対君主の命令という名の、断罪だった。
「案ずるな。病身の貴公に代わり、次の後継者が決まるまで我が王家が直々に、グランフォード公爵家を手助けしようではないか」
公爵の顔から、完全に血の気が引いた。
「お、お待ちください、陛下。私は――」
「疲れておるのであろう?」
アレシア女王の冷え切った一言で、悪あがきの口が止まった。
「休め。これは女王としての、気遣いだ」
文字通りに王家がグランフォードを一時掌握し、管理下に置くという宣告。つまり公爵が持つ権利の、事実上の停止。
正気で言っていたのなら国家秩序への反逆。故に病気として処理してやるから当主を退けという、処刑勧告寸前の回避命令。
そこに拒否権などありはしない。誰も異論を唱えもしない。
当然、先王の王命もまた凍結される。
貴族社会でのグランフォード家の市場価値はたった今、終焉を告げたのだ。
公爵は魚のように口を開閉してから、結局その場へ膝をついた。
一人、空気の読めない少女の姿をした怪物だけがヒステリーを起こしている。
「お父様!? どういうことなの!? アタシの、アタシとユーグ様の婚約はどうなるの!?」
今、言うことがそれなのか――という全員の思考が一致した気がした。まったく、グランフォード家もとんだ化け物を生み出したものだ。
そう思っていれば、床へ膝をついたままの公爵が顔を上げ、私へ恐怖の眼差しを向けてくる。
「……なぜだ、なぜ、貴様が知っている……?」
「おや、何を、でございましょう?」
「我が家のことだ!」
グランフォード公爵の声が裏返った。
「あの髪飾りも、本も、指輪も……エミリーがセティエルへ何をしてきたのかも! 貴様はレヴァント家の道化だろう! なぜ、まるでその場にいたかのように知っている!? 我が家に密偵でも潜んでいたのか!?」
「おやおや、驚かれましたかなぁ? 国一番の愚かな道化は耳だけは大きいのでございます! それはもう千里先の囁きすら聞き取り、壁の向こうの涙すら台本に書き留めてしまうほどに!」
「馬鹿な……」
「馬鹿で結構! 愚者とはそういうものでございましょう?」
「ふっ、道化の耳、か。便利なものだな」
が、それを拾ったアレシア女王が、面白そうにこちらを見てくる。
「お前の耳は確かに広く、大きいようだ。今後もその耳が我が国の不都合な囁きを拾ったなら、聞かせてもらいたいものだな」
「これはこれは! 女王陛下直々に道化へ御用命とは光栄至極! ただし愚者の耳ゆえ、真実に余計な鈴の音まで付くやもしれませぬぞ?」
「構わぬ。鈴を外すのは私の仕事だ。全てを話せばそれで良い」
ははは、恐ろしいお方だ。まさかとは思うが、察してはいないだろうか。
そう内心で戦慄していると、エミリー嬢が今度はセティエル嬢へ食って掛かってきた。女王陛下のお言葉を遮るとは、なんとも不敬なことだ。
「お父様がこんなことになっているのに、どうしてお姉様は平然としていられるのよ! お父様が大変なのよ!? お姉様だってグランフォードでしょう! ただじゃ済まないんだから!」
「いいや、違うな」
ユガロが即座に否定する。
「既にこの場で、セティエル嬢が長年にわたり不当な譲歩を強いられていた事実が明らかになった。本人が望むならば離籍を申請する権利があると先ほど、女王陛下自らがお認めになられた」
「でも、お父様が許すわけ――」
「その父親は先ほど女王陛下より休養を命じられた身だ。当主として正常な判断が難しいとされた以上、離籍申請の判断を当人だけへ委ねる道理はあるまい。最終的には、陛下の御裁可を仰ぐこととなるだろう」
その通り、だからこそ当主の意向を介さず、声を上げる権利を認めさせた。セティエル嬢がどう生きるのであれ、あの父親が当主である以上は、まずグランフォードから離すべきだと私たちは考えた。
だからこそ、今夜。だからこそ、女王陛下を呼びつけた。
全ては、彼女の自由を認めさせるため。
「よかろう」
全てを察している女王陛下は、しっかりと頷いた。
「申請が出されたならば、事情を精査した上で私が判断する。セティエル・グランフォード。お前がグランフォードに連なる一族へ残ることを望むなら、それもよい。離れることを望むなら、その意思も聞こう」
そこで僅かに口角を上げた。
「少なくとも、虐げる父や妹が決めることではなかろうて」
セティエル嬢は一礼しつつも、何も答えなかった。ただ、その顔は先ほどまでとは違って、純粋に困惑している。
まあ、当然だろう。二十年近く選ぶ必要などないと教え込まれてきた人間に、突然好きに生きろと言ったところで、すぐ答えが出るはずもない。
だが、それで良い。今は、それだけで良い。
彼女は今夜、私が指し示した道を見て、自分の人生の第一歩を踏み出したのだ。
それだけで十分だ。
「認めないわよっ!」
エミリー嬢の叫びが、静まり返った広間を引き裂いた。
「そんなの認めないわ! お姉様の全部はアタシのものなのよ! お姉様だけ助かるなんておかしいじゃない! 自由だって何だって、全部アタシに寄越しなさいよ! お姉様のくせに! 一人だけ逃げるなんてズルいわ! ズルいズルい、ズルいわよ!!」
髪を振り乱して詰め寄る姿に、もはや愛らしい令嬢の面影はない。まさしく東方より伝え聞く鬼女か、或いは蛇か。
周囲の貴族達も言葉を失っていた。ズルい、を連呼するだけの幼児にすら劣る醜態に、理解できぬ生き物を見るような視線だけ送られている。
その衆目の中でも、セティエル嬢は逃げなかった。
「エミリー。我慢が、貴方には必要だと何度も言ったでしょう。欲しいものがすべて手に入るわけではない。せめて家の外では我慢をしなさいと、私は何度も――」
「お姉様なんかがアタシに説教するんじゃないわよ!」
怪物のようなエミリー嬢の顔が、更に歪んだ。
「偉そうに! お父様に選ばれないゴミクズみたいな人間のくせに! アタシが居なきゃ見向きもされない捨てられたデク人形のくせに、生意気なのよ!」
それは確実にセティエル嬢を抉る言葉だったのだろう。
一瞬、彼女の身体が強張った。
その瞬間。
エミリー嬢の右手が、自身の髪飾りへ伸びた。
「生意気なお姉様には躾をしてあげるんだからっ!!」
それは反射だった。
思考を置き去りに、一歩、セティエル嬢との間へ身体を滑り込ませた直後、
エミリー嬢が私にぶつかり、そして腹へ鮮烈な衝撃が走った。
「……っ!!」
装飾品にも見える細身の柄。
そこから伸びた刃が、道化の衣装に深々と沈んでいる。
髪飾りに仕込んだ護身用の暗器か。随分と、可愛らしくないものを持っている。
咄嗟にエミリーを突き飛ばせば、抜けた刃が鮮血を散らせた。
その瞬間、会場は怒声と悲鳴で溢れ返った。
「ジェスっ!!」
雷鳴のようなユガロの声が響くのと、赤い影が動くのはほぼ同時だった。
赤い男がエミリーの手首を捻り上げ、力ずくで背後へ回す。
「離して! 何するのよ!」
「黙ってろ、悪党」
処刑人の短い声。
次いで、鈍い音が響く。
「い、ぎゃあああああっ!?」
エミリーが絶叫し、床へ崩れる。転がった暗器を処刑人が靴で遠くに弾き飛ばす。
同時に、私もまた膝から力が抜ける。ああくそ、何度食らっても良い気分じゃない……!
「……っ、大丈夫ですか!?」
「そんな、ジェス!?」
倒れ込む身体をセティエル嬢が咄嗟に受け止め、ユーグが青ざめて傷へ手を伸ばし、止血しようとする。
その向こうからユガロが駆け寄ってきた。公爵としての姿など投げ捨てたような、必死の勢いで。
ああ、これはよろしくない、傷一つで役を放り捨てるとは何事ですか、演技くらい続けなさいな。
「女王命令だ、医者を呼べ! 今すぐだ!」
痛みで白くチラつく視界の中でアレシア陛下が立ち上がり、控えていた者達が一斉に動き出す。
人々が慌てふためく中、真横で膝をついたユガロに思わず笑う。
「……締まらないものですねぇ。もう少し、スマートに助けたかったのですが」
「いいから黙れ、馬鹿者が!」
まったく、なんという顔をしているのやら。道化一人相手に、そこまで取り乱してどうするのですか。
鼓動と同時に広がる痛みの中で、セティエル嬢は震えながらも私の手を握る。
「どうして……どうして、貴方は私を……?」
「……道化が、目の前の悲劇を見過ごしては、商売あがったりでございましょう?」
冗談めかして返したところで、視界が一度、大きく揺れた。
これは少々、傷が深かったらしい。
私を抱え起こそうとするユガロの肩へ僅かに寄り、周囲から顔を隠すようにして、その耳へだけ低い声を落とした。
演技調ではない。
白塗りの道化ジェスでもない。
昔から向けていた、フェステの声で。
「……ユガロ」
その身体が一瞬だけ固まった。
「後で……高い酒、奢ってくださいな」
「お前……こんな時に」
返事を聞く前に、力が抜けた。意識を飛ばしたほうがたぶん、楽になる。
「ジェス! おい、目を開けろ! ジェス!!」
最後に耳にしたのは、今にも正体まで叫びかねないユガロの、ひどく焦った声だった。
ああまったく、これは無事に目覚めたら……また、お説教コースですかねぇ……。
それを最後に、私の意識はプッツリと、暗い夢の中へと沈んでいく。
……脳裏で遠く、道化師の甲高い笑い声が、響いた気が、した。




