07-1. 董昭容の宮
次に向かったのは、妃の住まう宮だった。木の向こうから現れたからすぐに着くと思ったら、意外に距離があった。
「董昭容の宮だ。今朝、顔を出したが泣くか死んだ宮女を罵るかしななくて、成果がなかった」
――なるほど。既に悪感情を刷り込んだ後だと。
公子が亡くなっただけでも、大きな衝撃が走っただろう。実はお付きの者に殺されたと更に動揺が広がっているところに、悪意を放り込んだんですね。
――最悪じゃないですか。嫌だなあ。
作った尚食局では毒が混入する可能性は無い。
羽和という死んだ宮女は、尚食局に公子のための杏仁羹を取りに行った。歳の近い公子や公女は何人もいる。だからいくつも用意されていた。
運ぶ最中しか、混入の機会はない。世話役が仕込んだのでなければ。
「死んだ宮女はなぜ事件の後すぐに拘束されなかったんですか?」
「当初は下手人だと思われなかったらしい」
「逃げられた、って訳じゃないんですね」
「早めに仕事を上がったらしいが、宮にいたらしいな」
へえ……。一番怪しそうなのに、疑われなかったんだ。
「何か理由があったのでしょうかねぇ……」
話を聞くほど疑問が増える。何だかおかしな感じだ。
何か、喉に刺さった小骨が取れないような、嫌な感じがする中、妃の宮に到着した。
「黒幕は判ったんですか!」
中に入った途端、険のある声を浴びせられた。
前を歩く掌衛の背中からブワリと殺気が立った。
だけど激怒している宮女には通じていない。なかなか肝の座った御仁だ。白の喪服姿では階級や役職などがわからないけど、雰囲気的に妃の侍女っぽい。
「それを調べるために、動いているのだ。協力されよ」
――言い方!
自分の仕える妃の、大切な公子を亡くして気が立っているところに油を注ぐような真似を。
「己が無能を棚に上げて!」
侍女も自重してほしい。命が惜しいなら。
「何を……!」
ピキリとこめかみに青筋を立てたのを気配で感じた。
「掌衛様!」
二人を止めるべく声を上げる。
「侍女様は大切な公子様を亡くされ、憤っておられるのです。配慮されるべき御仁ですよ」
二人の間に入るのは嫌だったけど仕方がない。僕が仲裁しなければ、また何の成果もなく宮を後にする羽目になりそうだから。
――巻き込まれるのなんか、今日だけで十分だっての!
本音を隠しつつ前に出て挨拶をする。
「先刻のお話だけでは、わからないことが多いのです。何度も伺うのは失礼だと存じておりますが、ご協力のほど平に願います」
深々と頭を下げながら慇懃に願う。
「――仕方がないわね」
侍女がついてくるように腕を振った。
「行ってきます」
掌衛に軽く会釈をして侍女についていく。
「何を聞きたいのかしら?」
「いくつかあります。でもまずは公子様を悼ませていただけるでしょうか」
僕自身は仏に帰依していないけど、蔦華国人の流儀で死を悼みたい。
「そう……。いらっしゃい」
侍女の怒りが消えると、深い悲しみが見えてくる。
宮の一番奥の建屋に入る。中央の入口ではなく、脇の小さい入口からなのは、妃の目に触れない配慮だろう。
公子は奥の寝台に寝かされている。身体の周囲には花がたくさん飾られていた。
少し離れた場所に膝をつき目を閉じる。
――こんなに幼くても、政治に巻き込まれ暗殺されるなんて。
下手人は随分と惨いことをする。
だが同母兄弟や異母兄弟が多い中で皇帝の座につくためには、仕方がないのかもしれない。
認めたいとは思わないが。
死者を弔う言葉を心の中で唱えた後にゆっくり目を開けた。
侍女たちに不敬と思われないよう慎重に公子に近づくと亡骸を観察する。
目や口は閉じられているけど、苦悶の表情はそのままらしい。幼い子供とは思えないような形相だった。頸に掻きむしったような傷跡が幾筋もある。
間違っても穏やかな死ではない。
顔を近づけると微かに杏仁の香りがした。
確認した後は公子に背を向けないように気を付けながら後ずさりして、部屋の隅に移動した。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げると、続けて質問をしようと口を開く。
「えっと……」
だけど聞きにくい話だったから少し言葉を濁す。
「なぜ料理を運んだ宮女――石羽和は疑われなかったのでしょうか」
「それは……」
一瞬、侍女の瞳に怒りの灯がともった。
「奉公を終わらせないで伸ばしたいと言われたからよ。身内の事情で宮女が二人、急にいなくなったから声をかけたの。そうしたら一、二年なら伸ばしても良いって。結婚資金を溜められるから嬉しいって言っていたわ」
「普通、伸ばすときは三年ですが……?」
後宮の規則では五年の次は三年、その先は期限がなくなって、大抵は一生を妃に仕えて終える。
「こちらの理由で引き止める場合は、融通が効くのよ。だけどあの娘は……!」
ようやく疑われなかった理由の一端がわかった。
この先も働き続ける気でいるのに罪を犯すとは、誰も考えなかったのだ。
公子が幼くて食べ物を喉に詰まらせやすいと思われていたのも、疑われない理由だった。
「得心がいきました。続いて昨日、公子が亡くなられたときに居た方々から、お話を聞かせてください」
侍女は了承すると、宮女を二人呼ぶように伝えた。
前殿(宮の入口がある建屋)の小さな部屋に入ると、既に年配の女性が待っていた。
白い喪服に身を包み、目は赤く腫れあがっている。
「思い出させて申し訳ないと思っていますが、当時の話を聞かせてほしいのです」
「先刻も言ったわ!」
何度も辛い話を言わせるなという叫び。生まれた時から大切に慈しんだ公子が亡くなったのだ。なのに悲しむ時間も与えられず、質問攻めにされる。憤るのも仕方がない
「わかっています。でも必要なのです。お願いします」
快く口を開いてもらえる状況ではない。
だからと言って、待ちますと言える時間もない。
「杏仁羹を食べた後、亡くなったとは聞いているのですが……」
「私が食べさせたんです……! 景徳公子は杏仁羹がお好きでした。喜んで食べられて。そうしたらいきなり叫び出して、喉を掻きむしって!」
当時を思い出したのか、ボロボロと涙を零す。
「どうして……! 幼い公子が殺されなければいけないのです! あの子がっ! 可愛がってやっていたのに、娘娘の好意を踏みにじって!!」
声を上げて泣き出し、しきりに怨嗟を口にする。
話はもう聞けそうになかった。
案内してくれた侍女が駆け寄り慰める。やはり目から涙が溢れていた。僕たちが来たときには泣き止んでいたけど、ちょっとしたきっかけで再び悲しみが溢れ出るのだろう。肩を抱きながら立ち上がらせ、ゆっくりとした足取りで退出する。
亡くなったのは昨日で、心が癒えるには時間が短すぎた。
入れ替わるように入ってきたのは、まだ若い宮女だった。僕や桃香と同じ下っ端の翠の制服を着ている。
「昨日のことを聞かせてもらえますか?」
「あまり変わり映えはないと思うんだけど……」
既に侍女から話を聞いているのに更に何を知りたいのか、そんな感じの困惑が見て取れる。
「同じ部屋に居たといっても、侍女様と立っている場所が違えば、見えるものが違うと思うんです。どんな些細なことでも構わないし、まったく同じ話でも構わないんです」
「そう、だったら……」
同意の言葉は、僕ではなく自分を納得させるもののようだった。
「昨日は確か……」
思い出すように、一旦言葉を切った。




