3話 ~悪徳不動産2~
「も、も、も、申し訳ございませんでしたーーーーッ!!」
水責めが解かれた瞬間、弾かれたように床へ突伏して土下座の体勢を取ったことで、ビリヤニはようやく地獄の苦しみから解放された。
しかし、荒い息を吐き出す彼に容赦なく浴びせられたのは、
「それで、お前はどうするつもりなんだ?」
という、あまりにも簡潔で冷淡な問いかけだった。
もはや死神の使いにしか見えない、三十以上も年下のガキからの宣告。ビリヤニは絶え間なく溢れ出てくる鼻水と必死に戦いながら、全神経を集中させて頭を回転させた。
ビリヤニは痛感していた。もし次に口にする言葉の選択を一つでも誤れば、このガキは躊躇なく、再びあの地獄を味わわせてくるだろう。
まるで玉座に鎮座する王のごとく、人の店のソファへ当然のように堂々と腰掛けるその姿は、傲慢という言葉をそのまま形にしたかのようだ。
このガキは――自分が正しいと信じたことのためなら、相手がどうなろうと一切意に介さず、平然と激痛を押し付けてくる『本物の狂人』なのだ。
「あ……!」
その時、ハッと閃いたようにビリヤニがぽんと手を叩いた。
「あります! 以前ご紹介した物件よりも、遥かに素晴らしい物件が空いておりました! 代理の物件として、そちらはいかがでしょうか!?」
「……代わりの物件だと?」
「はい! 学院からは少し距離が離れてしまいますが、広さは以前の倍以上ございます!」
「広さなどそんなにいらん。僕は一人暮らしなのだからな」
「いえいえ、何をおっしゃいますか! 学院のご友人たちをお招きして、パーティーを開くのに最適でございますよ! 学院とは単なる勉学の場ではなく、将来に向けたご学友との絆を深める場でもあるのですから!」
「僕に必要なのはパーティーなどという不毛な騒ぎではなく、落ち着いた環境だ。将来、世界一の小説家になる僕には、執筆活動に集中するための静寂が必要不可欠なのだよ」
「小説家……ですか」
「そうだ」
堂々と胸を張り、真顔で夢を語るその姿に、ビリヤニは思わず吹き出しそうになった。
(こんな暴虐無人な人間に、人の心の機微を描く小説なんて書けるわけがないだろ!)
喉まで出かかったツッコミを必死で呑み込む。ビリヤニは決して愚かではないし、商人としての百戦錬磨の経験もあった。もしここで本音や嘲笑を少しでも表に出してしまえば、どんな惨劇が待っているか分かったものではない。
命の危機を感じ取ったビリヤニは、全神経を顔面に集中させた。
決壊しかけた笑い顔を、寸前のところでギリギリと強引に歪め――まるで深い感銘を受けたかのような「熟考の表情」へと、見事に変化させてみせたのだった。
「それでしたら、なおさら最適でございます! なにしろ、その物件の周囲にはほとんど人が住んでおりませんので!」
「そうか、それはいいな……とでも言うと思ったか?」
ゴライアスの瞳に、氷のような殺気が宿る。
「万年住宅不足が叫ばれるこの王都において、『人が住んでいない地域』など問題があるに決まっているだろう。また騙すつもりじゃないだろうな?」
「い、いえっ! 問題などございません!……いえ、正確に言えば、問題は『すでに解決済み』でございます!」
「どういうことだ?」
「その場所は元々、高貴な方々が大勢暮らしていた高級住宅街でした。ですが……訳あって、住まわれていた方々が一斉に別の場所へ移られたのです」
「……その『訳』とは?」
「……はやり病(伝染病)でございます」
「あ?」
「それも、すでに十年近くも昔のことにございます! 今やすっかり病気は絶滅し、完全に解決しております!」
「なら、なぜ今も誰も住んでいない?」
「先ほど申し上げた通り、そこは高貴な方々が住まわれていた地区。建物自体があまりに立派で、買い取るには相応の金がかかるのです。そのため一般庶民には手が届きません。かといって高貴な方々にとってみれば、一度『いわく』のついた土地に戻るのは体面や評判に関わるため、敬遠されるのです。……もちろん、そういった噂を気にされない方も一定数おられますが」
「なるほど……」
「いかがでしょう! 月々の家賃は、以前ご契約いただいた額のままで結構でございます! 静かな環境をお求めなのであれば、私はむしろこちらの物件の方が優れていると確信しております! 学院に近い地区は学生も多く、夜から朝方までどんちゃん騒ぎをする者が後を絶ちません。近隣住民から学院へ苦情が入るなど、もはや恒例行事となっておりますので!」
「…………」
ゴライアスは腕を組み、不機嫌そうに思考を巡らせた。未知の病気や衛生面には人一倍厳しい彼だが、執筆環境としては静かな環境と言うのは悪くなさそうだった。
「……その病気とやらは、本当に完全に大丈夫なんだろうな? 言っておくが、僕を騙したら次は苦しいどころでは済まさないぞ。これだけ釘を刺されてもなお、お前は僕にその物件を勧めると?」
「はいっ!!」
ビリヤニは背筋をピンと伸ばし、命がけの眼光でハッキリと言い切った。
もはや、後には引けなかった。この傲慢なガキを納得させられるだけの提案は、もうこれ以外に残されていなかったからだ。
実のところ、かつてその物件の周辺で猛威を振るった流行り病が、今本当に安全になったのかどうかの保証など、ビリヤニにはできるはずもなかった。自分は医者でもなければ、わざわざ現地を調べたわけでもない。
(……まあ、あれ以来、再び病人が出たなんて話も聞かない。きっと大丈夫だろう)
ビリヤニは内心でそう自分に言い聞かせた。――いや、むしろ流行り病がまだ残っていてほしいくらいだ。
もしそうなれば、あの恐ろしい糞ガキだって少しは大人しくなるに違いない。病床で青ざめて弱り切っているアイツの無様な姿を肴にすれば、さぞかそうまい酒が飲めることだろう。
一瞬、あまりの想像の痛快さに笑いが込み上げてきそうになったが、ビリヤニは死ぬ気で表情を押し殺し、なんとか耐え切ったのだった。
「……分かった。そこにしよう」
「誠に、誠にありがとうございます……!」
命拾いをしたビリヤニが、深々と頭を下げる。
こうして、ひと悶着あったゴライアスの住居問題だったが――残念ながら、騒動はこれで終わりではなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「ブックマーク」と「いいね」を頂ければ大層喜びます。
評価を頂ければさらに喜びます。
☆5なら踊ります。




