5話 ~サンピエトロ学院~
白亜の壁が眩しい陽光を弾き、まるで王城そのもののような壮麗さで鎮座する『王立サンピエトロ学院』。
国で最も格式高いその学び舎の受付窓口で、ゴライアスは重みのある金貨の詰まった袋と書類を、ドサリとテーブルの上に置いた。
対応にあたるベテランの男性事務員ラッセルは手際よく金貨の枚数を数え始め、その隣に座るおさげ髪の女性事務員は提出された入学書類の確認へと取りかかる。
作業の合間、男性事務員がゴライアスに聞こえないほどの小声で、隣の同僚に囁いた。
「……職員の間で噂になっていますよ。あの『紅の女帝』の息子がいよいよ今年、学院に入ってくる、とね……」
「あなたはこの学院で長く働いているように見えますが、母には直接会ったことがないと見ました」
「その通りですが……一体どうしてそれをお分かりで?」
「その呼び名を、本人がどれほど嫌っているかを知らないからです。全く同じ呼び方をしたおっさんが、両鼻の鼻毛を強制的に焼き払われて泣き叫んでいるのを、僕は目の前で見たことがあります」
「し、失礼いたしました……! どうか今の言葉は御内密に……っ!」
男性事務員は顔を蒼白にし、冷や汗を拭った。
国内で最も権威と格式を誇るサンピエトロ学院。ゴライアスの父と母もまた、この学校の卒業生だった。正直な話、実家を出られるのであればどこでも良かったのだが、両親を納得させるにはここを持ち出すのが一番都合が良かったのだ。
『僕、父さんと母さんと同じ学校に行きたいんだ!』
そう言えば、二人が――特に母さんが大喜びすることを知っていたから。
実家には時折、当時の母を知る昔馴染みが遊びに来ていたが、酒が回ってくると決まって「昔のあいつがどれだけじゃじゃ馬だったか」を語り出すのだった。
下級貴族の女子でありながら、気に入らない相手がいれば上級生だろうが上級貴族の子息だろうが、場所も弁えず片端から決闘を申し込んでいたという。
この『決闘』という制度は、本来身分の低い者にとって圧倒的に不利な仕組みだ。上位貴族は自分の代理人を立てることも、強力な助っ人を呼びつけることも許されているからだ。
しかし、我が母はそのことごとくを蹴散らし――いや、文字通り「焼き尽くした」のだという。
『紅』――それは母の属性魔法である『炎』を象徴する言葉。四大元素とされる通常の『火』の上位互換であり、誰もが恐れおののく絶対的な力だ。
実際、ゴライアスもその威力をこの目で確かめたことがある。
領地の拡大において、一番の障害となるのが樹木の伐採だ。新たな畑を開墾する際、特に始末に困るのが地中に深く根を張った巨大な木の根である。しかし母は、それをまるで紙切れでも燃やすかのようにあっさりと炭に変えてしまうのだ。
通常、水分を大量に含んだ生木というのは滅多なことでは燃え上がらない。だが、母の魔法の前ではそんな物理法則など一切関係がなかった。
(あの威力を直接人間に向けられると考えたら……恐怖以外の何物でもないな)
直撃を免れたとしても、近くにいるだけで深刻な火傷は避けられない。どれほど頑丈なフルプレートアーマーで全身を固めようが、鎧ごと蒸し焼きにされるだけだ。
領民たちが母を畏怖の目で見つめている理由はそこにある。腕力だのスピードだのといった次元の話ではない。それはまさに『天災』そのものであり、誰もがその圧倒的な破壊力を前にひれ伏すしかなかったのだ。
そんな恐ろしい存在を軽々しく噂の種にして笑おうだなんて、愚か者以外の何者でもないと、ゴライアスは呆れ果てるのだった。
「しかしゴライアス様、お気をつけいただきたいのは、どれほど優秀な血統であれ、入って安心はできないということです。我が学院は入るのも至難ですが、入ってから遊び惚け、単位を落として何年も留年した挙げ句、卒業できずに去っていく者が毎年一定数おりますからね」
「フン」
ゴライアスは鼻で笑い、不機嫌そうに腕を組んだ。
「愚か者どもが。言っておくが、僕は絶対に卒業する。……そういう約束だからな」
「それは……お母様との約束でしょうか?」
「……そういうことだ」
一瞬だけゴライアスの背筋が引きつり、目元が微かに泳いだ。その反応だけで、事務員は「察し」がついたように苦笑を浮かべる。
「なるほど……」
「入学資金の確認をいたしました。何一つ問題ありません」
そこへ、書類をチェックし終えたおさげ髪の女性事務員が、淡々とした声で割り込んだ。
「おめでとうございます。これで入学手続きは無事に終了し、ゴライアス様は『王立サンピエトロ学院』の生徒として正式に認められました」
「……そうか」
事務員の言葉を聞き、ゴライアスは胸のつかえが下りたように、小さく安堵の息を吐くのだった。
「それと……バッジの話を詳しく聞きたい」
「ほう、興味がおありですか」
「もちろんだ。……それも『約束』だからな」
そう語るゴライアスの表情は、どこか忌々しそうだった。事務員は少し意外そうに頷く。
「最近はあまり興味を持たない生徒も多いのですが……。バッジの正式名称は『国家貢献学院生認定勲章』といいまして、その名の通り、我が国に貢献した学院生に対して授与されるものです。貢献の内容といたしましては、例えば王都内の清掃活動、教員の業務補佐、学園祭の実行委員、あるいは災害復旧支援活動などが挙げられますね」
「……聞いているだけでうんざりするような内容だな」
「生徒たちがよく勘違いするのは、一週間やそこら適当に活動するフリをすれば手に入ると思っている点です。たとえ上位貴族のご息男であっても、身分による優遇は一切考慮されない厳格な規則になっております。勲章には三種類――白色、赤色、そして金色と色分けされており、金色が最も高い貢献度を認められた証となります。……参考までに申し上げますと、過去にとある地区の災害復旧に参加した生徒は、一ヶ月間にわたって現地に寝泊まりし、過酷な肉体労働に精を出しましたが、授与されたのは『白色』の勲章でした」
「一ヶ月も現地で泥まみれになって『白』だと?」
ゴライアスが眉をひそめると、事務員は眼鏡の奥の目を光らせて言葉を続けた。
「はい。しかし、全く同じ現場で同じ期間活動し、見事『赤色』の勲章を授与された生徒もおります」
「……どういうことだ? 差をつける要素があったのか?」
「その『赤』を得た女子生徒は、ご実家が大きな病院を経営されておりましてね。彼女自身も優れた医療の知識を持っていたため、現地の医師の補佐役として大いに重宝されたのです」
「なるほど……単なる労働力ではなく、貢献の『質』が違ったわけか」
「その通りでございます。ですから、どれほどがむしゃらに頑張ったところで、必ずしも望んだ結果が得られるとは限りません。……それでも、挑戦なさいますか?」
「約束だからな……やらざるを得ん。だが、一ヶ月も拘束されるのは非常に困る。それに僕は、人からあれこれ指図や命令をされるのが根っから性に合わないのだ」
「ふむ……そういう生徒さんも、毎年一定数いらっしゃいますね」
「何か方法があるんだな?」
事務員は眉をひそめて言った。
「――『盗賊討伐』、という選択肢がございます」
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