9話 ~泡~
「……納得がいかないな。我々は学院からの正式な依頼と手続きを踏んで、ここまでやって来た。王国の法に基づき、領主には我々に協力する義務があるはずだが?」
即座に返答を返したのは冒険者であり、一行の監視役でもあるホーチミンだった。
論理的な反論にコウボウは一瞬言葉を詰まらせ、額の汗を拭った。
「それはこちらも承知しております。しかし、先ほども申し上げました通り、領主は病床に伏せっています。私共には許可を出す権限がございません」
「権限なんて大げさなものは必要ない。ただ、盗賊討伐のために領地での活動を許可してもらえればよいだけだ」
「しかしそれは領主の許可を得て頂きませんと………」
――その瞬間だった。
ガッシャァァァンッ!!凄まじい破壊音が応接室に轟いた。ゴライアスが、目の前の重厚なテーブルを蹴り飛ばしたのだ。
「舐めたこと抜かしてんじゃねえぞぉおおお!!」
ゴライアスは血走った目でコウボウの元に歩み寄ると、血走った目で怒号をぶちまける。
「ひいいっ!?」
「帰れだと!?まさかそんなことを言われるとは想像もしてなかったよ。いい度胸だ。当然それなりの覚悟が合って言ってんだよな!?」
「が……ッ!?」
ゴライアスの右手は執事の細い首をがっちりと掴んで揺さぶった。
「こっちはな、長旅のあいだ中、あいつらと不毛な言い争いばっかりでイライラしてるし、心身ともにクタクタなんだよ! 僕が野営なんて一度もやったことないって言ってるのに、そこの自称リーダーは碌な説明もしないで命令ばかり押し付けてくるし! その隣にいる奴も奴で、自分の分が終わったら後は知らねえとばかりに、一人でさっさと休憩に入る自分勝手野郎だしよぉッ!」
「なにそれ?」
「んだとてめぇ?」
フワリングとグラディウスが殺気立った視線を向けたが、今のゴライアスは完全に頭に血が上っており、仲間からの睨みなど一切意に介していなかった。
「ぐ、ぐ、ぐぅ……っ!」
怒りに任せて口を動かすにつれ、さらに感情が高ぶっていく。その煽りを喰らい、胸ぐらと首元を掴まれている執事の首には、メキメキと尋常ではない力が込められていった。
「僕は徹夜なんてやったことないって何度も言っただろ!? それなのに夜間の見張りなんてやらせやがって! それでちょっと居眠りしたくらいで『チームを危険に晒したな!』って怒鳴り散らすってどういうことだ!? 明らかにお前の采配ミスだろ、馬鹿野郎がよぉッ!」
「うう、う、うぐ……ッ……!」
怒りが頂点に達した瞬間――執事コウボウの体が、ふわりと地面から浮き上がった。
気が付けばゴライアスは、大の大人である執事の体を、片手一本だけで軽々と吊り上げていたのだ。
見た目こそ華奢な少年に過ぎないゴライアスだが、彼らの決定的な違いはその身に秘めた圧倒的な『魔力』だった。筋肉の物理的なパワーを遥かに凌駕する魔力強化の力は、「人は見かけによらない」という事実を、これ以上ないほど恐ろしく体現していた。
「おい、ゴライアス、そろそろその手を離してやれって……」
「そうだよ~、なんか顔色が白いっていうか、どんどん青紫になってきてるよ~……?」
少し離れた場所に立つグラディウスとフワリングは、首を絞められている執事の惨状がはっきりと見えていた。さっきまでの怒りもどこへやら、二人は一転して本気でヒヤヒヤし始めている。
彼らもまた、一流と呼んで差し支えない優秀な魔法使いだった。だからこそ、鍛え上げられた自分たちと何の防衛手段も持たない一般人との間に、どれほどの致命的な「力の差」があるかを身をもって理解していたのだ。このままでは本当に死んでしまう。
「……帰れ? 帰れって言ったよな? これだけ苦労してここまでやってきた僕に、無駄足を踏ませるってことだよな……? 舐めてるな……。ああ、お前らは僕を致命的に舐めてるよ……ッ!」
しかし、完全に頭のネジが跳び破裂したゴライアスの耳には、二人の制止の声など一切届いていなかった。
「おい止めろッ!」
成り行きを冷や冷やしながら見ていた冒険者のホーチミンが、たまらず強引に割り込み、ゴライアスの腕を力づくで振りほどきにかかった。
「放せッ! 離せよッ!!」
「落ち着けバカ! 本当に死んじまうぞ! ほら、お前たちも手伝えッ!」
ホーチミンの怒号にハッと正気に戻ったフワリングとグラディウスも大慌てで加勢し、三人掛かりでようやく執事の体を床へと引きずり下ろした。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろッ!」
ぐったりと床に横たわり、目が完全にウツロになっている執事の頬を、ホーチミンが遠慮なくペチペチと叩く。
「あわ……あわわわわ……っ」
すると、執事の口から白い泡が溢れ出してきた。
「……少し、やりすぎただろうか?」
「少しどころの騒ぎじゃねえだろ! 明らかにやり過ぎだッ! おい、しっかりしろ!!」
執事は真っ白な顔をしたままピクリとも動かず、そのまま静かに目を閉じた。
「……まずい!! 逃げろッ!!!!」
ゴライアスの悲鳴のような叫び声を合図に、四人は一斉に脱兎のごとく跳ね起きると、豪奢なカーペットを蹴破らんばかりの勢いで屋敷を飛び出していったのだった。
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