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白の道化師  作者: 満月丸
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後編


 あの道化師が医務室へ運び込まれると、夜会はそのまま終わりになった。

 招待客の貴族たちは口々に何か囁きながら、レヴァント家の使用人に促されるまま広間を後にして帰っていく。

 手付かずの酒杯、食べかけの料理、文字通りに夢の跡のようだぜ。


 そんな、さっきまで人でごった返していた広間に残ったのは、ほんの数人。セティエル嬢ちゃんとレヴァントの嫡男は、あの道化に付いて医務室へ向かった。

 居るのは、アレシア陛下に、護衛、それと何故か居合わせている、処刑人の俺。

 血の残る床を見下ろしたまま微動だにしない、レヴァント公爵と。

 あとは罪人となったグランフォード親子だけだ。


「……さて、レヴァント公爵。こやつらはどうする。レヴァント家で起きた刃傷沙汰、その扱いを決めるのは貴公だ」


 正式な沙汰は公的な裁判で行われるが、その間、身柄を引き渡すまでどうするかは領主に委ねられる。女王さんもわざわざこいつらを引き取る気は無いってことかね。

 身じろぎもしなかった公爵は、ゆっくりと、振り返った。


「もはや、言葉を交わす価値もないでしょうなぁ」


 どこまでも平坦で、あえて感情を消したような声だ。

 だがその瞳に宿るのは、冷え切った殺意。いやはや、流石の俺もゾクゾクしちまうね。戦上手の公爵閣下の殺気に室内の空気が更にひりついた。

 グランフォード公爵は青褪めて俯き、エミリーは俺が外した肩を庇いながら荒い息を吐いている。


「な、何よ……! お父様と同じ公爵の分際で、なんでアタシ達にこんな酷いことするのよぉ……!」


 ……すげぇな、こいつ。アレだけの事をしておいて罪の意識がゼロだ。処刑人の俺でさえ、ちょっと感心するわ。


 その言葉を聞いたレヴァント公は、にんまりと、笑みを広げた。どこか、あの道化に似た笑いだった。


「酷いこと、か。貴様はどうやら、まともな躾一つ満足に受けていないようだな。他人を刺して殺しかけることは、酷いことではないらしい」


 歩を進めたレヴァント公は、無造作にエミリーの髪を掴んで、


 地面に叩きつけた。


 悲鳴を上げて呻く女を気にもせず、レヴァント公は笑い続ける。


「土下座して詫びれば多少の温情はかけてやるつもりだったが、気が変わった。貴様にはネズミの牢獄が似合いのようだ」

「な、何よそれっ……!」

「レヴァント公爵! どうか、娘は、エミリーにだけは無体を働くな……!」

「私へ命令できる立場だと思っているのか」


 ゴリッ、とエミリーの額が、床に擦れて鈍い音がする。

 それを睥睨し、レヴァント公はにんまりとした笑みのまま、続けた。


「これほどまでに愚かで救いようのない人間など、そう存在はしますまい。この娘、他国の諜報員の可能性すらありますなぁ。どれ、女王陛下のお手を煩わせるなど家臣の名折れ。レヴァント家が直々に、情報の一つも逃さぬよう聞き出すことといたしましょう」


 うわぁお、拷問宣言か。こりゃ完全にブチ切れてるわ。まあ、戦争になってもおかしくないことをやらかした上に、親子ともども理解してないと来ればキレるわな。

 青褪めたグランフォード公爵へレヴァント公は視線すら向けずに続けた。


「生憎と私は、あいつと違って慈悲深くはないのでな。ところで公爵、確か、奥方は失踪したのだったかな? エミリー嬢に随分と似ているらしいが、この娘は貴殿にはまったく似ていないな」

「な……」

「そういえば、奥方は駆け落ちしたという噂(・)があったなぁ。数年前にレヴァントの国境で見かけたとのことだ。……グランフォード公。この娘は本当に貴殿の娘なのか? 本当に、これっぽっちも似ていないな。性根以外は」


 ははぁ、不在のグランフォード公爵夫人は、表向きに言われている病身じゃなくて駆け落ちだったわけか。レヴァント家はとうの昔に知っていて、グランフォード公爵は知りもせずのうのうと探し回ってたってわけか。そりゃ傑作だ。

 パクパクと口を開閉するグランフォード公爵へ一瞥も向けないまま、立ち上がったレヴァント公は手についた髪を振り払った。


「衛兵、二人を丁重に牢へおもてなしをしろ。特に娘の方は最奥の牢を使え」


 最奥、ね。奥まった牢は外に悲鳴が聞こえにくいとは言うが、さてはて、どんな牢屋なのやら。

 未だに叫ぶエミリーと幽鬼のように呆然自失のグランフォード公爵は無様に引きずられていった。あえて晒し者にするように。


 その顛末を見届けた女王さんは、微かに含み笑いをした。


「容赦のないことだな、公爵。それほどまでにあの道化が大切と見える」

「ええ、身内のような男ですから。私の、乳母兄弟です」


 ああ、なるほど。兄弟同然に育った人間なら、そりゃ身内判定するか。

 が、女王さんはルビーのような目を細めた。アレは嫌な視線だ、何でも見透かしそうな妙な圧がある。


「公爵、遠縁の誼(よしみ)で、一つ教えてはくれまいか。此度の騒動――どうやって予見した?」


 その揺さぶるような問いに、しかしレヴァント公爵の表情はピクリとも動かなかった。


「予見、とは?」

「惚けるでない。この私の前でこれだけ大事にして、隠し立てができると思っているのか?」


 口調こそ愉快そうだが、声色はまったく笑っていない。


「あの次女が婚約者を欲しがったのは、その場の気分であろう。事前に綿密な計画を立てられる者ならば私の目前で暗器など抜かぬ。その程度のオツムすらない、私の前で不遜な態度をとっても良いと思っているタイプの、救いようのない愚か者だ」


 うん、反論の余地もねぇな。


「だというのに、お前の道化は準備をしていた。知り得ぬはずの姉妹の内情を人形劇にし、私へ問いを投げ、ついには貴族家の子が国へ助けを求める仕組みまで引き出した。まるで、全てを知っていたかのようだ」


 しかし、と女王さんは鼻で笑う。


「だが、ナイフ一本は予見出来ずに腹を刺された。どうにも妙でな。恐ろしい策士なのか、肝心なところで抜けた道化なのか。判断に困っておる」


 公爵は肩を揺らして応えた。


「道化とは、崖の縁で踊る者にございますれば。ジェスがどこから情報を仕入れたか、私もその全てを把握しているわけではございません」

「確かに崖っぷちだったな。あれは流石の私も肝を冷やした。だがレヴァント公爵」


 そこで初めて、女王さんは俺を見てから、レヴァント公へ真っ直ぐに問うた。


「あの道化が神器を持つならば、隠し続けることは得策ではないぞ」


 ……そう、俺も気づいていた。

 あの道化が現れた時、ここには居ない相棒の気配が、何故か背中に漂ったのだ。まるで再会を喜ぶかのような。


 そこで初めて、レヴァント公は確かに目を見開いた。


「……神器?」


 その反応に、今度はアレシア陛下の方が僅かに目を細める。


「なんだ、知らなかったか」

「神器とは、あの伝説の? ……特別な代物であることは承知しております。しかし、神器とは……」


 これは本気で戸惑っているな。神器と知らずに使っていた……いや、使われていた、だな。

 演技ではないと見たのだろう、女王さんは椅子の背に身体を預け、息を吐く。


「神器は所有者を自ら選ぶらしい。特に血筋を見て選ぶ傾向がある、と私は聞いている」


 明らかに俺へのパスだ。俺は面倒極まりない中、首を鳴らしつつ答える。


「陛下。俺の見る所、あの仮面は確かに神器だぜ」


 俺の断言に、レヴァント公は今度は怪訝な顔を俺に向けた。


「……何故、処刑人のそなたが、そう言い切れる?」

「まあ、女王陛下の許可があるから告白するが。俺も神器に選ばれているんでね。神器ってのは偏屈だからさ。俺の相棒だって悪党を斬るのが大好きな、とんでもねぇ奴だ」

「お前も人のこと、もとい魔剣のことは言えぬだろうがな」


 放っておいてくれ。


「だからまあ、あの仮面も大概な性格してるだろうさ。道化の仮面をしてるくらいだ、舞台劇でも好きなエンターテイナーなんじゃねぇの?」

「随分と雑な推測ではないか。処刑興行の執行者が断ずるのなら、確かだろうが」

「そりゃどうも。それとな、神器ってのは他人に触られるのを嫌う。所有者が拒めば妙な具合に弾かれたり、どうやっても動かなかったりする。たぶん今頃、あの仮面を外そうとして医者が困ってんじゃねぇかな」


 俺の相棒もそうだ、俺以外に触れさせようとしない。俺が覚えている限り例外は先代ドレア男爵、つまり俺の爺様だけだった。

 あの仮面もたぶん、ベッタリと所持者に張り付いてるだろうな。


「どうする? あの仮面、ちょいっと外して来てやろうか?」

「お前が?」

「俺というか、相棒がうるさくてさ。久しぶりの同類だ、会わせろって気配だけで俺に催促してきてるんで。どうにもうるさくって敵わない」


 たぶん今頃、馬車の中でカタカタ言ってるに違いない。

 女王さんが頷いたので俺は相棒を取りに広間を出る。背中にレヴァント公の複雑そうな視線を感じつつ出口へ向かえば、背後で会話が続けられる。


「まずはあの男を救え、公爵」

「無論でございます」

「神器については、その後だ。本人が起きてから、じっくりと、話を聞こうではないか」


 陛下の悪癖、もとい、意地の悪い声が聞こえる。


 ……哀れ、道化は厄介な女王様にロックオンされたようだ。

 まあ、頑張れ。と他人事のように思った。



◇ ◇ ◇



「いぃぃっらっしゃいましたよぉぉっっ!!」


 夢の中の劇場、観客席に座する私の前で、舞台の上の道化師がクルクルと回っている。

 白い衣装、白い仮面、白い道化帽子、何もかもが白い。

 だというのに、赤い口紅だけがニンマリと笑みを広げて目立っている。

 道化師は私へ向き直り、やはり煩い声量で言った。


「いらっしゃいましたよ! 遂に、嗚呼遂にこの時がやって参りましたねぇ! なんという至福! なんという幸運! ああ不肖このワタクシ、有りもしない心の臓がまるでドラムのように高らかに打ち鳴らされております!」

「……誰が、来たんだ?」

「ええ、いらっしゃったのです! いらっしゃられたのです! ああ感動です! 素晴らしい!」

「だから、誰が来たのかと聞いているのだが」

「いらっしゃったのですよぉ!!」


 うるさい、何かもう、うるさい。

 現実では死にかけている身で、何が悲しくて夢の中にまで安眠妨害されねばならないのか。ため息を吐くが、目の前の道化師は聞いてすらいないだろう。

 私の質問へまともに答えたことのない道化師は、やはり煙に巻くようにクルリとターンをして帽子の鈴をシャン、と鳴らした。


「台本は書き換わり、舞台の幕は上がりませんでした。明かされたのは愚かなワタクシのご主人様が無様に死にかけているという事実だけです! ですが実に素晴らしい! 舞台上で死にかけるのもまた一つのスリル! 悲恋となった暁には観客の皆様方は涙涙のスタンディングオベーションに違いないでしょう!」

「勝手に殺すんじゃない。というか、私はまだ死んでいないのだろう?」

「おお、死とは常に生の裏表。存在が消えるのを死と呼ぶのか、名を呼ばれぬことを死と呼ぶのか、人間とは実に愉快なことを行いますね。帷たるワタクシ、感銘いたしました! やはり貴方を選んで良かった」


 良かったと思うのなら質問の一つにでも答えてほしいものだが。

 とはいっても、この道化師とも長い付き合いだ。夢に出たということは、あの悪夢が現実になることはないのだろう。


 観客席で天を仰ぎ、目を伏せる。

 道化の衣裳も、仮面も、何もない。

 ここでの道化は、帷だけだ。


「フェステ、小さなフェステ。今はしばしお眠りなさい、貴方の苦労が実るかどうか、全ては目覚めてすぐにわかるでしょう」


 子供の頃と同じように囁く声は、人外の癖にどこか優しさに溢れている。

 正直、こいつの性質は嫌いだが、救われている部分もある。私という影がまだ存在し続けても良いという、使命を与えてくれるからだ。

 けれども、今は少しだけ、疲れていた。


「……そうですね、少しだけ、眠ります」

「ええ、おやすみなさい。ああ、それと」


 舞台上の道化師は、不意に甲高く宣言した。


「年の差カップルもいいですよね! なので頑張って下さいね! ワタクシ、応援しておりますからねぇ!!」


 ……は?


 と言う間もなく、私の視界はグルグルと目眩のように回り続け、




 ――目を開けば、そこはレヴァント家の医務室だった。


 なんだろう、まったく眠った気がしない。むしろ精神的に倦怠感だけが積もっていた。


「……眠らせろよ」


「よぉ、目ぇ覚めたか?」


 掠れた声で呟けば、見知らぬ男の声がした。

 身じろぎすると同時に、沁みるような燃えるような苦痛に呻いて元に戻る。ようやく思い出すのは、腹を刺されたという事実だ。

 嗚呼、どうやらまた運良く死に損ねたらしい。僥倖だろう、この痛みさえなければだが。

 荒々しく息を吐いていれば、誰かが小声で喋り、扉が閉まる音がする。


「あんまり騒いでやるなよ、起きちまうからさ」


 天井へ向く視界に横合いから入るのは、覗き込んでくる赤い男だった。暗いフードの影の向こうから微かに見える刃のような瞳が、こちらを睥睨しているようだった。

 思わず自分の手を握りしめれば、そこには何かの感触がある。

 ゆっくりと頭を巡らせれば、私が寝ているベッドの傍に、眠るように頭を預ける女性が居た。何故か、私の手を握っている。

 理解できずにいると、男、この国一番の処刑人は肩を竦めた。


「一晩中、アンタを見守ってたんだよ。感謝してやれよ、俺と違って心配してくれる人間が居るのは幸せなことだ」


 何故、彼女がここにいるのだろう。いや、想像はつくのだが、どうして私の傍で看病のようなことをしているのだろうか。理解が及ばない。

 ……意識を別に逸らすことにする。


「……仮面」


 違和感に、片手で顔を撫でる。

 ざらついた白粉の化粧も、口紅も、道化服もない。そして被り慣れた白い仮面も。

 随分、全身スッキリと剥かれてしまっていたようだ。


「仮面ならそこだぜ。俺の相棒が見ていてくれてる」


 指さす先には、サイドテーブルの上に乗る仮面と、傍に置かれた赤錆びたような特徴的な剣。処刑人の剣だ。

 時折、カタカタと音が鳴り、同時に仮面から道化の笑い声のような気配を感じられた。なんだろう、やたらとテンションの高そうな会話をしている気配がある。


「なんか、ずっとハイテンションな会話してるっぽいんだよなぁ。相性がいいのか?」

「……その剣は、私の仮面とお知り合いで?」

「らしいぜ。アンタのそれと同じ来歴だよ。神器って呼ばれてる、国宝級のへそ曲がりさ」

「神器……」


 初めてそう呼ばれて相方の正体を察したが、ああやはりか、という納得だけがある。あんな奇怪な存在、神器か古代の魔道具くらいしか思い浮かばなかったのだから、むしろ腑に落ちる。

 では、その神器の剣を持つ処刑人も、似たようなものなのだろうか。


「……その剣が私の仮面を外したのですか? 私以外が触れると嫌がる気配がして相手を弾き飛ばすのですが」

「おお、治療にゃ仮面は邪魔だろ? だから外しておいた。おっと、勝手に触れるな、なんて文句は言うなよ。アンタの相棒はそこまで潔癖症じゃなかったようだから助かったが」

「ご安心を、私もそこまで気にしません……それより、どうなったのですか」

「例の断罪ショーか? アンタが刺されたことで舞台はうやむやになっちまったが、アンタの主人がえらく激怒してな。連中は今頃、牢屋の中だよ」


 まあ、そうだろうな。ユガロは私のことになるとどうにも、我を忘れる傾向がある。


「公爵が言ってたが、乳母兄弟なんだってな? だがまぁ、その割には……」

「それよりも」


 先の言葉を遮るように、別の話題にする。


「ユガロ……レヴァント公爵に、取り次ぎを」

「それならアンタが目覚めた時にレヴァント令息が走ってったぜ。すぐに飛んでくるんじゃね」

「ユーグ……様が」


 あの子にも苦労を掛けさせたようだ。結果として婚約は立ち消え、十年来の親しい婚約者を失うことになる。

 止まるつもりも後悔もないが、心苦しい思いは湧き上がる。


「……彼も、これから大変でしょうね。新しい婚約をせねばなりませんし、将来設計が一夜にしてひっくり返った。セティエル嬢とも仲が良かったのに……悪いことをしてしまった」

「さっき雑談交じりに俺も聞いてみたんだが、当人曰く、それでも構わない、ってさ。友人として接してる時間が長かったから婚約者から友人に戻るだけ、らしいぜ。流石は貴公子だよなぁ。俺とは全然性格が違う」


 心配させないための嘘、だろうか。

 と思えば、傍で声が聞こえた。


「ユーグ様とは、本当にご友人のように過ごしましたよ」


 セティエル嬢が起き上がった。

 私の顔を見て微笑んで、ホッとしたように息を吐いた。


「私たちはたぶん、婚約者というよりは、協力者という関係だったと思います。ユーグ様との婚約が嫌だったわけではありません。ただ……今となっては、それすら自分で選んだものではなかったのだと、ようやく理解できました。ですから、婚約が無くなったとしても……悲しい、とは少し違う感覚があります」

「そりゃ結構。誰も不幸にならねぇなら、それが一番だ」


 いつから話を聞いていたのか、セティエル嬢は私をジッと見つめてから、目を伏せた。


「どうして、あんな無茶をされたのですか?」


 悲しげなそれに、つい、目線を窓の外へ向けてしまった。


「たまたま、目の前に刃物がございましたので」

「いいえ、たまたま、だけで命を投げ捨てることなど普通は出来ません。どうして、私を庇ったのですか。私と貴方は……昨日、初めて会ったばかりではありませんか」


 私は少し黙った。

 それから、握られた手の温かさを感じて、思い出すように息を吐く。


「貴方と初めて会ったのは、十年前ですよ」

「……十年前?」

「王家の一方的な都合で、ユーグの婚約者とするために初めてレヴァント家へいらしたでしょう。十歳の貴方は震える手で、それでも実に見事なカーテシーをしてみせた」


 セティエル嬢が、驚きから目を瞬く。


「覚えて……いらしたのですか」

「ええ。それはもう、しっかりと」


 震えながらも毅然と立っていた少女。


 そして同じ頃、夢の舞台で見た、搾取という絶望の中で呪詛を蒔いた魔女。


 二つの姿があまりにも違っていたからこそ、私は忘れられなかった。


「貴方を、最悪の未来から守らねばならないと、そう思いました。ですから昨夜、あの公の場で貴方を救おうとしたのです」

「最悪の、未来……まさか、あの劇は本当に……」


 その問いが発された時、掻き消すように廊下から大股の足音が近づき、バッターン! と扉が勢いよく開く。


「フェステ!!」


 目の下に隈を作り、明らかに徹夜した顔のユガロが飛び込んできた。同じく後ろからユーグが呆れたように、それでも私を見てホッとした様子で入ってくる。

 そのままユガロはドカドカと大股でやって来て、私を見下ろしてから、顔を大きく歪めた。

 ああ、まったく、心配性だな。なので、減らず口でも叩いておこう。


「狼狽するのは理解しますけど、勝手に名前を呼ぶの、やめてくれません?」

「誰のせいで狼狽したと思っている!」

「怪我人の前で大声を出さないでいただきたいものですなぁ、公爵閣下」

「この大馬鹿者が! 二度目だぞ! 二度も私の目の前で刃を受けおって……!」


 その悲痛な言葉に、少しだけ目を伏せる。悪いことをしたとは思うのだが、それを反省する自分はいなかった。また同じ事が起きればきっと同じ事をするだろう。それをするに最適だったのは、あの場では私だけだからだ。


 そこで、別の笑い声が聞こえた。


「フェステ、か」


 いつの間にか開け放たれていた扉の向こうには、アレシア女王陛下が佇んでいた。

 陛下は護衛を下げ、扉を閉めてから我々の姿を見やり、目を細めて楽しげに笑みを深くした。


「確か公爵の乳母は、縁者であるラトビア侯爵夫人だったな。その家の次男にフェステという者がいたらしいな。三十年ほど前、公爵の身代わりとなって暗殺者に殺されたと記憶しているが。乳母兄弟、と聞いて怪訝に思っていたが、なるほど」


 ……まさか、末端の貴族の名から来歴まで全て覚えているのか。恐ろしい記憶力だ。

 思わずユガロを睨めば、相手は苦々しく息を吐いた。


「陛下のご想像の通りです。フェステは、私の影武者であったラトビア家の次男です」

「ふむ、背格好が似ていれば影武者にも成り得よう。だが、それだけではないのだろう?」


 足音高くやってきた女王は、私たちを前に言い放った。


「お前達、双子だな?」


 ……ああまったく、凄まじく厄介な相手に見つかってしまった気がする。


 同じく、ユガロも苦虫をまとめて噛み潰したような顔をした。

 道化の化粧を落とした今では、私たちはよく似ているのだろう。ただ、鍛えているユガロと違って私は痩せ気味だし、髭は無いが。

 その程度の差異で誤魔化せる相手では無かったらしい。


「存在を許されなかった双子、それならば替え玉としてこれほど都合の良い存在もあるまい」

「へえ、それで暗殺者に狙われた兄の代わりに死にかけて、死んだことにしたって? 狂信的な兄弟愛ってやつかね」


 処刑人の茶化しに、流石の私も顔を顰めた。


「狂信? 怖気の走ることを仰らないでくださいな。そもそも私が姿を隠したのは、面倒を嫌ったからですよ」


「その面倒とやら。お前達が兄弟であることと関係しているのか? そして、そこの仮面に関しても」

「ちなみに、女王さんは仮面についても全部知ってるぜ」


 どうやら、もう逃げ場はないらしい。

 観念したようにユガロはため息を一つ吐いてから、口を開いた。


「陛下の予想通り、私たちは双子として生まれました」


 ユガロの肯定に、彼女の手がギュッと握られる。


「先代……我らの父は、双子による後継問題を懸念して弟、フェステをラトビア家の養子として出しました。表向きは別家の子でしたが、ラトビア侯爵夫人を乳母に招き、同じ場所で育つことはできました」


 フェステ・ラトビア。表向きの名であり、本当の名はフェステ・レヴァントだった。それを知る人間は少ない。

 公爵らしく冷血で打算的な父だったが、人としての最低限の心はあったらしい。私は二人の母を持つ子供として、レヴァント家で育った。時には義理の兄、現ラトビア侯爵も交えて、三人でよく遊んだものだった。


「十歳の頃、私達は宝物庫へ忍び込みましてな。そこの好奇心旺盛な弟の我儘で、三人で鍵をくすねて遊び場にしておりました」

「忍び込んだ? いやですねぇ、好奇心旺盛な子供たちの探検でしょう?」

「それでどれだけ父上に叱られたのかを忘れたのか、お前は」


「はっはっは、確かに宝物庫の探検は心躍るな。私も、王女時代に城の宝物庫に忍び込んで使えそうな魔道具がないか探検しておったぞ」


 微妙に血縁を感じる共通点だった。女王陛下も好奇心旺盛であらせられる。


「その宝物庫の隅で、埃を被って忘れ去られた仮面を見つけましてな。私たちが被っても何も起こらない、ただの白い仮面にしか見えなかった。ですが、フェステが仮面を付けて……」


「その夜、私は夢を見ましたよ」


 私が、言葉を引き取る。


「まるで劇場にいるような夢でした。観客席に私がいて、舞台の上で誰かの人生が演じられている。最初に見た演目は――片割れの、末路でした」

「……私が殺される未来だった、らしい」


 苦みの走った声で、ユガロが言葉を引き取る。


「当初は、ただの夢だと気にもしておりませんでしたが。数日後、馬車が襲われ実際に暗殺者に狙われた時点で、それが予知夢であったという推測を否定する材料がありませんでした。同時に、フェステは信じぬ私を救うために……私と衣服を取り替えて馬車に乗ったのです」


 あの日のことは、よく覚えている。

 なんでもないかのように振る舞って、ユガロを口八丁で丸め込んだ。たまには兄のような立派な服を着たい、という駄々をこねて。

 そして実際に馬車が襲われ、暗殺者は私へ切りかかった。

 夢の中と、まったく同じように。


「ですが、一つだけ夢とは違いました。斬られたのは、ユガロではなく私だった。それで確信したのですよ、この仮面は、歴史の分岐点を指し示す夢を見せる道具だ、と。名を《夢見る帳》。そう、夢の中で私に話しかけてきました」


 アレシア陛下が僅かに目を見開き、それから合点がいったように頷いた。


「なるほど。レヴァント公爵が十歳で亡き者となれば、後のレヴァント公爵は別人となる。そして一年前、私が父を討つ際に最大の力添えをした男も存在しない」

「その時は何故その夢を見せたのかまでは、わかりませんでしたが。今思えば文字通り歴史が変わったのでしょう。死ぬと知っていて兄と衣服を交換した時は、震えが止まりませんでしたよ。しかし私は根っからの道化者でしてね、密かに防具は着込んでおりました。結果として死にかけはしましたが、死にはしなかった。それで察したのです。未来は変えられる、と」


 同時に、《夢見る帳》は次の夢を見せた。

 もしフェステ・ラトビアという少年が生存し続け、予知能力を持つことが当時の国王へ知られれば、捕らえられる。

 そして家族を人質に利用され、未来の果てで先王は暴君となって疑心暗鬼のあまり国を乱し、滅ぼす。


「ですので、自分を消しました」


 あっさりと言い放った私の言葉に、知らなかった人間は絶句したようだった。セティエル嬢の手のひらが、強く私の手を握りしめていた。


「……己の存在そのものを、か」

「フェステ・ラトビアは暗殺者の凶刃に倒れた。そういうことにしたのです。その方がバレるリスクが減るので」


 未来は変えられる、ならば知られないように慎重に動けばいいだけではある。

 だが、少しでも可能性があるのならば、切り捨てるべきだと私は思った。レヴァント家の抹消された双子だと知られ、ラトビア家にまで迷惑をかけるような可能性は、たとえ結末が回避できるとしても採る気にはなれなかった。

 そもそも帳が見せないようにすればいいだけだが……アレは享楽主義だ。時に国を乱してでも面白い未来を望むことがある。だから信用はできない。

 陛下は暫く黙りこみ、やがて、静かに息を吐く。


「お前の予知があれば、どのような未来であれ、私は父に処刑されていただろうな。ならば私は知らぬところで一度ならず、お前に命を救われていたわけか」

「結果論でございますよ」

「結果論が全てだ。経緯よりも、誰が残り、誰が成したか。それこそが重要だ」


「……では、フェステ様。貴方が私を救おうとしたのも」


 セティエル嬢の震える言葉に、私は目線を合わせずに頷いた。


「十年前。私は、貴方の未来を見ました。昨夜の人形劇。あれは悪趣味ではございましたが、概ね夢の舞台で見た演目の再演です」


 家具を取られ、形見を壊され、婚約者を奪われる。家督も妹に譲らされ、最後には侍女同然へ落とされ……そして、自殺する。

 しかし、それに疑問を呈するのは女王陛下だ。


「だが、その程度で神器が歴史の分岐点を見せるものか? 神器が重要視するのは、国の存続だけなのだと聞いたが。セティエルが、国にとっての重要な存在だというのか?」

「……あくまで、私が見た夢、という注釈が付きますが。夢の最後で、セティエル嬢は魔法を開花させました」


 地下の倉庫で全てに絶望した彼女は、自ら命を断つ。

 それと同時に、死せる彼女の呪いが溢れ出て、地下から大地へと染み込んでいった。


「それは呪詛です。長年積み重ねた絶望が起点となり、本人の意思すら越えて膨れ上がってしまった、呪詛そのもの。家一つを滅ぼすような可愛らしいものではございません。国を乱し、土地も人も汚染し続けるほどのものになっていきました」

「……わ、私が?」


 戸惑う彼女の声が震えた。

 逆に、アレシア女王はセティエル嬢へ向ける目を細めた。


「それほどの魔法の才を持つ、ということか。感情だけで厄災を起こすなど、実に興味深い」

「女王陛下」


 遮るように、私は言う。不敬だろうと構わない、道化は不敬でも言うのが役目だ。


「愚かついでに、もう一つよろしいでしょうか」

「今更だ。申せ」

「起こり得なかった罪を罰する法規など、どこにも存在しないでしょう? 人は、未来が見えないのですから」


 激痛で微かに呻きつつも、ゆっくりと身体を起こして、女王を見据えた。

 痛みで掠れた声で、それでも言わねばならない。


「ならば、あり得なくなった未来を恐れて彼女を閉じ込めるのは、お止めください。呪詛を生んだのは才能そのものではない。彼女をそこまで追い詰めた環境です。昨日、それを変えた。ならば今ここにいるのは国を呪った魔女ではなく、類稀な才能を持つ一人の女性でしかありません。この先、この国に必要となるかもしれない才を、起きなかった罪への恐怖で埋もれさせる。それこそ愚行と存じますなぁ」


 まさしく不敬、まさしく命知らず。女王へ説教を始める病人など、この国でもそう多くはいまい。

 ユガロは額へ手を当て、ユーグも僅かに顔を強張らせ、処刑人は呆れた顔をしていた。セティエル嬢ですら心配が前面に出た悲痛な顔で、私の手を握りしめている。

 だが当のアレシア陛下は、実に楽しそうに笑い始めた。


「はっはっは! 道化がこの私に説教をするか、面白い」

「如何な不世出の女王陛下であろうとも、貴方はまだお若い」

「ふん、まだ十九の小娘だと?」

「そこまでは申し上げておりませんとも。ですが、生き急ぐ理由などないでしょう。もちろん、周囲も」

「……ふん、結果論が全てではない、か」


 陛下はひとしきり笑い、それから表情を改めた。


「あいわかった。お前達の姿なき献身を、私は生涯忘れることはないだろう。また、この話は今ここにいる者達のみの事実とする」


 他言無用、という女王の命令。

 フェステと夢見る帳、そしてユガロとの血縁。それを知るのは、この場にいる者だけ。

 ユガロが深く頭を下げた。


「感謝いたします、陛下」

「公爵、お前の弟は面白い逸材だな。我が宮廷に招きたい」

「それは……その、ご冗談でしょうか」

「私は本気だが? 神器に選ばれ、この私に苦言を呈し、いざとなれば身を挺して歴史を改変する。素晴らしい逸材だ、手に入れたいと思う程度にはな」


 いや、流石に魑魅魍魎が跳梁跋扈する王宮になど行きたくないのだが。

 と思えども、たぶん、この強引な女王様には届かないのだろうなぁ、と思う。そんな私へユガロは悲しげに首を振った、諦めろ、と。可愛い弟の将来を諦めないでくれ、と睨むがそっぽを向かれた。おのれ。


「では、話は変わるが。セティエル」


 アレシア陛下はセティエル嬢へ向き直り、彼女は居住まいを正した。


「お前は今後、グランフォードから離籍を望むか? それとも次期グランフォード公爵にでもなるか?」

「……いいえ、父や妹の件を踏まえれば、私が女公爵となるのは少々、波乱に満ちすぎていると思います。それに私は女王陛下のような判断力を持ちません。グランフォード一族の誰かに譲るべきと存じます」

「ふむ、女公爵とはならぬか。残念だが、致し方ない。では養子縁組か? その先は決まっておるのか?」


 グランフォード家はこれから、レヴァント家との契約問題、私を刺した事件への賠償、当主の管理問題まで抱えるのだ。後継者は大変な思いをする羽目になるし、元来の後継者であるセティエル嬢へ悪感情を抱く可能性もある。野心がないのであれば、セティエル嬢が居座っても良いことはない。

 それには彼女ではなく、ユガロが答えた。


「フェステが身を寄せていたラトビア侯爵が、養子縁組を希望しております」

「ほう、ラトビア侯爵家か」

「フェステの義兄であり、私にとっても幼馴染です。長年、フェステの事情を一切外へ漏らさなかった実績もあります。信用するには十分な男かと」


 もとより用意していた道の一つだ。あの義兄の養子になれば、貴族令嬢の地位に変わりないまま過ごすことができるだろう。

 けれども、私は彼女へあえて告げる。


「それを決めるのはセティエル嬢ですよ。平民として不自由なく暮らすこともできますし、他の貴族の家に入ることもできます。貴方の自由に、生きてよろしいのです」


 彼女はジッと私を見てから、フッと微笑んで、ユガロへ向き直った。


「お願いしたく存じます、レヴァント公爵閣下」

「うむ、良いのだな?」

「はい。皆様がくださった道です。まずはそこを、歩いてみようと思います」


 まずは、か。この先、どう歩いていくかは彼女の自由、他者が侵害することのできない自由なのだ。

 と、そこで空気を読まないように赤い処刑人が言った。


「ってことは、セティエル嬢ちゃんとそこの道化者は、戸籍上は義理の叔父姪の関係ってわけか」

「まあ、そうなりますねぇ。私は表向きは死んでますけども」


 あの脳筋義兄の養子になる。確かに私にとっては、義理の姪っ子ではあるのかな。

 セティエル嬢はゆっくりと瞬いてから、確かめるように呟く。


「……叔父様」


 叔父様。

 なんだろう、とても新鮮な響きがした。ユーグは叔父上と呼ぶし、義兄の息子らも脳筋なのでフェステとしか呼ばない。男親族が多いせいだろうか。


 だが、その後でセティエル嬢は何故か俯いて目を伏せた。ギュッと、未だに繋がる私の手を握りしめている。

 それを見たらしきアレシア陛下がぴくりと眉を動かし、次いでニヤリと笑ってから隣の赤い男へコソコソと何かを話している。


「なんだ、面白いことになっておるな」

「女王さん、こういう話好きなのか?」

「仕事が忙しくて今まで縁がなかったのでな。存外、面白いではないか」

「ははぁ、女王さんも女子だったんだなぁ」

「そうだぞ? お前も入れてやろうか、女子の輪に」

「謹んでお断りするぜ」


 何やら楽しげに内緒話をしていた。何を話しているのやら。

 そんな会話を余所にセティエル嬢が顔を上げ、私へ向き直った。何か、覚悟を決めたかのような顔をしていた。


「フェステ様。私、昨日……初めて、自分で助けてと言えました。だから、もう一つ。自分で選択をしてもよろしいでしょうか」

「セティエル嬢。別に、私へ許可を取る必要は――」


「貴方が、好きかもしれません」


 花が綻ぶように。

 セティエル嬢は、笑った。


 ユガロが唖然と口を開け、ユーグが目を瞬かせ、アレシア陛下は満面の笑みを浮かべ、処刑人が「お、おう。行動力すげぇな……」と呟いた。


 そして私は……珍しく、何の言葉も出なかった。

 いつもは回るはずの口が、この時ばかりはただ、パクパクと空回りしていた。


「……おい、フェステ?」

「叔父上が珍しく黙ってますね」


「ほう、道化の口を塞ぐとは、なかなかやりおるわ」

「ある意味で快挙かもなぁ」


 何も言えない私そっちのけで、処刑人が断頭剣を背負い直した。仮面が妙なテンションで何かを訴えている気配があるが、今それどころではない。

 ユガロが咳払いした。この微妙な空気を無理やり変えるように。


「……まあ。怪我人の前で、これ以上騒がせるのもよろしくあるまい。陛下、ひとまず退室いたしましょう」

「そうだな。面白いが、今日はここまでにしてやろう。セティエル、後日茶会に招いてやろう。いろいろと話すのだぞ」

「女王さん、それ、茶会という名の恋バナ査問会じゃね?」


 ぞろぞろと一同が部屋を出ていく。

 最後にユーグだけが扉の前で立ち止まり、こちらを振り返った。


「叔父上」

「……なんでしょう」

「セティは、私にとっての幼馴染です。泣かせたら容赦しませんよ」


 一点の曇りもない笑顔だった。良い笑顔過ぎて逆にプレッシャーを感じるほどだ。

 思わず目線を逸らしてしまう。


「……肝に銘じましょう」

「ええ、では。それとセティ、叔父上は独身だから大丈夫だよ」


 要らないことを宣った甥っ子は悠々と部屋を出ていき、ゆっくりと扉が閉じられた。

 一転して静かになった医務室には、私とセティエル嬢だけが残される……そこの仮面はノーカウントと致しましょう。

 そういえば、ずっと手は繋いだままだった。別に私が握っている訳ではないのだが、かといって振り払う気にはなれなかった。

 そんな自分の姿を俯瞰して、唐突に察した。


 怪我人とはいえ、異性と二人きり。

 あれ、ひょっとして、外堀を埋められかけてはいないだろうか。


「まあ、その」


 困り果てながらも、なんとか舌を回すことにする。


「こんなおじさんを相手に、若い貴方が時間を無駄にするのは如何なものかと思いますよ。化粧でわからなかったかと思いますが一応私、四十なので。貴方はまだ二十歳、若い身空でしょう。一時の感情で相手を決めるのは少し、早計かと」

「まあ! 無駄かどうかは、私が決めてもよろしいのでしょう? 私に選ぶ権利があると、何度も仰ってくださいましたわ」

「……それは、まあ、言いましたけど」


 言いましたねぇ、バッチリと。


「それに」


 ふふ、とセティエル嬢は笑った。


「好きかもしれない、と申し上げただけです。まだ貴方のことを、私はほとんど知りません。初めて手を伸ばして下さった貴方へ、恩義と恋情を混同しているだけなのかもしれません」

「では」

「でもそれは、これから知っていけばいいのだと思います」


 握った手へ、僅かに力が込められる。


「その時間を与えてくださったのは、貴方ですよ。フェステ様」

「…………」


 どうやら、逃げる暇くらいは与えてほしいという願いすら、叶いそうにないようだ。


 未来なら幾度も見た。

 国家の破滅も、兄の死も、誰かの絶望も。


 だが、こんな光景は一度も見せてもらった覚えがない。


「まったく……」


 諦めたように深く息を吐く。

 そして、繋がれた手を……今度は、こちらから握り返した。


「困ったお嬢さんですねぇ」

「お嫌ですか?」


 朝日の中でこちらへ微笑むセティエル嬢を見つめ、私はほんの少しだけ声を落とした。


 道化師ジェスではなく。

 夢の中で未来を見る者でもなく。


 ただの、フェステとして。


「……存外、悪い気分ではありませんよ。セティエル嬢」


 囁いたその声は、我ながら静かで、どこか嬉しそうに聞こえたのだった。




結構多い人物設定:


道化師ジェス:

 フェステ・ラトビアが夢見る帳に選ばれ、利用される未来を懸念して死を偽装し、道化師となった姿。本来はユガロの双子の弟であり、影武者やスペアも兼ねて側仕えのように共に育った。

 性格は剽軽で軽いが、素の性格は穏やか。幼少期から口が回る子供だったので、よくユガロや義兄を巻き込んで悪戯三昧の日々を送っていた。

 実は自己評価が壊滅的に低い。自己を「不要な方の弟」と定義しており、自分の存在が兄の代替品、影武者であると結論づけている。なのでフェステ・ラトビアをあっさり消したり、ユガロやセティエルの代わりに刃を受けるなどの行為を平然と行う。独身なのも消えやすい状況を意図的に作り続けてきた結果である。

 三十年、夢見る帳と付き合い続けて来たのでメンタルが強い。演技指導なども帷が行っていたので道化の師匠的立場にあったりする。

 セティエルと年の差カップルになるのかは不明。当人も恋愛感情に疎いので先は長い。


セティエル・グランフォード:

 自己評価がめっちゃ低いグランフォード家の不遇姉。物心ついた頃から姉妹格差による冷遇が続き、完璧な令嬢としての能力と反比例して個人の感情が未発達。他者への好意のみならず自身の趣味や好みというものへあまり興味が持てなかった。人間的に幼い。

 ユーグと幼馴染で、十歳の頃から婚約者として親しくしていた。しかし互いに恋情というよりは兄弟姉妹に近い感覚であったらしい。それでも婚姻すれば夫婦にはなれたと思うが、結果として結ばれることはなかった。

 後日、ラトビア家へ養子に入ってからアレシアに「専属侍女にならないか」という打診を受けた。断るべきかと迷ったら「そういえば宮廷にはあの道化も来るぞ」と言われ、即決した。

 生まれて初めて面と向かって救い出してくれたフェステへ仄かに恋情を抱いた。それが愛にまで育つかは今後次第である。


ユガロ・レヴァント:

 フェステの双子の兄。髭を生やしているのでフェステとは印象が違う。

 以前、アレシアが先王を討つ際に全面的に協力し、彼女を玉座へ誘った戦上手の公爵閣下。実はフェステの未来視に基づいての協力であり、お陰でレヴァント家は現王家の覚えめでたい地位となった。

 実はブラコンで四十になっても独り身なフェステが心配だったが、セティエルが出てきて安心した。が、義娘予定だったセティエルが義妹になるかもしれないと気づいてちょっと複雑な気分になった。

 後日、アレシアに弟が取られることになってぐぬぬとなったが、神器の件があるので拒否できなかった。あと息子まで取られそうになったのでぐぬぬとなりながら、政略上の旨味から息子に判断を任せることにした。泣きそう。


ユーグ・レヴァント:

 ユガロの息子でレヴァント家の嫡男様。完璧な貴公子と呼ばれ、父譲りの金髪の美青年なので社交界での人気が高い。

 セティエルと幼馴染だが小さい頃はセティエルをイジめたりしていたクソガキだった。が、セティエルへお茶をかけたりすれば、後日ジェスに「ああっと手が滑ったぁ!!」というノリで花瓶の汚水を頭から食らわされたりと、やりすぎなレベルのイジメ返しに遭った。数年がかりで根気強くやり返され、痛みを知り、真人間になった。

 ジェスが十年前に見た未来では、ユーグはエミリーと不貞をし、セティエルに婚約破棄を突きつけるクズだった。これを見たジェスが危機感を抱き、徹底的に理不尽を受ける側の気持ちを体験させ、教育したという経緯がある。なので、叔父にはちょっと頭が上がらない。

 後日、アレシア女王から直々に婚約者候補の指名が来てひっくり返った。


グランフォード公爵:

 自分本位のクソ親父代表、名前はドミニク。無自覚モラハラ野郎だったので奥さんに逃げられたが、当人は認めたくなくて病身と偽っていた。

 自分に似た髪の色のセティエルが嫌い。でも外見も中身も全然ドミニクとは似ていない。逃げた妻に似たエミリーが可愛い。それ以外の理由が一切存在しない、清々しいまでの姉妹格差のクソ親父である。グランフォード家の家臣は有能なので、たぶん裏で蛇蝎の如く嫌われている。

 セティエルの嘆願で命だけ(・・)は助かったが、借金まみれの平民に落とされた。たぶん改心はしない。

 帳が見せた未来では、真っ先にセティエルの呪詛に襲われて生きたまま腐敗する肉塊に近い状態にさせられ、街から街へと這いずって病を撒く元凶となる。人間たちから怨嗟の声を浴びつつ石を投げられるので、今のほうがマシではある。


エミリー・グランフォード:

 グランフォード公爵が手塩にかけて育てた自己肯定愛されモンスターな優遇妹。この世界の全ては自分のためにあると本気で信じており、絵本の中のようなものだと思い込んでいる。思い通りにならなかったことが一度もないので、初めて思い通りにならなくてナイフを取り出した。キレやすいお年頃。

 ある意味で父親の被害者だが、ユガロたち被害者側にとっては関係のない話である。セティエルが嘆願したので命だけ(・・)は助かった。管理が厳重な病院で一生を過ごすことになるだろう。

 帳が見せた未来では、セティエルの呪詛によって生きたまま腐敗する肉塊となり、死ねないまま苦しみ続けるので今のほうがマシではあろう。


アレシア女王:

 相も変わらず偉そうな女王陛下。今回はレヴァント家の断罪劇の駒として扱われたが、まあ観覧料代わりか、とアッサリと容認していた。しかし、また所有者不明だった神器を発見してちょっと驚いている。あと恋バナに目覚めつつある。ただし、他人限定。

 後日、フェステを宮廷で自分専用道化師として雇用し、フリーとなったユーグを婚約者候補に指名した。フットワークが軽すぎる。

 帳が見せた未来では、呪詛の噴出に辟易しつつも数年掛けて魔道具を作り上げ、病魔を処刑して土地ごと封じることに成功する。可能性の未来でも相変わらずチートである。


ローヴァン・ドレア:

 今回は貴族服で登場。ただしフードは外さない。いつの間にかアレシアの専属護衛みたいになってないか? と自分で自問している。当然のように周囲の護衛の目線が日々、強くなってきている今日このごろ。何で俺が、という愚痴を吐きながら背中の相棒を背負って自堕落に生きている。

 帳が見せた未来ではほぼ登場しない。国家レベルの厄災でもアレシアがなんとかするので基本、出番がないが、たぶん病魔となった二つの肉塊の処刑でもしているのだろう。


夢見る帳:

 白い仮面の神器。歴史の分岐点となる可能性の高い未来を、夢で劇場という形で見せてくる安眠妨害な神器。所有者へ大きな魔法を与えることはないが、大道芸やら手品っぽい魔法を使えるようにさせる。つまり、所有者を道化師にさせようとしてくるので、仮面に選ばれるには道化師適性が必須になる。難易度高くない?

 あくまで「その時点で所有者が介入しない場合の、可能性の高い未来視」であり予言ではない。十年以上先になると的中率もかなり落ちるので、先王にフェステが捕まって利用される未来もそこまで高くはない。が、フェステは自身を切り捨てやすくするために自ら死を偽装することで貴族籍から抜けた。

 「セティエルが生まれないようグランフォード家の婚姻に、なんやかんや理由をつけて介入すればよかったんじゃね?」という考えもあるが、しかし父母の婚姻当時からでは二十年以上先の未来なので帷は滅ぶ未来がよく見えない。不確実性が高ければ帷は見せないし、婚姻を入れ替えるよう警告もしない。

 人格的には非常に喧しく、支離滅裂で鬱陶しい。なのでよく夢の中のフェステに「うるせぇ寝かせろ」と言われていたが、めげない。人間大好きで群像劇とか好きなのだが、観客として人の不幸を楽しむので人間側には割と嫌われそうな性格をしている。そしてカプ厨。

 魔剣と再会してハイテンションで喜び、魔剣に「どっかにいい悪人いなかった?」と聞かれても「夢の中に居ました! 現実にはいませんよ!」とアホな会話をして和気藹々としていた。相性は良い。


魔剣:

 ローヴァンの相棒の魔剣。今回は馬車でお留守番をさせられて退屈だったが、久しぶりに出会った帷に興奮してカタカタしていた。互いに人の話を聞かないタイプなので互いに一方的に話しているような感じだったりする。

 できればグランフォード公爵やエミリーを斬りたいと思っていたが、出番がなくて不満だった。


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