2話 ~悪徳不動産業者~
無事に検問を突破して王都の門をくぐり抜けたゴライアスは、ふと足を止めた。
全身を満たす期待と興奮をじっくりと噛み締めながら王都の賑やかな景観を楽しんだ後、彼は目的の場所へと足を進めた。
大通り沿いに佇む立派な店舗。その看板には『不動産屋ハノイン』と大きく記されていた。
まずは手に入れた新居に荷物を降ろす。それから、どこか旨そうな店で飯でも食うとしよう――。ゴライアスはワクワクしながら扉を押し開けたのだった。
「――残念ながら、ご予約いただいていた物件には、すでに別のお客様がお住まいになられておりましてね」
「……どういうことだ?」
ゴライアスの声が低く沈む。
彼を知るものであれば、すぐにその場を離れただろう。地元では『水の天才』として有名だったが、『頭に血が上ったら見境なく暴れ出す馬鹿』としても有名だったからだ。
「誠に申し訳ありません」
「僕は数ヶ月前にここを訪れ、自分の足で家を決めた。その時に手付金もしっかり支払ったはずだ。それがどうして、他人の手に渡っている?」
(自分の感情を押し殺すことすらできない青臭さいガキだ)
内心で笑いながらも表面上は、いかにも申し訳なさそうな「困り顔」を作り、深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。私共といたしましても、まったくもって想定外の事態に襲われまして……。つきましては手付金はお返しいたしますので、どうか今回はご容赦いただけませんでしょうか。もしご用命とあらば、別の物件を……」
「後から来た『金の払いの良いやつ』に、高値で横流ししたのか?」
ゴライアスはビリヤニの言い訳を冷ややかに遮った。
「この時期は『王立サンピエトロ学院』に入る生徒たちで、王都中の物件が争奪戦になると聞く。金に糸目をつけないカモなら、いくらでも転がっているんだろう?」
「いえいえ! 滅相もございません、これはあくまでも手続き上のミスでございまして、勝手に契約を破棄することなど御座いません。私どもは信用を第一に―――」
「水責め、を知っているか?」
あまりにも唐突な言葉に、ビリヤニは戸惑いながら首を傾げた。
「古今東西、ありとあらゆる地方に存在する王道の拷問だな」
「い、一体何のお話をされているのでしょうか……?」
「聞くところによると、大変苦しいそうだ。お前も興味があるだろう? というわけで今日は特別に、それがどれほどのものであるのか体験させてやろう。安心しろ、代金はいらない」
ゴライアスは一方的にまくしたてると、冷酷に指をパチンと鳴らした。
すると突然、ビリヤニの顔が「巨大な水のかたまり」にすっぽりと覆われた。フルフェイスのヘルメット、あるいは兵器ブリオンのようだった。
「……っ!? んぐっ……! んんっ……!!」
ビリヤニは反射的にそれを手で払いのけた。しかし、飛び散ったはずの水滴は一瞬で元の場所へと戻り、また再び彼の顔を覆う。
「『水滴のデスマスク』――僕のオリジナル魔法だ。なかなか面白いだろ?」
ゴライアスは心底愉快そうに口角を上げた。
異変に気づいた二人の護衛が、即座に腰の剣に手をかける。
だが、ゴライアスは視線すら向けずに言い放った。
「おっと、動くなよお前たち。一般人が貴族相手に剣を抜いたら『即死罪』確定だ。……守るべき家族くらいいるんだろう?」
冷徹な警告に、護衛の二人は凍りついた。その通りだった。いくら給料をもらっているとは言っても貴族に刃を向けることは出来ない。それは骨身に染みている。
「くっ………」
その結果、主人が溺れる姿を黙って見つづけることしかできなかった。
「よし………そろそろ限界かな?」
満足そうに頷くと指を鳴らした。その途端、水滴が弾け豪華な絨毯を濡らした。
「っぷはぁっ……!!」
ビリヤニは激しく咳き込み、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら久しぶりに息を吸い込んだ。
「げぼっ、げぼっ、い、い、一体何を……っ! 」
膝まづいたまま極悪なガキの顔を見上げた。
「こんなことをして、ただで済むと……っ!」
「土下座とはなかなか反省しているようじゃないか。その心構えに免じて、いい事を教えてやろう。――俺は舐められるのが大嫌いなんだ。というわけでそれを踏まえて、もう一度反省しろ」
「ぼごっ!?」
ゴライアスがパチンと指を鳴らすと、再びビリヤニの顔面は透明な水の仮面に覆われた。苦悶に白目を剥く様を見ながら、ゴライアスは冷ややかな笑みを深める。
「お前のような悪党に反省と言う文字を刻み込むには、もう少し時間が必要だろう。安心してくれ、俺はそれまでちゃんと待ってやるからな」
愉悦に満ちたその声はビリヤニには届かない。舐めていた。――確かにその通り、すべてはゴライアスが指摘した通りのことだった。
最初に正式な契約を交わしたのは、目の前にいるゴライアスだった。しかしその後、さらに上の位を持つ上位貴族がやって来てその物件を気に入り、「なんとかならないか」と泣きついてきたのだ。
その時、ビリヤニは困り果てたような嘘の表情を作りながらも、内心ではほくそ笑んでいた。
「……不可能なことではございませんが、それには少々、特別な費用がかかりましてね」
言葉巧みに交渉し、提示した多額の金をまんまと自分の懐へとしまい込んだのだ。
ビリヤニの計算では、あとから上位貴族の名前をちらつかせれば、ゴライアスはビビって引き下がるはずだった。貴族の世界は厳然たる階級社会であり、下の者が上の者に逆らうことなど滅多にない。
ビリヤニから見れば、ゴライアスなど単なる「地方の下級貴族のガキ」でしかなかったのだ。
せいぜい捨て台詞や暴言を吐かれるくらいで、相手に真正面から文句を言う度胸などあるはずがないと高をくくっていた。
万が一しつこく食い下がってきたとしても、懇意にしている上位貴族の名をさらに出せば黙る。そのときのために、日頃から多額の献金を渡しているのだから。
(所詮はただのガキだ)
その浅はかな思い込みこそが、致命的な慢心を生んでいた。
武器を構えた二人の護衛が控えているにもかかわらず、平然と攻撃を仕掛けてくるような「頭のネジが吹き飛んだ人間」が、理屈も交渉も一切通じない狂人が、この世には一定数存在するという事実を失念していた。
「……ごぼっ、ぐ……っ!」
大量の水を飲み込んでしまう鈍い音が室内に響く。そうしても尚、顔を覆う水は減らない。減らないようにコントロールしているからだ。
空気中に水を出現させ、己の意のままにコントロールする。――これは、ゴライアスが超一流の魔法使いであることを雄弁に物語っていた。
しかし、当事者であるビリヤニに、そんな分析するような余裕などあるはずがなかった。ただ、肺が破裂しそうな激痛と恐怖の中で、無様にのたうち回り、足掻くことしかできなかった。
死ぬ。
自分の命が今、この目の前にいる「ただのガキ」の指先ひとつに握られているのだという事実に、ビリヤニは今さらながら気づき、底なしの恐怖に震え上がるのだった。
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