4話 ~猫~
「――どういうことだ、これは?」
ゴライアスが鋭い眼光を向けると、ビリヤニは滝のような脂汗を流した。
「え、いや、あの……その……」
不動産屋『ハノイン』から移動し、ゴライアスの新生活の拠点となる住居へとやってきた二人。
事前の説明通り、そこは周囲から隔離された落ち着いた雰囲気の高級住宅街であり、建物自体も立派で高級感のある一戸建てだった。それを見たゴライアスも、最初は実に満足そうな表情を浮かべていたのだが……。
観音開きの立派な玄関扉を開けた瞬間、その満足感は吹き飛んだ。
「にゃー!」
「にゃうなにゃー!」
「にゃーす!」
猫猫猫。そこは――『野良猫たちの溜まり場』と化していたのだ。
「なーーーーっ!?」
子猫を抱えた白黒の親猫が、侵入者であるゴライアスたちに向かって牙を剥き出し、威嚇の声を上げている。
「も、申し訳ありません! しばらく空き家にしていたうちに、どこからか猫が入り込んでしまっていたようで……! すぐに叩き出させたうえで、侵入経路の調査を――」
「ちょっと待て。叩き出すのはまずい」
「……へ?」
「猫という生き物は非常に陰険で執念深い。……僕の情報をどこかで『密告』でもされたら、たまったものではないからな」
「ええと……それは一体、どういうことでしょうか……?」
「理由はどうでもいい! とにかく無理やり追い払うのはやめろ。話し合いで平和的に解決するんだ」
ゴライアスがここまで必死になっているのには、切実な理由があった。
――『この世には、猫と会話ができる人間が存在する』という恐ろしい事実を、身をもって知っていたからだ。
具体的に言えば、彼の母親のことである。
ゴライアスの実家には、飼い猫と野良猫合わせて常時数匹の猫が暮らしている環境だった。
ある日のこと、ソファのど真ん中にでーんと寝そべっていた黒猫の『ラブ太』を退かそうと、ゴライアスはラブ太を持ち上げた。当然、爪を立てた暴力的な猛抗議を受けたが、ゴライアスも意地になって一歩も譲らず、ついには自力でラブ太をソファから追放することに成功したのだ。
しかし――勝利の余韻に浸る間もなく、ラブ太はゴライアスの母親を引き連れて戻ってきた。
「あんた! ラブ太を虐めたでしょうッ!?」
鬼の形相で怒鳴り散らす母親に、ゴライアスは必死の弁解を試みたが、まったく聞き入れてもらえなかった。そして理不尽にも、猫に向かって深々と謝罪させられる羽目になったのだ。
あの時、母親の後ろで勝ち誇ったような顔をしていたラブ太の表情は、今でもトラウマとして脳裏に焼き付いている。
それ以来、餌をあげるのをうっかり忘れたり、うっかり物を落として大きな音を出したりするたびに、ラブ太に限らず家中の猫たちがこぞって母親に『チクる』ようになった。
その地獄のような日々の果てに――「猫が嫌がる行為は絶対にしない」という鉄の掟が、ゴライアスの体に哀しい習性として刻み込まれてしまったのだった。
「そう言われましても……私どもは猫語など修得しておりませんので話し合いでの解決は困難かと思います……」
「……おいお前たち。ここは今日から僕の家だ。悪いがどこか別の場所へ行ってくれないか?」
「シャー--ッ!!」
「……むぅ、交渉失敗か」
「やはり力ずくで追い払うしかないのでは……? ゴライアス様が猫をお好きなら話は別ですが」
「好きじゃない。ただ……世の中には、猫が好きで好きでたまらない『怪物』がいるという話だ」
「はぁ……」
ビリヤニはまったく理解できていない顔で首をかしげた。
「……まあいい。追い出すのが無理でも、どこか空いている部屋へ誘導することくらいなら出来るかもしれんな」
「それでしたら! 私どもの従業員に猫を飼っている者がおりますので、そいつにやらせてみるのはいかがでしょうか?」
「……頼めるか?」
「もちろんでございます! ……しかし、もしこのまま猫たちをこの家で過ごさせるおつもりでしたら、ゴライアス様ご自身がお世話をされるか、あるいは世話係を一人雇う必要があるかと……」
「なんで僕が猫の世話係なんて雇わなきゃならないんだ!!」
「も、申し訳ありません! 差し出がましい提案をいたしましたっ!」
突然語気を強めたゴライアスに、ビリヤニはひぃっと身を縮めた。
「……しかし、それしかないか。家の中を糞だらけにされては溜まったものではないしな」
ゴライアスが苦虫を噛み潰したような顔で呟く通り、猫たちが住み着いていた玄関周りには、あちこちに糞が落ちていた。
「はぁ……ただでさえ実家からの仕送りは多くないというのに……」
「確認ですが……この家に住む、ということでよろしいのでしょうか? もし別の物件をお探しでしたら――」
「建物は綺麗だし、静かなのも気に入った。猫の件はそのうち何とかする。ここに決めた」
「承知いたしました! それではそのように契約書を手配いたします! 契約が済み次第、すぐに清掃と修繕の手配に取りかからせますので、その間の二、三日は宿にお泊まりいただくのがよろしいかと。……もちろん、今回の件は私どもの不始末ですので、宿泊代はすべて私どもで負担させていただきます!」
「ああ、それでいい。……おいお前たち、いつ出て行ってもらっても構わないからな」
「しゃーーっ!!」
立ち去ろうとするゴライアスに、親猫は相変わらず凶暴な威嚇を飛ばしてくる。
「くそっ、少しは感謝くらいしたらどうなんだ……」
「猫ですからねぇ」
ため息をつこうとしたゴライアスだったが、その脳裏に突如として素晴らしいアイデアが舞い降りてきた。
(……待てよ? よくよく考えてみれば、僕はこれから自由で華やかな学院生活が始まるんだぞ)
自分のように容姿端麗で将来有望な男子生徒を、周りの女子たちが放っておくはずがない。そして、女子という生き物は漏れなく猫が大好きなのだ。
「……うちに可愛い猫がいるんだけど、見に来ないか?」
その後に一体どんな甘い展開が待ち受けているのか、考えるまでもない。
一瞬にして邪悪な妄想を膨らませたゴライアスは、口元を歪めると「ぐふふ……」と不気味な笑い声を漏らすのだった。
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