14話 ~死神~
ほとんど真夜中と言っていい刻限。ダルマの屋敷の重厚な扉が軋み、その隙間からひっそりとひとりの男が顔を出した。
執事のコウボウである。
彼は辺りを何度も見回し、人影がどこにもないことを念入りに確認してから、忍び足で屋外へと滑り出した。それはどこからどう見ても不審者そのものであった。
そうして彼がたどり着いたのは、ブラックウッドの村に一軒だけ存在する質素な酒場だった。
酒場の看板が視界に入った瞬間、それまで彼の顔を覆っていた不安と怯えは期待へと塗り替えられた。
――その時だった。
「コウボウさんだね」
建物の角から人の影がにゅうっと現れた。
「ひっ……!?」
腰を抜かすほど驚いたコウボウの耳に、背後から無情な足音が近づいてくるのが聞こえた。
そこに誰が立っているのかは振り返るまでもなく分かっていた。自分を片手で軽々と締め上げた小柄な少年――ゴライアスだ。
コウボウの胸に去来したのは、逃れようのない「諦め」だった。
必死に苦しい言い訳を並べ立て、この場から逃げ出そうかとも思惑が巡ったが、不思議とそれを実行に移す気力すら湧いてこなかった。
魔法使いの絶大な魔力によって強化された身体能力は、一般人のそれなど遥かに凌駕している。だからこそ、今ここで背を向けて走ったところで、一瞬で捕まるのは火を見るより明らかだった。
――だが、そんな頭の計算や理屈による諦めだけではない。
声をかけられたその瞬間から膝の力が完全に抜け落ち、全身が金縛りにでも遭ったかのように動かなくなっていたのだ。
(ああ……私はもう、終わりだ……)
コウボウは心の中で自嘲気味に呟いた。
自分が悪の片棒を担いでいることは、よく分かっていた。それでも、それでも生きていくためには金を稼がなければならなかっていた。ありふれた言い訳だが、どうしようもないと自分に言い聞かせて毎日を過ごしていた。
悪い予感は最初からあったのだ。
領主のダルマからは「貴様らの身辺を探っている奴らがいる。絶対に屋敷の外へ出るな」と固く釘を刺されていたのだ。決定的な証拠を持っていない相手が頼るのは周囲からの証言、そして当人の自白。
それも、全部分かっていたことだった。しかし、酒を胃袋に流し込まなければ、頭を麻痺させなければ、夜を越せる気がしなかったのだ。
子供の頃、自分は父親の姿を見て不思議に思っていた。どうしてあんな苦くて臭いだけの液体を好んで飲むのだろう、と。酔っ払った父は碌なことをせず、決まって母親と激しい喧嘩を繰り広げた。幼い心に「飲んだら絶対喧嘩をするのにどうして飲むのだろう」という素朴な疑問と、強い不快感が残った。
酒など誰も幸せにしない――子供の頃から、固くそう信じ込んでいたはずだった。
それなのに、今の自分はどうだ。
酒なしでは生きていけない体になり果て、挙げ句の果てに、その酒によって自らの首を絞め、こうして今、追い詰められているのだから。
「ロドンガ警視庁のモース警部だ、少し話を聞かせてもらいたい」
「わかりました……」
穏やかでありながらその奥には有無を言わせぬ力強さを持ったモース警部の声。自分自身にすら聞き取りにくいほど弱い声しかコウボウは出すことができなかった。
「大丈夫。手荒な真似はしない」
死神に包囲されているかのように思えた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「ブックマーク」と「いいね」を頂ければ大層喜びます。
評価を頂ければさらに喜びます。
☆5なら踊ります。




