前編
それは、まさに劇場だった。
「さぁさ、ご観覧の皆様方! 今宵の夢では幼子の、ありふれた一生をご覧くださいませ!」
たった一人、ぽつんと観客席に座る、自分の眼前。
舞台の上では、仮面を被った白い道化師がクルクルと回った。
シャン、と帽子の鈴が鳴れば、舞台背景が同じようにクルクルと回る。
魔法のように煙が溢れ、そこには自分たちの見知った屋敷が現れる。
ピタリ、と道化師が止まり、こちらを覗き込むように舞台の上から見下ろしてくる。
仮面の奥、星のように瞬く一筋の光が、こちらの瞳を射抜いていた。
「夢の中にて帳を上げましょう、全ての幕が上がらぬように。
彼らの未来を見せましょう、そこには全ての不幸がある。
貴方はワタクシが選びました、選ばれました。
夢見る舞台の只中の、観客一人が貴方だけ」
意味のわからない言葉が降り注ぎ、道化は両手を広げて、ニンマリと笑った。
「さあ、夢を演じましょう」
……夢が明け、瞳を開けたその日から、私の世界は一変していた。
二度と戻れぬ過去の日と、二度と朝日が昇らぬ未来を憂い、私はただ一人、ベッドの上で泣いたのだった。
◇ ◇ ◇
その夜に開かれる夜会は、レヴァント公爵家の屋敷にて行われる一大イベントだった。
天井から吊るされた魔導灯は昼間のように明るく、磨き上げられた床には色鮮やかなドレスが映り込む。人々の生活水準を百年進めた女王陛下の功績は、闇の深い夜ほど恩恵を実感するものだ。
「セティ、疲れていないかい?」
その中心で人々の視線を集めているのは、レヴァント公爵家の嫡男ユーグと、その婚約者であるセティエル・グランフォード嬢だった。
金髪の貴公子と、艶やかな黒髪を背に流す令嬢。
並んで立つ姿を見れば、誰もが似合いの二人だと評するだろう。
婚約者を労うように囁くユーグへ、セティエル嬢は静かな微笑みを向ける。
「大丈夫ですよ、ユーグ様。貴方こそ、少しお疲れでは?」
「……いや、大丈夫だよ」
ユーグは一瞬だけ深く息を吸ってから、隣のセティエル嬢の手を優しく握った。その距離感は親しく、仲睦まじげに見えるが。
しかし私から見ればユーグのそれは、まるで祈りのように見えた。
今宵、何が起きるかは知らされていないが、結末だけは教えている。
だから、あの子が憂うのも当然ではあった。
……あの子には悪いことをしている、という自覚はあったが、だからといって止まるつもりもない。
私は意気揚々とした足取りで二人の背後へ近づいていく。
「おや、ユーグ様はどうやらお疲れのご様子。ささ、あちらの席にてお休みになられては如何でしょうか。それとも芸でも一つ、披露いたしましょうか? 道化の曲芸はご婦人方からドドメ色の歓声を頂くほどのものでございますれば!」
「ど、ドドメ色……?」
「……ジェス、そういう冗談は今は要らないよ」
私、レヴァント公爵家付き道化師であるジェスは、白い化粧と、顔の上半分を覆う白い仮面と、道化服を纏った道化者である。こういう宴席でこそ、私のような空気を読まない道化者が必要とされるもの。
ユーグの前で指を振り、1、2、3で花が飛び出る。
目を瞬かせたセティエル嬢にも、今度は手を叩いて1、2、3で慎ましい花束が一つ。
鮮やかなそれを受け取るセティエル嬢は、珍しく驚いた顔をしてから楽しげに口端を緩めて受け取った。その隣で一本だけ貰ったユーグは肩を竦めている。
「ジェス、格差を感じるのは何故だろうね」
「おやおや、嫡男様は野郎に花束を贈られたかったのですか? これは失敬! 次からは真っ赤なバラの花束を十五本ほど用意いたしましょう」
「君の冗談は時々、笑えないかな」
などと言いつつも、ユーグは今度こそフッと肩を緩ませた。同じくセティエル嬢の微笑みが柔らかくなり、場の空気も静かに色づく。
今日は、結婚を控えた二人を祝う披露宴なのだ。半年後に婚姻する若い公爵家の二人が、新しい門出へ向かうためのパーティ。
主演であるからこそ気疲れする若い二人に、おじさんとしては少々、世話を焼きたくなるものである。
と、そこで私の視界の端にレヴァント公爵たるユガロ・レヴァントが、賓客を主賓の席へと案内しているのが見えた。
撫でつけた金髪に髭の中年男性。鍛えられた体躯は四十歳にしては逞しく、精悍な印象を与えるだろうか。ああ見えて若い頃は、世のお嬢さん方に黄色い悲鳴を上げられていた貴公子だったのだが、今では強面のおじさんである。
ユーグの父であるユガロは、茶色の髪を持つ貴婦人を席に座らせ、何事かを話している。
自らと同じ席、主賓に近い座席。彼女の背後には、貴族服を纏っているが赤いフードを被った不審な男が一人、護衛のように佇んでいる。
彼女が来てくれたのは、とてもありがたい。
「失礼、お二人とも。少々この道化も挨拶をこなして参りますので、ここにて成功をお祈り下さいませ」
「ああ、ジェスもあまり無礼なことを言わないようにね。首だけにならないように」
「肝に銘じましょう!」
銘じたところで、行うことは変わらないのだが。
二人から離れ、柱の影からひっそりとユガロ達の元へと辿り着く。
足音を殺していたというのに、フードの男が一分の隙もなくこちらへ振り返る。
私と同じく顔の見えない男だというのに、まるで鋭い刃のように瞳がこちらを撫で上げてから、急に興味を失ったように視線を逸らした。おや、護衛の割には不真面目な。
フードの男の気配に気づいたのか、ユガロが柱の間の私を見つけて破顔した。
「おお、ジェス。来たのか」
「ええ、閣下。この道化、隙あらば美しいお方と御縁づきたいと思ってしまう愚か者でございますので! どうかお美しい貴婦人様へ、ご挨拶をと」
金の髪飾りで髪を結い上げている貴婦人は、平凡な雰囲気を感じさせる顔立ちだった。どこにでも居るような、特に印象に残らない顔。
周囲に紛れている彼女は、喉の奥を鳴らすように笑う。その声色は平凡とは程遠かった。
「よいぞ、道化。この私へ挨拶などという身の程知らずなことを成す人間は、お前のような愚者しか行わん。聞いてやろう」
「おお! これは恐悦至極、貴方様のような美しいお方に名を覚えて頂けるとはこの道化、一生涯の宝となるでしょう。私の名はジェス。レヴァント公爵家付きの道化師ジェスと申します!」
「ふん。偽名ならばもう少し頭を捻るのだな」
「残念ながら私めは愚か者ですので、捻って絞り出た名がこれでした! ああ、貴方様がご不快と仰られるのならばどうぞ犬とでも豚とでも仰ってくださいませ!」
「生憎と犬ならば間に合っておる」
フードの男がチラリと舌を出しているのが見えた。一方、貴婦人は楽しげに笑っている。護衛というよりは親しい間柄に見えるな。
そんな奇妙な二人に少しだけ興味をそそられていれば、ユガロが真剣な顔で言ってくる。
「ジェス、役者が揃ったのだ。そろそろメインが始まるのだろう? 準備をしておけ」
そう、主賓は来た。先ほどグランフォードも到着したと聞いた。主演が勢揃いしたのなら、もうすぐだろう。
その開幕宣言に、女性は楽しそうにユガロへ笑った。
「ほう、私に話していた、面白い余興とはその道化師のことなのか。レヴァント公、私をここへ呼びつけたのならば、見ごたえのある出し物なのであろうな?」
「さて、貴方様を満足させられるかは、わかりかねますが」
「ふふ、よい。お前には大きな借りがある。お前の力が無ければ私は今の地位に座ることなど不可能であったからな。……ああそうだ、レヴァント公。この間、私の婚約者候補が辞退を申し出てしまってな。どこかに未婚で婚約者のおらぬ良い塩梅の男は知らぬか」
「貴方様が満足できる男は少々、ハードルが高すぎましょうなぁ。私があと二十ほど若くてもご遠慮申し上げたいと思いますので」
「はっはっは、言うではないか!」
辞退されてしまったのか、まあ、さもありなん。
五歳の時点で神童だの麒麟児だのと名高かったこの方の隣に立つなど、生半可な覚悟では務まらないだろう。しかも伴侶だ。そのプレッシャーは他の比ではないに違いない。
「……フットワークが軽いのはいいんだけどなぁ。もうちょっと落ち着きを持ってくれれば、相手も安心できるんじゃねぇかなぁ……あと、俺を引きずり回すの、やめてくれないかな……」
赤いフードの男が呟いた。遠い目でもしていそうな口調だった。
なんだろう、苦労人という気配がなんとなく伝わってきた。
そんな事を思っていた、その時だった。
「お姉様ったらズルいわ! お姉様にはユーグ様っていう素敵な婚約者がいらっしゃるんだもの。私にはまだ居ないのに!」
……おや、来ましたね。
甲高い大声を聞いた客人たちが視線を巡らす先には、セティエル嬢たちの前に立ちはだかる、一人の少女。
薄桃色の髪に、花のように可憐な容貌。まるで春の妖精と見紛うような出で立ち。
誰もが見惚れるような少女は、しかし淑女らしからぬ声量でセティエル嬢に食って掛かっていた。
そんな彼女へ、セティエル嬢が硬い微笑みで窘める。
「エミリー、ここはグランフォード領ではないのですよ。夜会が楽しいのはわかりますけど、少し落ち着いて」
「もう、お姉様ったら! こんな時までお説教は真っ平だわ! ねぇユーグ様、こんな人と結婚して不満じゃないの? お姉様なんて何の面白みもないような、つまんない人よ。すぐに飽きて捨てたくなっちゃうわ!」
なんとまぁ。知っている内容とはいえ、思わず耳が遠くなったのか或いは幻聴でも聞こえたのかと疑うレベルの物言いだった。
セティエル嬢の実妹、エミリー・グランフォード嬢は無邪気な笑みで、とんでもないことを口に出した。
「ねぇお姉様、ユーグ様をアタシにちょうだい!」
あまりと言えばあまりの言葉に、会場中が一瞬で静寂になった。
ユガロは半眼、隣の貴婦人の空気がスッと変わり、赤いフードの男も小さく口笛を吹いた。
一方、渦中の二人、ユーグは信じられない存在を見るかのように口を開いたままで、セティエル嬢だけは一切の表情の変化がなかった。慣れきったような雰囲気。
そんな、会場中がある意味でアウェイとなったにも関わらず、周囲など見もしないエミリー嬢はユーグへ熱い視線を向け、言い放つ。
「アタシ、ユーグ様みたいなかっこいい人が欲しいの! お姉様には勿体ないわ、アタシがもらってあげる! だからその婚約、アタシにちょうだい!」
「……エミリー、何を言っているの。この婚約は、遊びでも物でもないのですよ。ちょうだい、などと言ってもらえるような簡単な話ではないの」
「なによ、いいじゃないちょっとくらい! だってグランフォードはアタシが継ぐんだから、ユーグ様はお婿に来ればいいわ! ユーグ様だってアタシのお家で贅沢に暮らしたほうがきっと幸せよ!」
「エミリー、なんていう失礼なことを……ユーグ様へ謝罪なさいませ。貴方の発言はあまりにも礼を欠いています」
「うるさいわね、お姉様のくせに! アタシに指図するつもり!?」
「エミリー……っ!」
エミリー嬢が一歩出て、無造作にセティエル嬢を押した。周囲にどよめきが広がる中、咄嗟にユーグがセティエル嬢を後ろから支えた。
これにはユーグも呆れたような、或いは怒りすら滲んだ顔でエミリー嬢を見据える。
「エミリー嬢、セティエルは君の姉君だろう。どうしてそのような暴力を振るうんだ。とても淑女のやることには見えない」
「どうしてって? そんなの、お姉様だからに決まってるじゃない」
キョトンとした、無邪気な顔。一片の曇りもないそれに、初めて見た人々は思わずゾッとした顔をしている。まるで、言葉の通じない化物でも見たかのような。
「……なるほど、確かに、面白い余興だな」
茶髪の御婦人が呟き、ユガロが同意するように深くため息を吐いた。
それへ、私は囁く。
「まだまだこれからですよ、レディ。むしろ、ここからが本番です」
「ほぅ?」
「何事だ、これは」
その混迷の場へやって来たのは、グランフォード公爵。
セティエル嬢と同じ色の黒髪、それを撫でつけた中年の男性は、冷たい眼差しでセティエル嬢を見て、舌打ちでもせんばかりの顔で吐き捨てた。
「セティエル、また面倒事を起こしたのか。このような場で騒ぐなど恥を知れ!」
「お父様……ですが、エミリーが」
「くどい。いつから当主たる私へ口答えできるほど偉くなったつもりだ。大方、またエミリーへ意地悪でも言ったのだろう」
「そうですお父様! アタシ、とっても傷ついたんですから!」
これを見ていたユーグが、流石にグランフォード公爵へ歯向かった。
「グランフォード公爵、セティエルが述べたことは至極、真っ当なことでしたが。むしろ、エミリー嬢が彼女へ暴力を振るったのですよ。なぜセティエルを責めるのですか」
「暴力? 怪我など出来ていないではないか。その程度で騒ぐなど大げさな、少し姉妹でじゃれあっただけだ」
「じゃれあい? 突き飛ばすことが? ……前々から思っていましたが、どうして貴方はそこまでセティエルを嫌うのですか」
「馬鹿な、私は嫌ってなどない。ただ、優秀なセティエルは恵まれているのだから、妹へ譲ることを教育しているだけだ」
「なにを、馬鹿なことを……」
「そうだわ、お父様! あのね、お姉様の婚約、アタシにちょうだい! アタシ、ユーグ様をお婿に取るわ!」
あまりにも馬鹿げた要望、子供の思いつきレベルの、聞くに堪えない妄言。
普通の貴族の親ならば、窘めるだろう。バカを言うなと、公爵家同士の正式な婚約を何だと思っているのだと叱責するか、或いはお前には良い縁談を用意してやると、そう言って宥めるべきシーンだ。
だが、
「ほう、そうかそうか。エミリーがそう言うのなら、婚約の挿げ替えも良いかもしれんな」
そんな馬鹿げた思いつきを、あろうことかグランフォード公爵は公衆の面前で、それも笑顔で応じたのだ。
「本当!? お父様大好き! やっぱりお姉様なんかよりずっと頼りになるわ。ねえお姉様、今日の席はアタシに譲りなさいよ。ユーグ様の隣にはアタシが座るの!」
空気が冷え切った中、気にもしない親子だけが笑い合っている。
「待って、待って下さい公爵! 何をそんな一方的に……婚約者の交代など認められるわけがないでしょう!」
青褪めて震えるセティエルを抱えつつ、ユーグが必死に叫ぶ。
が、グランフォード公爵は事もなげに言う。
「何か問題が? 先王陛下の王命にてグランフォードとレヴァントの婚約が決まったのだ。セティエルだろうとエミリーだろうと、グランフォードと縁を繋ぐことに何ら問題はなかろう。むしろ、頭以外に使い道のないセティエルよりも、妻にそっくりなエミリーの方が隣に並ぶ相手として相応しいではないか」
「そういう問題ではない! 容姿とか能力ではなくて……貴方は、娘を何だと思っているんだ!?」
ユーグの真っ当な叫びに、しかしグランフォード公爵は煩わしそうに鼻を鳴らす。
「貴族ならば、家のために身を費やすのが義務だろう。それに、これは我が家の家庭内の問題だ、他家が口出しをしないでいただこうか」
貴族の家の問題は、その一族内で解決すべきこと。それは貴族社会での常識だ。
だが、これはあまりにも……レヴァント家を蔑ろにしていると、気づいてすらいない。まさに蒙昧、まるで盲目の愚者のように、無様に踊っていることに気づいてすらいない。
慈しむようにエミリーの肩を抱いたグランフォード公爵は、続いてセティエル嬢へ視線を向ける。
「セティエル、優秀なお前ならば、わかるな? エミリーはお前の妹だ、その妹のために地位を差し出すのは当然のことだ。そうだろう?」
まるで威圧するように、セティエル嬢を睥睨する。
俯いている彼女は、静かな、まるで人形のような顔で黙り続けていた。そうすることが当然だと、骨の髄まで思い知らされている人間の姿だった。
……私は知っている、彼女のその姿を。
だからこそ、あえて黙するユガロに代わり、私が舞台へと躍り出るのだ。
「おやおや、これは実に滑稽な喜劇でございましょうか! 婚姻を控えた二人の披露宴会場が、一転して婚約者すげ替えお披露目会に様変わり。実に愉快痛快、波乱万丈奇々怪々! まるで道化の演目のようではございませんか、皆様方!」
大仰に両腕を広げ、私は悠々と広間のド真ん中へと向かっていく。
人々が遠巻きにする輪の中へ進み出れば、ユーグは目を丸くし、セティエル嬢はゆっくりと私を見た。
私はニンマリと道化の笑みを広げて元凶の二人へ相対する。
一方、私が現れたことでエミリー嬢が鼻を鳴らした。
「喜劇? 誰のことを言っているのよ。ここは舞台じゃないわ、社交界の場なのよ! 道化師は隅っこで芸でもしてなさいよ!」
「そうだ、エミリーの言うとおりだ、道化。我々は今、グランフォード家の話をしているのだ。不敬が過ぎるぞ」
グランフォード公爵が眉を寄せれば、しかし背後から援護が飛ぶ。ユガロだ。
「なに、そう気にするな、グランフォード公。道化とはいつも痛烈な真実に皮肉を織り交ぜて語るものだ。それを遮るなどそちらの方が無粋ではないか、なぁ?」
「レヴァント公! 祝宴の真っ最中に道化に無礼を働かせるのがレヴァント家のやり方というのか? 礼儀を知らぬと見えるな」
「おお、そうか? 他家の夜会の真っ只中で親子喧嘩を見せられる方が無礼だと思ったが。それにジェスは我がレヴァント家の一員のようなもの。我が家の話だ、外様なのだから口出しなされるな」
痛烈な返しだ。家内の事情に口出しするなと言ったグランフォード公爵へ、「そこの道化師はレヴァント家の者なのだから方針に口出しするな」と釘を刺す。思わずグランフォード公爵も口を噤んだ。
その隙間に入り込むように私はグランフォード公爵へ歩み寄り、胸に手を当てて感激したように言う。
「いやはや、お父様の愛とはなんと効率的で合理的! 姉は優秀、故に譲れ。すなわち、妹は無能! 彼女は何も出来ぬ愚かな道化と貴方は仰った。自分の娘を公然と! ああ、実に素晴らしい親心!」
「な……!?」
「これなら妹君は今後一生を何もできぬ無能と褒めそやされ、蝶よ花よと籠に閉じ込められて朽ち果てるのでしょう。素晴らしい、実に素晴らしい親心ではありませんか皆様方!」
パチパチパチ、と派手に手を叩けば、静まり返った広間に乾いた拍手だけが響いた。
「なっ……! 無能ですって!? なんて酷いことを言うの、この道化! お父様、この無礼な道化を今すぐ追い出してよ!」
「そ、そうだ、私はただ……姉としての責任を説いたまでだ! エミリーを無能などと歪曲した表現で貶めるとは、首を刎ねられたいのか!?」
おやおや、必死さが滲む弁明は貴族社会では悪手ですよ。
案の定、見ていた人々がひそひそと囁きあう。
「……まあ、先程のグランフォード公の物言いでは、そうなりますわよね」
「セティエル令嬢はグランフォードで領政を任されている程の才女と聞くが。あの妹君の噂は、なぁ」
「先ほども、明らかにセティエル嬢を卑下する発言だったな。実の父親が娘二人を無意識で罵倒など……」
「いったい、どういう教育方針なんだか」
ざわめきが広がり冷ややかな視線が非常識な親子へ向けられるが、グランフォード公爵は萎縮どころか怒り顔。
「ええい! 我が公爵家を侮辱するか! 名家たるグランフォードを愚弄するのならば、どのような相手でも容赦せんぞ!」
威圧的な恫喝、常ならば公爵の名を出した時点で意気が削がれるのだろうが、この空気の中ではただの空元気だ。
針の筵に座らされている此度の騒動の元凶を眺めてから、私はゆっくりとセティエル嬢へ視線を向ける。
私の眼差しに呼応するように、諦観と絶望に支配されきっていたお嬢さんの瞳が、確かに動いた。
静かな瞬き。しかし私には、救いを求める声なき言葉に聞こえた。
視線を戻し、先ほどまでの大仰な調子とは違う、静かな声を意識して発する。言葉一つで空気を一変させるのは、演者として必須のスキルだ。
「いやはや、能力ある者がすべてを奪われる世界とは、実に恐ろしい。まさに終わらぬ人の傲慢さ、まさしく原罪そのものでしょうかねぇ。有能は搾取される、それも父親に。ああ、この国では幾度、そのような非道がなされるのか、この道化は心を痛めて嘆きましょうぞ!」
懐から真白なハンカチーフを取り出して目元へ押し当て、よよよ、と肩まで震わせて泣くふりをする。
「なんと嘆かわしい! 才があるから耐えよ、優秀だから譲れ、出来る者なのだから我慢せよ! いやはや、便利な言葉でございますなぁ。強い者から幾らでも奪える、実に素晴らしい理屈でございましょう?」
ハンカチーフの隙間から、ちらりと彼女を見た。
「そうは思いませぬか? 麗しき、我らがアレシア・ロア・ディートハイム女王陛下」
名を呼んだ瞬間、誰もが一瞬、何を言っているか理解できなかったらしい。
しかし私が手を伸ばして大仰に一礼すれば、相手は鼻で笑ってから席から立ち上がる。
金の髪飾りを解けば、舞い散る茶色い髪が、一瞬で燃えるような赤色へ。
顔立ちは整った造形へ変化し、同時に鮮烈なルビーの瞳が現れた。
あの髪飾りがおそらく、彼女の開発した変装用の魔道具なのだろう。見事な擬態だった。黙ってさえいれば。
お忍びで現れた我らが女王陛下の登場に、会場が驚愕に包まれ、どよめいた。もちろん、グランフォード公爵ですら息を呑む相手だ。
この国の最高権力者である、若き女王。
彼女が先王に冷遇され、搾取されてきたのは、ここに居る貴族たちの中で知らぬ者はいないに違いない……一部を除いて。
そんな周囲の視線すら歯牙にもかけず、陛下は低く喉を鳴らし、次いで楽しげに笑った。
「ふ、ふふ……なるほどな。道化、随分な話を私へ振るものだ」
「ええ、道化は愚か者でございますれば! 身の程など弁えぬのが仕事でございましょう!」
「ふん、言うではないか」
アレシア女王は背後にフードの男を従えながら歩み出る。パーティに紛れていた護衛たちも背後に整列し、まさしく女王の風格を見せる。
彼女は真っ直ぐな姿勢で顔色を悪くしたグランフォード公爵へ微笑みを向けつつ、見据えた。
「確かに、耳障りな話ではある。才ある者に負担を押しつけ、それを当然とする。才能を搾取するくせに、最後には処刑する。私は、そういう理屈を好まぬ」
「へ、陛下、これは我が家の――」
「分かっている」
グランフォード公爵が口を挟むより早く、アレシア陛下は片手を上げた。
「私から裁くつもりはない。他家の家中へ王家が軽々しく口を挟めば、それこそ別の問題になろう。だが、ここはレヴァント公爵家の宴席。そしてそこの道化は、主より口を開く許しを得ているのであろう?」
それに応えたのは、背後のレヴァント公、ユガロだ。
「無論でございます。この者には、今宵も存分に芸を披露せよと申しつけておりますれば」
「ならばよし」
アレシア女王は、ルビーの瞳を眇め、満足そうに笑った。
「面白い。続けよ、道化」
口出しはしないが、止めもしない。
レヴァント家の宴席で、レヴァント公爵が飼う道化が何を喋ろうと、それは主人の責任である。
つまり――自由にやれ、と。
私は大仰に一礼してから、にんまりと笑みを浮かべて顔を上げた。
「これはこれは、女王陛下の御前にて芸を続ける栄誉を賜るとは! この愚か者たる道化師ジェス、恐悦至極に存じます! さてさて、口先ばかりでは道化の芸として味気ない。ここはひとつ、皆様に愉快な人形劇をご覧に入れましょう!」
指を振って魔法を使えば、指先から光の糸が垂れ、その先に人形が三体、手品のように出現する。
黒髪の娘、桃色の髪の娘、そして娘と同じ黒髪を撫でつけた父親人形。
誰を模しているかなど、説明するまでもない。
カシャン、と音を立てる人形たちを器用に操り、陛下へと一礼させる。
「それでは、始めましょうか。拙い芸ではございますれば、この宴席の笑いの一つとなれば幸いでございます!」




